同じ話を繰り返していた。
炊きあがった玄米はどれも艶やかに粒が立っていて、昨晩の泥に比べたら、まさしく雲泥の差ができるほどの上出来であった。
まさしくおネギの指導の賜物、これならば銭を取れる出来栄え、贅沢を言うのならばこの暑い中でなければ炊きたてを堪能できたことだろうかと、鴨兵衛は大絶賛だった。
ようやく真っ当な仕事ができたがしかし、そのようなこと消し飛ぶ事件が内では起きていた。
「いやホントなんだって。この宿にお客さんが来てくれるんなんてね。それも一度に四人もだよ?」
よほどうれしいのかリン、先ほどから同じ話を繰り返していた。
「あたしがね。おネギちゃんに言われた通り外を掃いてたら旅の人がごめんなすって、てね。なんでも旅のご隠居の連れらしいんだけど、先に来て宿探してたら他がもう一杯なんだって、それでここはやってないのかって訊いてくるからやってますよーって応えたのよ」
身振り手振り、時折口から米粒を零しながらリンは続ける。
「でもうちはご覧の通りおんぼろで、ちゃんとしたおもてなしもできませんよって、ほら一応、色々見直してる最中だしね。だけどその旅の人、それで結構ですって、雨風しのげる屋根さえあれば布団も何もいらないってね」
「そいつぁこの宿におあつらえ向きだぁ」
「そうっすよ。やったじゃないっすか」
盛り上がる一同、だけど一人、鴨兵衛だけは寡黙に、だけど己の椀は空にして、うなっていた。
「なんだなんだなんだなんだなんだてめぇ! 俺らが景気のいい話してんのに不景気な面しやがって! 文句があるならはっきり言いやがれ!」
キレた八吉に、鴨兵衛は箸と椀を置き、リンへと向き直った。
「一つ、訊ねるが、その旅のものとは頭に手ぬぐいを乗せた丸顔の」
「えぇなんか子供みたいな顔で、口癖みたいにうっかりうっかり言ってたっけね」
「あぁそいつは、あのうっかり海老泥棒か」
「なら、この仕事、大ごとかもしれん」
「あぁ?」
声を荒らげる八吉に、鴨兵衛は落ち着いた声で続ける。
「お前らは宿場町に住んでいるならば一度は『隠れ改め』を聞いたことはないか?」
「なんでぇそいつは」
「あぁなんか、聞いた覚えがあるわね」
「あ、あぁほら、いつかはす向かいの宿が」
「あったっすね。なんかお上だかその役人だかが身分隠して泊まりに来てるとか何とかで大騒ぎになってたのあったじゃないっすか」
「あぁあれか。じゃ何か? あれがそうだってのか?」
「恐らくはな。少なくともあの足運びはただものではない。かなりの腕前、それがわざわざ裏まで回って様子を見ていったとなれば」
「考えすぎだよそんなの」
リンのあっけらかんとした声、だけど米丸と梶朗は違っていた。
「いやでも、もしもがあったら、切り殺されるってはす向かいは言ってたよ」
「そうっすよ。他じゃまだしも、将軍の弟とかならあり得る話っすよ」
「いやそれは……だが真っ当な宿屋として客を迎えたいと言ったのは昨日のお前らだ。だが、それをやれるのか?」
鴨兵衛の至極真っ当な言葉に、場が鎮まる。
安易に客が来たことを喜んでいた先ほどまでとは打って変わって、事の重大さに気が付いての緊張、心にのしかかる圧、気が付けば誰もが口を閉じていた。
バン!
気まずい沈黙を砕いたのは、八吉の膝を叩いた音であった。
「ならどうしろってんだ! 今からでも断りを入れろってか? あ?」
「……それは、可能ならそうするべきだ。この宿はまだ金をとれる段階ではない」
冷酷に冷静に、鴨兵衛は切って捨て、そして続ける。
「だが無理だろう。その客とやらは、顔は覚えていてもどこへ行ったか見当もつかない。それで宿について初めて断りともなれば、他に宿も無し、客たちは途方に暮れることとなる。それを良しとするなら、こう言っては何だが、錆鼠一家の名に泥を塗ることになる」
突如として出された錆鼠の名に、四人の表情が強張った。
そこへ鴨兵衛、間を置いてから続ける。
「……残された道は一つ、今から無理をして、宿として真っ当におもてなしするしかあるまい」
「おもてなしっていったって、ねぇ」
リンが見回すは今いる宿の中、あれからおネギ主導で掃除やら何やらしてみたが、ぼろい中はぼろいまま、辛うじて使えそうなもろものが発掘されただけ、一日で変われるわけがなかった。
ここからどうするべきか、考えた四人が同時に導き出したのは、おネギに頼ることであった。
……スピーーー。
その沈黙で初めて聞こえてくる寝息、おネギ、眠ってしまっていた。
箸と椀を放さず、正座の姿勢のまま、瞼を閉じて寝息を立てて、試しに鴨兵衛が肩を叩けばそのままコテンと倒れてしまった。
無理もないことである。
小さな体で宿の中を駆け回り、大人二人を監視しながら掃除に片づけに洗濯に、この宿の壊れ具合も見て回って、人の五倍は働いていた。
そこまで動けば、この幼い体、半日も持たないが通常である。
一休み、お腹いっぱいご飯を食べれば眠くもなる。そもそも子供とは昼寝をするものなのだ。
これは当然の光景、だが同時に、残る大人には絶望の光景であった。
唯一答えを知るもの、この中で最も賢い人、絶対的に頼れるおネギ、その脱落は、これまでの明るい空気をどん底に突き落とすには十分であった。
ただ、それでもおネギを起そうとはしないあたり、善人ばかりではあった。
「……あたしたちだけで、やるしかないよ」
リンの声、沈黙を破る。
「だね。他にないしね」
「そうっすね」
続く米丸、梶朗、そして大きくうなずく八吉、やる気に燃え始めた四人を見て、鴨兵衛は小さく笑った。
「これも何かの縁、俺にできることがあれば」ギイイイイイイイイイイ。
鴨兵衛の言葉を遮ったのは尻の下、畳の下の床の下からの、木々が軋む嫌な音、それに合わせて鴨兵衛が座る畳が目に見えて大きく傾き、右前角へと沈んでいた。
それは鴨兵衛がこわしたわけではない。
大きくその分重い体を動かし、重心をずらしたのかもしれないが、それだけで、むしろそれで軋む畳の方が問題であると見ていた全員が思った。
しかし、である。
この軋みは鴨兵衛について、午前中の釣りでの様子や、おネギが語る旅路の失敗話や、上げたらきりのない人生を思い出させるのには十分であった。
ただでさえ面倒、なのにまた何か壊されたら困る。
四人と本人、合わせて五人、無言のうちに、鴨兵衛は何もしないことが決定した。
◇
それからの宿屋は、午前中と打って変わって忙しかった。
昼飯を掻きこみ慌てて飛び出し、必要なもの、必要なこと、各々別れて何とかしてきた。
乾いた薪を売り払い、代わりに必要なものを買い求め、掃除にかたずけ、玄米炊きもおネギに言われたことを思い出しながら手探りで、足洗の桶も用意して、手ぬぐいないことに気が付いて、布団はいらないと言われてもそのまま寝かせるわけにはいかないからとござをどこからか引っ張り出して、そうやっていくうちに新たな問題が浮かび上がり、それを解決するためまたもあーだこーだと揉めて、だけども手は止めずに働き続けていた。
目まぐるしく動き続ける四人に、だけども鴨兵衛は何もできず、ただじっと座り、寝り続けるおネギへ、その大きな掌で煽って風を送る他できることが無かった。
時折、悲鳴に似た声を聞いて立ち上がろうとして、それ以上の軋み音を立て動きを封じられる。
何もしない、何もできないという苦痛に、鴨兵衛は忍耐を持って耐えていた。
そうしている間に、気が付けば日が傾き、そして夕暮れ、もうないかと確認している間に、約束の客人たちがやってきたのであった。
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