雨傘
「あぁ、」
私は下駄箱に立ち尽くしていた。 周囲を見回しても辺りには人気はなく私一人だけだ。 最後の授業が終わってから1時間は経っているし、それも当たり前か。
軒下に出て空を仰ぐ。 どんよりと暗い空が広がっていて、そこからポツポツと雨が降っていた。 いやポツポツなんて可愛いものではないか。 ザーザー?でもないけど。 とにかくザーザーの2歩くらい前。 強行突破して帰るには少し無理そう。
下駄箱まで戻って腰を下ろす。
「折り畳み傘が、鞄の中にあったり」
日本には言霊という言葉がある。 曰く、言葉には不思議な力が込められていて、言葉を発するだけで本当のことになるとか。
そんなことを思い浮かべながら鞄の中を捜索した。 もちろん折り畳み傘を鞄に入れた覚えはない。 しかしどうだろう、驚くべきことに
「やっぱり無い」
現実は無情だ。
はーあ、と一人嘆息する。 しょうがない、友達に傘持ってきてもらおう。 学校の近くに住んでる子って誰がいたっけ。
スマホを取りだしポチポチと操作していく。 LINEの友達をなんとなーく眺めながら、傘を持ってきてくれそうな友達を探す。
ふと傘立てを見ると1本だけ傘が残っていた。 最悪あれを借りよう。 ビニール傘じゃないから後ろめたいけど、背に腹は変えられない。 いやビニール傘でもダメなんだけど。
「南さん、何してるの」
後ろから声をかけられる。 誰もいないと思ってたから、急に話しかけられてちょっとびっくりした。 ゆっくりと後ろを振り返ると、すらっとした体型の男の子が立っていた。
「傘忘れちゃって」
九条君だ。 背が高くて落ち着いた雰囲気があって女子の中では結構高評価。 私は別に特別な感情を抱いている訳じゃないけど、いい人そうだなとは思う。
「そっか」
彼はそう言うと上履きから靴に履き替え、傘立てに唯一残っていた傘を取った。 ごめんなさい。 一応心の中で謝っておく。
彼は外に出て傘を開くと、こちらに振り返り
「入る?」
と一言。 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「え、あ、あの」
全く予想だにしなかったセリフに言葉が詰まる。 仲のいい友達だったら自分から入れてくれと言うけど、異性と同じ傘の中に入るなんて考えたこともなかった。
「いや、──
大丈夫。 そう言おうと思ったがすんでの所で思い直す。 傘立ての傘を拝借するという最終手段が無くなった今、これは最後のチャンスなんじゃないだろうか。 友達が絶対に傘を持ってきてくれる訳でもないし。 この雨が強くなるかもしれない。 ああでも、男の子と一つ傘の下なんてちょっと恥ずかしい。 今日髪とか適当なのに、どうしよう。
でも、帰れないかもしれないし、誰も傘もってきてくれないかもしれないし...
同じような思考を繰り返し、迷いを振り切ることは出来なかったけれど、帰宅を優先することにした。
「お願い、してもいいかな」
私が迷いに迷ったのとは対照的に、彼はあっさりと答えた。
「いいよ。 それじゃ行こっか。 」
傘の中へと招かれる。 羞恥心をかなぐり捨て、濡れないように九条くんに密着する。 予想以上に近い距離に内心大童。 九条くんは全然平気そうだ。
雨の中を二人で歩き出す。 好意を抱いている訳では無いとはいえ、こんな小さな空間では流石に意識せざるを得ない。 というか恥ずかしい、というか近い。 なんかいいにおいがするし、近くで見ると思った以上に背が高いなとか、傘を持つ手が綺麗だなとか、雨の日は髪がちょっとクルっとしてるなとか。 普段なら絶対思わないようなことが次々頭に浮かんでくる。 それに、ちゃんと見ると何だかかっこいい、かも。
「傘忘れちゃうなんて、南さんも抜けてる所あるんだね」
偶感とはいえ彼に色気を感じていた私は、内心慌てふためいてしまった。
「だっ、だって朝は降ってなかったし」
「天気予報見なかったの? 夕方から雨って言ってたよ」
「あたし晴れ女だから大丈夫だと思った」
「なにそれ」
ははは、と彼が笑う。 完全に失言したと思ったが、ウケたみたいでよかった。 九条くんはこんなふうに笑うんだ。 特別仲のいい人じゃなくても、一緒にいる人が楽しそうだと何だかこっちも嬉しい。
「まだ七月入ったばっかりだし、こういう日が続くかもね」
一か月くらい前から梅雨に入った。 雨は嫌いだ。 ジメジメして憂鬱になるし、傘で手が塞がれるのも地味に不便だし。 こんな日が続くなんて考えたくもない。
「ホント勘弁して欲しいよ。 嫌になっちゃう 」
「南さんは雨嫌い? 」
「嫌いかなぁ」
率直にそう言った。 言ってから改めて考え直しみても、やっぱり嫌いだ。 というより皆雨なんて嫌じゃないのか。
「みんなそう言うよね」
彼はどこか物憂げな表情を浮かべた。
「僕はね、雨好きなんだ 」
意外だ、そんな人がこの世にいるなんて。 ましてや目の前の人がそうだなんて。
「えー、珍しい。 なんでなの? 」
ちょっと彼のことに興味が湧いた。 いや、彼というより雨が好きだという人に。
「雨の音が好きなんだ。 雨が窓とか傘を叩く音とか、車が濡れた道を走る音とか、水たまりに水が落ちる音とか。 なんだか心地よくない?」
そんなこと微塵も思ったこと無かった。 そんなふうに思う人もいるんだ。
「濡れるのとか嫌じゃないの? 他にも嫌なこととかいっぱいあると思うんだけど」
雨の音が心地良いとしても、それより気が滅入ることの方が多いと思う。
「そりゃ、びしょびしょになったりするのは嫌だよ? でもそんなすごい雨じゃなかったら、別にいいかなー って」
「変なの」
「変じゃないよ。 ほらよく聞いてみてよ」
彼は空に向かって人差し指を立てた。 雨の音を聞いてみて、ということだろう。 促されるままに傘の方に意識を向ける。 よーく耳を澄ますも、よく聞こえない。 あれ、おかしいな。
「ってもう止みそうだね」
もうほとんど雨は降っていなかった。 九条くんは傘をたたんだあとトントンと地面に叩きつけて、傘に付いた水滴を落とした。
今更ながら失念していたことを聞いてみる。
「九条くんって家こっちの方なの? 」
私のために全然違う方に来たのだったら申し訳ない。
「そうだよ。 ここからならすぐそこだよ」
「そっか、なら良かった」
思い起こせば、帰り道で何回か見た事ある気がする。 私と家近いんだ。 また雨の日は傘入れてくれるかな、って何考えてんの。 迷惑になるしちゃんと折り畳み傘入れておこう。
「私、家そこだから。 今日はありがとね」
家まであと数十メートルというところまで来ていた。 彼から数歩離れてお礼を言う。 すると彼の右の肩が濡れていることに気づく。 私が濡れないようにしてくれてたのだろうか。 申し訳ないという気持ちと、場違いにも嬉しいという気持ちが入り
混じっていた。
「またね」
彼は手を振って行ってしまった。
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