コミニュケーション、ふいんき、あきはばら
〈コミュニケーションはなぜ間違える〉
あなたはコミュニケーションとコミニュケーション、どっちだっけと悩んだことがありますか? 私はありました。結局、私の場合は高校の「コミュニケーション英語」という授業を皆が「コミュ英」と略しているのを思い出して、それからまちがえなくなりましたが……、そういえばどうしてこんな間違いがあるのでしょうか。
私の考えでは、この言い間違いは「ミュ」という音があるというのと、そもそもが長ったらしい外来語であることが原因だろうと考えています。長い外来語というのは日本人にとって言語的になじみのないものですから判断がしにくいですし、また「ミュ」という音も日本語にまず無いということを考えると、我々にとってはよほど口にしていない限りは正しい形というのがわかりにくいのです。普段の会話で「コミニュケーション」といわれても、私なんかは間違いに気づきませんからね
〈音位転換〉
雰囲気は、近年「ふんいき」と読まれることが多くなっています。私も意識しなければこういうと思います。これ、語中の音の位置が変わってしまっているのですよね。この現象を音位転換といいます。ちょうどコミュニケーションがコミニュケーションになるように。
また、山茶花や秋葉原も、漢字通りに読めば「さんざか・あきばはら」なのに、いつの間にか「さざんか・あきはばら」と読まれるようになりましたね。このように、音位転換による誤用も「正しい言葉」になり得るので、私はコミニュケーションやシュミレーションをやいやいという必要はないと思います。
ちなみに音位転換の起こる理由で最もわかりやすいのは、「言いやすく変換する」ことです。「さんざか」はいかにも言いにくいですし、「コミュニケーション」が「コミニュケーション」となることで、馴染みのない音「ミュ」が日本語にも存在する「ニュ」に変わってますね。全ての変化は合理的なんです。
ただ、少しややこしくなってしまう語もありまして……、鼓は「つづみ」、腹鼓は「はらつづみ」ですが、舌鼓だけは「したづつみ」になってしまうという罠。私はしたつづみでも、したづつみでも発音のしやすさはあまり変わらないと思うので、一つだけ変わってしまうと記憶の負担が大きくなってしまうなあと残念に思っています。
ちなみに補足ですが、「新しい」はもともと「あらたしい」でしたが、これも音位転換によってか、「あたらしい」に変化しています。その名残は、「あらたな」と言う言葉に明確に表れていますね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます