後編

6月某日 UGN N市支部


「紫月とリコリスの二人で、ですか?」

「ああ。今日からは二人に組んでもらい行方不明者の捜索をお願いするよ。私も念のため同行するがね。」

「あの……俺は?」

「ゴースト、という傭兵が近頃N市で目撃されたみたいでね。行方不明事件との関連性は不明だけどこっちはまず君に個別で当たって欲しい。」

雲井支部長から任された仕事。

渡された資料に目を通す。


行方不明事件についてはレネゲイドビイーングが6名ほどが行方知れずとなり、今もまだ見つかっていない。

その事件と同時期に『ゴースト』という傭兵がN市に現れたとのことだ。


このゴーストというのが厄介で傭兵の中でも特に金に糸目をつけない男だ。

つまりFHだろうがテロリストだろうが、非人道的だろうが、金さえ積まれれば何でもやる、そういう奴だそうだ。

まあ、裏にも通じて荒事には大分慣れてる俺が適任なことにも頷けた。


「Ja.問題ありません、雲井様。」

「ゴーストと接触した場合は……?」

「その時は即時撤退が望ましい。けれど、それによって周りへの被害が想定されたり、撒ききれないと判断した場合には応援を要請するように、頼んだよ。」

「了解です。早急な事件解決に努めます。」

支部長から資料を受け取りリコリスと二人で部屋を出ようとした時だった。

「ああ、稲本君。君は一度残ってくれ。」

「……え、あ、はい。」

身が、心が締められ、胃が焼けそうになった。



「微糖でよかったかい?」

「あ、はい。ありがとうございます。」

「そうかしこまらなくていい。ちょっとした雑談だからね。」

支部の屋上で缶コーヒーを渡される。

雑談なのに態々ラウンジでもなく、支部長室でもなくここということは余程誰にも聞かれたくない話なんだろう。


……バレたか?

俺がレイヴンということが、罪人であるということが。

息を整え、心臓の鼓動が早くならないよう調整する。

最悪、刃を交える覚悟も————


「最近、"彼女たち"とはどうだい?」

「……あ、ああ。まあ、仲良くやれてるとは思いますよ……多分……」

杞憂だったみたいだ。

「報告書に君の考えたこと、全てを書くことが出来たかい?」

「まあー……主観的なところは端折りましたけど……」

「そういう部分を聞かせてほしいんだ。

「ああー……そういう……」

俺は缶を開けコーヒーを口に含むとともにゆっくりと答える。

「知識として感情を身につけるという事はあっても、実際に感情の機微があるわけではないです。今後感情が芽生えたりするかは正直分かりませんが、まあ過去に感情が芽生えた例もあるので気長に頑張るつもりです。」

「そうか……」

支部長もコーヒーを俺の言葉と一緒に飲み込む。


時折、この人が何を考えているか分からない。

過去に反社会組織かFHにいたとか、そのあと傭兵になり今も現役軍人だとかみたいな噂は聞いたことがあるが詳しいことは俺もよく知らない。

ただ、そんな噂が嘘に思える程この人は穏やかで優しく、何となく先生を————


「それで、アレクシアについてはどう思っているんだい?」

意表を疲れるような問いだった。

「え、どうって報告書には……」

「いや、事務的なとこだけでなく、君自身が感じた答えを聞いてみたいんだ。」

何となく答えに戸惑う。

別にこれで俺の身分がバレるとかはないとは思う。

それよりも計られているような、俺という人間の品定めをされている、そんな気がしてしまったのだ。


だがだからと言って答えないわけにはいかない。

ありきたりな、そんな答えをしようと思った。

「……とても、オーヴァードとは思えないくらい普通の女の子です。本当にこの世界に迷い込んだこと自体が間違いなんじゃないかと思えるほどに、ただ人より優しいだけの普通の少女です。」

もっとも、口から出たのはそれ以上だったが。

「……」

支部長はそんな俺の答えを聞き何を思ったかは分からない。

「本当に君は、人間らしいんだな。」

返ってきた答えは、少し予想に反していたが。


「はは……。これだけレネゲイドに侵食されてまだ俺にも人間性が残ってましたか。」

「君のようなオーヴァードもなかなか珍しい。感情に任せた独断行動は褒められたものではないけれどね。」

「いやー……ホントそれに関しては申し訳ないとは思ってます……」

「まあ、きっとそれは君の人間味の現れなんだろうね。」

支部長も俺も苦笑いでコーヒーを口に含んだ。


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この人と話していると、時折あの人——『先生』を思い出す。


俺に生きる術を、戦う術を、大切な物の守り方を教えてくれた人。


その内に闘志を潜ませて尚、誰よりも優しかったあの人。



そして、俺が初めて殺した大切な人。



そんなあの人と支部長は、どこか雰囲気が似ているのだ。


だから、ずっと避けてきた。

裏切り者と知られたくないという思いもあった。

だがそれ以上に、この人と居るとあの人を思い出してしまう。

思い出せば、あの日々をやり直してしまいたいと思うから。


あの日の約束が揺らいでしまうような、そんな気がして————


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「大丈夫かい?」

あまりにもぼーっとしてしまってたのか声をかけられた。

「あ、すみません……」

「連日の任務で疲れてるところ悪かったね。」

「いやいや、支部長こそ疲れてるはずですから……。」

「いかんせんうちの支部は人手不足の割に事件が起きるからね。優秀な部下達のお陰でどうにか回ってるけれども……」

「俺も紫月やリコリスに負けてられませんね。」

「まずは始末書を減らすところからだね。」

「はは……面目ないです……」


その時、支部長の電話が鳴る。

「すまない、紫月くんから早く来いと呼ばれてしまったみたいだ。」

電話を片手に申し訳なさそうにその人は言う。

「俺も任務に当たります。また捜査に進展が出次第連絡します。」

「ああ、頼んだよ。」

支部長が鉄製の錆びたドアから出ていくのを見送る。

俺も缶コーヒーを飲み干し、そのまま屋上から飛び降りる。

「さーて、行きますかね……」

いつも通り、何事もなく着地をし、バイクの方へと歩いていく。

電話を取り出し、ある番号にかける。

「あー、もしもし俺だ。ちょっと売って欲しいものがあってな。ゴーストってやつについてだ。」

そしてフルフェイスを被るとともにスロットルを全開にした。


これから、何が待ち受けているかも知らないで。

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薄暗いビルの中、女は先程まで人の形をしていたであろう肉の塊を前に微笑んでいた。

「あーあ。今回もダメだった。」

「全く趣味の悪い実験だな。それで6人目だろう?」

彼女に声をかけるフードの男。

一度はその肉片を見るが、あまりの醜悪さから直ぐに目を逸らす。

「ええ。でもどうやってもレネゲイドウイルスそのものと相性が悪いみたいで途中で死んじゃうのよねー。どこかに人間と完全に共存してるレネゲイドビーイングはいないのかしら?」

「そう言うと思って調べては来た。奪取の難易度は高いだろうがな。」

男は女に向けて1束の資料を手渡す。

1枚目には金髪で藍色の瞳をした少女の写真が添えられていた。


「ふーん……事故の中の唯一の生存者か。で、何で難易度が高いの?」

「UGNイリーガルだ。何なら奴らも勘付いたのか護衛が2人もつけられている。」

「……で、まさかそれを理由に断るとか言わないよね?」

「報酬に上乗せだ。倍は払ってもらんと困るな。それと、アンタの人形を貸して欲しい。」

「金ならいくらでもあげるわよ。それに人形もいくらでもいいわ。どうせ余り物だし。」

「話が早くて助かる。」

「ねえ」

そのまま立ち去ろうとする彼に女は声をかけた。

「そんなにおかしいかしら?私はただ実験をしてるだけなのに。」

「……もうアンタ、十分狂ってるよ。」

男はそのままその場所を出て行く。

そして彼の姿見えなくなってからただ一言。

「狂ってるのは私じゃない。この世界よ。」


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同じ頃


駅前の大通り、初老の男性が二人の少女を見つける。

「遅いわよ雲井。」

「いや、すまないね紫月くんにリコリスくん。少し長話をしてしまったよ。」

既に初夏を迎え薄着をした紫月と、義手を隠す為に季節にそぐわぬ長袖のブラウスを着ていた。


「それで、首尾はどうだい?」

「そうね……色んな伝に当たってみたけど、やっぱり一人でいる時を狙われているみたい。悔しい事に拉致された先は港付近の廃墟のどれかだろう、くらいしかわからなかったわ。」

資料を手渡す紫月。

雲井はそれをパラパラとめくるが、やはり有用な情報はあまり得られなかったみたいだ。

「ふむ……ではまずその廃墟に向かってみるとしよう。稲本君にも連絡を——」


「雲井様、紫月様、敵です。」

遮るようにリコリスが発する。

同時に彼女の腕から銃口が現れ、瞬く間に銃弾が放たれた。

「ちょっと、リコリス……!?」

放たれた弾丸は一体のオーヴァードに命中し、その肢体を吹き飛ばした。

「まだワーディングが……!!」

「いや、その必要はなさそうだよ紫月。」

既に展開されていたワーディング。いや、それに気づいたからこそ彼女は敵の襲来に気づいたのだろう。

人である二人よりも早く反応できたのはレネゲイドビーイングだからこそだろう。


しかし現状は最悪だ。

「敵の数は5、対してこちらは3。不利な状況ですが如何なさいますか。」

いつの間にか取り囲まれた状況。

5体の敵は些か意識が朦朧としている、というよりは何者かに操られているような印象を受ける。

何よりも、彼らの姿には見覚えがあった。

「ねえ雲井、あれ……」

「ああ、考えたくはないけれどそのようだね。」

3人を取り囲むのは行方不明になっていたはずのレネゲイドビーイングたちの姿。

けれどもそのどれもが生気のない目で3人に狙いを定めているのだ。


「私が道を開く。紫月君とリコリス君はそのまま支部まで逃げるんだ。いいね?」

「了解。」

「了解しました。」

そして雲井が赫き剣と鎧を纏ったその瞬間。


「悪いが、女は貰っていく。」

「なっ……!?」

突如現れたその幻影に、雲井の体は撃ち抜かれた。


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同刻 市内 路地裏


稲本作一はバイクを停め、約束の場所へと足を運んでいく。

情報屋との取引の場所だ。

昼間であってもビルの影により人の姿も近づくまでは輪郭でしか捉えられない。

そして今、彼もまた近づいてくる男の姿を輪郭のみで捉えているだけであった。

「よう、金は持ってきたから情報を————」

稲本は言葉を発する途中でそれ以上発するのをやめた。


「……何でテメエがここに居る。」

同時に創り構える刀剣。

相対するは闇の中でさえも輝く蒼眼の持ち主。

「何故って、お前と取引をする為だ。稲本。」

黒鉄蒼也の姿がそこにあった。


「取引だと……?」

「ああ、取引だ。あの情報屋の大まかな情報ではなく、確実にお前が必要としている、ゴーストについての情報だ。」

「……どうせテメエの事だ。ろくな取引じゃねえんだろ。」

稲本は敵意を剥き出しにして黒鉄を睨みつける。

黒鉄はそれを気にも留めず、タバコを咥え火をつけ、煙を吐く。

「何、お前の手を少し貸してくれるだけでいい。金も命も取るつもりはない。」

「……にしてもテメエとの取引はあまりにもリスキーだ。FHのお前とは、な。」

「……そうか。」

黒鉄は再び煙を吸い、それを一気に吐き出した。

「だが、猶予はあるのか?」

「何?」

彼が言い切ると同時に、稲本の携帯が鳴り始めた。

「出ないのか?」

「……」

画面には『紫月』の文字が。

余程のことがなければ紫月は電話などかけてこない。それを知っていたがゆえに彼は警戒を前方に向けたまま電話に応えた。


『もしもし、稲本。何処にいるの。』

いつも通りの冷静な声。ただ一つ違うのはいつもより息が早かったこと。

「駅前だが、どうした?」

『敵の襲撃を受けた。リコリスが連れ去られて、雲井も私も負傷した。』

思わぬ報告。

支部長も紫月も、言うなればリコリスも決して弱くはない。

それが敗れたというのであれば事態は一刻も猶予を辞さない。

「敵勢力の逃走経路は?」

『不明。港の廃ビル群かもしれないっていう曖昧な情報しかないわ。』

「クソッ……」

ダメだ。不確定な情報では他支部に要請をしたところで効果は薄い。

このままでは———


「どうする稲本?」

思考を遮るように声をかけてくる。

「っ…………」

『まずは一度合流して戦力を……稲本、聞いてるの!?』

電話の向こうから聞こえてくる怒号。

分かってる。時間がないことも、このままではリコリスの、アレクシアの命が危ういことくらい。

だが、ダメなんだ。時間が———


「……この取引は、お前個人とか?」

「ああ。」

「仲間に危害は——」

「加えるつもりはない。」

「……対価は?」

「俺に協力しろ。それだけだ。」

「なら対価を払う、だから……!!」

「35.4716の139.6490だ。」

突如告げられた数列。

この男は俺がこう答えると分かっていたかのように間髪なく告げたのだ。

一瞬この数列の意味がわからなかった。


「ああ、そういう事かよ!!」

だが、俺が何よりも求めている情報だという事から気づけた。

「行け。今は待ってやる。」

「…………助かったよ、相棒。」

振り返る事なく一気に駆け出す。

ケータイを再び手に取り耳に当てた。

『ちょっと!?この緊急時に何————」

「35.4716の139.6490だ!!マップアプリにその数値を打ち込め!!」

『あなた何言ってるの……!?』

「俺は先に行く。できれば多めの人手を頼む!!」

『ちょっ———』

俺は乱暴に通話を切りフルフェイスを被る。

「待ってろよクソッタレ……!!」

そして甲高い音と共に一気に俺の体は風が如く加速に包まれた。


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「…………」

「どうしたんだい、紫月くん?」

自らの傷を癒しながら雲井は余りに不機嫌そうな紫月に声をかける。

「稲本が命令を無視して何処かに向かったわ……しかも変な数列をマップアプリに入れろって……」

「……彼が意味もない事をするとは思えない。試しにやってみよう。」


雲井は自らのデバイスを取り出し、紫月に言われるままその数列を打ち込んだ。


こんな地名も場所もあるはずもない。

2人はそう思っていた。が、

「……なるほど、確かな情報だよこれは。」

ただ一点の場所が検索結果に表示された。

「これは……座標……!?」

「ああ。それも事細かく場所を定めたものだね。」

黒鉄が稲本に、稲本が紫月に伝えた数列、それはGPSの緯度経度。

何よりも正確なリコリスの連れ去られた場所。

「どうやってこんなのを稲本は……」

「さあ、それは彼に会ってから聞くとしよう。私は他支部に支援要請をしなければね。」

雲井はデバイスを取り出し、N市支部に連絡を取った。

そしてバンが辿り着くと同時に、2人ともそれに乗り込んだ。


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高速道路を一気に駆け抜ける。

甲高いエンジン音と、風切音が聴覚を支配する。

速度計は常に150以上を示しているが、この時ほど愛車が遅く感じた事はなかった。



大切な師を殺したあの日を境に、俺は咎人となった。


両手は返り血で真っ赤に染まり、かつての誇りも正義も失われてしまった。


生きる理由もなく、核も何もかも失われた俺は屍の様だった。


生きる事で罪を重ね、刀を振るい罰を受ける。

結局抜ける事のできない循環に囚われて、ただ無為にこの世界を生きていた。


彼女——アレクシアに出会ったのはそんな時だった。


不運な事故をきっかけに平凡な世界から突如こちら側に放り込まれ、そして自らの意思で自らの身体を動かせなくなってしまった少女。


そんか彼女を救う事ができれば俺の罪も赦されるのではないか、このクソッタレな循環から抜け出せるのではないか、そんな打算をしていた。


だが彼女は、心優しい、穢れ一つなどないただの普通の少女だった。


こんな罪人に優しく声をかけてくれた。


きっと彼女からすれば些細な事だったんだろう。

けれども、俺に取っては何よりも嬉しかった。

救われた、そんな気がしたんだ。


今は、彼女に危機が迫っている。


こんな罪人の手で、人殺しの刀で誰かを救えるのであれば構わない。


例えこの手がまた血に染まろうとも、決して俺が赦されないとしても、彼女を救えるのならばこれ以上ない本望だ。


だから今はただ走る。

この手で彼女を救う為に。


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けたたましい音と共に一台のバイクは貸し倉庫の前に辿り着く。

「ここか……!!」

彼は乱暴にバイクを乗り捨てると脇目も触れず一気に駆け出す。


「っ……らぁ!!」

罠があるかもしれない、だがそんな事を気に止める余裕もない。

故に彼は鉄のドアに渾身の蹴りを叩き込む。

鉄板で出来たそれは留め具を巻き込みながら吹き飛び、鈍い音が中に響き渡った。


稲本は視力を強化し、薄暗い廃墟の中を一気に駆け抜ける。

ピアノ線やクレイモア地雷が点々と配置されているが、その全てが意味をなすことはなく。

幼き頃から無数の死地に潜入してきた彼にとってはこのような罠はもはや玩具も同然。

加えて罠の網が濃くなればなるほど、それは深層に近付くことを意味している。


そして一枚のドアを蹴破った先、

「リコリス!!」

今まさに薬物を投与されようとする少女の姿が——


拘束された少女に馬乗りの女。

女の手目がけて稲本はナイフを投射する。


女は回避するとともに能力を行使し、"人形"を3体稲本にけしかける。

「っ……これは……!!」

稲本も気づく。この人形が拐われた人達と同じ姿であると。

だが、だからと言ってためらっている暇もない。

「一回くらいの死は覚悟してくれよ……!!」

一刀を創造し、今一気に振り抜く。

「三日月……ッ!!」

その居合は三体同時に切り裂き、全ての動きを止めた。


だが次の瞬間、

「ゴースト、やりなさい!!」

「っ……!?」

女の命令と共に後上方から感じる殺気。

稲本は放たれた強い殺気に向けて一気に刀を振り抜いた。


直後、放たれる炸裂音。

ぶつかり合う金属と金属。

刃は折れ、砕け散った弾頭の破片が稲本の大腿部を突き刺した。

「ほう……先程の襲撃の際には見なかったが、俺の奇襲に対応するとは。なかなかの手練れのようだな。」

稲本の目の前には一丁のショットガンを構えたフードの男。


放たれた弾頭は恐らくスラグ弾。

威力はライフルと同等。室内かつ護衛対象がいる中であり、なおかつ奇襲に長けているのであればこの選択肢は最適解だ。

そしてそれをこの短い時間で判断し待ち構えてたとなれば、相当な手練れ。

彼はそう判断し瞬き一つせず間合いを取る。


「テメエこそ、中々じゃねえか。」

ただそれでも倒れた少女は稲本の背後にいる。

そっとかがむと同時に拘束具を能力で破壊し再度刀を構える。

そして彼を囲むように再び立ち上がる人形達。

「諦めろ。4対1で護りながら勝てるとでも?」

「やってみねえと分かんねえだろ?」

稲本は軽口を叩きながら状況を冷静に判断する。



リコリスが戦えない以上守りに徹し増援を待つか。

いや、この怪我であの手練れを前にして5分防戦で耐えるのも厳しい。

逃げようにもリコリスを抱えて俺が走ったところで追いつかれるのが関の山。

……となれば、一つか。



「どうした、諦めたのか?」

ゴーストが問いかけると同時に、一つの円柱が空へと放られる。

「悪いが、ハナからそのつもりはねえよ。」

そして円柱は炸裂すると同時に突き刺さる閃光と爆音を巻き散らした。


「っ……!?フラッシュバンだと……!?」

通常ならば視覚と聴覚を失えば死に直結する。

それもこの室内戦闘であれば尚更だ。

それを稲本は自らも喰らうのを承知で放ったのだ。


言うまでもなく稲本の視覚と聴覚は閉ざされている。

だがそれでも彼は何事もないかのように地を蹴る。

と、同時に1人ずつ人形を確保、その場に叩きつけ無力化したのだ。


「こいつ……!?」

ゴーストは自らの姿を透過させ姿を隠しながら一度稲本から離れる。

だが離れるその前に脚にナイフが突き刺された。

「お前、見えてないはずじゃ……!?」

「ああ見えてねえさ……。でもどうせ透過するヤツに視力なんざいらねえんだよ……!!」


稲本は気づいていた。

いかに雲井が倒され、そして今彼が奇襲を受けたか。

そしてなぜこの男がゴーストと呼ばれるか。


それはエンジェルハイロウの能力による透過。

ゴーストの場合は人形に気を取らせている間に接近、最大火力を叩き込むという戦法をとっていることに由来していた。


そして稲本は視力、聴覚、全てがなくとも"殺気"を読み取ることが出来る。

故に、今彼らに環境における有利不利は存在していなかった。


「一之太刀———ッ!!」

「っ……!!」

振り抜かれる一太刀、ゴーストは身を低くし回避する。


取り出されるナイフ。

「っあァ!……!!」

稲本の脚をめがけ振り下ろされ、傷口を抉る。

だが稲本も負けじと咄嗟に刀を短くしゴーストの肩に突き刺す。


「っ……ラァッ!!」

稲本の中段蹴り。

ゴーストはガードをするが内臓にはダメージが叩き込まれる。

「この……クソッ……!!」

咄嗟にゴーストはショットガンを構え銃弾を放った。


舞い散る赤、頬を掠めた弾丸、紙一重で一撃を回避した稲本。

突きがゴーストを貫く。

「貴様だけはっ……!!」

隠し持っていたナイフを取り出すゴースト。

回避は間に合えどトドメを刺しきれない。


そう思った時だった。

「稲本様、回避を。」

「はっ!?」

言葉に従い稲本は咄嗟に回避行動をとった。


瞬間鳴り響く轟音、目の前のゴーストの身体は後方へと大きく吹き飛んでいた。

そして稲本は刃を生み出し一気に跳躍する。

「五之太刀…………ッ!!」

「ッ……!!」

放たれる必殺の平突き。

ゴーストは咄嗟にガードをするが一切の意味を為さず。

「ガ…………ッ!!」

その突きは一瞬にして心臓を貫き、ゴーストと呼ばれた傭兵はその場に崩れ落ちた…………


そして稲本が振り返った先にいたのは金髪の、藍色の瞳の少女。

「……ったく助かったぜ、リコリス。」

「感謝には及びません。」

意識を取り戻したリコリスが何事もなかったかのように立っていた。

稲本も彼女の無事な姿を見た事でどこか安堵していたようだった。


そして残るはただ一人。

「さて……拘束させてもらうぞ。」

稲本は刀を構えたまま女に近づいていく。

「ねえ……アンタはおかしいと思わないの?」

「あ?」

突如話しかけられ足が止まる。

「そんな女が……人ならざる者が闊歩して、こんな力を与えられ、代償として理性を奪われる世界がおかしいとは、思わないの?」

「……何を言って。」

「狂ってるのは私じゃない……こんなバケモノ達の存在を許してるこの世界よ!!!!私は、間違ってない……家畜は利用する……利用できないなら……全部消し去ってやる……!!」

瞬間、強いレネゲイドが女の元に集められる。

————何か、来る。

そう確信した稲本は咄嗟にリコリスを庇うように前に立った。


だが、次の瞬間。

「あなた、バカねェ……!!!!」

ドンッ、という音が背後から聞こえた。

先ほどまであったはずの気配が消えた。

稲本はすぐさま振り返る。


そこに先ほどまでのリコリスの姿はあらず。

「っ…………」

そこにあったのは脇腹を赤く染め崩れ落ちたリコリスの姿と、人形が如くその身を動かすゴーストの姿。

「貴様…………」

「ハハハハハハハハッ!!!!みんな死ねばいいのよ!!狂った世界に殉じなさい!!」

瞬間、稲本の中で何かが切れる音がした。

糸が切れるような、それもピアノ線のようにずっと張り詰めていたものが。

そして同時に、

「お前は……許さない……!!!!」

彼の視界は赤く染まっていた。


—————————————————————

守りたいものがあった。


守れなかったものがあった。


いつだって伸ばした手は大切なものを掴めず。


気がついた時に握っていたのは血に濡れた刃。


ずっと、ずっとそうだった。


強くなれば守れると思った。


でも結局は強くなったところで救える命と同じ数だけの命を奪っていく。


自身の罪から目を逸らす為に生まれた人格は、一言も声を発する事なく俺の体を駆使し次々と屍の山を築き上げた。


守る為に殺す。守りたいものがあるから、誇りも何もかもを捨てて全てを切り捨てた。


なのに、なのに————


守れなかった。


救えなかった。


この手を血に染めても、幾ら罪を重ねても、本当に守りたいものはこの手からすり抜けてしまった。


憎い。


許さナイ。


殺す……殺ス……コロス……


——————ナド、俺ガ殺ス。


決シテ、許サナイ。


—————————————————————

「さあ、アンタも死になさい!!!!」

稲本に向けられる銃口。

引き金が引かれ、轟音と共に弾丸が放たれた。


刹那、風切音と共に刃が空を切る。

音さえも無く、迷いなき刃がその鉛玉を叩き切ったのだ。

「っ……何よ。この死に損ないが!!!!」

人形として稲本に襲いかかるゴーストの骸。

それは人の速度を超えた一撃一撃を放つ。


それもその筈、死者にはリミッターなど存在しない。

筋を引きちぎりながらも、骨を砕きながらも人の限界を超えて稲本に襲いかかるのだ。


だが、

「遅い。」

「っ……!?」

けれども、稲本はそれに負けず劣らぬ動きでゴーストの一つ一つの攻撃を処理するのだ。


決して無駄の無い動き。

いとまの無い近接による一発一発。

それら全てを対処しカウンターを稲本は叩き込んだ。

「アンタ……化け物ね…………」

「…………」

稲本が口を開くことはない。

されど彼のその佇まいが全てを表している。

普段の陽気で物腰柔らかな彼も、激情に駆られる彼もいない。

そこにいるのはもはや殺意そのもの。

決して揺るがぬ、刃が如く鋭い気迫。

「そういう……化け物のくせにヒトを取り繕ってるのが許せないって言ってるのよ……!!!!」

女は感情に任せゴーストを稲本にけしかける。


だが、それよりも早く稲本の刃がゴーストのナイフを持つ手を斬り落とした。

「これなら……!!」

残る腕でショットガンを構え、稲本の眼前に構える。

だが稲本は咄嗟にその銃口を下に叩きつけ、脇腹に弾丸を喰らいながらも致命傷を抑える。


そして一寸の間も与えず稲本の刃が心臓を貫いた。

「まだっ……!!」

ゴーストの亡骸はよろめきながらも再度立ち上がった。

「死なねえなら————」

ただそれ以上に、

「何度でも殺すだけだ。」

稲本の16連撃たる『十六夜』の方が早かった。

同時に、稲本の目の前にかつて人だったはずの肉片がそこに醜く撒き散らされた。


細切れとなったゴーストの姿を見つめる彼の姿は、憎しみに満ち、同時にどこか悲しげだった。

「ハ……ハハ……。殺しなさいよ、このバケモノ。」

稲本は刀を捨てるとナイフを取り出し、淡々と女へと詰め寄った。

そして顔を押さえながら馬乗りになり、ナイフを振り上げた。



俺がお前を殺せば、きっと俺はもう人には戻れないんだろう。


けれどそれで構わない。


憎い、何よりも憎い。


何よりも、誰よりも醜悪で最低なお前が憎い。


お前などこの世から消えた方がいい。


振り上げた刃は目の前の女に向けて。


そして今、俺は殺す。


何一つ大切な物を守れず、大切な人の最後の願いさえも叶えられない"稲本作一"、お前の存在を————


一思いに刃を振り下ろし、今全てに終止符を打つ————


女の眉間に狙いを定め、今や刃を一気に振り上げた。

刹那————

「稲本……さん……!!」

声が聞こえた。

振り上げられたナイフはその場で止まり、俺は声の方を向く。


ただそこには信じられない光景が—————

「アレクシ……ア…………?」

倒れていたはずの少女が再び立ち上がっていたのだ。

「苦しい…ですよね、辛い………です…よね、きっと、とても……貴方は苦しんでる。わかる……なんて…言えません……私には…………感じることしか…できません……」

少女は傷ついた体を必死に支え、必死に声を振り絞る。

「でも、きっと……貴方は、殺しちゃ……いけない。その人も、これからも、ずっと。だって……、貴方は、優しいから……きっと悲しんでしまう……から……だから……誰も殺しては、…………いえ、」

そして少女からはただ、

「もう、誰も殺さなくていいんです。貴方は、誰かを助けていいんです、稲本さん。」

慈愛だけに満ち溢れていたのだ。


「でも……それでも……」

そう簡単にこの鎖が、咎の鎖が俺を離してくれなかった。

でも、それでも、もう何もかもがわからなくなってしまった。


俺はどうしたかった?どう生きたかった?


何もかもがぐちゃぐちゃになった思考の中、

「俺は……俺はぁぁぁぁァッ!!」

「稲本……さん……!!」

俺はナイフを振り下ろしていた————


—————————————————————


何が正しいかわからない。


今までの俺の生きてきた道が、この刀が正しかったかわからない。


大切な物をこの手で奪って、何も守れなかったこれが正しいとは思えなかった。


それでも、今だけは、まだ生きてみよう。

そう思えたんだ。


だから———


—————————————————————


鮮血が宙を舞う。

噴き出したそれは稲本の手を赤く染め、傷を一つ増やした。

「っ……てぇなぁ!!!!」

そして稲本は"自らの脚"に突き刺さったそれを引き抜き、すぐさまそれを投げ捨てた。

「稲本……さん……」

「……俺は、何もできなかったんだ。あの日も、今も。守りたいものは守れず、結局大切なものは救えなかったんだ……」

「……これから、やればいいんです。貴方は彼女を殺しませんでした。一人救いました。貴方は、『自分のこれから』も、殺しませんでした。二人目です。」

少女は、ただただ優しく稲本に笑いかけたのだ。

「これから、もっと助けましょう。きっ…と……できます……」

「アレクシア……!?」

そして言い切ったと同時に、彼女の体は静かに崩れ落ちんとした。


「っ……!」

「稲本……さん……」

咄嗟に支えたが、明らかに力が抜けている。

出血が酷い、今すぐ処置をせねば彼女の命が———

「っの……お前だけは!!!!」

「しまっ……!!」

その時、先ほどまで押さえていた女が立ち上がり稲本に向けてレネゲイドを解放しようとした。


「悪いが君は、大人しくしていてくれ。」

と同時に、聴き慣れた声と共に赫き刃が女の動きを止め、

「貴様はっ……!!」

「老いはしたが、衰えはしてないのでね。」

声の主による一撃が女を吹き飛ばした。

「紫月君!!」

「ええ……!!」

そして少女による荊が女を絡め取り、今戦いは終結したのだ。


稲本の前に現れたのは雲井と紫月の二人。

「し、支部長……それに紫月!?」

「早く行きたまえ。その怪我では一刻も猶予はないだろう。」

「ここの現場は私たちに任せて。貴方はその子を。」

動揺する稲本とは裏腹に二人は冷静だった。

稲本は少し狼狽えながらも彼女を抱え、走り去った。

「積もる話は、また後でしよう。」

「……はい。」

雲井の言葉に、静かに頷きながら。


そして少し数秒の後にエンジンの音が遠くで鳴り響いていた。

—————————————————————


背中から少女の温もりを、重みを感じる。

これは命の重みだ。

決して失わせるわけにはいかない。


『もう、誰も殺さなくていいんです。貴方は、誰かを助けていいんです、稲本さん。』


殺すことしか、戦うことしか知らなかった俺を救ってくれた。


死なせない、絶対に救ってみせる。


ただその想いだけでスロットルを全開にする。


何故だろう、この日を境に心が軽くなった、そう思えたんだ。




—————————————————————


午後22時 集中治療室前


赤く点灯した手術中のランプが点灯する待合室。

身体のあちこちに包帯を巻かれた青年はベンチに腰掛けながら長い、長い時を待っていた。

駆け込むと同時に始まった手術。

同時に自らも治療された結果、思った以上に手間がかかったせいで待つ時間は少なかった。

それでも今まで以上に時間が経つのを長く感じた。


そして間もなくランプが消え、主治医の藪が出てきた。

「っ……!!藪さん!!」

稲本は思わず立ち上がる。

「大丈夫じゃよ。辛うじてレネゲイドビーイングの力も残ったから義肢も問題なく動かせるはずじゃ。」

「っ……!!良かった……」

稲本は心の底から安堵し、胸を撫で下ろした。

「ただ……リコリスちゃんの方は眠っておるよ。」

「眠って……」

「いつ目覚めるかも分からん。それまではアレクシアちゃんが彼女の意思で身体を動かせるだろうな。」

彼は安堵と同時に落胆していた。

最悪の結末を避けることはできた。


けれども、『二人とも』救いたかった。

そんな想いが彼には少なからずあったのだ。

「そう気を落とすな。お前さんはよくやったよ。」

そして彼のそんな思いを汲み取った藪は、優しく彼の肩をポンと叩いていた。

「ありがとう…………ございます。」

「そろそろ意識が戻る頃だ。一度顔を合わせたらどうだ?」

「でも……」

「ほら、シャキッとせんかい!!」

暗い顔をする稲本の背中を藪は思いっきり叩く。

「痛゛ぁっ!?何するんですか俺怪我人ですよ!?」

「どうせお前さんはいつも怪我人じゃろうが!!」

背中を押される。先ほどのなんかよりも遥かに優しい一押し。

「それに、目覚めた時に誰かいた方が安心するじゃろうが。」

「…………はい。」

そうして稲本は治療室の中へと入っていった……



治療室の中央で目を閉じ静かに眠る少女。

稲本は起こしてしまわないように静かに歩み寄る。

けれどもあと数歩というところで少女のまぶたはゆっくりと開き、その澄んだ藍色の瞳で稲本を見つめていた。

「稲本……さん……?」

「おはよう、アレクシア。」

稲本は少しバツが悪そうな、それでも心から安堵した様子で彼女に声をかけた。

「ああ、もう少し寝てていいよ。」

「でも……眠ったら……」

「大丈夫。今度目が覚める時も必ず俺が待ってるから。」

稲本は精一杯の、心の底からの笑みを浮かべる。

少女が怖くないように、安心して明日を迎えられるように。

「……稲本さん。」

「ん、どうした?」

「ありがとう……ございました……」

「……気にするな。俺のは仕事だから、さ。」

「それでも、私は稲本さんに救われたんです。だから……」

「……ありがたくその言葉、受け取っておくよ。」


微睡が近づいたのか少女のまぶたは閉じようとしていた。

「眠く……なってきました……」

「ああ、ゆっくり休むんだ。」

「はい……お休みなさい……」

「ああ、お休み。」

少女は再び目を閉じる。

疲れが溜まっていたのだろう。思ったより早く少女の意識は飛び、静かな寝息を立てていた。

「礼を言うのは、俺の方だよ……」

青年はとても儚げな笑顔を浮かべながら治療室を後にした……



「……稲本君。」

治療室を出た稲本を待っていたのは厳かな雰囲気を身に纏った雲井。

「支部長。」

そして稲本は、雲井が何を言うも前に深く頭を下げた。

「独断による先行に加え命令違反、大変申し訳ありませんでした。いかなる処罰も受け入れる所存であります。」

「……確かに、君には罰を与えないといけないかも知れない。」

雲井は稲本に淡々と告げる。組織の長として、彼の上官として。

「ただ、私は君ではないし、君の心を覗くこともできない。君を戒めるのに最適な罰を選ぶ手段を私は持っていないんだ。だからね、君にはこういう『罰』を与えよう。」


覚悟は決まっていた。

組織の人間として許されぬことをしたのだ。

厳罰を免れるつもりも逃げるつもりもない。

どんな罪も償うと決めた。だから————


「大切なものを何か一つ心に決めなさい。そして今度は失くさないように、君が守りなさい。」

「————え?」

稲本は思わず顔をあげた。

信じられない言葉だった。

「この『罰』を遂行するためなら任務における独断行動も許可しよう。君には成し遂げられるとそう信じているよ。」

その声は優しかった。

そして同時に、彼にとって大切だったその人を思い起こした。


「寛大な措置、ありがとうございます支部長。

稲本は再度深く頭を下げ、ただただ静かにその想いをあらわにしていた。

「もちろん始末書は書いてもらうけどね。今はその傷ついた体を休めなさい。」

「……了解しました。明日以降に着手します。」

稲本は少しはにかみながら再度会釈をし雲井に別れを告げ、病院を後にした。


夜空には月が浮かぶ。

黒に思えたその空は、月明かりに照らされ青みがかり明日の空まで続いている、そんな風に思えた。


決して来るはずのなかった、暁の空へと。


—————————————————————

一週間後


「退院おめでとう、アレクシア。」

「ありがとうございます、稲本さん。荷物まで持っていただき助かります。」

「これくらい当たりめえよ。それに、手続きがまだ残ってるんだろ?」

稲本は退院した彼女の迎えとして派遣されていた。


「日本の保険とかちょっとよくまだわからないので時間かかっちゃうかもしれないんですが……」

「構わねえよ。1日暇だしこの程度軽い軽い。」

「助かります……。それでは行ってきますね。」

「ああ、行ってらっしゃい。」

稲本はにこやかに手を振り見送った。


そして数秒後、稲本は剣幕な表情を浮かべる。

「……コソコソしてねえで、要件を話したらどうだ、黒鉄。」

背後の男に話しかける稲本。

「この間の続きだ。忘れたとは言わせんぞ。」

二人は振り返ることなく、言葉を交わし始めた。

「借金の徴収ってとこか?」

「そんなところだ。」

「……で、何を求める。お前が金とか欲しいとも思わんし、情報に関してもお前の方が俺より通じてるだろ。」

「一月後、UGNイリーガルとしてお前の支部に配属される事になった。お前には俺の素性を話さないでもらう。」

「……何言ってんだテメエ。FHの人間がUGN内部に紛れ込むのを黙ってろっていうのか?」

「そういう事になる。」


稲本は怒りを露わにし黒鉄に掴みかかった。

「ふざけんのも大概にしろ。あの時の事は感謝している。だからと言ってFHに協力するつもりは————」

「FHではない。俺個人に協力しろと言っている。」

「何……?」

黒鉄は動じる事もなく、そのまま稲本に資料を手渡す。

稲本も今にも出してしまいそうだった握り拳を開き、その資料を受け取り目を通した。

「…………何だよコレ。」

「3ヶ月前、FHに"ソレ"が持ち込まれた。加えて取り扱うオーヴァード、"ヴォイド"の最終調整に入ったようだ。UGNもほぼ同じ状況だ。余程慎重に動いているのか内部に潜り込まねばより深い情報は得られない、という事だ。」

黒鉄は声色を変える事なく、彼の答えを聞く事もなく立ち去ろうとした。

「…………まだ、終わっちゃいねえんだな。」

「ああ。"黙示の獣"は、『13』はまだ生きている。俺たちの、ヌルとゼロの戦いは終わっていない。」

「……俺たちだけでカタを付ける。それを約束してくれ。」

「ああ。元よりそのつもりだ。」

「……じゃあ、またな。」

「ああ。」

黒鉄は振り返る事なく去っていく。

その背中は昔と変わらずどこか悲しげで、代わりにその足取りはどこか軽やかだった。


「すみません、お待たせしちゃいました。」

黒鉄の姿が消えた頃に少女が戻ってきた

「ああ、お疲れさん。手続きはうまくいったか?」

「はい、お陰様で。」

にこやかにする少女。稲本も先ほどまでの殺気を全て無かったかのように抑えて振る舞う。

「そういえば、誰かとお話ししてました?」

「気のせいだろ。そんな事よりまずは帰って休むとしようぜ。」

「はい。いろいろ整理しないとですからね。」


青年は一歩前へと足を踏み出す。

過去の呪いを断ち切る為、救われた未来を紡いでいく為。


暁の鴉は、藍色の空へと羽ばたいていく。


to be continued

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暁の鴉は藍色の空に羽ばたいて 芋メガネ @imo_megane

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