鴨兵衛、関所を突き破った。

元気よく響き渡ったのであった。

 太平の世、全国が統一された今でも、諸国の境界線と、その出入りを取りしまる『せき』は残されていた。


 戦の時代には、事前に領地に敵軍が侵入するのを防ぐためだったり、領民が勝手に逃げ出さないように見張るため、今は、悪人や武器が自由に動かないように見張るため、食料などが不当に持ち出されないようにするために、関は人の往来を制限していた。


 この関を通るには、荷物や体を改められるほかに、身分証である手形の提示が必要であった。


 手形にはいくつか種類があるものの、そのどれもが庶民が簡単に手に入るものではなく、手間かコネか金銭か、何かしら大きな対価を必要としていた。かといって決められた関以外を通る、いわゆる『関破り』は重罪であり、捕まれば関係者諸共極刑が待っていた。


 そのために多くの庶民は、旅と言えば今住む領地の中を少々移動する程度で終わり、それを超えての移動など、生涯に一度あるかないかといった具合であった。


 そんな関を、手形も無しに移動できる職種があった。


 旅芸人である。


 彼らは諸国をめぐり、磨いた芸を見せ、金銭を貰い、生活の糧としていた。その多くは生まれも知らない根無し草であり、証明する身分など鼻から持ち合わせていなかった。


 それ故に、何かと見下される芸人ではあったが、芸は芸としてそこかしこで求められていた。


 太平の世、戦乱は遠のいたが同時に刺激の薄まった時代である。変わらぬ日々の中で新たな刺激として遠方より現れる旅芸人は誰もが待ち望むものであり、その誰もが、の中には関の役人たちも含まれていた。


「その身に沁み込んだ『芸』こそが身分証である」との屁理屈を建前とし、関で役人の前で芸を見せることを取り調べと誤魔化して、役人たちがただで楽しむ代わりに、芸人は手形なしで通す、ということは公式に認められているかどうかは別にして、多くの関で見られることであった。


 当然、それを利用し関を抜けようとする輩も多くいた。


 しかし本物の芸人の芸を見続け目の肥えた役人たちである。素人の芸など瞬時に見破り、時には本当の芸人でさえ偽物と追い返したり、酷い場合は関を愚弄した罪としてしょっ引かれることさえあった。


 そうならないよう関を通る前、人々に芸を見てもらい、大丈夫かどうかを確認してもらうことがいつからか慣例となり、そのための場所をわざわざつくるようになったのが『関舞台』の始まりと言われていた。


 多くがただの空き地に木箱と石とで作られた台を置き、集まる客の前で芸人は己の証たる芸を見せて評価を求める。舞台は時間制の交代制で、関に一組入ってから、その次の組が入るまでが制限時間、その間に精いっぱいの芸を見せ、時間が切れると最後に投げ銭を貰い、評価としていた。


 元より関の周囲は人であふれているものであった。


 手形の確認と荷物の検査、質疑応答など、関を潜るには時間がかかり、前がつっかえて足止めされて退屈している旅人が溢れていた。加えて、通行量が払えなかったり問題があった通せない荷物をどうせ捨てるぐらいならと売り捨てるための市場や、逆に関を潜ってきたばかりの珍しい品々を早々に商う商店、それらを目当てに遊びに来る周囲の住民も数多くいてかなりの盛況具合であった。そして各々の財布のひもが緩むかどうかは、実はこの関舞台の盛り上がり具合でわかるとさえも言われていた。


 そんな関の内の一つ、墨虎の城へと通じる関前の町で、最近とある二人組の芸人が話題となっていた。


 一人は、大柄な男であった。


 屋根を擦る巨体にぶ厚い体、無精ひげに髷に太い眉、そして右頬には真横に走る刀傷と、風貌だけならば間違いなく侍、武士であった。


 しかし、肝心なところ、その腰には要である刀はなく、ただ鞘だけを刺していたのである。


 この風貌に、伝え聞いた芸人でさえ大きな衝撃を受けていた。


 笑いを取る芸の中に、他の職業に扮して滑稽におどけるものがあった。あわてんぼうの大工にのんびりの魚屋、よく間違える指圧師など、日常に紛れる小さな面白さを再現し劇として見せる『ものまね芸』の一種である。


 しかしその芸に、用いてはいけない人種がいくつもあった。統一幕府やそこに使える役人はもちろん、坊主に僧侶も遠慮され、盗賊などの悪人罪人は不謹慎と嫌われた。その中に、刀を差した武士も含まれていた。


 身分と刀を理由にふんぞり返り、偉そうにわかってもない能書きを垂れ、だというのに一人では何にもできず、肝心な時には逃げ出す、庶民から見た武士の姿は滑稽にし甲斐のある、人気の出そうな題材であったが、それが肝心の武士に見られでもしたら、その場で無礼打ちという、わりに合わない題材であった。


 しかし、である。その武士の証である刀がないのであれば、その他が武士っぽくても武士ではない、との新たな見地が生み出されたのであった。


 これならば新たな芸が開拓されると注目の大男であったが、肝心の芸の方はからっきしで、何かにつけて自分は芸人ではなく武士であるとのたまうまでは正しいが、半端にテレがあって芸が緩く、それも関係のないものを壊して笑いを誘うという下品なもの、奇異をてらわず真っ当に芸を磨けばまだ光るであろうとの評価が一般的であった。


 対してもう一人、連れの幼女もまた、話題に上がるほどの逸材であった。


 歳は十に届かない程度ながら整った顔立ち、遠くからもわかる美人である。加えて頭が良く、口下手な連れ、兄と呼んでる大男の代わりに良くしゃべり、その失敗を笑いに変えて客を沸かせ、場を盛り上げていた。


 そして肝心の芸もまた見事であった。


 内容としてはお手玉、そこらに落ちてる小枝を拾って投げて回して受けて回してまた投げる芸は、年相応の芸、と見せかけて大人顔負けの超絶技巧であった。一度に回す枝の数は最大で十を超え、それも右回転左回転自由自在、右手で六つ、左手で四つと個別に回すこともできれば、交差させたり、途中で増やしたり減らしたり、他の芸人が嫉妬する域に到達していた。


 しかしそれでも子供は子供、体力が伴っておらず、一度の関舞台でもうヘロヘロ、お手玉はもちろん、ただ腕を上げることさえもできないまでに消耗してしまった。もっとも、それさえも健気で子供らしいと人気を盛り立て、更なる投げ銭へとつながった。


 そんな二人が、昼過ぎの茶屋の外側、大通りに面した長椅子に、担いできた各々の風呂敷荷物を足元置いて並んで座り、茶と菓子とを待っている姿は、嫌でも人目を引いていた。


「おう、おネギちゃん、見てたよー。良かったよー」


「ありがとうございますー」


 通行人に気兼ねなく声をかけられて幼女、おネギは舞台を降りてなお愛嬌良く応えていた。


「おい鴨兵衛も、お前は兄貴なんだから、こんなかわいい妹の足を引っ張らないようちったぁ芸を磨きなよ」


 呼び捨て、笑われ、説教を受け、男の方、鴨兵衛はこれに応えず、不愛想にむっつりとしていた。


「……やはり、芸人はお嫌でしたか?」


 これに気遣うおネギ、下から覗き込むようにご機嫌を伺うと、鴨兵衛は「いや」と首を横に振った。


「手形がない以上、これほど良い手はなかっただろう。目立つのも、産まれながらのこの体だ、なれている。ただ、しかしだな」


「しかし?」


「お待たせいたしました」


 問いに応えが返る前に、頼んでいた茶と菓子が二人座る長椅子の間にトントンと置かれていった。


 茶は水出しの冷たい番茶、そしてそろそろ季節も終わるかという冷たい菓子の心太ところてんであった。


 氷とも似てない半透明な色に豆腐とも異なるプルプルな感触、それを切り分けたのかやたらと角ばった細麺にタレを絡めて食すこの菓子を、二人は初めて食べる様子であった。


 質問も応答も応答も忘れて待ちきれぬとばかりに箸と器を取る鴨兵衛、その前に体を斜めにずらし半身傾けておネギはスイ、とその顔を突き出した。


 これに驚く鴨兵衛に、おネギは恥ずかしそうに笑う。


「申し訳ありませんが兄上、この通り腕が上がらないんです。なのでどうか食べさせてもらえませんか?」


 クリっとした瞳でお願いされ、鴨兵衛が固まる。


「……兄上、ダメですか?」


「いや違うのだ。ただ少し、昔を思い出しただけだ」


 応えながら箸を用いて心太にタレを絡めて一つかみ、器ごとおネギの前に差し出した。


 これに、言葉を返さず、代わりに餌をねだるひな鳥のように口を開いて舌を伸ばす。


 そこへ運ばれた心太をちゅるりと啜る姿は華憐であり、唇に垂れたタレを舌でなめとる姿は、幼さを超えて蠱惑的でさえあった。


 しかし、すぐに額に皺寄せ、その表情曇る。


「どうした?」


「いえ……ただ、これは、甘くはないんですね」


 おネギの言葉に器の中へ鼻を近づける鴨兵衛、立ち昇る香りは酢と醤油、そこに辛子が混ざって確かに、これは子供には辛い刺激であった。


「これは置いといて、別のものを頼むとしよう」


 気遣う言葉におネギは首を横に振る。そして震える手で茶碗を取ろうとするのを見て鴨兵衛、箸と心太を左手にまとめ、空いた右手で茶碗を掴み取り、そっと口元へ、一口すすらせてやった。


 その時である。


「……失礼ながら鴨兵衛殿とお見受けする」


 突如の声は、茶店の外、大通側、座る鴨兵衛の真正面側からであった。


 見ればそこに少年が一人、話すには少し遠い距離を取って、じとりと鴨兵衛を睨んでいた。


 見たところおネギよりは年上、だけども元服はまだ、と言ったところ。幼さの残る顔立ちはやややせ形で、だけども整った眉と眼光がやたらと鋭かった。あずき色の着物をキッチリと着こなして、だけどもそこかしこにツギハギの跡、裕福ではなさそうでもあった。ただ、その腰には刀が大小、打刀と脇差が揃って刺してあった。


 加えて背に背負う荷物に左手に持つ竹編み笠から、旅の武士の子息との予想はついた。だがしかし鴨兵衛には見覚えのない顔であった。


 かといってその眼差しは、芸を見てともかくというのとも違って見えた。


「人相、顔の傷、間違いないでござる」


 方言なのか変わった語尾で少年が一人、ぶつくさ何やら呟くと、持っていた竹編み笠を捨て右手を腰へ、大へ、打刀へと伸ばし、握り、そして息を吸い込むや声を張った。


「見つけたぞ母の仇ぃ!」


 大通りに、少年の声が元気よく響き渡ったのであった。

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