空梅雨
「今日も雨か」
あれから1週間が経った。 下駄箱にはまた私1人。 なぜ授業が終わってから直ぐに帰らないかと言うと、委員会のせいである。 1年生と2年生は何かしらの委員会に入らなければならない。 楽と聞いていたところに入ったのに、今年から担当の先生が変わったようで、聞いていたより面倒だ。 週に一回はありがたいお話が聞ける。 といってもどこの委員会も、週に一回はミーティングみたいなのはあるようだけど。 私のとこはちょっと話が長い、それだけ。
そんな訳で今日もこうして一人佇んでいる。 下駄箱には今日も雨の降る音がよく響いていた。
「鞄の中に傘があったり」
ガサゴソと捜索してみる。 といっても先週の事があってから、ちゃんと入れてあるから今度はしっかり見つかった。
改めて周囲を見回すも、人影は見当たらない。 何故だかがっかりしている自分がいた。
靴を履き替え傘を差す。 傘を持っているのに、ここで立ち尽くしていたら不自然だし、今日はもう帰ろう。
「今日は傘もってるんだ」
歩きだそうとした瞬間に、後ろから声をかけられる。 傘に当たるはずだった雨粒が、そのまま地面に落ちて弾けた。 振り返らなくても声の主は分かった。
この状況を待ち望んでいたとか、予期していたとか、そんなことは一切ないけれど、たまたま、本当にたまたま用意していた言葉を返した。
「いつも持ってるよ」
「そっか」
ははは、と九条くんは笑った。 彼もこんな時間まで何をしていたかというと、これまた委員会である。 私と彼は同じ委員会なのだ。
九条くんは先週と同じように、傘立てに1本だけ残っていた傘を取った。
雨の中帰路に着く。 またしても2人だけの帰り道。 ただ一つ違うのは、傘が2つ開かれているということだけ。 それだけの違いなのに、前回に比べれば全然緊張しなかった。
周囲の音は雨に掻き消されていて、まるでこの世界には雨と九条くんと、私だけしかいないみたい。 この感じが何となく心地良いと思う。 ただ2人で歩いてるだけなのに、なんか変な感じ。
「今日は一段とよく降るね」
辺りには、バケツの水をひっくり返したかのような雨が降っていた。 幸運にも風があまり吹いていないから、びしょびしょになるということはなさそうだ。
「ほんとにね。 傘もってて良かった」
この雨で相合傘なんてしたら、2人揃ってびしょ濡れだったに違いない。 今日傘がなかったらさすがに断っていたとは思うけど。
ふと彼の方へ目を向けるも傘が邪魔でよく見えなかった。
「空梅雨って知ってる?」
傘の向こう側から声が聞こえた。 雨の音も相まって、何を言っているのかよく分からなかった。
「え? からつゆ? 」
「空っぽの梅雨って書いて空梅雨。 梅雨なのに雨が全然降らないことがあるんだって。 」
雨のせいで聞き取れなかったのかと思ったが、ちゃんと聞きとれていたらしい。 空梅雨、そんな言葉は初めて聞いたが、とてもいい季節のようだ。 私が生きてる内に巡り会えるだろうか。
「へぇ、そんなことあるんだ。 そんなのあるんならなって欲しいな 」
本心からの言葉だったのに、なぜだか自分の言葉に違和感を覚えた。 考えてみても違和感の正体は分からなかった。
「南さん、雨嫌いだったよね」
「そう、だよ」
雨が嫌いなことにも自信がなくなって、すこし言い淀んでしまった。
「じゃあ好きかもね空梅雨。 今までは全然なかったけど、もしかしたら来年がそうかもね」
「来年じゃなくても、いつかなってほしいな。 雨が嫌っていうよりも、いつもとはちょっと違う梅雨っていうのを見てみたい」
「そうだね。 非日常みたいで面白そう」
「九条君は雨好きだし、すぐに普通の梅雨になってほしいって思ってそう」
「確かに。 最初だけ面白がってすぐに飽きそうだ」
前よりも会話が弾んでいる気がする。 なんだか心も弾んで楽しい。 普通の友達と話してるようなのとはちょっと違う、そんな楽しさ。
課題の話とか先生の話、委員会の話など、他愛のない話にも花が咲いた。 このままこの未知の感情にしばらく浸っていたい。 ずっとこんな時が続けばいいのに。
そう思っていてもいずれ終わりはやってくる。
「僕、今日休んだ人に課題を届けなくちゃなんだ。 家の方面が同じだからって押し付けられちゃってさ」
前回別れたところまではまだ距離があった。 だからもうちょっとこの空間に身を置けると、そう思っていた。 突然終わりを告げられ、心に穴が開いたように気が滅入っていく。
「そっか」
それじゃ、と彼は手を振った。
「じゃあね」
悄然な思いに駆られる中、何とかそれだけは言えた。
もし仮に自分が今日も傘を忘れていたらと考える。 自分でも馬鹿なことを考えてると思う。 さっきまでは断っていたと思う、とか言っていたのに、仮に今日も九条君の傘の中に入れてもらえたら、とそんなありもしないことを考える。 そうしたら、最後まで一緒に入れただろうか。 一緒に課題を届けに行けただろうか。 そのあと家まで送ってもらえただろうか。
無意味な考えだと思う。 ありもしない「もし」を考えるのは不毛だ。 そんなことわかっている。 なのに、走り出した思考は止まらない。 あのまま一緒に入れたらどんなに楽しかっただろうか。 うれしかっただろうか。 友達の話とかもしたかったな。 今流行ってる動画とかも盛り上がったに違いない、もしかしたら色気づいた話なんかもあったかもしれない。
無い筈の延長戦を想像して、それを手に入れられなかったことを酷く後悔する。
傘一個分の距離が、こんなに遠かったなんて知らなかった。
「頭冷やそ」
しばらくの間、私は雨の中、何をするでもなく立ち尽くしていた。
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