嘘つきな僕のリンゴは何リンゴ?

@elechana

第1話

 青空にポツンと浮かぶ色の暗い雲。陽気な天気に水を差しそうなそれは、僕の仲間のようでいて、僕を風刺しているに違いない。


「この辺にしよう。――ルアン、こんなとこにいたのか。俺たちここで飯食うんだからさっさとどけよ、この嘘つき」


 あの雲さえなければ眩しいほど快晴の日和だ。同い年の少年たちは、真上に上がった太陽の元で昼食を取ろうと学校から出てきたらしい。街を出てすぐにあるなだらかな丘は、子供達にはいい遊び場で、学校のある間は僕のいいサボり場の一つ。


 僕はぼんやり空を眺めていただけだった。少年たちの足音が聞こえた時点で既に身構えていた僕は、彼らから蔑みの視線が寄越される前に立ち上がって、睨む彼らに一瞥もくれず離脱を開始した。すたこらさっさと逃げる僕の背に、


「いきなり逃げてんじゃねぇよ、嘘つきルアン!」

「おーい嘘つき! 今日は一体どんな嘘言ったのか教えろよ!」


 悪口、影口、罵声に暴言。それらはどれも、僕の日常に伴奏としてついて回る。

 まぁ何より僕が悪いんだ。数年前に些細な出来心で放った嘘が、街を大混乱に陥れてしまったのだから。


『狼が来た』


 たった一言で人生は簡単に狂うんだって、当時八歳の僕は学んだよ。僕は物覚えも良くて賢い子だってみんなに褒められる子だったんだ。その時まではね。


 僕は次なる居場所へ、街の端から端へ石畳だけを睨みながら駆け抜ける。その最中も卑しい者が来たとばかりに、僕はあらゆる方向から睨まれ怒鳴られ、果ては石を投げられて。

 どうして、ここまで憎まれたんだろう。やっぱり、嘘を重ねたからなのかな。でも酷いこといっぱいされたんだ。仕返ししたっていいでしょう?


 月日は無情に過ぎ去って、今では立派な嘘つき少年の僕にちゃんとした居場所は一つもない。

 日が晴天に弧を描いて夕日へと変わっていく。僕はいつまでも慣れない空腹を抱え、夕陽をじっと眺めて家に帰る。僕にちゃんとした居場所は一つもない。


―― ――


 手早く夕食を終えた僕がいるのは、またも外だ。僕にとって家は、食事と睡眠を取るだけの場所。もちろん寂しいけれど、居続けるのは地獄なんだもの仕方ないじゃないか。


 人気のない通りを僕はただ足の向くままフラフラと彷徨い歩く。辺りは闇が満ち、煌々と輝く月が真夜中を教えてくれていた。流石に帰らないと。

 思い切って踵を返した僕は、行きとは違いヘドロを行くような重苦しさを背負って帰り道を辿る。しばらくして漠然と前を捉えていた僕の夜目が、仄かに揺れるランプの灯りを見止めた。


「やあルアン。今日も散歩か?」


 灯りを掲げ声を掛けてきたのは、問題児である僕を鬱陶しがるのではなく、更生の対象とみるような正義感の強いガイという衛兵。僕を見かけると必ず話しかけてくるけれど、正直僕はガイが嫌いなんだ。


「まぁね」


「なぁルアン。家に居ずらいのはわかる。だがな、夜は何かと物騒だ。特にここ最近はな。もしお前に何かあったら家族はどうなるのか、少しは考えたらどうだ?」


 ガイは片手を僕の肩に置いて、早速説教を始めた。


「僕が死んだら葬式代がかかるね」


「ルアン。真面目に考えなさい」


 僕の回答はガイの正義感に火を点けてしまったみたいだ。ガイは置いた手に力を入れ僕を傍まで引き寄せると、至極真摯な表情で僕と向き合おうとする。そっぽを向いた僕の前で静かに膝をついたガイは、灯りを置いて僕の両手を取ると自らのそれを重ねた。


 ガイの態度は物語る。僕に寄り添うって。僕の味方だって。いつもいつもそう物語る。――ホントはどうでもいい癖に。

 僕は知っている。ガイは人に褒められるのが大好きなただの偽善野郎だ。褒められたいが為に、己の評価を上げる為に心にもない事を言い行動する人間。


「いい加減素直になったらどうだ? 意地を張るのも疲れたろう?」


 街一番の問題児を更生したとなれば、ガイの評価はうなぎ登りだろう。ガイが僕に関わるようになったのも、みんなの前で僕を怒鳴るでなく注意したところを、街の皆に感心され称賛された出来事がきっかけなんだ。だってその日以来、僕への接触が露骨に増えたんだもの。


「僕は嘘つきだから仕方ないんだ」

「……はぁ。まぁいい。送っていくよ」


 僕は嘘つきだ。でもみんなだって嘘つきなんだ。

 僕はただ、自分に嘘はつかないだけ。


 ガイは一度頭を垂れた後、見せつけるようにゆっくりと持ち上げて、酷く寂しそうに目元を細めた。だから僕はガイが嫌いなんだ。


 立ち上がったガイは無言で僕を従え進む。きっと今日のところはもういいって思ってるんだろうな。


 ガイが細い路地へと入っていく。僕の家への近道だけど、街頭のないそこは暗闇と呼べるほどで、僕は急いでガイの真横に寄った、時だった。


「ガイ、いい匂いがする」


「ん? ――本当だ。こんな時間に菓子作りか?」


 仄かに漂い鼻に留まるその香りは、出来立ての焼き菓子の匂い。華やぐのは生地の香ばしさだけではなく、練り込まれた砂糖だろうか甘い甘い香味を孕み、いつまでも放したくないとどうしようもなく鼻が立つ。


「凄くいい匂いだ。どこからするんだろう」


 僕たちは何も考えずに足を出す。


「そうだな。匂いだけで腹がふくれるようだ」


 確かに、不思議とお腹がすかない。脳が錯覚を起こしてしまってるんだ。


 ふらり、ゆらり。行進したその先で――



「……ゔぁ、ぁ……ぐぁあぁゔぅ……」



 ――人が倒れていた。


「が、ガイ!」


 口から泡を吹き、足を突っ張って体を大きく反らせ、心臓の辺りを両手で鷲掴んで転がっている。今にも事切れそうな男性は、はち切れる寸前の瞳をこちらへ走らせ、僕たちに焦点を取った。

 男性のあまりの様子に、足が勝手に崩れ落ち僕はどうしようもなくへたり込む。ガイはこんな時でもお利口さんに駆け寄って。


「おいしっかりしろ! 今医者を呼ぶからな! ルアン今すぐ医者を――」


 呼べ。嘘つきの、この僕に?


「僕の言うことなんか誰も信じないよ!」


「――ちっ。なら適当に叫べ!」


 ガイはなんとか男性を助けようと動き始めた。男性に声をかけ状態を確認している。そんなガイを見て、僕もへたり込んだままながら必死に頭を回した。


 叫ぶ。嘘つきの、この僕が? いや待って、声だけじゃ僕だってわからない。それなら――


 僕は出来得る限りの高い声を。

「キャアーー! 誰かっ人が倒れてるっ! 誰かっ、誰かぁあっ!」


「なんだっ、どうしたっ!」


 叫び終わるや否や、一番近くの家から見知った大男が裏戸を蹴り上げ飛び出してきた。


「ルアン! おま――」

「おっちゃん、あっち!」


 僕を見た途端顔つきを変えて、轟くほど低いところから出てきたおっちゃんの言葉を必死に遮る。上半身の全てでガイの方を差すと、ちょうどガイもこっちだとおっちゃんを呼びつけた。辺りを見回し状況を理解したおっちゃんはすぐさまガイの方へ飛んでいった。


 次々と集まってきた人々は、僕を見つけると訝しむも怒りはしない。すぐに注意も向けなくなった。忙しく動く場で相変わらず腰を抜かしていた僕に、細い路地のなか体格が邪魔をし、救護の輪から交替してきたおっちゃんが近づいてくる。


「いつまでそこにいるんだ。子供がみるもんじゃない。早く帰れ」


 宵闇に集められたランプに照らされて、僕はおっちゃんの影に飲み込まれた。真っ黒い影から響く声は何よりも恐ろしい。でも、その影はいつもより一回りも小さく縮んでいた。


「立ち上がれないんだ。手、貸してよ」


 恐ろしいはずの影は何も言わず大きな手を貸してくれた。

 両足になんとか力を込めて立ち上がると、影は僕から離れていく。僕は揺れるランプからゆっくり背を向けて、一人で家を目指した。その晩、僕の体がいつまで野兎のように震えていたかはわからない。


 男性は、あの場で息を引き取ったという。


―― ――


 今日も今日とて、僕は罵声を浴びながら街を歩いた。

 一度正しいことをしたって、これまでの行いが消えるわけもなし。あの時手を貸してくれたおっちゃんも、次の日にくれたのはいつも通りの怒声だった。


 あれから二日。街の様子は僅かな変化に包まれている。理由は、男性が死んだ次の晩、つまり昨晩にも僕とガイが出会った男性と同様の状態に陥っただろう遺体が発見されたからだ。


 数えれば、死んだのはこれで八人と思われる。


 ここ一か月半ほど前から、朝になると遺体が見つかる事案が発生してはいた。いずれも原因がわからず、なんだか物騒だくらいの面持ちだったけれど、男性の異様な苦しみ方が聞き広まってか街は落ち着きなくうろたえている。


 僕も、夜歩きは止めろと言われた。

 理由は、死んだら葬式だったり面倒だからだと言われた。


 僕のお母さんもお父さんも、僕に対しては大変正直な人なんだ。


 さて、見上げた月は真夜中へ歩みを始めたようだ。いつもに比べれば大分に早いけれど、そろそろ家に向かおう。嘘つきの僕も殴られたくはないからね。

 あの日以降、事件のあった路地周辺は怖くて近寄れない。どうしようもないから真反対の辺りをうろついていた僕は、家路の間にほんの一瞬ある路地へと嫌々入った時だった。



 いい匂いがする。



 一度嗅ぐと忘れられない、美味しそうな香り。一嗅ぎすれば空腹も吹き飛ぶあの香り。



 ――でも。



 でも? どうしたっていうの? こんなにいい匂いじゃないか。


 ――でも、あの時と同じ。


 あの時? どの時? こんな匂いを嗅いだのだもの、きっと良いことがあったんだ。


 ――そうだっけ?


 そうだとも。良いことだったよ。とっても良い事だった。


 ――そうだっけ?


 ほらごらんよ。あの人だってとても幸せそうじゃないか。


「ほぉ~これは素晴らしい。何とも言えない香りだ。う~ん、はっは。香りからでも味が想像出来るよ」



 ――ふふふ。ホントにその通りだね――



「そこまで言って貰えると作った甲斐があるよ。これでもまだ試作なんだがね、一つ味見をしてくれないか」


 ――いいなぁ。僕も食べたいよ。


「これで試作とは、いやはや完成が待ち遠しい。では、遠慮なく」


 あぁほら、あの人食べちゃうよ?


 ――僕も、僕も食べたい。


 本当に?


 ――当り前じゃないか。僕もあの人みたいに、何も考えずに……。


 何も考えずに食べちゃうの?


 ――うん。


 匂いに釣られて?


 ――そう。


 あんな、全くお腹がすかない匂いに釣られて?


 ――あれホントだ。どうしてだろう。


「ゔぅっ! がぁああっごほっごほごほっ――つ!」



 ふふふ。凄く苦しそうだね。



 急に目の前が冴えていく。

 可笑しいはずだ。匂いに騙されていただけなのだから。

 可笑しいはずだ。体はこんなにも正直に教えてくれていたのに。


 あれは食べ物じゃないって。


 あれをペロリと平らげてしまった小太りの男性は、ふぅと人心地ついた安らかさから一変して、体をくの字に折り曲げた。腹を抑え、必死に吐き出そうとしているようだが大量の涎が垂れ下がるのみ。



「くつくつ。思い込みというのはつくづく面白い。くっく。よくこんなものを自分から口にいれるものだ。小麦以外は全て毒だというのになぁ」



 小太りの男性が食べたモノ。男性を見て笑う男が持っているモノ。


 毒。凶器。


 魅惑のバームクーヘン。笑う男はこの街一番の菓子職人。


 凶器。殺人鬼。



「……ぅゔ……ゔゔゔゔがぁあああっ! がっ、あぁあっ! ぁっ……」


 何かが崩れる重たい音と冷たい嘲笑が響く。


 殺人鬼は僕が横道から覗き込んでいたことに気付いてはいないみたいだった。僕に出来たのは、見つからないよう必死に身を隠して震えていることだけだった。


―― ――


 僕は、珍しく家にいた。

 これまた珍しく、いるのは一階の居間。窓辺に座ってただ外を眺めていた僕は、背後で家事に勤しむお母さんに呼びかけてみる。


「ねぇお母さん」


 待てど暮らせど返事はない。

 これは全く想定内。


「僕、昨日人が死ぬとこ見ちゃった」


 やっぱり反応はない。振り返らなくっても淀みない家事の音が教えてくれる。


「あのね、その人自分で変なの食べてたんだ。そしたらあの時の人みたいに苦しみだして死んじゃったんだ」


 僕は振り返らない。振り返ったら、きっと殴られるから。


「嘘つくんじゃないよ。お前、今みたいなこと他所で言ったら二度と外には出さないからね。……いいね!」


「……うん」


 まさに僕が想定した通りの台詞だった。一言一句違わないお母さんの常套句。


 お母さんは僕の言うことなんか信じない。街のみんなも当然信じない。つまり、僕の目撃情報は誰にも取り扱ってもらえないどころか門前払い。


 嘘つきな僕が持つ真実は臭いんだ。

 本物でありながら本物に見えない。味は天下一品の菓子だが見目が悪すぎる。


 勝手な思い込みで、手に取ってもらえない。


「どうしたら……どうしたらいいの? あいつは今夜も誰かにあれを食べさせるかもしれない。……いや、絶対今夜もやるよ。調子づいているもの」


 僕への興味を早々に失ったお母さんが、次の家事へと離れていった。それでも僕は小声で呟くと窓ガラスに頭を打ち付けて、そのままずりずりと体を預けていく。


 ここ最近で朝に不幸が知れた人物は昨晩で九人になってしまった。でも、六人目までは一か月半の間で不規則だが間隔が空いていたんだ。それが僕とガイが七人目の犠牲者を看取り騒ぎとなると立て続けに続いている。


 奴はたぶん愉快犯だ。人を殺して楽しそうに笑っていたんだもの。おそらく、自分が作り出したもので遊んでいるんだろう。


 七人目から頻度を増したのも、被害者の反応だけを楽しんでいたところに起こった騒ぎと街のどよめきが、奴のおぞましい琴線に触れてしまったから。


 今、この街は奴の楽しい箱庭と化している。


 どうにかしなければ。凶行が続き、また誰かがあれを口にしてしまう。僕は犯人を見た、知った、知っている。僕が動けばその分死人が減るかもしれない。



 もどかしい。


 奴が持っているのは美味しそうな毒リンゴ。

 僕が持っているのは毒々しくも美味なリンゴ。


 なんて馬鹿馬鹿しい状況だろう!



「あぁダメだ。さっきから脱線してばかり。どうしよう、あぁどうしよう」


 お母さん、お父さん。僕はもう嘘で困らせないって約束するよ。


「嘘つきの僕の話を信じてもらう方法。そんなのあるの?」


 街のみんな、ごめんなさい。僕は、やっぱりみんなが大好きだ。


「今度は本当なのに。本当の話なのに、僕が嘘つきだから……」


 神様神父様、どうか僕にお知恵をお貸しください。


 僕は頭を猛回転させている間も瞳は外を向いていた。焦点すら合わせていないぼやけた視界に突如、ある閃きが射し込む。


「そうか。僕じゃなければいいんだ」


 この汚れたリンゴを磨ける人に預けよう。


「ふふっ。優等生君みーっけた」


 思いっきり窓を開いた僕は外に飛び出した。そのままある人物の背中を追う。僕の思考視界を捉えて離さない彼を利用するために。


―― ――


 誰にも僕だと気づかれないよう、ぶかぶかの上着を羽織って帽子を目深に被って、彼の後をついていく。別の意味で怪しまれるんじゃないか、跳ねる心臓を抑え慎重に足を延ばしていくと、彼は街の外周部へ進路を取った。先にはちょうど空き家や空き地が目立つ辺りがある。

 死角の多い資材置き場の横を行く彼に、僕は飛びつくように声を掛けた。


「ガイ! ねぇちょっと待って」


 僕が目を付けたのは、称賛が好物の衛兵だ。


「あぁルアン。こんなところでどうしたんだ?」


 お利口さんのガイは僕だろうと話を聞かねばならない。


「あのね、相談に乗ってほしいの。ねぇお願いだよ、嘘つきの僕の話をきいてくれるのはガイしかいないんだ。聞いてくれたら、もう夜歩きもしないから」


 さて。夜歩きは嘘かもしれないが、あの問題児が頼ってきている。丁度ここには人気もない。話を聞くだけ聞いてみたっていいでしょう?


「……わかった。他でもないお前の相談だ。幾らでも聞いてやるさ。それで、どうしたんだ?」


 ガイは道端まで僕の背を押すと手ごろな資材に腰を下ろした。すぐさま隣に座れば、ガイの手が僕の髪をとかすように頭を沿っていく。


「夢を見たの」


「夢? どんな夢だ?」


「……あの夜の夢」


 僕が放ったのは喉奥からやっと絞り出したといった言葉。そこから考えられるだろう相談の中身にか、ガイは些か体を強張らせた。


「僕怖いよ。あれから眠れないんだ。ねぇ、ガイは怖くないの?」


「怖くないさ。衛兵が怖がってはいられないからな。ルアン、お前は家にいるんだ。居心地は悪いのかもしれないが、今は家の中にいろ。そうすれば心配することは何もない」


 ガイはそこで言葉を切ると、伸ばした腕で僕を抱き寄せ、頭や肩を柔らかく叩いてくる。久々に感じた人の温もりは、残念だけど何も湧かせはしなかった。


 変わらず震える僕に、ガイは続ける。


「大丈夫だ、大丈夫。……しかしまぁ、あの光景は中々忘れられるものじゃあないよな。巡回の途中だが……そうだな、ルアン、全部聞いてやるから、ここで吐き出してしまえ」


 よかった。とりあえずは彼の興味を引けたみたい。信用度ゼロの嘘つき問題児から、怖い目にあって怯える子供へ。ちょっとずつでも印象を変えるんだ。だから――


「誰もいなかったの。真っ暗な道を僕一人で歩いて……。凄く怖かった。あの日はガイがいたから、もしガイがいなかったら僕は……僕一人であそこに……」


「一人じゃなかったぞ。ちゃんと傍にいただろう?」


「……うん、そう、そうなんだ。でも、昨日は違ったの。夢の中かもしれないけど、一人だった……それで……」


「それで?」


 僕はわざと深く息を吸う。


「匂いがしたの」


「匂い?」


 ガイの眉が顰められる。


「あの夜と同じ、すごくいい匂い。美味しそうなんだ。ガイも嗅いだでしょ?」


「あぁ」


「それでね、僕は匂いのする方へ行ったの。あの夜みたいに」


「……」


「そしたら男の人が倒れてて……すごく苦しそうで……でも僕が叫んでも叫んでも誰も来てくれないんだ。それは僕が嘘つきだからなんだ」


「そうか」


 ガイの表情は硬い。けど、まだこれといった考えがないようだ。


「ねぇガイ、あの匂いはなんだったの?」


「誰かが菓子を焼いてたんだろう」


「あの時間に?」


「確かに変だが、ないこともないんじゃないか?」


 あの匂いに違和感はあるはずなんだ。だから聞く。ガイの実体験に。


「でも、僕たちは匂いに釣られて道を外れた。そうして行った先で男の人が倒れてた。――どうして?」


 今の言葉に嘘はない。それはガイが一番よく知っている。


「僕はあの匂いが気になって仕方がないんだ。なんだか無関係じゃない気がするの」


 これは僕の個人的感想。ガイ、君はどう?

 心当たりのある君にはもう、考えざるを得ないでしょう?


「ガイ。一回だけ僕に付き合ってほしいの」


「何だ?」


「最初の事件の場所で、同じ匂いがなかったか聞いてみるんだ」


 瞬間、ガイの瞳がピタリと定まった。


「わかった。今から行くぞ」


 ガイは言葉少なにそう言うと、優し気な表情から打って変わって凛々しい顔つきになり僕を放す。すっくと立ちあがったガイの行動力に驚いたけど、すぐに彼の隣に陣取った。迷わず出された足の行き先は資料のあるだろう詰め所の方角ではない。


「場所、わかるの?」


「もちろん。資料は全部頭に叩き込んであるからな」


 ……頭が下がるね。


 僕たちは無言で歩く。僕は、ガイと手を繋いで歩いた。僕がそうお願いした。


 僕は今日、ほとんど嘘を付いていないんだ。ガイと話した時も、昨日の出来事が夢であると誤魔化しただけで。あとは全て、本当のこと。

 何も言わずに手を差し伸べてくれたガイ。ガイの手は大きくて温かくて、僕を渦巻くような恐怖から引き上げてくれる。


 目的地の周辺に到り、ある一点について僕たちが聞き込んだ結果は、


『そういえばそんな匂いがしたわ。あんな香り忘れようと思っても忘れられないわよ』


 僕にとっては幕引きで、ガイにとっては悪夢の幕開けとなった。


『ルアン。もう少し付き合ってくれ』


 ガイはそう言うと僕を連れて事件のあった箇所を巡る。聞き込めば聞き込むほど同じ証言が増えていく。ガイの眉間はますますしわが寄り、ガイが怖いと言えばその都度彼は足を止め、僕に向き合い撫でてくれた。


 六件目を終えガイの足が七件目に向けられた。途端、僕に走った強烈な悪寒が足を縫い留め離してくれない。


「ガイ、待って!」


 なんとかガイのシャツにしがみつき、行かすまいと踏ん張って頭を振り乱す。


「どうした?」


 僕の正面にゆっくりとガイの心配そうな表情が下りてくる。顔の位置を合わせ、ガイの両手が僕の肩を包む。更に彼は僕の顔を覗いてくるけれど、僕にはまともに返す余裕なんて一つもなかった。


 七件目。僕たちがあの男性に出会ったところ。奴が毎晩凶行を行う気にさせたところ。


 ――――奴の店の近く。


 そうだった。思えばあそこは奴の菓子店がすぐ近くにある。だからこそ七件目の事件のとき、僕らの反応をとくと堪能することが出来たんだ。あの晩、きっと奴は野次馬の中でほくそ笑んでいたに違いない。


「ガイ、もうやめよう」


「……理由を聞いていいか?」


「えっ……」


 僕の話を聞いてくれる。僕の話を聞いてくれる? 

 僕はまた、そんな風に仕向けたのだろうか。


 ガイは、僕に向き合い続けてくれている。いつからだろう。ううん、そんなこと、今はどうでもいいんだ。


「あのね、六件目までと違って、七件目からは毎晩続いてるでしょ? それはきっと騒ぎになったからなんだ。僕だったら用心するのに、それから増えるなんて可笑しい……街が怖がってるのを楽しんでるみたい」


 その気持ち、実は分からなくもないんだ。嘘をついて、みんなの反応を楽しんでいた、僕だから。


「ガイ。この事件は犯人がいる。そいつはきっと目と耳を立ててるんだ。ここからは犯人に気づかれちゃうかも」


 特に七件目は危ない。奴の店に近すぎる。


 僕が話している間、ガイの瞳は焦点がどこかに飛んでいた。目に一切の意識を向けず、耳だけに全神経を傾けているみたい。僕が口を閉ざした後もしばらく停止していたけど、焦点を戻したガイの瞳に疑念の色は浮かんでいなかった。


「お前の言う通りかもしれんな。匂いの関与については、もう疑いようがない。今日は引き上げてまた明日調べよう」


「明日? 今から犯人調べないの?」


「ルアン?」


「だめ、だめだよ! 早く犯人を止めなきゃ、今日も誰か死んじゃうよ! 絶対、絶対……」


「落ち着けルアン。すまん、少々連れまわしすぎてしまったな。ここからは衛兵の仕事だ。今わかったことを報告して、見回りでは匂いに注意するよう伝達する」


「それじゃダメだ!」


「ルアン、お前は重要な手掛かりを持って来てくれた。必ず活かしてみせる。だから――――」


 言うことを聞かない僕に、ガイは叱らないで説得を続けている。頭が撫でられ肩を鼓舞される感触はあっても、彼の言葉は入ってこない。


 匂いを周知させてはいけない。あの匂いに釣られる者を狩るのが奴の趣味なんだ。匂いが知れたとなったら、奴は犯行を止めるか手を変えるかもしれない。


「ガイ。今日の夜に、犯人を捕まえよう」


「いきなり何を言い出すんだ」


「犯人はまだ気づいてないんだよ。今のうちなんだ!」


「おいおい。一体どこの誰を捕らえる気だ?」


 僕は震える掌を、ガイに伸ばした。


「僕を、詰め所に連れてって。考えがあるの」


 ここまで、信じてもらう為に少しずつでも積み上げた何か。たった半日しかなかったけれど、その何かに僕は縋った。


「……いいだろう。だが行きながらでいいから、先に聞かせてくれないか?」


 ガイは力強く僕の手を握った。


「うん。僕は嘘つきだからね」

「ははっ……素直じゃないな」


―― ――


 僕たちは人目も憚らずに走る。夕陽が落ちかけ、仕事終わりの者たちが通りに溢れていたからか、とっくに吹き飛んでしまった帽子のせいで僕の顔は丸見えだったけど、運よく罵声を浴びずに済んでいた。


「ルアン、まさか犯人に目星が?」


「あんな美味しそうな焼き菓子の匂いを素人がさせられるの?」


「そりゃそうだが、そもそも匂いと事件の関わりは一体なんだ?」


「食べ物の匂いがするのにそれらしいものがないのはどうして?」


「食べたからか?」


「食べた人は誰?」


「被害者とでもいうのか?」


「凶器はなに?」


「いきなり何だ」


「食べ物を食べて死んだ。凶器はなに?」


「……毒か」


「だからあんな苦しみ方をして死ぬんだ」


「確かに」


 僕は嘘つき。説明が出来るなら説明をすればいい。僕は犯人を知っていると。

 僕は嘘つき。断言が出来るなら断言をすればいい。僕を信じてくれるならば。


 ガイは他人だから多くを言ったって僕のリンゴを疑うんだ。ガイは他人で、僕だけが見たものは見せられないから。だから話し合って、一緒に調べて、一緒に考えてもらうんだ。


 一緒に何かをした僕たちは、もう他人ではなくなるのかな。


「ガイ。衛兵を集めて街中の菓子屋を見張らせるんだ。それであの匂いがしたらすぐ押し掛けるの。そこに餓えたネズミを持って行って食べさせる。ネズミが死んだら犯人だ」


「なるほど。だが犯行のたびに焼くとは限らないぞ?」


「きっと焼くよ。あの匂い、冷めたらしなくなると思う? そんなの置いてたら誰かがつまみ食いをしちゃうかも。だってあんないい匂いなんだもの」


「そりゃ、毎回作らないとだな」


 ようやく詰め所が姿を見せた。


「ガイ。僕は嘘つきだ。だから利用したとでも言っておいて」


「……わかった」


 今日はいっぱい撫でられる。


 ガイの後をついていった先で、彼は状況を報告した。けどその内容か僕の存在か、反応は芳しくない。ひとまず詳細を語り終えたガイは、僕を連れて所長室へと向かった。

 重々しいと感じる扉を前にして、僕はある決意を固めた。このままずるずると話が流れてしまっては困る。信じてもらえるか、自信は全くない。ガイには怒られるかもしれない。でも、どうしてか怒られてもいいと思えたんだ。


 所長さんとガイの二人に、僕は僕の真実を語った。昨日見たことの全てを話し、ガイに謝った僕は、思いがけず抱きしめてもらった。よく伝えてくれたと褒めてもらった。熱心に僕のことを伝えてくれた。


 嘘つきな僕は、嘘をつかない日々を思い出し、

 嘘つきな僕の、策は敷かれた。


―― ――


 夜の帳は重々しい。星は鳴りを潜めて雲を被っている。

 街中に展開された衛兵たちだが、ある店の周辺はとりわけ人員が割かれていた。


「なんだか気味の悪い風が吹くな。ルアン大丈夫か?」


 特別に同行を許可された僕は、建物の影に隠れながらガイの手を握って震えていた。


 正直、全然大丈夫じゃない。怖くて怖くて堪らない。建物の陰から顔を出せば、閉められてはいるも光の漏れる店舗が目に入る。でも、僕を締め上げる恐怖は別のモノ。


 ――本当にあの匂いはするのだろうか。


 今更昨日のことが夢なのではないかと不安が襲ってきては心臓がきしむ。きしんで跳ねてきしんで跳ねて。息が出来なくなってくる。


 ガイと一緒に確かめて回ったはずなのに、何度言い聞かせても拒まれる。嘘じゃない、今日の出来事はなにも嘘じゃないのに。

 逃げ出したい。これが誤りであったら僕はそれこそ死んでしまう。もう誰からも手を差し伸べてもらえなくなる。褒めてもらえなくなる。撫でられない、抱きしめられない、一人孤独な世界。


 いやだ。もういやだ。僕は思い出してしまったんだ。人の手の温もりを、優しさを。相手が心の底で何を思おうが構わない。僕は嬉しかったのだから。


 全部、嘘じゃない。僕の本当の気持ち。


「――アン、ルアン!」


 強く名を呼ばれて心臓が鼓動を一拍飛ばしてしまう。


「な、何?」


「匂いだ。あの匂いがし始めた」


「つっ!」


 顔を上げた僕を包んだのは大嫌いなあの匂い。


「うぉおえっ!」


「おいっしっかりしろ!」


 最悪だ。ガイに買ってもらったご飯を戻しちゃった。


 僕が耐え切れず吐いた光景は、周りの衛兵たちを慄かせてしまったみたい。半信半疑の空気は匂いの出現で鳴りを潜め、僕の様子と毒菓子という報に、フラフラ釣られていく者は一人もいない。


「ガイさん。行きますか?」


 厳しく店を見据え、確認を取りつつも腰を浮かした若い衛兵。慌てて僕はその衛兵に飛びつき制止を訴えた。


「ダメ! お菓子が焼きあがるまで待って」


 僕が犯人を見たことはまだ衛兵たちには知らせていないが、奴が焼いているのはバームクーヘンだ。一層一層重ねて焼いて作るのだから、まだしばらく待つ必要がある。


 匂いは次第に湧き上がって辺りを犯していく。実情を知ってしまえば気味の悪いそれに、場を保つ者はみな息を殺していた。

 やがて濃度はピークに達する。


「……証拠が現れたな。もう隠れる必要もあるまい。全員、店を包囲しろ」


 事件の指揮を任されたガイは、堂々立ち上がって指示を飛ばす。そんなガイも含め、僕らは恐る恐る慎重に近づいた。


 店の中から僅かに物音が聞こえる。ガイを筆頭に三人の衛兵が店の扉へ向かった。三人の内の一人は捕まえたネズミの入ったかごを抱えている。

 僕は店を取り囲む衛兵たちの中で、祈るように成り行きを見守るだけ。程なく扉の前に着いた三人は、一つ頷きあって戸を叩いた。


「エイデンいるか! 少し話があるんだが、いたら出てきてくれ」


 ガイの呼びかけに呼応して中の灯りが強まると、迷いなく扉は開いた。


「やぁガイ、どうしたんだい? ――――ん?」


 にこやかに出てきたのはこの街一番の菓子職人、エイデン。彼の菓子はどれも評判高く、人柄も菓子に出ていると言われるほど温厚であった。


 エイデンは一番手前にいたガイを見るなり表情をほころばせ迎えるも、後ろに控える者たちから周りの様子へ目を向けて、怪訝に面持ちを硬くさせた。


「これは一体どうしたんだい? なんだか物々しいじゃないか」


「あぁ。これから捕物があるのでね」


 言外に用を伝えたガイ。だがエイデンに動揺は走らず、はて何のことかと首を傾げている。


「しかしエイデン。またいい匂いがするな。こんな時間にも菓子作りか?」


 ガイは確信に迫ろうと匂いに触れた。ところがエイデンは瞳に嬉々を走らせ、自慢気に胸を張りだす。


「実は今新作を試しているんだ。これが結構自信作でね。完成したら是非食べてもらいたいから、折を見て差し入れさせてもらうよ」


「……それは楽しみだな。しかしこの匂いだ、もう十分なのではないか? 良ければ味見をさせてくれ」


「あぁすまない。まだ人に出せるほど納得は出来ていなくてね。もう少し待ってくれるかな」


 エイデンの態度に全く変化は見られない。柔らかい笑顔からは何も伺えない。



「残念だがそうはいかない。エイデン、貴様には殺人の容疑がかかっている。ここのところ起こっている事件は、お前が毒入りの菓子を通行人に食べさせて回ったが為だとな」



「ハハ、何を根拠にそんな――」


「ならば、貴様の新作とやらを見せてもらえるな?」


「…………」


 背筋におぞけが走る。痛いところを突かれたはずのエイデンは、柔らかい笑顔のまま微笑みを続けている。唯一動き回っているのは、三日月の向こうに潜む二つの眼球。それはやがて僕を捉えた。


「おやルアンが。おやおやおや、どうしてあの嘘つき少年がここにいるのかな? まさかルアン、君が何か言ったのかい?」


 両目に口。三つの三日月が深まり、柔らかな笑みは歪み始め変わっていく。この顔には見覚えがあった。昨日の夜に見た奴のそれだ。


「違うよ。僕はあの時の匂いが気になるから、あの時も隣にいたガイと一緒に調べただけ」


「そういうことだ。ルアンは今日一日私と共にいたのだ。何か不満か?」


 ガイの反駁を許さぬ態度が風を呼んだのか、確固とした発言が響くと同時に店内の灯りが消え失せた。今、エイデンを照らすのはガイが持っているランプ。それは静かに不気味なピエロを浮かび上がらせている。


「店の中を探せ」


「はっ」


 動きを止めたエイデンを油断なく見据え、ガイは後ろの衛兵に探索を命じた。二人の内、ネズミを持っていない衛兵が、ごくりと聞こえるほど喉を鳴らして店内に飛び込んだ。

 捜索は長くはかからなかった。直接触らぬよう手袋をはめた手で持っているのは、出来立てのバームクーヘン。それが店内から外に出るや否や、濃厚な匂いが層を増して押し寄せてくる。


 誰もが口を閉ざした。皆、口から空気が入る事を拒んだ。


 たった一匹、何も知らないネズミだけが、空腹と魅惑の誘惑へ。かごから出されたネズミは一直線にバームクーヘンへと駆ける。そして――


ヒギッ――ィイイイイイイイイ――


 苦しみのたうち回ってパタリと死んだ。それはそれはとてもあっけなかった。


「エイデン。貴様はこの街一番の菓子職人だ。その貴様がなぜこんなものを人に食わせた!」


 語り途中で堪えられなくなったのか、ガイはエイデンの襟を掴んで乱暴に引き寄せる。一切態度を変えないエイデンはガイのランプの灯りを至近で受けても目を細めないほどだ。ただ、歪んでいた笑みはあからさまに嘲笑のそれへと色を変えた。


「くつくつ。もうバレてしまったか。中々面白くなってきたところだったのに、とても残念だ」


「なっ! 九人も殺して、面白くなってきた、だと――ふざけるなっ!」


 一層腕に力を込めたガイだが、エイデンの様子は変わらない。不気味な口元から漏れ続ける嘲笑に沸点を越えたらしいガイはエイデンを引き倒し、尚も行動を起こそうとしたところで、周りの衛兵たちに止められた。


 ガイは、本当に怒っている。ずっとお利口さんな優等生だと思っていたけど、なぜそう見えるのだろう。


「くつくつ。どうです貴方も見たでしょう。私の菓子は動物の嗅覚すら狂わせてしまえる! こんな毒物を至福そうに頬張るあの顔! 表情! その後の苦悶! 気づいた時にはもう何もかもが後の祭り。あの瞬間は何物にも勝る!」


「きさまぁあああああああああああああああああ!」


「ガイ! 落ち着け!」


 エイデンは街一番の菓子職人。

 エイデンは優しい菓子職人。


 本当のエイデンは、猟奇殺人者。


 激昂するガイ。

 僕を抱きしめてくれたガイ。

 僕を撫でてくれたガイ。

 僕を気にかけてくれたガイ。


 ガイは一体、どんな人?


 周りは慌ただしく動いている。エイデンは縄を掛けられ、未だ飛び掛かりそうなガイは、同僚たちに数人がかりで抑えられなだめられている。


 僕は、動けないでいた。邪魔にならないように端っこでしゃがんでいた。


 僕の中で何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 どうして僕はガイを嫌っていたのか。ガイが僕を気に掛けてきたのは、本当に称賛されたいからなのか。街のみんなに感心されたあれは、僕が思っていたほど大きなきっかけではなかったのか?


 わからない。わからない。

 わかってるさ。わからなくて当然だって。僕はガイじゃないもの。僕はただ、ただ、決めつけていたに過ぎなかったって。決めつけて、それで――


「ルアン大丈夫か?」


 気付けばガイが隣にいた。一緒にしゃがんで背中をさすってくれている。


「ねぇガイ?」


「なんだ?」


「どうして僕に声をかけてくれていたの?」


 急な問いかけ。ガイは面食らったのか目を見開いてポカンと口を開けたけど、次には少々気まずそうに視線を逸らした。


「気になってはいたが……まぁ相談があってな」


「相談?」


「あぁ。何かと気にしてくれとな」


 ガイは僕を撫でながら目を合わせてくれた。


「誰から?」


「…………お前の母さんだよ」


 なんだなんだ、なんだそうだったの。

 僕の想像は全部外れていた。あーあ、なんて馬鹿馬鹿しい話だろう。


「僕は嘘つきだ」

「な、なんだ突然。――本当に素直じゃないな」


 僕はしばらくガイに寄り添ってもらった後、ガイと一緒に家に帰って叱られながらお母さんに抱きしめてもらった。


―― ――


 僕は今日も街を歩く。

 あれから嘘を付くのはやめた。学校にも顔をだすようになった。今までの行いは簡単になくなったりしないけど、いつかまたみんなと遊べればいいな。


 僕は本当に嘘つきだった。街を歩くなか聞こえていた罵声は、半分以上が関係のない雑踏や会話だったんだ。でも、心に嘘を付いてきた僕は勝手に罵声を想像して、安心していた。


『狼が来た』


 悪いのは僕。でも僕は子供だった。怒られて仕方ないこと。でも苛烈に思えたそれは僕の中から信じることを奪い、聞く耳を奪った。僕はその時から、一つの方向からしか物を考えなくなったんだ。


 お父さんお母さんがどう思っているのかは分からない。ガイも、街のみんなも。僕は僕でみんなはみんなだから。


 だけど、ガイにいっぱい撫でてもらったのは本当だ。褒めてもらったのも本当だ。嘘をやめて、お母さんが時々笑うようになったのも本当だ。

 その人のリンゴの中身は知らないけれど、僕は僕が感じたことを噛み締めていればいい。互いにいっぱい送りあって、その度に感じていけばいい。


 あ、でも毒リンゴには気をつけてね。



 ねぇ僕のリンゴは何リンゴ?

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