ある意味でこれは天職であった。

 神社の本殿横、賽銭箱があった場所が見える位置、竹林の手前、竹陰のかかる場所に、鴨兵衛は一人、仁王と立っていた。


 おネギはここにはおらず、老巫女の元へ、字を学ぶのだと意気込みどこぞへと連れていかれた。


 大丈夫、とは思うものの、それでも心配の残る鴨兵衛であったが、ならばなおのこと、役目を全うせねばと、回りににらみを利かせ、腕を組み、どっしりを踏ん張り、肩に力を入れていた。


 その右横には竹を編んだ台が置かれ、挟んで反対側には見張りなのか猫巫女が立ち、挟む台の上には先ほど鴨兵衛が運んで来た富くじの賞品がずらりと並べてあった。


 そしてこの賞品を封じるように四方に竹筒が突き立てられ、それぞれをしめ縄で繋いで封として、見えはできども近寄れぬ距離で区切られていた。


 しめ縄には魔を払う力があると言うが、それが作用してか、賞品を一目見ようと集まるものたちは押し合いへし合いしながらも、その区切られた内側へ、手や顔を入れるものはあっても足を踏み入れようとするものは皆無であった。


 それでも不届きものが現れるかもしれぬ、だから見張れと、老巫女に言い渡された鴨兵衛の仕事であった。


 ただ見張る。何もせず、何かあった時のみ動く。巨大な体に厳つい顔つき、腰に刀が無いのはここが神社で汚れが禁忌だから、おおよその要素が鴨兵衛に吉と働き、ある意味でこれは天職であった。


 しかし、何もせぬのを仕事と思えぬ性分の鴨兵衛には、体よりも心の負担が大きかった。


 そこへ話し声が聞こえてくる。


「おいおいなんだよあのみっともねぇのは」


 そう言ってしめ縄から腕を差し込み、一等の米俵を指さすは今来たばかりの男だった。


「確かにでかいことにはちげぇねぇが、その上に茣蓙ござ巻いて、不器用に縄でふん縛ってるじゃあねぇか。ありゃあ中を抜かれた跡なんじゃああねぇか?」


 どきりと言葉が鴨兵衛の耳に刺さる。


「なぁに言ってやがんだおめぇ、聞いてねぇのか?」


 そこへ別の男が割って入る。


「ありゃあよぉ、中身を限界まで入れちまって、俵が耐えられなかったってぇことよ。つまり俵編んだやつさえ感が及ばない量張ってるって証じゃあねぇか」


「ほう、そいつは豪勢じゃあねぇか。今年の富くじは奢るなぁおい」


「当たり前のこと言うんじゃあねぇよ。巫女様が俺たちをガったりさせたことが一度でもあったか?」


「そりゃそうだ、ちげぇねぇや」


 笑い合う二人の男、このような軽い会話は、ここでは珍しかった。


 大半は、無言、そして凝視、あの賽銭箱を壊したときのように、血に飢えた獣の前に手負いのウサギを投げ入れたような、強い飢えを感じさせる眼差しであった。


 そして決まって、口数は身なりの値段に比例しているようだと、鴨兵衛は観察していた。


 綺麗で、健康そうで、余裕のあるものほど口数多く、汚く、やせ細り、追い詰められてそうなものほど口を閉じる。


 それだけ物の価値観、願望の強さ、必死さが異なるのだと、鴨兵衛は密に思っていた。


 そんなことをしてる間にあっという間に夕刻、老巫女が呼びに来て展示が終わり、見学人は追い返され、賞品は巫女の監視の下、鴨兵衛の手によりあの倉庫の中へと運び入れられた。


 そして夕食、またも雑穀粥、列に並んぶ時、おネギと合流した。


 おネギは、げっそりと疲れ果てていた。


 普段はまず見せないうつろな表情、声をかけても心ここにあらずで、辛うじて粥を口に運ぶのみ、そのまま鴨兵衛に連れられ、あの大屋敷の中、けば立つ畳の上でぼろいものたちに交じり雑魚寝する間、ほとんど口を利かなかった。


 何事があったのか、訪ねたい鴨兵衛ではあったが、これは恥の領分、それに誠に嫌なことであったならばとうに逃げ出してるであろうと、グッと言葉を飲み込んでいた。


「大丈夫です、鴨兵衛様」


 起きているのか寝言なのか、おネギは瞼を閉じたまま呟く。


「もう、昔とは違いますから」


 それだけ言い残し、あとは静かな寝息を立てるおネギに、やっと鴨兵衛も安堵して、続いて眠りに落ちることができた。


 ◇


 翌朝からも似たような流れであった。


 日の出前に叩き起こされ、少し離れた沢にて水を浴びて身を清め、またも列に並んで、昨日の残りを薄めたかやたらと水っぽい朝食をもらう。食らった後はおネギは老巫女と共に、鴨兵衛は猫巫女と共に倉より賞品を出して並べて、また見張る。


 ただ前日からの違いがいくつか、賽銭への列が途絶えたことと、代わりの列が猫巫女の前にできたこと、そしてその猫巫女が富くじを売り始めたことであった。


「ありがとうごぜぇます」


 深々と何度も何度も頭を下げる男に、猫巫女は対となってる竹札両方を見せる。その内の一方を男が選ぶと、代金と引き換えにそちらを渡し、残り一方を背後の空樽の中へと放り込む。


 その樽がクジの箱、売れた中からしか当たりはでない仕組みらしかった。


 そうやって一人一枚、クジを買い、まるで我が子のように懐に大事にしまうと、そそくさと離れていく。中には神社を詣でるものもいたが、それでもここに長居したくない様子であった。


 そうさせる原因は昼前、蹄の音と共に現れた。


 遠くから少なくない馬の駆け足、途端人々の表情に緊張が走る。


「地主様だ」


 また誰かの声、それとほぼ同時に収まる蹄の音、代わりに怯えの声が広がり、並ぶ列が乱れて、左右に開いて道を作る。


 その中をこちらにやってくる一団、その先頭の男は縦に短く、横に広かった。


 白い乙女のような肌をしながらも、背丈はそれこそおネギよりもわずかに低い程度、だけどもその横幅はその背丈を越えるほどに太く、前後にも厚かった。


 ただそれは、贅肉に肥え太ったものではなく、如何に鍛えたか、筋肉による太さであった。


 ノッシノッシと歩きながら一切震えぬ肉は、でっぷりと出た腹だけでなく腕も、足も、首も、腫れ上がったように太い。その腕など、脇腹の肉とぶつかり合って、肉が邪魔をして脇を閉じられぬほどの盛り上がりであった。その体を包むは朱色の着物、異形な太さでありながら不自然なく着ることができているあたり、合わせて仕立てたものだとわかった。


 小さな髷の乗った頭は半ばその首に埋まって一体化し、その顔にも盛り上がる肉が、両目を押し上げて細く伸ばして、まるでキツネのように吊り上げられていた。


 そのような男の背後に続くのは同じく太く、けれどもこちらは贅肉にまみれた、ナメクジのような大柄の坊主であった。


 しかしそれは前の男と比べてそう見えるだけで、他のものと比べるとそうでもない、普通の背丈のナメクジのような坊主が、油ベトベトの顔を乾いた鼻水のように震わせ、その手に持った数珠をジャリジャリ鳴らしていた。


 さらにその後にはやたらと恰幅と血色の良い男らが続いていた。彼らは見たところ素手、武器武装を帯びているようには見えなかった。けれども睨む姿勢、歩く姿、吐き出す息さえもが周囲を威嚇し、敵意を振りまいて、暴力的であった。


 その一団、富くじ売り場前まで着くと坊主がクルリ振り返り、乱れた列を睨む。


「何をしているお前ら! 賭博は罪だと教えただろう! そのような金があるなら日頃お前らのために働く兄者に感謝の気持ちを示さんのだ!」


 坊主の思ったよりも高い声に怯える人々、この光景で鴨兵衛、色々と察する。


「そのような無駄使いをしているからお前らはいつまでたってもお前らなのだ! 何故堅実に生きようとしない! そのために兄者は苦労していると言うのに!」


「その辺にしとけ」


 続くは太い男、こちらはさらに高く、子供が変声で遊んでいるかのような、ふざけて聞こえる声であった。


 その太い男、富くじ売り場前までノッシとやって来て、猫巫女に向けて細い目を歪めて笑いかける。


「こいつも縁起物だ。それに頼るのもわかる。まぁちゃんと俺らに払う金さぇ残こってりゃあ問題ない。なぁ?」


 脅しに酷しい言葉を発する太い男に、猫巫女は僅かながら嫌悪の表情を表し、けれどもすぐに隠した。


 それに気が付かないのか、太い男は細い両目を歪めていやらしい笑みを浮かべる。


「というわけで個々は一つ、俺らにもクジ、売ってもらおうか」


 そう言うや太い男、懐に手を入れるとジャラリ、黄金の小判を三枚、取り出して猫巫女の前に投げた。


「これだけありゃ残り全部、買えるだろ?」


 この一言に、場の空気が凍り付いた。

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