鴨兵衛、ありがたい神社を壊した。
罰当たりこの上ない光景であった。
戦乱の世、神社仏閣の役割は大きかった。
元より、神や仏の言葉を伝え広げるには読み書きをはじめとした教養が必要とされ、それを分け隔てもなく各地に広げてきた神主坊主の功績は、どれほどの僻地を訪れたとしても、同じ言葉で会話できるという、当たり前のようで驚くべき偉業を持って示されてきた。
加えて精神の安らぎ、極楽浄土、輪廻転生、死後の安寧を伝えることは、苦しむ人々の少なからぬ救いとなってきた。
ただでさえ災害と疫病で飢えて苦しむ中に終わりなき戦、いつだれが死に、あるいは殺されてもおかしくはない時世にあって、神や仏に人気が集まり、伝え広がるは自然なことであった。
また同時に実用的な役割も、その慈悲と中立の立場を利用しての仕事、戦場に転がる躯の片づけ、怪我をしたものの手当てに、焼け出された人たちの世話と管理、大きな所ならば和睦の仲介に、小さな所ならばどこぞの領地とも決まっていないような村落の冠婚葬祭、人頭の帳簿を付けるなど、統治する藩が行うべき仕事も代わりに行ってもきた。
当然、片方に肩入れしただの、片方に内通しただので敵とされることも多かったが、それでも多くの神社仏閣が、脈々と受け継がれた歴史を紡ぎ、伝え、そしてこの太平の世まで地元に根差して来ていた。
そして現代、太平の世となり、助命を乞うものはめっきりと減りはしたが、人の欲は限りなきもの、大漁豊作に無病息災、安産祈願、家内安全、商売繁盛、落書無用と願いの中身は変われども、縋る人は減りはしなかった。
その中には、やれ神通力だの仏力だの、魔法だの呪術だのと怪しい術を操り、あるいは操ると歌って、人々を誑かし、大金を稼ぐところもあるにはあったが、大半は中央幕府の命により詐欺偽りと認定され、投獄されて劣り潰しとなるか、影に隠れて表から見えなくなるかのどちらかであった。
そんな神社の一つ、宿場町と他の村落との中間にある竹林の中に『
季節は夏の只中、まだ暑い最中、ここらでは二毛作を取り入れているらしく、第一の刈り入れが終わり、第二の田植えが始まろうかとの時期、豊作を祈願には遅すぎて、収穫を感謝するには早すぎる時分、この列は不可思議であった。
この列を辿れば、赤い鳥居をくぐり、
そんな本殿と鳥居を繋ぐ列、作るのは身なりから見て農民と町民が半と半、顔見知り同士固まるものも居れば、ただ一人で並ぶものもいて、みな一様にやせこけ、薄汚れてはいるが力ある眼差しで、薄い財布を握りしめ、各々祈りの言葉のみを口にして、朝早くよりただただ並び続けているのだった。
そんな列の中、これから先をうんざりとした眼差して見つめる大男がいた。
他のものに比べて頭一つ抜けた巨体、その体は小さすぎる着物、右頬に横へと走る傷口に汗が流れ、そして腰には長物一本、背中に風呂敷包み、怪しい風体、夜の道で出会ったら思わず身構えてしまうような姿形、けれども列に埋没する他のものにとって、その男もまたただの列でしかなく、特段視線が集まることも無かった。
その斜め右前、伸びる影の中、小さな影が一人、幼い幼女が隠れていた。
歳は十かそこら、綺麗な緑髪のおかっぱ頭に萌黄色の着物、背には赤い風呂敷を背負って旅の格好、器量よしの顔には汗一つもたれてはいないが、それでも赤く火照ってはいた。
二人は旅行く身内らしく、互いにつかず離れず、言葉はなくとも目くばせ交し、互いに気を配り合う仲であった。
「……兄上」
「……どうした」
幼女の呼びかけに、大男が応える。
「……その、ごめんなさい」
「……よいのだ」
「……でも」
「……参拝したことなかったのであろう? 何事も経験、だ。それにこれだけの列、ご利益もあるに違いあるまい」
短い会話、すぐに終わって沈黙、後は暑い中を並ぶだけであった。
列の歩みは牛の歩み、うっかりしてると動いたことさえ見逃す遅さ、時折パチンとの音は誰かが蚊を仕留める音、それぐらいしか変化の見えない光景、遅々として進まぬ列ではあったが、それでも確実に一歩、一歩、一人、一人と、列は進み、前へ、前へと順番は回っていった。
そうして一人終わり、二人終わり、三人目が倒れ、四人目と五人目が介抱に抜けてて行って、残りまとめての団体が終わったのが昼の手前、ようやっと二人の番となった。
青銅の屋根に朱塗りの壁、吊り下げられた鈴にそこから伸びる布綱、その下にデンと置かれたのは、一際立派な賽銭箱であった。
硬い柿の木と黒鉄でこさえた箱に同じく黒鉄の鎖を巻き付け縛り、そこにこれだけで一財産になりそうな錠前がかけてあった。
他の神社には見られない、まるで祀られてるかのような賽銭箱を前にして、二人は一瞬固まる。
先に動いたのは小さな幼女、隣の巨体な大男を見上げ、目線にて問いかけ、遅れてこれに応えるように大男が進み出る。
参拝の作法は大体の神社で共通であった。
まずは布綱を引いて鈴を鳴らし、手を叩いて祀られている神様を呼び起こしてから賽銭を賽銭箱へ、二礼して二度手を叩き、一礼、そして願いを伝える。
他でも通じる所作、少なくともこの列で並ぶ間、大男は、先頭のものがこの所作を何度も何度も串返し、願いを伝えるのにたっっっっっぷりと時間を注いでいたのを、何度も何度も見せつけられていた。
だから間違いないと、大男はその通りに動こうとする。
先ずはその太い腕を伸ばし、太い指で布綱を掴むや、しかしカラリと、まるで風が撫でたかのような弱弱しく、か細い音を鳴らすにとどめてその手を離した。
これを手本とした幼女であったが、そこは子供だからか、あるいは賢いからか、力いっぱい元気よく、ガランガランと打ち鳴らした。
その間に己の懐を漁る大男、引っ張り出した財布は悲しいほどに薄く、中身を覗いて暑さからではない汗流しながらも薄くて四角い穴が歪んでいるビタ銭二枚、引っ張り出し、その内の一枚を己の手に、もう一枚を鳴らし終えた幼女へと手渡した。
そして次は賽銭、その箱にただその手の銭を投げ入れるだけの、子供でもできる些末なことであった。
……にもかかわらず、この大男はやらかした。
手にしたビタ銭を、まだ前にいる幼女の頭上を跳び越すように、上手で、下手で投げ入れるのではなく、上から下目掛けて、叩きつけるかのように投げ入れたのだった。
列に並び続けて礼節が擦り切れての乱暴、その結果がこのやらかし、そそり立つビタ銭であった。
賽銭箱の上側、不届き物が賽銭を盗み出せぬよう、渡された木の格子の一本に、垂直に、めり込んで、ビタ銭が突き刺さっていた。
折れたり曲がったり形の悪い銭を叩いて伸ばしたのがビタ銭である。それ故通常のものより価値が劣り、そして薄いのだが、木に食い込む鋭さはあり得ない。なのにこの通り、柿の木に突き刺さる馬鹿力、それをありがたい賽銭箱に向けたる冒涜、これまで無関心であった周囲が騒めき出した。
これに焦ったのか大男は更なる暴挙に走る。刺さったビタ銭を引き抜こうと右手指でつまんで引き上げたのだ。
慌てて繕えば破けるもの、それはいつでも同じ、ならばどうすればよかったのかと尋ねられても応えられるものは少ないだろう。が、少なくともビタ銭が抜けず、刺さったまま賽銭箱もついてきたのならば、それ以上に持ち上げずに静かに下ろすべきであったのだろう、とは誰でも考えつきそうなことではあった。
さりとて慌ててた大男にその考えは及ばぬ様子、並みの体では敵わぬ重量を、片手でつまんで胃ながら軽々胸の高さまで吊り上げるや、まるで手に着いた雫を払うがごとくブルンブルン振るって見せた。
ジャラリジャラリ、満杯の賽銭の中身が鳴り、次に聞こえたはメキメキとの音、如何に頑丈な柿の木とはいえ細い格子、そこに一本に切れ目が入って、更にそこを中心に引き上げられれば、頭り前の事、ひとたまりもなかった。
ベギン。
格子が折れ、落下、一瞬世界が止まった後に激突、賽銭箱は、石畳に当たって、砕けて、壊れた。
零れる鎖、項垂れる錠前、たんまり詰まってた賽銭が溢れ出し、暑い石畳に零れて焼かれた。
罰当たりこの上ない光景であった。
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