これが最初であった。

 ……鴨兵衛とおネギ、二人が去った後の町には殺気が満ちていた。


 守護り屋の壊滅、それは今までやられたことへ、これからやり返す切っ掛けには十分であった。


 あれだけ威張っておいて実質男一人に散々やられて、逃げ出して、挙句そのどさくさに怪我までして、そして止めとして頭である水源が姿を隠すとなれば、恐れるものなどなかった。


 守護する、との名目で木札を買わせ、週ごとに更新料をせびった挙句、ただでさんざ好き勝手飲み食いして、時には乱暴狼藉、重ねた罪はただの土下座で済ませられるほど軽くはなかった。


 報復、弱っている今のうち、回復するその前に、一人残らずやってしまえとの過激な考えは、水面の波紋のように隅々まで広がっていった。


 皮肉にも、守護やが命じていた見張りがそのまま己らの首を絞め、手形偽装屋もわが身可愛さに手を引いて、逃走経路は残されていなかった。


 そこへ、救いの手を差し伸べたのは、あろうことか被害者筆頭のはずの平四郎であった。


「もう、ここらでいいじゃないですか」


 丸っぱれの顔でひょうひょうと言ってしまう平四郎、それどころかもめ事やにらみ合いがある度にそろりぬるりと現れて間に入り、その間を取り持っていた。


「果し合いが終わったらその後に引きずらないもの、互いに痛い目を見ましたが命は助かった、これでめでたしめでたしで締めましょうよ」


 これに、毒気を抜かれた町のものたち、逆に掬われて感涙する青たち、いつの間にか殺意は薄れていった。


 手練手管、このように人の輪に入り、気が付けばその中心に居座る父、平四郎の姿を、息子である平一は間近で見てきた。


 それはこの旅に限ったことでもなくその前から、紙問屋のころから、母が存命のころかの話術、生き様であった。


 時に馬鹿にされ見下され、けれども怒らず逆におどけて切り抜ける。とても誇りがあるとは言い難い世渡り術、けれどもそれだけではないことを、平一は見て来たし、見て見ぬ振りもしてきた。


 例えば飛び土下座、相手の意表を突く動きで驚かせ、一瞬怒りを忘れさせたところに速やかに詫びを入れて不覚に入り込む。これを奥義と話す父は密かに練習を重ね、加えて両脛に綿入れ撒いて痛みを軽減している隙の無さは、凄いこととは思っていた。


 だが、尊敬がどうしてもできなかった。


 商人としての生き方としてはこの上なく正しいと知りながら、平一はその誰にでも、客でも、子供でも、例え母を助けられなかったあの医者にも、感謝か謝罪の言葉と共に深々と頭を下げる生き方に、尊敬が、納得ができなかった。


 だから敵討ちにのめり込んだ。


 仇討ちに、武士に、尊敬ができる、納得のできる生き方があると信じていたからだった。


 けれど、あの二人との出会いと、果し合いと、そして殺し合いを目の当たりにして、こちらもまた思っていたものではないと思い知らされた。


「……どうした平一?」


「いえ、ただ今行くでござる」


 呼ばれて平一、平四郎の横へと寄り添い、並んで立った。


「それでは皆様、名残惜しいですが、お別れの時がきてしまいました。どうかお達者で、仲良くしてくださいね?」


 並ぶを待ってから頭を下げる父の平四郎、その前に並ぶは町の住民たち、そして青の守護屋たちであった。


 あれからの交渉により、守護屋は継続、ただし支払う代金は大幅に下がり、代わりに荷物運びやらと仕事は増えた。そして刀傷の治療費としてその刀を手放すことで丸く収まっていた。


 当然父の、平四郎の口があったからこその平和的解決、その父がいなくなっても続けられるかは疑問だったが、それは二人が旅立った後のこと、知る由もなかった。


 ただ言えること、これだけの人達に感謝され、見送られる父と、誰にも見送られず、それどころか直前まで命を狙われていたあの二人と、どちらが良いか、残念ながら平一の中では答えが出ていた。


「お世話になったでござる」


 続いて頭を下げる平一に、みなは当然と受け止め、驚いたのは平四郎だけであった。


 そうして立ち去る親子、手を振る町のものたちを背に、旅の道へと戻っていった。


 朝早くのつもりがすっかり日が昇ってしまった時分、空は晴天にも関わらずやや肌寒さ、セミの鳴き声もすっかり潜まって、夏の終わりを感じさせた。


「…………なぁ、やっぱりあの二人についてきたかったんじゃないか?」


 町を出るかの間際、平四郎に問われて、平一は首を横に振った。


「拙者には、あの二人のような生き方はできないでござる。例え無理についていっても、互いに不幸になるだけでござる。拙者には、父上との旅が似合うようでござる。ただ」


 最後のは余計な一言、けれど口に出てしまったならば最後まで、平一は呼吸を整えて続けた。


「ただ、やはり父上のやり方は、凄いのはわかるのでござるか、やはり拙者には合わないでござる」


 自分の言葉がどれほど父上を傷つけてるか、想像から目を合わせられない平一はなおも続けた。


「だけども拙者は、あの二人にも、父上にも到底かなわぬ身、人の道をとやかく言うには、その前に己の道を探さねば、でござる」


 これでいいのか、迷う平一の背を、平四郎の手が優しく叩いた。


 それを受け安堵から、平一はぎこちない笑顔を返した。


 この旅で、二人が揃って笑顔となったのは、これが最初であった。

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