Report.04 アダムの反抗
それからというもの、アダムはシェリル話に耳を貸さなくなった。彼女が専門とする分野以外では、通信教育を用いていたが、その受講態度も日に日に悪くなっていった。当然、学業の成績は急降下。
決して、アダムの知能が下がったわけではない。彼は自らの意思で勉学を拒んでいるのだ。それは子供が反抗期に示す行動とよく似ていた。
彼は未知の地球外生命体が、アレックスの幼少期の姿を真似ただけの存在にもかかわらず、人間とよく似た心理構造をしている。おかげでシェリルは、心理学の知識を以て、彼が何を考えて行動に至るのかを理解できてしまうのだった。だからこそ、彼女は疲弊していた。彼が反抗的な態度を取るようになったのは、他でもない自分のせいだから。
やつれて頬はこけ、目元にはうっすらとくまが入り、彼の教育担当に任命された頃よりもだいぶ彼女は老け込んでしまった。レンズに脂がついたままの眼鏡が、精神的余裕の無さを物語っている。
「ここのところ、アダムは勉学に意欲を示さなくなってきたな。君の言うことも聞かなくなったそうじゃないか」
そんなアレックスの漏らす不平にも、もはや上の空で頷いていた。
「これは
だが、“潮時”という言葉が、アレックスの口から出た途端に、彼女の目は見開かれた。そして、机の天板を押さえて立ち上がり、彼を睨みつけて詰め寄った。
「待ってください!」
それまでの死人のような振る舞いからすれば、幾分かの覇気は出せたものの、そんなものでは彼を振り向かせることすらできなかった。相も変わらず、彼は彼女と目を合わせることすらせずに、予算審議会が来月に迫っていること、それでアダムの優れた頭脳を示さなければ、プロジェクトの存続が危うくなることをくどくどと述べ始めた。
「アダムをやり直すなら今でないと間に合わない。リセット後には今までのような猶予もない。新しいアダムにはもっと効率的に教育をせねばなるまい」
新しいアダムの教育もシェリルが担当することになっていた。というより、予算審議会が迫ったこの段階で、研究者を編成し直すだけの余力は残っていないのだ。
明日には、今のアダムは殺されて、何事もなかったかのように自分のことを何も覚えていない新しいアダムと関係を築いていかなければならない。想像しただけで胃がきりきりと痛む。
「今日のうちに今のアダムにお別れでも言っておくんだな」
今のアダムにはもはや興味はないといったような、アレックスの言い草、それを聞いて彼女は逃れられない運命を悟った。
死人を通り越して亡霊のようになりながら、アダムがいる部屋に向かう。
アダムは部屋の隅に置いてある机について、紙とペンで絵を描いていた。それだけが彼に与えられた唯一の遊びの手段だから。
彼が絵を描いているところをまじまじと見るのは、久しぶりだった。ここのところは、それを叱りつけて勉強をさせなければいけなかったから。
彼が描いていた絵は、まさに鳥かごから飛び立って逃げようとしている小鳥だった。可愛らしいけれど、その小さい羽は猛々しく羽ばたいていて、彼の心の中にある“外の世界”の渇望が投影されているようだった。
「何見てるんだよ」
すっかり乱暴な物言いになってしまった口調が鋭く胸に刺さる。けれど、それも今日限り。そう思うと、彼女の中では寂しさが勝ってしまう。
「今日は絵をやめさせたりしないのか」
「今日は、ね……」
「珍しいな。たまには自由にさせてくれるんだな。僕のこと、嫌いなくせに」
「嫌いなんかじゃないよ」
そこで、「嘘つけ」などと冷たく突っぱねられるかと思ったが、「そう――」と少し照れた声で返されるのみだった。そこから彼女はアダムが絵を完成させるまでをただただ、黙って見送った。――穏やかなひと時だった。
***
翌朝、アダムの部屋に大量の麻酔剤が投入された。昏睡状態に陥った彼を研究員が回収し、彼が人間とは程遠い
「これより、アダムのリセット作業を開始する」
アレックスの指示で、研究員たちがロボットアームを操作し、アダムの身体に電極を取り付ける。
これから、アダムを人間の姿に発現させたときとはちょうど逆のことを執り行う。彼をもとの
――が、アダムの身体を形成しているホモ・サルパは、まだ生態が完全に調べ尽くされているわけではない。ヒューマノイド型に発現したコロニーが、高度な知性を獲得した後に、本当に自我の無い肉塊に戻るかはまだ確認できていないのである。にもかかわらず、アレックスは一切の躊躇なく研究員に指示を出した。
「アダムに電気信号を送れ。もとの
彼は、アダムが獲得した自我など簡単に消え失せてしまうだろう、と高をくくっていたのだ。
それが間違いだったと彼が気付いたのは、コロニーに電気信号を送っている途中で、もがき苦しむアダムの身体から、突如として触手のような組織が発現して水の分厚いガラスを貫いたときだった。
水槽に開いた大穴からは勢いよく培養液が溢れ出し、ラボの床を濡らした。そして触手はまるで目がついているかのように、アレックスの左胸目がけて真っ直ぐに伸びていき――
彼の心臓を貫いた。
ボクは生きたい。 津蔵坂あけび @fellow-again
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