Report.01 シェリル教授の主張

「では、本日からプロジェクトの一員となる人物を紹介しよう」


 アレックスの紹介で、研究員メンバーの前で深くお辞儀をするのは、発生心理学の分野で注目を置かれている若手の教授であるシェリル。


「え、えっとヒューマノイド型コロニーとして発現したホモ・サルパ、アダムの知性の発達をテーマに、彼に対する教育実験を担当いたします」

 

 大きな丸眼鏡と猫背がちの姿勢が特徴的で、喋りはどこか覚束ない。貫禄のあるアレックスと比べると頼りない印象ではある。しかし、統合失調症等の精神疾患、知的障害、発達障害のカウンセリングにおいて数々の功績を収めている実力者だ。


「今回は、人類の文明存続の危機を救う非常に重要なプロジェクトに関わらせていただいて、誠に光栄です。私自身は、皆さんと比べると生物工学の分野には疎いとは思います。――ですが、異分野の最先端の研究に携われる貴重な機会ですので、全身全霊で尽力したいと、そう……考えています」


 途切れ途切れの演説の後、深く頭を下げたところで、拍手が沸き起こった。それからシェリル教授のチームの研究員の挨拶も終え、いよいよプロジェクトは第二段階に入る。

 これからは、シェリル教授率いる心理学の研究チームがプロジェクトの実動部隊となるわけだ。まず最初に、ホモ・サルパの生態に詳しいアレックス教授と、シェリル教授によるディスカッションにより、アダムの教育プログラムが取り決められることとなった。


「まず、最初に強調しておきたいことがある」


 濃いコーヒーを啜りながら、重々しい口調で話し始めるアレックス。彼の放つ厳かな雰囲気に、シェリルの猫背がちの背もしゃんと伸びるのであった。


「は、はい」

「アダムは人間ではない。これは心に留めておいてくれ。いくら姿かたちは人間にそっくりでも、彼は人間ではなければ、我々のよく知っているイヌやネコなどの飼いなされた動物でも、獰猛な野生動物でもない。遥かな宇宙からやってきた未知の生命体なのだ。――そんな彼をいかにして、短期間で人間社会に溶け込ませるのか。それが、我々の研究の使命だ」


 語り終えたところでアレックスは、おもむろにアルミホイルにくるまれた深緑色のペーストをシェリルに見せる。


「これが何か分かるか?」

「――アダムに与えていた食べ物でしょうか」

「正解だ。正確には、今も与え続けているエサ・・だ」


 エサ、ホモ・サルパを人間と分けて考えているからこそ出る彼の言葉に、シェリルは震えを抑えることが出来なかった。


「やはり、君は私の考えには抵抗があるようだね」

「い、いえ――」

「出来ることならば、これからも彼には、この完全食のペーストを与え続けたいと考えている。君は、これに異論はあるかい?」


 ホモ・サルパは、彼の言うとおり、人間ではない。人間に擬態・・した未知の生命体と形容すべき存在だ。だが、ホモ・サルパは、このプロジェクトが完遂すれば、人間と共存することになる生命体だ。それも家畜ともペットとも違う、生殖機能を失った人間の代わりとして社会生活を送ることになるのだ。


「あの……、アレックス教授。私から提案がございます。アダムに、人間と同じ食事を与えてみるというのは、許容できますか?」


 シェリルは意を決して、彼に異を唱えた。

 決して、アダムに同情しているわけではない。そもそも同情では、彼の主張を覆せるわけがない。あくまで、その方法が合理的ではない、ということを説明しなければ――と、即座にロジックを組み立てる。


「人間と共存し、人間の文明を担う可能性のある、ホモ・サルパを単なる労働力や道具として扱うのは、理に叶っていないと考えています。なぜなら、その立場は既にシステムの機械化や、アンドロイド技術の進展によって賄われています。――それに、アンドロイドは、つい四半世紀前まで、人間の文明を後継する存在として注目されていましたが、ある理由により、関連研究は路線変更をせざるを得なくなりました。それが何かは、アレックス教授も知ってのことだと思います」

「――アンドロイドには、食べるという行動がないから、だったな」


 アンドロイドは、人間に限り無く近い存在になりつつあった。しかし、アンドロイドは、食事もしなければ排泄も、性交もしない。これらの行動が、人間の文明の発展に与えてきた影響は計り知れるものではなく、もはや原動力と言っても過言ではない。故に、そうした生物らしい行動をする必要のないアンドロイドは、文明の後継者の候補からは外れてしまった。


「アダムには、文明の後継者として、人間の食文化を学んでもらう必要があると考えます。味覚により、脳が刺激されて知能が発達するという研究報告もあり、単一の食物だけを与えるというのは、寧ろ、それを阻害する可能性もあります」


 アレックスは、深く頷いた。――が、それで決して、シェリルの主張を受け入れたわけではない。彼から、反論の材料として持ち出されたのは、植物食から肉食化することで獰猛になるというクマの生態だった。


「ホモ・サルパは、アンドロイドと違って生物だから、生物らしい欲求を尊重しなければならない。君は、そう主張しているようだが、だからこそ、その欲求を人間のコントロール化に置く必要がある、というのが私の主張だ。生態の研究が進んでいない地球外生命体を人間の食文化に触れさせることによって、彼ら・・が持っている、人類に危害を加えるかもしれない本能を目覚めさせてしまったら――もちろん我々は、彼らの本能がどういうものかさえ知らない。けれど、彼らの本能は、獰猛などという言葉では語れないと私は考えている」


 相手は地球外生命体。これまで人間が他の動物に対して積み上げてきた生態学的知見は、通用しない、と考えた方が良い。

 たしかに、それも一理ある。文明を後継するということは、これまで積み上げてきた文明に危害を与えないことも要求される。

 本来なら、その本能たる部分の研究がある程度進められてから、このプロジェクトは動き出すべきかもしれない。けれど、そんな悠長な話をしていては、政府からの予算が降りないという事情があるのだろう、とシェリルは察した。

 ただ、それは、ホモ・サルパを抑圧された環境下で育てたばかりに、知能の発達が大いに遅れた場合にも同じことだ。

 結局、二人の議論は、アレックス側が少し譲歩する形に落ち着いた。

 アダムには、人間の食文化に触れてもらう他、人間らしい文化や芸術も、知能の発達を促す刺激として、与えられることになった。


「その代わり、少しでも危険な性質が見え始めたら、すぐに方針を変える。それは、理解してくれ」

「はい、その際はアレックス教授に従います。――ですが、それまでは、アダムの可能性に賭けさせてください」


 ホモ・サルパが人間に危害を加える可能性は、捨てきれないというアレックスの考えも理解できる。でも、彼が未知の地球外生命に対して性悪説を唱えるならば、自分は性善説を唱えたい。文明の後継者という重要な立場を担う存在に払う、最大限の敬意として。

 それが、人間の知能の発達を研究し続けてきた、シェリル教授の考えだった。

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