恋時雨
1週間が経った。
今日も雨。 周囲には誰もいない。 今日は降ったり止んだりの癖に、帰る頃にはしっかり降っていた。
昇降口から外を一瞥する。 小雨とは言えないけど、大分それに近い感じ。
「今日も雨だね」
下駄箱に現れる人影。 傘立てには1本だけ残っている傘。 先の人物はいつの日かと同じようにその傘を取った。
「南さん? 」
私は、風邪でもひいてしまったのかもしれない。 下校時間に雨が降ってるのに、何故だか嫌な気がしないし、待ち合わせをしたわけでもないのに、下駄箱で一人待っていたのだから。 何故こんな不可解なことをしてしまったのか。 自分でもわからない。 鞄には折り畳み傘が入っているし、別に一人で帰ることだって出来た。
「もしかして...」
彼は黙っている私に察しをつけたようだった。
「いやちゃんと用意したはずなんだけど」
彼にばかり話させては申し訳ないと思いとっさに返答する。
そして鞄の中を探すふりをした。 探すふりというより、探しても見つからないふりを。
鞄の中で、右手には既に傘をあった。 あとはそれを鞄の外に出すだけでいい。 そんな簡単なこと。 今ならまだ間に合う。 私はそう思っているのに、愚考が頭から離れない。 こんなの合理的じゃない。 必要のない嘘をつくのなんて変だ。 きっと私の考えていることは間違っている。 そんなことわかっている。
それでも私は内側からあふれる想いを我慢できなかった。
「傘、忘れちゃって」
心臓がうるさかった。 嘘がばれるんじゃないか、とかではない。 私からしたら、一緒の傘に入りたい、そう言ったのと同じだった。 そして、それを拒絶されるのではないかという一抹の不安。
返答が来るまでのほんの数瞬が、私には永遠のような時間に思えた。
彼はにこやかに笑うと、昇降口から私を見据え、
「入る? 」
彼の言葉が耳に響く。 鼓動が高鳴るのが分かった。
「お願い、してもいいかな 」
なぜだか目が合わせられなかった。
濡れないように彼に身を寄せる。 近すぎないように気を付けながら。 本当は、くっついて離れないくらいに近づきたいけど、変だと思われたくないし、それに恥ずかしいから。
「お邪魔します」
待望の瞬間に、私は今までにないくらい緊張していた。
いつの日かと同じ蠱惑的な匂いが鼻孔をくすぐり、私は見事に悩殺される。 あんなに用意した言葉も、全部どこかに行ってしまった。
大きな緊張とこれまでにない幸福感に包まれ、気がおかしくなりそう。
「濡れちゃうよ」
何が起こったか分からず、頭の中はもう大混乱。 暫くして彼の方から近付いてきたのだと理解する。 何も考えられず、ただ呆然と下を向いた。
顔が上げられない。 絶対恥ずかしい顔してる。
「どうしたの? 」
「靴紐ほどけちゃって」
あわてて靴の紐を結ぶふりをする。 さっきから私、嘘ばっかりだ。
少しでも時間を稼ぐため、結んであった紐をわざわざほどいて、もう一度結び直した。
「ごめん、もう大丈夫」
まだ全然大丈夫ではないけど、これ以上時間はかけられない。 顔はまだ赤いだろうけど、さっきよりはましになっただろう。
立ち上がると彼と目が合って、靴ひもを結ぶ前の状態に後戻り。 とっさに顔をそらした。
「行こっか」
二人で歩きだす。 傘は一つだけ。
すぐ隣りに九条君がいる。 たったそれだけで、私の心が満たされていく。 前回とは傘一個分しか変わらないのに。 まるで甘美なお菓子を食べたよう。
「もうすぐで梅雨明けだね」
彼は空を見上げながらそう話す。 当たり前だけど顔がよく見えた。 それだけのことがすごくうれしかった。
「そうだね。 九条君は残念かもしれないけど」
ただの会話にも異常に緊張してしまう。 油断したら声が裏返りそう。
「ちょっと残念だなぁ。 晴れの日も好きだけど、夏は夏で熱いし」
「最近の夏は暑すぎるよね」
「そうそう、僕はずっと梅雨でもいいんだけどな」
どれだけ雨が好きなんだ。 私は嫌だなと思いつつも、梅雨が延々続くことを考えてみる。
毎日ジメジメしていて、外にも出られない。 夜空を見上げても星なんか見えないだろう。
朝降ってなかったら傘忘れちゃうだろうな。 それで帰りは毎日相合傘、なんて。
「あ、そうだ」
彼はなにか閃いたとばかりに人差し指を立てた。 続きの言葉を待ったが、彼はそのまま私の方を見るばかりだった。 沈黙の中、重なる視線。 幾許かの時が過ぎ、胸が高鳴っていくのが分かった。
「どっ、どうしたの? 」
沈黙に耐えかねた私は、視線を逸らして問いかける。 これだけのことを言うのに、すごい緊張した。 ちゃんと言えただろうか。
「だからさ、雨の音! いつの日かはタイミング悪く晴れちゃったからさ。 今聞いてみてよ! もう、当分雨なんて無いかもよ? 」
彼はとても嬉しそうにそう話した。 あぁ、そういうことか、以前もこんなことがあったっけ。
目をつむって周りの音へ意識を向ける。 雨が地面を叩く音、車が濡れた道を走る音、水溜まりに水が落ちる音。 それらの音が、私の耳に聞こえてくるはずだった。 しかし何も聞こえない。 代わりに聞こえてくるのは自分の心臓の音だった。 それも段々と大きくなって、雨の音なんかこれっぽっちも聞こえなかった。
何にも聞こえないけど、この清閑が心地よかった。 隣に別の人の体温を感じて、ただ時を過ごす。 こんな贅沢な時間を使い方をしていいんだろうか。
「どう? 」
十分な時間が経ったとみて、彼が問いかけてくる。 最後まで雨音は聞こえなかったし、話しかけられると心臓の音はさらに大きくなった。 聞こえなかったとはさすがに言えない。 適当によく分かんないとか言って誤魔化してしまおう。
そう思ったのに。 私が発した言葉は全く違うものだった。
「好き」
一瞬、世界から音が消える。 無意識に聞いていた音なんかが全てなくなって、本当の無音。 目に映るのは彼の呆けた顔だった。 そして、自分の言った言葉を反芻する。
自分の言葉に自分でびっくりする。 それなのに、酷く冷静な自分もいて、驚いたことはおくびにも出さなかった。
「かも」
言い終わった瞬間、私の中に重くのしかかっていた何かがふっと消えるような、そんな感覚があった。 そして、今になってようやく雨が落ちる音が聞こえてくる。
恐る恐る彼へ視線を向ける。 変なことを言ってしまった。
伝わるわけない、けど伝わっていたらどうしよう。 心の準備が出来ていない。 でも、きっとこれは私の嘘偽りない本心だ。 九条君は、私のことどう思っているんだろう。 私なんてただの同級生くらいにしか思われてないのかな。 もしかしたら、傘を半分個するのも嫌だと思われているのかも。 そうだったら嫌だな。 もう一緒に帰れないのかな。 そんなになるくらいなら、やっぱり伝わってない方がいいや。
なかなか返答をくれない彼に、思考が空回りを繰り返す。
そして、ついに言葉が紡がれた。
「ほんとに?! やっと分かってくれる人に会えたよ! 」
彼はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。
あぁ、そうか。 そうだよね。 当たり前の返答に落胆する私。 今ので伝わるわけない。 そんなのわかってる。 今の会話の流れを見れば、当然の回答。 私が一人で舞い上がってただけ。
それでも、私はなぜだかすっきりした気分だった。 思いの丈が伝わらなかったもどかしさはあるけれど、私の中で、この気持ちが何なのか分かったから。
もう梅雨も終わる。
嫌いな雨ともお別れだ。
お気にの服だって着放題
電車内だって混みにくくなる
みんなで予定を合わせて外で遊ぶことだってできる。
それなのに、何故か相反する私の心
ジメジメともお別れ
傘を持ち歩く必要もない
待ちに待った梅雨明け。
あぁ、もう本当に。
もうちょっとだけ、雨が続けばいいのに。
雨の日 ごめんあそばせ @utayokanata
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