ミミズがのたくったような字が書かれてあった。

 これまでの売り買いを見てきて、そして小判の額を知る鴨兵衛の計算では、小判三枚は残る富くじ全てを買うのに十二分の額であった。


 同時に、それだけの額を払ったとして、例え賞品全てに当たったとしても大赤字であることは、少し数えれば容易に出る計算で合った。


 そしてそれを知っていて、この太い男はこのようなことを言っているのだと、鴨兵衛にはわかっていた。


 これは儲けの話ではない。ただ大金を持って富くじを見出し、この場の楽しみをただ台無しにしようとする、質の悪い嫌がらせでしかなった。


 しかし、である。


 言い分としては太い男の言っていることは正しかった。


 売ると言っている富くじを買おうと言っているだけの事、それを悪と断じるのは世の理を外れる行為、咎められるは神社側となるのだと、鴨兵衛は納得してないが理解はしていた。


 それは言われた猫巫女も同じらしく、その大きな目を見開き泳がせ、どう答えたらよいのか迷っているのが遠目にも見える。


 それを見て、これから買おうというものたちもまた、あきらめに似た悲壮感を顔に浮かべていた。


 ただ、そこに暗い影が滲み出ているのを、何となくではあるが、鴨兵衛は感じていた。


「もう来ないんじゃなかったのかい? 奥太郎おくたろう奥次郎おくじろう、それと引っ付く取り巻きども」


 そこへ邪気を払うかのように、空気を一転させる声は、あの老巫女のものであった。


 割れて道を作る人々、太い男らの時とは打って変わって喜びで迎え入れられ、老巫女の歩みは堂々としたものであった。


 そして、その背後に影のように付き従うおネギの姿に、気が付けたのは、この場では鴨兵衛だけであった。


 その小さな姿が影に隠れたかと思えば、老巫女、富くじ売り場と太い男の間に立ちふさがっていた。


「出たなババァ。俺の金づるどもを誑かせやがって」


「あぁ出るさ。ここはワシの神社だからのう。それで? おぬしらも富くじが欲しいとな?」


 並ぶと同じぐらいの目線にある太い男に、老巫女はそれでも上から威圧感を持って立ちはだかる。


「あれだけ無駄使いだなんだと言ってたおぬしが、ねぇ。まぁそれでも? どーしてもっていうんなら、売ってやらないことも無いがね」


 一言、また冷える空気、これを楽しむように老巫女はヒヒヒと笑う。


「この神社は万人に平等だ。求めるならば売ってやろう。それが例え親の遺産で好き勝手やっておるバカ息子共とその取り巻きだったとしてもだ。たぁだぁしぃ、いくら大金摘もうが、一人につき一枚限りとなっておる」


「あぁ?」


 太い男の不機嫌な声に、けれども老巫女はひるまず続ける。


「知らなかったのかい? この神社の富くじは例年、一人一枚と決まっておる。伝統、とまでは言わないが規則だ。みな百も承知でならんでおるのだよ」


「おい何勝手なこと言ってやがる」


 これに太い男、声を荒げながら拳を握り、関節をバキボキ鳴らす。


「いい加減にしろよ干物ババァ。そんなとってつけたような規則、どこが平等だぁ? あぁ?」


「とってつけただぁ? なぁにを言っておる。ここにちゃあんと書いてあるだろ?」


 そう言って老巫女、その場を退いて富くじ売り場を見せると、台の上から垂れ下がるように、そこらの石で押さえられた紙が一枚、現れた。


 少なくとも鴨兵衛がここに立つ前にはなかった一枚、そこには『おひとりさまいちまいまで』と辛うじて読める、ミミズがのたくったような字が書かれてあった。


「……まぁ多少は味のある字だが、良い味だしてるだろ?」


 グニャリと空間さえも歪めるような笑みを浮かべる老巫女に、太い男はその顔を赤く染めていった。


「ふざけるな。こんな、まだ墨も乾いてねぇようなとってつけた紙きれ、そんなのに従えるか!」


「従うしかないんだよ。ここはワシの神社、ワシが売る富くじ、どう売るかも書いておる。ワシが正しい。これが気に入らないまではまだいいが、邪魔するなら、痛い目を見るしかないがのお」


 老巫女の物言いに、鴨兵衛、自分の仕事だと前に出る。


 ……だが、二歩目を踏み出せなかった。


 それ以上に、周囲に溢れる影に、踏み入ることはできなかった。


 霊感など持ち合わせておらず、幽霊の類も無縁の鴨兵衛であったが、それでもはっきりと知覚できるほどに、この場に邪気が溢れ始めていた。


 発するのは、囲う人々、その顔からは悲壮感と、そこから続く絶望、そして自暴自棄からの、周囲を巻き込み滅びへと転げ落ちる、怨念が、満ち始めていた。


 そしてそれが向かう先は、太い男とその取り巻きたち、向ける眼差しは賽銭箱を壊した時に向けられた、あの飢えた獣に近しいものであった。


「神敵だ」


「神敵だ」


「やっぱり神敵だ」


「やめぬか!」


 一喝、老巫女により呟く声は止んだがしかし、睨むのは止められなかった。


「兄ぃ」


 背後のナメクジの男が耳打ちするように呟くと、太い男は顔を赤くしたまま投げた小判をひったくると背を向け、取り巻き引き連れて神社より立ち去った。


 その背中を見送る人々、その中にあって老巫女の表情がこれまでにないほど引き締まっていたのを、鴨兵衛は見逃さなかった。


 ◇


「これが『おネギ』」


「うむ」


「こっちが『かもべえ』」


「うむ」


「それで『あんさつ』」


「む?」


「これで『ごうもん』」


「待つのだ」


 夕焼け、赤色に染まる地面に、竹の小枝で刻まれた文字に、鴨兵衛思わず声を上げて止めると、おネギは不安げな顔を上げて見上げた。


「どこか間違ってましたか?」


「いやあっている。あってはいるのだが、何故この言葉なのだ?」


「それは、一番使う言葉なので」


 きょとんと返すおネギ、しかしその目はトロンと眠たげであった。


 時刻は夕刻、すでに富くじは完売し、夕餉の雑穀粥も食べ終わって、後は暗くなるのを待つだけ、なので良い子は早めに寝ても良い時分ではあるのだが、普段のおネギならばまだまだ元気であった。


 それだけ字を学ぶのに疲れたのであろうと鴨兵衛、深くは考えずに宿として借りているあの屋敷へ、連れたって歩いていく。


 と、二人同時にピタリ、足を止めた。


「これは」


「わかっている」


 フンワリなおネギの声に応える鴨兵衛の声は鋭かった。


 そして二人、神社の裏の屋敷のさらに裏の方へ、視線を向ける。


「おネギ、一人で戻れるか?」


「かもべぇさま」


「心配するな、様子を見て来るだけだ」


 これを聞いたおネギ、もう眠気も限界で、思考が回っていないのか、コクンと頷き一人、屋敷の中へと歩いて行く。


 そその姿にやや不安を覚えながらも鴨兵衛、裏へと歩を進めた。


 うっそうと茂る竹林に積み重ねられた薪の束、それに竹細工を行う為らしい小屋があって、更にその奥へ通じる一本の道が現れる。


 別に「立ち入るな」とは言われていない裏側であったが、用事があるわけでもなく、故に初めて踏み入れた場所、鴨兵衛は腰の鞘に手をやりながら進んでいく。


 見上げれば山、地面は軽い上り坂、ここらの地理に疎いながらも、こちら方面が人里より離れているのが肌で感じられた。


 そうして、歩いて、そして新たな道、あまり踏み固められていない山道と交差したところに、男の骸が、仰向けに倒れてあった。


 見たところ外傷はなく、恐らくは病死であろう。また悪臭も漂ってないことから死んで間もないとわかる。その身ぐるみの一切ははぎ取られ、履物どころかふんどしすら残されてはいなかった。


 むき出しの体はまだ肉も皮も残っているのに骨と見まがうやつれ姿、その顔に見覚えなく、何者か知れぬがそれでも、その死が穏やかなものでなかったとは、一目でわかった。


 そして交差する山道には引きずった跡、状況合わせるに、行き倒れか何かで死んだ男を、誰かがここまで引きずり、捨てて行ったのだと想像できた。


 そんな骸を前にして鴨兵衛、鞘より手を離し、代わりに合わせて深々と拝んだ。


「ずいぶんと罰当たりなことをするじゃあないか」


 そこへ風が竹を揺らしたような声を、拝む鴨兵衛の背に刺したのは老巫女であった。


「幼子連れてるから少し油断してたが、おぬし、その手はずいぶんと血で汚れてるようだのお」


 その言葉、その意味、遅れて理解した鴨兵衛は「殺してない」を全力で首を横に振った。


 ……これに老巫女は、歪むように笑うだけであった。

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