地獄の手前といった有様だった。

 女衒、とひとえに蔑まされても、これはこれで難しい仕事であった。


 女を値踏みし、正しい価値を見抜いて買いたたく。一度に連れてける数には上限があるからできる限り質の良い女を選ばなければならないがしかし、質が良いとは良い女ということで、その運ぶ道中に手を出して価値を暴落させる愚か者が数多くいた。


 そんな中、野毛兄弟は秀でた素質を持っていた。


 優れた体、良く回る頭、冷たい心、汚れた魂、確かな目利き、だがそれ以上に重要な素質、即ちそれは男色家、それも己と同じ顔の双子の兄弟にしか愛でられないことだった。


 故に商品の女には手を出さない。興味もないから半端な情も、独占欲も、何も浮かばずただ淡々と買いたたき、時に攫って、売りさばく。双子には女衒は天職であった。


 そんな兄弟、爪太郎、牙太郎が女を捕らえて行う儀式に、手ほどきがあった。


 これから働くことになる遊郭でどんな仕事をしていくのか、通常は二十日で教えることを一通り、男役女役かわるがわるして見せる。あるものには尊く、お千にはおぞましく映る手ほどきの中で、双子は同時に声を上げた。


「「ぬふぅ」」


 逃げ場のない荒れ寺の中、吐き出される息に思わず目を反らすお千だったが、後ろ手で縛られ、防げぬ耳から入る冒涜に、あれだけ勝気だった心がみるみると擦り減らされていった。


 それでも、と思い奮い立たせるお千、思うことは鴨兵衛だった。


 ……あの時、真っ先に店から飛び出そうとしたのは鴨兵衛だった。あのままうどんをかけなければ真っすぐ向かって行っただろう。それを止めることができた。爺様は、助かったかわからないけれども、それでも救いに行って、村まで行かせられた。後はあっちでやってくれる。


 少なくとも、よそ者で役に立たなくて、逃げ戻って、幼いおネギを連れた鴨兵衛を、村は長居させないだろう。そうして旅立てば、これ以上巻き込まれることもない。


 刀もないくせに、助けに走るあの大男を守れたこと、その達成感だけがお千を支えていた。


 そんなお千の前で双子は着物を着なおすと、顔を見合わせた。


「「騒がしいな」」


 二人は同時に行って顔を見合わせると、静かに傍らに置かれていた大太刀を拾い上げた。


 ……荒れ寺の外はやはり荒れており、崩れた壁に囲まれ、雑草生え広がって、人手が入らないでかなりの年月が経ったと見えた。面影を残すは鐘のない鐘楼と未だに残る石畳、そして崩れかけた本堂だけであった。


 その本堂の正面、石畳の上、盛大な焚火の薪として、荒れ寺本堂から引きずり出された木彫りの仏が赤々と燃えていた。


 その周囲を二人並んで組み作り、座って各々酒を飲みかわす合わせて八人、みな頭の双子と同じく男色家でああった。彼らは一団の中で更に番いを作り、二重の団結を持って忠義を尽くしていた。


 そんな八人の中、最初に気が付いたのは、茶屋で弦五郎を蹴り飛ばしたあの男であった。


「なんだぁてめぇ」


 杯を置き、鉞を取り直しながら夜の闇の中、こちらに向かう人影二つにすごんで見せた。


 それでも止まらぬ歩み、ずずいと進んで、焚火の光で露になった正体は、鴨兵衛とおネギであった。


 あの時いなかったおネギの姿は知らないものの、あれだけ派手に醜態を晒した大男には当然見覚えがあった。


「なんだぁおめぇ、恥を注ぎに腹でも斬りに来たか?」


 嘲りの声、これに笑い声が木霊する。すでに鴨兵衛の醜態は酒の肴に披露された後であった。


 すごむ一人に嘲笑の七人、みな堅気には見えない。にもかかわらず、真っすぐ進む二人、無視された最初の男は怒りと共にざすりと立ち上がった。


「シカトたぁ偉くなったなおめぇさんよ」


 肩に鉞担いで男、鴨兵衛の前に立ちふさがる。その背丈の差は頭二つ、鴨兵衛が上にあったが、男に怯みはなかった。


 その男を、鴨兵衛は静かに見下ろした。


「お千を、返してもらおう」


 腹に力のこもった、まるで武人がごとく声に、男の右眉がつり上がった。


「その前に、頭が高いんじゃないか? 頼み事するならまずは、土下座からだろ?」


 怒気のこもった威圧の声、続く背後での薄ら笑い。だけども鴨兵衛は軽く驚いたように右眉を上げると、がばりと、ためらいなく膝を曲げた。


 そして深々と、土下座を見せた。


 唖然とする一団、唐突な行動、理解しがたい。一団が驚くか、あるいはヤジを飛ばすか、決める前に鴨兵衛は頭を上げた。


「これでいいのか?」


 その声色に恥も何もない。ただわからずやの子供にかみ砕いて教えるような、遥か上から諭す声色がありありと出ていた。


 それが男をぶちぎれさせた。


 返事の代わりに担いでいた鉞を両手でつかみ、今は低くにある鴨兵衛の頭めがけ、全力を持って振り下ろした。


 ……だが、その後に音はなかった。


 まるで間がすっぽり抜け落ちたように、あるいは動いたのが影であったかのように、振り下ろされた鉞は、鴨兵衛の手により止められていた。


 それも、柄ではなく肉厚で重い刃を、右手一つ、親指中指人差し指の三本のみで、軽々とけ止め、掴んで見せたのだった。


 鉞と言えば薪を割る刃である。当たれば兜の両断も無理ではない。加えて重さは槌とほぼ同じ、それを全力で叩きつけて、結果がこれであった。


 片手で、あっさりと、掴んで見せる、それは神業ではなく、鬼神悪鬼の領域、それをやすやすとして見せた鴨兵衛は、鼻から静かに息を吐き出すと、鉞を掴んだまま、ゆっくりと立ち上がった。


 背の高さが逆転し、それが立場の逆転かのようにも映った。


 それに、男は耐えられなかった。


「このやろ!」


 耐えきれず恐れに突き動かされた男は、慌てながらも動きは速やかに、鉞から右手を放してし懐へ、そこから匕首を引き抜くや鴨兵衛の胸へ突き立てた。


 が、その切っ先が届くよりも、鴨兵衛の左手が早かった。


 バン!


 放ったのは無造作に突き出した平手突き、相撲で言うつっぱりだった。ただまっすぐ、腰の捻りも加わってない、肩から先だけの、拳も握らない一打、だがその一打は受けた男の身を軽々と吹き飛ばした。


 まるで風に舞うふんどしのように、男がふらつき、飛ばされた先は焚火であった。


 受け身もなくまま燃え盛る男、しかし燃えても御仏か、焦げる側面に当たった男ははじき返され、炎の中より追い出された。


 そうして、着物の端を焦がしただけの男は、顔を平らにしただけで済んだ。


「貴様よくも!」


 奇声を上げて鴨兵衛へ、突進するは男の番いであった。


 目を見開き、口を開き、出鱈目に、駆けずって短槍振り上げ襲い掛かる。がしかし、振り下ろす遥か手前で顔の下、顎の下をシュンとかすめる影があった。


 それに気が付くより先、襲い掛かった男の足から地面が消え、空気がぬかるみ、視野が闇に呑まれて、意識が遠のきどさりと倒れた。


 脳震盪、顎先をかすめててこの原理で脳を揺らし、意識を刈り取ったのは石礫、その石礫を投げつけたのは、おネギであった。


 小さな手でどこからか拾ってきた石礫を弄ぶおネギへ、鴨兵衛は黙って視線を送った。


「わかってますよ」


 鴨兵衛へ、おネギは妖艶に微笑み返す。


「勝てない、危ない、これは無理、そう感じたら一人で逃げる、忘れててません。それよりほら」


 おネギが目線で指示した先、残る一団の六人が立ち上がっていた。


 鉞一人に太刀が二人、匕首が三人、各々得物を取り出し、身構え、二人の前に広がる。そこにはこれまでのような嘲笑も油断もなかった。


 それらを前に、おネギはどこからか取り出した追加の石礫七つをお手玉し、鴨兵衛は掴んだままだった鉞を投げ捨てた。


 肉厚の鉞の刃が石畳に当たり、砕けるや、その音を合図に六人は一斉に襲い掛かった。


 先ず太刀、鴨兵衛向かって右側より一人、腰だめに構えた姿勢で突撃し、鴨兵衛のへそ目掛けて突き上げる。


 これに足を踏みしめたままの鴨兵衛、無造作に左手伸ばし、太刀の峰を掴んでこれを止めるや逆に力を籠め、柄の頭、柄頭にて男の腹を突き返した。


 ごぶり。


 突かれた男の口より、吐き出る反吐、それが石畳に落ちるより先、鴨兵衛の左よりへ目掛けもう一人の太刀が袈裟へと切りかかった。


 が、その踏み出した足が地に着くや、裏でゴロリと石礫を踏んで滑り、男の体幹が横に崩れた。それでもなお踏みとどまり、持ち直すも、その間既に鴨兵衛のツッパリが顔面に迫っていた。


 バン!


 吹っ飛ぶ二人目、その手助けをしたはおネギ、静かに石礫を転がすさまを残りの男らは目撃していた。


 ならば先にか弱い幼女を、と匕首の一人、襲い掛かるも、おネギは接近に感付くや僅かなためらい見せずに背を向け逃げ出す。そのちょこまかとした足取りに、逃がさんと追いすがる男であったが、おネギを追うのに夢中で顔面に迫る鴨兵衛の張り手に、顔がめり込むまで気が付くことができなかった。


 三人目が倒れるこの、あまりにも一方的な二人の蹂躙に、次の匕首はその手の匕首を構えるのも忘れ、呆然と立ち尽くす。その隙だらけな額に一石、おネギは投擲し、ゴツリと、命中、昏倒させた。


「ちきしょうこのやろうが!」


 破れかぶれで鴨兵衛へ突っ込む匕首最後の一人、だけどもその切っ先はどれも当たらずかすりもせず、それどころかできた隙に、ひょいと伸ばした鴨兵衛の左手に匕首もつ右手首を、右手に男ののどを掴まれ、そのまま軽々と吊り上げられた。


 そして最後の一人、もう一人の鉞の男はその鉞を投げ捨て、背を向け逃げ出した。


 ドガン。


 その恥さらしな背にめり込んだのは石礫、ではなく、鴨兵衛が吊り上げ、投げつけた匕首最後の男の踵であった。


 そうして荒れ寺の前、五十を数えるより短い間に、一団は全滅していた。


 崩れず残った焚火の光に伸びる影、呪詛のように響くうめき声、さしずめここは地獄の手前といった有様だった。


 その惨状を見渡し、無言で佇む鴨兵衛の横に、倒れた男らとその獲物を跳んで跳ねて避けて、ひょっこりとおネギがやってきた。


 隣に立つや自慢げに微笑み見上げるおネギに、鴨兵衛が話しかける前、本堂の戸が勢いよく開け広げられた。


 そして野毛兄弟、爪太郎、牙太郎が現れた。


 戦いはまだ終わっていなかった。

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