エピローグ

 僕が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。腕には点滴のチューブ。そしてベッドの傍にはプラスチックケースを抱えた榛名さんの姿。プラスチックケースの中には、一匹の黒い爬虫類が蹲っている。


 苦心の挙句、ナイフで拘束を切ることに成功した榛名さんは、まずスマートフォンで警察に通報したらしい。もしも気を失っている道寺が復活したら……と、いう可能性を考えるとそれは当然の判断だっただろう。しかし、警察が来る前に元に戻っていなければいけない僕の身体にがそのままで、アカメカブトトカゲである僕の姿もいつのまにか消えている。探しているうちに火災報知機が鳴り始め……あとは僕の覚えている通りだった。


 しかし警察の到着が予想外に早く、僕の身体は僕の精神を戻す前に病院に運ばれてしまったそうだ。榛名さんも検査やら聴取やらで時間を取られ、なかなか僕の病室を訪れることもできず、体力を消耗したせいかほとんど眠り続けているだけの僕ともコンタクトが取れずかなりやきもきしたそうだ。僕が意識を取り戻した時、目にいっぱい涙を溜めていたのはそのせいだったらしい。

 結局、何一ついいところがあったわけでもなく迷惑をかけてばかりだった。「そんなことないよ」と笑ってくれる榛名さんには頭が上がらない。


 道寺は頭の打ち所が悪かったのか、警察の聴取にも現実か妄想かわからない、支離滅裂な発言を繰り返しているらしい。それはもしかしたらホントのことを言ってるだけなのでは……とも思うが、ヤツを弁護する義理などないので僕たちも真実には口を噤んでいた。世間的には動機の分からない謎の誘拐事件としてちょっとした話題になったが、やがて次の大事件が起きると押し流されるように消えてしまった。


 誘拐事件の舞台となり、ボヤ騒ぎまで起こしてしまった『フレンド』は閉店。店にいた動物はそれぞれ他の店に引き取られていったそうだ。きっと、アンリ・マンユをその身に宿したオバケトカゲモドキもどこかで誰かに飼われて一生を送るのだろう。

 ただ、店の動物たちのなかでただ一匹、フトアゴヒケトカゲだけが眠ったように死んでいたらしい。

 一つの使命を終えた彼の魂は、その宿命に従ってまたどこかで生まれ変わり、暗黒神の眷属と戦う誰かを導くのだろう。


 ……人類の命運を賭けた僕たちの戦いは、こうして誰にも知られることなく幕を閉じたのだった。


 一ヶ月後、僕は駅で待ち合わせていた彼女を待っていた。約束の爬虫類イベントに行くためだ。


「芦屋くん、おはよう」

「うん、おはよう」


 そういえば、私服姿の榛名さんを見るのはあの夜以来だったかもしれない。清楚なワンピース姿の榛名さんの笑顔が眩しい。

 僕たちは、肩を並べて改札に向かって歩き始めた。


「そういえば……今日は何か買うの?」

「う〜ん、どうだろ? アカメちゃんが増えたところだしね……今日は見るだけになるかも」


 そう、かつて僕だったアカメカブトトカゲはいま、榛名さんの家にいる。今では傷もほぼ癒えて、元気に暮らしているそうだ。


「そっか……」

「そうだね……芦屋くんが何か飼うんだったら一緒に選んであげる」


 勘弁してくれよ、と笑いながらどこかでそれもいいかな、なんて思ったり。


(……何か忘れてはいないか?)


 どこかから、ザラシュトラの声が聞こえた。うるさいな、言われなくても分かってるよ。


「ねえ、榛名さん」


 言いながら、僕は隣を歩く榛名さんの手を握った。驚いて僕の顔を見る榛名さんだったが、その手が振り払われるようなことはなかった。


「……なに?」

「今までなかなか言えなかったんだけどさ。実は前から君のことが……」


 手を繋いで僕たちが向かう先には、明るい光が満ちているようだった。


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爬虫類戦争 〜小さな小さな神魔大戦〜 蒼 隼大 @aoisyunta

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