ミネラルヲーターじゃないのはなぜ?



 〈わ行の文字〉

 mineral waterと言う英語を日本語で表記するとミネラルウォーターとなります。これは全く見慣れた表記なので違和感も何もないのですが、しかしよく考えるとおかしいではありませんか。何がって、日本語の子音「わ行」の「を」だって「wo」の発音です。それなのになぜ「ウォ」と言う表記がされているのでしょうか。ミネラルヲーターでもいいはずです。今回は謎多き「わ行」について少し掘り下げていきましょう。

 さてまず、引き合いに出されている現代日本語の「を」の発音は、唇を少し前に出しながら接近させて離す、と言うものです。当たり前ですが説明をすると、「わ」のo母音版ということですね。ただし、歴史的な観点から見ると、少なくとも平安時代には、すでに「を」は現代の助詞のように「お」と発音されていたことが研究で明らかになっています。例えば九世紀『聖語蔵本菩薩善戒経しょうごぞうほんぼさつぜんがいきょう』には早い段階で「を・お」が混同しています。それ以外の「ゐ・ゑ」については完全に混同するのが鎌倉時代とされているので少し後なのですが、まあどちらにせよ現代ではとっくに区別が失われた文字であることは確かです。なお、例えば「を」は「をか」、「ゑ」は「み」などに使われていました。

 わ行の文字はその発音のめんどくささからか、こうして早い段階にその区別を失っていました。ただ戦前の文章を見たことがある方ならわかるかもしれませんが、例えば

・此處で分けてくれた事を覺えてる(折口信夫「三郷巷(1)」)

 のように、八十年ほど前まではまだ「ゐ」などが使用されていました。それが文章から消えたのは昭和二十一年に発令された『「現代かなづかい」の実施に關する件』という内閣訓令によります。この中に

・第一 [ゐ]、[ゑ]、[を]は[い]、[え]、[お]と書く。ただし助詞の[を]を除く

 と言う一文があり、わ行の文字は「わ」を除いて発音はおろか形もろとも消滅をしてしまったのです。ただ、格助詞であることを強調するためか「を」は残っているため、現在でもお目にかかることはできるというわけです。



 〈ミネラルヲーターと書かない理由〉

 でも発音上は「を」も「うぉ」も変わらないのなら、どうして使われないのでしょうか? その答えはおそらく、現代日本語の規則では「を」の発音は完全に「お」であるからではないでしょうか。考えてみれば例の内閣訓令によってお目にかかることがなくなった「ゐ・ゑ」も、現代人からすれば「い・え」と言う発音でしかありません『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の読み方が「エバンゲリオン~」であることからもわかります。ですから、私たちにとって「を」も「お」と言う発音でしかないので、あの訓令後、外来語を明確に表記することになった際に登場した表記方法が「ウィ・ウェ・ウォ」だったのでしょう。

 

 ただ、現代人は例えばローマ字入力の際に「を」を「wo」といれるために、もはや「を」と「お」が同じ発音であるとは思いにくいと思います。それどころか前も言いましたが、最近は格助詞の「を」もwoと発音する人が出だしているので、「を」と「うぉ」が同じ発音であるという認識の人も増えだしていることでしょう。だからこそ、私のようにウォーターがヲーターじゃないのはなぜ? と言うような疑問を持ち出すのです。

 ちなみにこのわ行を用いてwの音を書きあらわす場合、ひらがなカタカナの文字数は多くなってしまいますが、代わりに表記する文字数は減らすことができます。ウィスキーもヰスキーでいいですし、ウェアラブル端末もヱアラブル端末とすっきりします。今後もますます日本人は英語の発音に慣れていくでしょうから、一度消滅した「ゐ・ゑ」がまた復活する未来もあるかもしれません!?




――参考

(1)『折口信夫全集 第三巻』中公文庫

(2)『◎内閣訓令第八号「現代かなづかい」の実施に關する件』http://www.asahi-net.or.jp/~lf4a-okjm/genkan21.htm

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