Report.02 アダムの才能の開花

 アダムとシェリルが接触したのは、アレックスとのディスカッションを終えてすぐのことだった。アダムは床にうずくまっているところから、シェリルの足音に反応し、彼女のことをまじまじと見つめる。

 シェリルは彼の外見が、人間と寸分たがわないことに感嘆した。ふと目が合って、彼の無垢な瞳に思わず見入ってしまう。

 驚いているばかりではいられない。これから、この子の教育係をするのだから。首を左右にぶんぶんっと振って、自分を鼓舞する。


「あなたが、アダムね。私はシェリル。あなたの教育をすることになったの。――よろしくね」


 アダムは見かけ、五歳くらいの男子に見える。人間ならば、簡単な言葉は話せていい年頃だ。しかし彼は、会話はおろか、名前に呼ばれたことに反応を示すことすらできない。それがまさしく、彼への教育が手つかずの状態であることの証明であった。

 この状態から、会話による意思の疎通、文字の読み書き、四則演算までは最低限できるようにさせなければならない。

 仕事柄、知的障碍や自閉症スペクトラム障碍を持つ子供のカウンセリングにあたった経験は多いが、アダムの教育はきっと、同じようにはいかないはず。なにせ、彼は人間ではないのだから。


 ――そんなシェリルの心構えが吹き飛んでしまうほど、彼の教育は順調に進んだ。僅か二週間で、図鑑や写真集、画集などを話の材料にして語り合えるほどになった。アルファベットの読み書きに至っては、教育を始めてから六日で完全にマスターし、今では短い文章の読み書きもこなすようになった。

 特に、彼が興味を示したのは、画集や彫刻作品だった。教育を始めてから七日経ったところで、鉛筆でデッサンを始め、八日目からは、水彩や油彩にも手を付け始めた。


     ***


 そして、シェリルがアダムの教育を担当して一ヶ月が過ぎたときのこと。


「アレックス教授、これを見てください」


 シェリルは興奮冷めやらぬ様子で、アレックスの机の上にスケッチブックを広げる。そこには、アダムが描いたデッサンや水彩がじられていた。チョウやガの蛹をモデルにした絵が多く、そのどれもが細かい節や形状まで正確に再現された迫力のある作品だった。


「アダムには、類まれなる芸術の才能があります。モデルに蛹が多いのは、彼自身の趣向で、これから大きく姿を変えていくというところに親近感を感じたというのが理由だそうです」


 いつもの途切れ途切れの喋りが、やけに滑舌の良い早口になるほど、彼女のテンションは上がっている。が、それを聞いているアレックスの方は、終始渋い顔をしていた。


「アレックス……教授?」

「率直に言えば、これは良くない傾向だ」

「な、なにがでしょうか?」

「シェリル教授、君は芸術の教育にウエイトをき過ぎだ」

「彼の才能を伸ばすために、絵画や彫刻に触れる時間を増やしました。基礎学力として求められている教養は、問題なくこなせています。――何が問題なのでしょうか」

「このプロジェクトでは、アダムが、文明を後継できるレベルの知性・・を持ち得ると証明する必要がある」


 写実性の高い絵を描く、それも自分の趣向でモデルを選定するだなんて、高い知性と、アイデンティティの確立が伴っていなければあり得ない行動だ。これまで、発生心理学の研究を通して、子供が自我を確立していく過程を見守ってきた彼女は、アダムが高い知性を持っていることを確信していた。


「自分の意思で芸術を嗜むことが、高い知性の証明にならないとでもいうのですか?」

「文明を守るためには、機械工学や生物工学等の技術を発達させ続けなければならない。このプロジェクトにおいて求められているものは、科学技術を発達させるための知性だ。アダムが、エジソンあるいはアインシュタインとなり得るのかを見極めねばならない」


 シェリルは、開いた口が塞がらなかった。

 絵画や彫刻、それに音楽や創作等の文化的な活動を、知性的でない・・・・・・と否定するならば、それこそ文明を破壊するような考え方ではないか。そう反論した。


「君の意見はもっともだ。――だが、このプロジェクトにおいて文明は、あくまで科学技術の側面を指す。そこでアダムが活躍できると証明できなければ、研究を継続する予算が削減されてしまう」


 だが、アレックスからは冷たい言葉が返ってきた。

 シェリルは確信した。アレックスは、アダムのことを完全に道具として捉えている、と。


「やはり、君はアダムに同情してしまっているようだな」


 同情なんて言葉で片付けないで欲しい。アダムのことを一人の人間として尊重したいのに。どうして、それを予算のために否定することができるのか。

 同じ研究者として、人間として、彼の考え方が腹立たしくてならなかった。


「君を説得するのは難しいだろう。だから、私なりの覚悟を言う。このままアダムが芸術の道を志すというのなら、彼のリセット・・・・を考えている」

「りせっと――?」


 その言葉の意味を、どこかで分かっていながら、脳が理解することを拒否してしまった。


「そう、リセットだ。ホモ・サルパのコロニーは、電気信号によって形態を変化させることができ、形態により知性のレベルが違うことが分かっている。ヒューマノイド型に発現させれば、高い知性を持つ。しかし、もとのただの肉塊に戻せば、アダムに生じた意識も感情もすべてリセットできる」

「それはアダムを殺すことと同じです!」


 アレックスの考えていたことが、自分の恐れていたことと全く同じであることに戦慄を覚えながらも、何とか振りきって叫んだ。

 それでもアレックスは動揺すら見せなかった。それどころか、飛んできた唾に苦笑いを浮かべた後に、シェリルの眼前にまで顔を突き出して睨みつける。


「アダムを殺すのではない。アダムをやり直すのだ。彼が人類の未来を託せる存在となるまで、何度でもやり直す。それができるのが、ホモ・サルパの強みだ。文明を後継するにとどまらず、最大効率で発展させることもできる。これを利用しない手はないだろう?」

「アレックス教授、あなたは文化を蔑み、あまつさえ、優生思想まで掲げるのですか?」

「それがこのプロジェクトを採択した政府の意思だ。人間ではない地球外生命体ならば、研究倫理をうるさく言う連中の意見を聞く義理もない」


 アレックス本人の魂胆としては、後者の方だろう、と察した。彼と同じプロジェクトに関わり続けたいとは、もう思えないが、自分がここを去れば、彼はすぐにでもアダムを肉塊に戻すに違いない。

 シェリルには、アレックスに従う他の選択肢はなかった。

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