森の住人

神山 しのぶ

目が覚めると、地面の上に寝っ転がっているような感覚がする。少し冷たい感覚、石が肌にあたることで、痛みも感じる。

「またか……」

そう呟いてから、当たり前のように起き上がり、いつもの場所へと向かう。

ここは夢の中だ。

夢の中では感覚はない。だから、肌にあたる石の感覚も、歩いているのを感じる足の裏の感覚もなく、自分の想像でしか、感じることは出来ない。

「あった」

そう声に出してから、大きめの石の上に座ると、誰かが後ろからやってくる気配がする。

「こんばんは」

優しい彼女の声は、夜の森の静けさに同化しているようにも感じれるが、その声によってさっきまでの虚無の世界は、一瞬にして色付いた気がした。

「今日もよろしく」

そう呟く僕に、彼女は笑みで返した。


「ただいまー」

少しぶっきらぼうにそう言ってから玄関を開けて、家の中に入る。

「おかえり。手洗ったらちょっと来て」

そう口にした母の口調は、いつもよりも暗く感じた。

「何?」

手を洗ってから、リビングに行くと、母は荷物をまとめている様子だった。

「今日おばあちゃん家行くから、あんたも準備してきて」

僕のおばあちゃんは田舎に住んでいる。

小学生の頃に一度だけ行ったことがあるが、田舎は最悪だった。夏に行ったからってこともあるだろうが、虫が沢山いたし、暑いのに古い扇風機で耐えなくてはいけなかったのだ。

「行きたくない。試験勉強しなくちゃだし……」

そう言うと、母は少し怒ったような態度になった。

「何で行かなくちゃいけないの?」

咄嗟にそう聞くと、今度は悲しい顔になった。

「おばあちゃんがなくなったからよ」

さっきよりも暗い口調でそう言う母に、返す言葉が分からず、下を見て俯いた。

「分かったら準備して」

無言のまま自分の部屋に戻って、準備を始めることにした。


夜になると、父が家に帰ってきた。

父の荷物は、母が既に準備していたため、すぐに家を出ることになった。

車の窓から見える空には、無数の星が輝いている。

ここは東京だが、住んでいる場所の周辺には大きなビルや、明るい建物がないため、星は普通に見えている。

僕は星が大好きだ。

無数の星を見ながら車に揺られていると、徐々に眠くなってきたため、抗うことなく眠りについた。

目を開けると、そこは森の中だった。

「ここからか……」

定期的に見るこのように夢は、始まる場所がバラバラだ。

前見た時は、地面で寝っ転がっていたが、今回は既に目的地に向かっている。

いつものように石に座って彼女が出てくるの待つ。

「今日は早いね」

彼女はそう言ったが、僕には時間が分からないから、早いかどうかなんか分からない。

「お話しよ」

会話は、彼女のこの言葉から始まる。

しばらく話していると、突然彼女が立ち上がり、森の中へと消えていく。

彼女を追いかけようとして立ち上がると、急に強い風が吹く。

木々は揺れ動き、あたりの雑草は、必死になって地面にへばりついているようにみえる。

「目が覚める……」

そう口にすると、目の前が真っ暗になり、再び目を開けると、そこは車の中だった。

「もうすぐ着くぞ」

父にそう言われ窓の外を見ると、田畑が広がっている。

どこを見ても田んぼしかないため、ここが地球じゃないように感じた。田んぼの水面には空に輝く星が映っている。

「綺麗……」

そう呟く僕を母が見て微笑んでいる。

母のその笑みは、夢の中の少女に少し似ている気がした。


おばあちゃんの家に着くと、両親は、親戚の人達と話し合っていて、僕は暇だった。

「明日が葬式だから、今日はゆっくり休みなさい」

母に言われて、布団に潜ってみたが、車の中で寝ていたため、眠気がなく、目を閉じてもいつもとは違う居心地の悪さを感じた。

おばあちゃんのあったのは小学生の時に一度だけだったため、よく顔を思い出すことも出来ないが、母に似て、優しそうな顔だったような気がする。

「あっ……」

そういえば、あの日からだった。夢の中に彼女が出てくるようになったのは。

明日の葬式は、正直に参加したくはないが、参加するのであれば、しっかりと別れを告げようと思う。

そんなことを考えていると、いつの間にか寝てしまっていたようで、また、あの夢を見る。

「なんでここに来たの?」

彼女はそう僕に聞いてきている。

「来なくてはいけない気がしたから」

なんのことを言っているかは良く分からなかったが、嘘はついてない。

「そうなんだ」

彼女はそう言ってから、また森の中へと消えていこうとする。

そんな彼女を見ていると、急に振り返ってきた。

「じゃあね」

その言葉が聞こえてきて、僕は目を覚ました。


いつもより硬い布団の上で目を開けると、体が少し痛む。頭痛もする。

「寝すぎた」

いつもなら聞こえてくる車の音は聞こえないが、鳥の鳴き声が聞こえてくる。

「田舎はすげぇな」

そう口にしてから、居間の方に歩いていくと、母の作る朝ごはんの匂いがする。

「おはよう」

そう言われて、頭だけで返事をする。

「顔洗って来なさい」

今度は、洗面台のある所に行って、冷たい水で顔を洗った。

決して温まることのないであろう水は、冬だったら嫌になること間違いなしだと思うが、蒸し暑い夏では、温まった体を心地よく冷ましてくれる。

朝ごはんを食べて、歯を磨くと、制服に着替えるようにと、言われる。

冬に制服を着ると、寒く感じるが、夏に制服を着ると、暑さを余計感じた。

葬儀場へと向かう車に揺られていると、窓からは、森のような、山のようなものが見えた。

「あれってなに?」

隣に座っている叔父さんに聞くと、すぐに教えてくれた。

「武蔵野(むさしの)だよ」

「武蔵野?」

「あぁ。野原だが、大きいだろ」

「うん」

少し自慢げにそう話す叔父さんの顔には、明るかった。

「そういえば、おばあちゃんも好きだったよね」

そう言うお母さんも、明るい表情をしていて、いつもの調子に戻ってきていることが、少し嬉しかった。

「あそこに行きたい」

子供らしい無邪気な発言を、わざと明るく言ってみると、皆に笑われた。

「はいはい。後でね」

少し恥ずかしかったが、行ける事の方が嬉しかったので、わざと明るく振る舞って正解だった。


しばらくすると、葬儀場に着いた。

葬儀場では、既に何人かの人が来ていて、皆同じように、黒い服を着ていた。

おばあちゃんの棺の前まで行くと、寝息を立てずに眠っているのが見えた。今大声を上げれば起き上がって来るのではないかと思うくらいに、なくなっているのかどうかは、判断できなかった。

葬式が始まると、周りの人達が涙ぐんでいたが、僕は涙を流すことが出来なかった。

いつもはあまり表情を変えることのない父でさえ、少し声を漏らして泣いているのに、僕には悲しいと思うことが出来なくて、本当に亡くなったのだと気付かされただけだった。

葬式が終わり、車でおばあちゃん家に向かっていると、またあの野原を目にした。

「行くのは明日だな」

父からそんな言葉が俺に向かって届く。

「今日がいい……」

力なくそう訴えたが、父は首を縦に振ろうとはしなかった。

「俺が連れて行きますよ」

叔父さんが父を説得してくれている。

何も言えずに黙っている俺は、無力な子供なのだと改めて思い知らされた。

親がいないと何も出来ないただの子供は、いつまでも大人に甘やかされて育っていくのだろう。

そんなことを考えながら、悔しさを押し殺すために、下唇を噛んだ。


家に戻ってすぐに、叔父さんの車で武蔵野に向かうことになった。

車の中でも、俺は静かだったが、そんな俺に話しかけることなく、叔父さんは、ひたすらに運転をしてくれた。

「着いたぞ」

そう言われて、車の外に出ると、そこは夢の中で何度も見た場所とそっくりだった。

夢の中では、もっと木がたくさん生えていたが、それを除けば瓜二つで、俺がいつも歩いている道も、確かにそこにあった。

「あっちだ……」

そう口にしてからその方向に足を進める。

「ちょっと待て!」

叔父さんが俺を静止させるためにそう叫んだが、それを無視して、あの場所を目指して、走る速度をあげた。

しばらく走ると、叔父さんの姿は見えなくなり、開けた野原にでた。長い時間走っていたはずなのに、疲れを全く感じなかった。

「あった……」

いつも座っている石の上に座り、彼女が来るの待ったが、彼女は現れない。

「やっぱり夢だったのか……」

力なくそう呟くと、後ろから声がした。

「振り向かないで!」

いつもとは違う口調だったが、間違いなく彼女だ。

「良い?ここには二度と来ないで」

「どうして?」

そう訪ねると、一瞬辺りを静寂が支配した。

「あなたとはもう会えない」

そう言ってくる彼女の言葉は、悲しさから来るものだと悟った。

返事ができない僕に、彼女は話し続ける。

「修ちゃん。上を見て」

僕の名前を知っていることに少し驚いたが、言われた通りに、上を見た。

「あぁ……」

空には、無数の星が輝いている。

「東京とは違うでしょ。」

「うん」

「もし、私のことを思い出したら、空を見上げて。いつまでも見守ってるから。」

そう言われて、よくやく気付いた。

「おばあちゃん」

「じゃあね」

言われて振り向くと、そこには誰もいなかった。


気付いた時には、家にいた。

父にも、母にも、怒られたが、叔父さんのおかげであまりひどくはならなかった。

「おばあちゃんの子供の頃の写真ってない?」

家に帰る支度をしながら、そう母に言うと、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに居間にむかった。

「はい」

「ありがとう」

お礼を言ってから、アルバムのページをめくると、そこには、あの少女が写っている。

「どうして急に写真見たくなったの?」

そう聞かれた僕は、いたずらな笑みを浮かべる彼女のような顔をしてから、

「内緒」

と言って、笑ってみせた。


彼女とはもう会えないだろうが、寂しい気持ちはなかった。

寂しくなったら上を見上げればいい。

僕、稲葉修也のことを、きっと、彼女は見守っているのだから。

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森の住人 神山 しのぶ @4510simasu

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