今更ながら不器用な男であった。

 声は、波紋のように人々に広がった。


 そして老巫女に続くようにみな、器を手に、ズズズと啜りながら大きな屋敷の裏へと流れていった。


 残された二人も、何となくその後をついて行くと、そちらにも竹林、その中を突っ切る道を荷車が止まっていた。


 これはこの荷車、珍しい形状をしていた。どうやら人力で引くものらしく、馬や牛のと違いやや小型で、四輪の車輪が付いた台は箱となっており、その上に茣蓙をかけることで荷物が雨風に晒されぬよう工夫が凝らしてあった。


 その周りをぐるりと囲うのは、半分が粥を啜るものたち、残り半分が先ほどまで賽銭を投げて板であろうものたちであった。


 その間を抜けて老巫女が荷車の前に出る。


「よしよし、なんとか期日前に間に合ったな」


「これはこれは巫女様、今年もございます」


 へコリへコリを頭を下げながら愛想よく現れたのはこの荷物を運んで来たらしい男だった。


 恰好こそ、泥だらけの股引に、上半身裸、頭にねじり鉢巻きと作業着姿ではあったが、その顔肌は血色がよく、肉も厚くて健康そうに見えた。


 その背後にも似たような恰好の男が二人、だがこちらはふくれっつらで、露骨に囲うものたちから距離をとろうとしている様子であった。


「それじゃあ、さっそく見せてもらおうか」


「はい、では、おい」


 老巫女に促され、男が男に支持を出すと、荷車から茣蓙が取り払われる。


 最初に現れたのは醤油と書かれた樽、その横には味噌と書かれた桶が、その隣には塩を縫われた袋が、手前には食器と書かれた籠、そして柄のすぐ近くには通常のものより二回りも大きな米俵がドンと乗せてあった。その間にこまごまとしたもの、番傘に下駄に着物、蝋燭や鍋なども見えた。


 大荷物、ではあるが、少なくとも鴨兵衛の目には、これと言って特段価値のあるものは見受けられなかった。


 しかし、周囲の目は違っていた。


 みなゴクリと、唾を飲み、荷台の上の品々をまじまじと、羨望の眼差しを向けていた。


 その中で老巫女だけがにやりと笑う。


「確かに。米もちゃあんと特盛のようだな」


「もちろんでございます。それで、あの」


「わかっておる。おい」


 老巫女が振り返り言うと、いつの間にかそこに控えていた猫巫女が、首に、そして両手にジャラリ、銭紐を巻き付け立っていた。


 ……銭には四角い穴が開いていた。


 これは鋳造した後、端を削って磨くとき、四角い木の棒を差し入れて固定するためのものであったが、その中に縄を通してひとまとめにするのは一般的な保管方法であった。


 だがしかし、この時の猫巫女の持つ銭の量は半端なかった。


 首に巻いた銭紐は膝を超えて足首に届く長さ、両手のものもそれほどで、たくし上げて何とか地面を擦らないで済むほど、当然重量もかさみ、猫巫女が一歩踏み出す度に足跡がくっきりと地面に残っていた。


 恐らくはあの賽銭箱にあった全て、しかしそのほとんどが小銭、量は合っても集めたところで、大金は大金ではあったが、決して手の届かない額ではなかった。


「また、これは、細かいことで」


 それを見抜いたか男の笑顔に曇りが浮かぶ。


「何を言っとる。どうせ使う時はちびりちびり、持ち運ぶ手間と両替の手数料を考えればさしたる差ではあるまい」


「ですが巫女様、毎年のこととはいえ、あってるかどうかこれから数えるんですよ?」


「なら、早く始めた方が良いと、去年も言ったなぁ」


 続けてゲゲゲと笑う、老巫女のこのいいように、諦めたように男はため息をついて、背後の男らに目くばせして銭縄を受け取らせる。そして猫巫女と共にいくらあるか、足りているか数えてる前で、老巫女は荷車上へと昇った。


「さぁ見ての通りだ。一等、二等、三等、四等、それに五等、今年もそろった。いよいよ明日から販売開始だ」


 巫女の言葉に熱狂が爆ぜた。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!


 歓喜、絶叫、興奮、只ならぬ盛り上がり、その中で冷静な鴨兵衛、はたりと気が付く。


「これは、富くじか」


「とみ?」


 同じく冷静に問うおネギへ、鴨兵衛は説明する。


「俺らが倉で作っていたものだ。あれはクジなのだ。つまり、一対の竹札、内一方を売る。そしてしかる後、対となるもう一方を無造作に引き、同じ数字を持つものがこれら賞品を得る。一種の賭博だ」


「おいおい、人聞きの悪い」


 老巫女、荷車上より鴨兵衛の説明に割り込む。


「富くじはそこらの賭博と同じではない。その目的は寄付だ。困ったものへの施しのため、みながなけなしの銭を集めて助け合う。その際に少し盛り上げようと賞品で優劣をつける。これはただの遊び心、欲に目が眩んで行う賭博とはわけが違う。これは、立派な善行よ」


 断言する老巫女に、反論できるものなどあろうはずもなかった。


「さぁみなの衆! 明日より富くじの販売を始めるぞ!」


 その鴨兵衛の反応に興味を失くしたか老巫女、今度は声を張り上げ囲うものたちへ檄を飛ばし始める。


「五等の食器類! 四等の塩! 三等の味噌! 二等の醤油! そして一等の米俵はこの通り! 去年よりも一回り大きい大盛り俵ぞぉ!」


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!!


 老巫女の言葉に更なる歓喜、絶叫、興奮、まるで彼らが一つの巨大な獣と化したかのような方向に、鴨兵衛とおネギ、恐怖に近い何かを感じ、無意識のうちに互いに身を寄せ合っていた。


 ……確かに、これらは高価なものではあった。


 しかし、それはあの賽銭箱の中身と同じく、決して手の届かないほどの高値ではなあった。少なくとも、ここまで盛り上がれるほどのものではないと、鴨兵衛は戸惑っていた。


「さぁて、飯の最中だが、一つ働いてもらおうか」


 ひょいと荷車より身軽に飛び降りた老巫女、鴨兵衛に笑顔を見せながら、米俵を叩いて見せる。


 それで何をすべきか察する鴨兵衛、咄嗟に動こうとし、その両手に己の器と巫女の器があるのを思い出して、一瞬迷って両方をおネギの手へ、小さな手が何とか三つ、抱きかかえたのを見てから慌てて荷車へと向かった。


「こいつを下ろしてもらおうか。その後はこいつの番だ。あの倉庫にしまうまでの間、誰にも近づけさせないのが、おぬしの仕事だ鴨兵衛よ」


「うむ。承知した」


 疑問は残るが、少なくとも与えられた仕事は思ったよりも楽そうだと、ならば今はそれでよいと、鴨兵衛、米俵に手をかける。


「わかってると思うが」


 その鴨兵衛に、ひっそりと巫女が耳打ちする。


「ちゃあんと重そうに担ぐんだよ。軽々持ち上げたら中身が体を思われちまう。そう見せない演技も仕事だ」


 老巫女の言葉に一転、鴨兵衛は全身より汗が噴き出る。


 ……鴨兵衛は、今更ながら不器用な男であった。


 それは手先だけの話ではなく、言葉遣いや心遣い、所作や気配りにおいても上手な方ではなかった。


 特に演技、騙す行為、嘘を付くことは特に苦手であった。


 何よりもまず顔に出る。加えて育ちと性格、正直で間違いを犯せば面子など考えずに素直に謝り、気に入らなければ遠慮なく暴れまわる。


 実直で裏表がないと言えば長所であるが、この場では何の意味もなかった。


 目の前の米俵、中身がぎっちりであっても軽々持ち上げられる自負が、鴨兵衛にはあった。けれども、それを重そうに演技する、となると、自信がなかった。


 それでも、巫女の言葉に周囲の期待、それらを裏切れる性格でもない鴨兵衛は少し考え、滑り止めに手に唾を、と思うも汚いからやめて、諦めて米俵を縛る紐の上側を掴んだ。


 そして息を吸い込み、力んで、一気に持ち上げた。


 ブチブチブチブチ。


 途端に響く音、立てるは巻いていた縄、握力により引きちぎられ、円柱に整えられていた米俵が崩れてわずかに中身がこぼれる。


 やらかし、失敗、心の内が顔に出る鴨兵衛の豹所が如実に「しまった」と言っていた。


「これはこれは、なんということだ」


 そこへ、老巫女の嬉しそうな声が流れる。


「特盛にしすぎて荒縄が持たないとは、これは相当な重さのようだな」


 この老巫女の言葉により一層盛り上がる周囲、その興奮の真っただ中にいて、鴨兵衛は腰が抜けそうなほど安堵した表情となったのであった。

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