それは見事な飛び土下座であった。
大通りの視線が集まるのは、少年ではなく鴨兵衛であった。
元より大きな体、加えて芸の噂で名が知れて、そこにかたき討ちとの物騒な単語、見るなと言う方が無茶であった。
何事か、新しい芸か、あるいは本当に刃傷沙汰か、好奇心に次を臨む視線の中で、肝心のを鴨兵衛は慌てふためいていた。
「待て! 待て! 待て! 母とはなんだ! なんの話だ! 俺には心当たりなどないぞ!」
「黙れ見苦しい! さかのぼること二年前! ここより離れた
「知らん! 砂馬などという田舎なぞ踏み入れたことも無い!」
「貴様! 更にわが故郷まで愚弄するか!」
顔を赤く染めた少年、ギシリと右手で柄を掴むと、往来にて、終に抜刀した。
昼の日差しに輝く白刃、突如として起こったチャンバラに、周囲は軽く悲鳴を上げて引きながらも、その実新たな刺激に興奮していた。
これに番茶と心太持ったままどうしていいかわからない鴨兵衛、少年は駆けだした。
「うおおおおおおおおお死ねえええええええ仇きいいいいいいいい!!!」
白刃を頭上高々大上段に、少年は迷いも躊躇も一切なく、まっすぐ駆け抜け飛び上がり、脳天目掛けて振り下ろした。
これに鴨兵衛、視線が走る。
少年とはいえ受ければ即死、だが座りの体勢からの回避は無理、両手は塞がり得物はとれない。
ならば残された手は一つ、判断と行動はほぼ同時に行われていた。
バガチャン!
複合する破裂音、鴨兵衛が選んだ手は、真剣白刃取りであった。
迫る刃を手と手と叩き合わせて止め防ぐ高難易度の防御技、流派によっては奥義ともされ、成功率は紙一重とされるが、この度は相手が未熟な少年であったこと、そして鴨兵衛が立ち上がりながら向かって行って、勢いが乗り切る前に捕らえたことから、何とか成功させていた。
その代わり、周囲はべちゃべちゃとなった。
白刃防いだ鴨兵衛の手と手には番茶と心太があったまま、挟み捕らえるついでに叩き潰され、前と後ろ、少年と鴨兵衛に、その中身と破片とが降り注いでいた。
「な、は?」
番茶多めに浴びながら驚きの表情を浮かべる少年、その腹へ、前へ突き飛ばすように心太多めに浴びた鴨兵衛の足が付き出される。
ズム。
鈍い音、臍を抉るまっすぐな蹴りに少年、挟む手に白刃残してて吹き飛んだ。
受け身も取れずに背より地面に転がりのたうち回る少年、しかし執念は本物のようで、すぐに立ち上がると荒い息と涎とを口からこぼしながらもまだ鴨兵衛を睨みつけていた。
対する鴨兵衛は、まだ驚きが勝った表情であった。
「まて、待つのだ。まずは話をだ」
「黙れ無礼者! 男子の腹を足蹴りするとは貴様に武士の誇りはないのか!」
何言ってんだこいつ、とあきれる鴨兵衛、その前におネギがしゅるりと立った。
顔は見せず、だけども鴨兵衛にはどのような表情か、感じることができた。
「申し訳ありません鴨兵衛様、油断しておりました。今すぐ処理いたしますので、お叱りはその後に」
「いやおネギ、お前も待つのだ」
殺す気満々のおネギをともかく止めようとする鴨兵衛、だが手を伸ばす前に今しがた捕らえた白刃がボキリと二つに折れてた。
これにまた驚きの表情を見せる。
大きな体に似合った怪力を自負する鴨兵衛であったが、流石にこの程度で鉄の刃が折れるはずがない。
ならばと見るは折れた面、ささくれ立った竹が露出していた。
少年の打刀は竹光であった。
本物同様に柄に鍔に鞘を拵え、最も高価な刀身を削った竹に錫箔を張り付け誤魔化した偽物の刀、当然だが殴れはしても切れはしなかった。
これを刺して歩くは足を痛めて重い刀を持ち歩けないか、あるいは武器禁制の場所へと挑むのか、だが一番は本物の刀が持てないがため、攻め手見てくれだけでも、というのが最も多かった。
武士の魂と呼べるほどに、刀とは高価なものであった。
安いものであっても、一本が米俵一つ分よりも高価なのが普通、それが新品であったり、由緒正しかったり、あるいは名刀であったならばその価値は屋敷を超えて城にまで届くこともあった。
一方で世は太平、戦乱は影を潜め、治安の悪さは残るものの、よほど辺鄙な場所にさえ行かなければ、竹光でも安全であるとの考えが広がりつつあった。
そんな竹光で切りかかるは初めから切るつもりがなかったのか、あるいは切れぬことを忘れての暴挙なのか、それは少年が伸ばした脇差にかかっていた。
打刀に比べて長さが半分から三分の一ほどの脇差は、当然ながら安価であった。また中には折れた太刀を打ち直して拵えた脇差は、縁起から捨て値で売られる割に上質なものが多かった。
それもあってか、脇差は旅人の自衛の手段として広く普及していた。
つまり脇差は本物の可能性が高いということ、そして本物が抜かれるということは、明確に命が危ういということで、ならば今度こそ打ち倒さなければならないということであった。
ジリリ、少年が大勢を立て直すのに合わせて立ち上がる鴨兵衛、次こそ血が見られると固唾を飲む周囲に、飛び出す寸前まで絞られたおネギ、隣が唾を飲む音が聞こえるほどに張り詰めた空気の中、どたばたとの足音が響き渡った。
「お待ちを! しばしお待ちを!」
声の主は中年の男であった。
気の抜けた馬面に焦りを浮かべ、長い胴より生えた短い足をへっぽこながら懸命に動かし、こちらへと駆けて来る。その身なりから旅のもの、こちらも腰に太刀を刺してはいるが、へっぽこな走りに合わせて派手に上下している軽さから、こちらも竹光と知れた。
そんな男が、跳んだ。
駆け足を助走として踏み切り、空中にて両足揃えて引いて折り畳み、同時にその身をくるーり半回転、そのままズザザザと地に落ち滑りながら着地、勢い死んで鴨兵衛の前に止まった姿は、それは見事な飛び土下座であった。
これだけで芸と呼べる完成度に、知らず知らずのうちに周囲が唸る。
全力の駆け足、宙で身を回しながら整えられた体勢、着地には受け身どころか足を浮かべて衝撃を逃がすこともない潔さ、何よりも当たって擦れて痛いはずなのにそれを超えに出さない覚悟が、土下座を芸術の域にまで高めていた。
「お侍様! どうか! どうかこの度の無礼! お許しください! この通り!」
そこから発せられる謝罪の言葉には、他に例えようのない圧があった。
それに押されたか、少年は目に見えて動揺した。
「な、何をなさっているのですか父上!」
親子であった。
「それはこちらの言葉だ
「見てわかりませんか! この男こそまさに我らが捜している仇! ならばここで!」
「違う! この方は我らが捜している仇ではない!」
土下座のまま即答、断言、地に響いた。
「そんなことありません父上! 仇はこの男に違いありません! 人相通りの顔に傷! それに立ち振る舞いはただものではございません! こいつこそ我れらが探していた仇に」
「お前は! その肝心の仇の顔を知らぬではないが!」
一喝に、場の流れが変わる。
拍子抜け、なんだただの勘違いかと解散していく周囲に、誤解が解けたと肩から力が抜ける鴨兵衛、それでもなお身構えるおネギの前で、少年の一平、ずるりと脇差より手が剥がれた。
そして土下座のまま振り返り指示する父親に従い、屈辱に震えながら、その膝を折って並んだ。
親子そろっての土下座に、されている鴨兵衛の方がいたたまれなくなっていた。
「もう、よいのだ」
ぼそりと呟く鴨兵衛の声に被るようにポツリ、天よりの雫、晴れていた空からの雨粒、冷たい夕立が降り注ぎ、これに周囲は逃げ出して、色々熱せられてた諸々が冷やされていった。
「いやー、凄い雨ですなー」
ビクリ跳ねる鴨兵衛、いつの間にか横に、奥に、親子が雨宿りに入り込んでいた。
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