全員女性じゃないと「彼女たち」じゃない?&「彼たち」


 「彼女たち」という語、皆さんはどういう使い方をしますか? いつか記憶がはっきりとしないのですが、とにかく私は「ある集団全員女だと“彼女ら・たち”になるが、一人でも男がいると“彼ら”になる」と教わりました。今回はこの用法について考えてみましょう。



 〈集団の性別〉

 まず、私の意見から先に述べますと、別に集団全体の性別なんて、考えなくてもいいのでは? と思っています。例えばある研究所の研究員に、男と女がどちらも四人いるとしましょう。そこで一人の女性研究員に焦点が置かれた場合「彼女たちは~の研究をしている」といえるし、男性研究員に焦点が置かれていたら「彼らは~の研究をしている」といえばいいのではないかと。そして、別に誰にも焦点を置かない中立的な立場であれば、純粋に「彼ら」とすればいいのではないでしょうか。

 私の考えと現状文法意識との相違点は、グループ研究員全員が女性でないと「彼女たち」といえないか・いえるかということです。確かに画像検索をしてみると、「彼女たち」の場合はほぼ全員が女性の画像が出てきますし、「彼ら」と調べると女性もいる画像が出てきます。つまり現段階では、「彼女たち」という代名詞がとても限定的なわけです。女性オンリーなグループという意味なので。

 ひょっとすると、今でもすでに「主体」を考慮すれば男性がいるときでも「彼女たち」が使われている可能性もありますし、私のように主体を重視する日本語話者も増えているのかもしれませんが……、そこまではわかりませんね。



 〈「彼たち」とは言えない不思議〉

 「彼女たち」とはいえるのに、「彼たち」とは言えません。なんて不思議なんでしょう。「私ら・たち」「あんたら・たち」「君ら・たち」「おまえら・たち」と、ほかの人称には軒並みどちらもつくのに、です。

 まず「ら・たち」という接尾語について……、前者が相手を低める意味を持ち、後者が相手を高める意味を持っています。でも私の認識では、「私ら」が少々謙譲的な表現である以外、ほぼこういった意味がなくなっています。「おまえたち」というととても無礼だし、「あんたたち・あんたら」の二つは敬意もへったくれもありませんから。

 ということで、ほぼ「ら・たち」の意味の区別がなくなっているため、なぜ「彼たち」が存在しないかはますます謎です。しかし、一つだけ考える余地があります。それは発音です。「karetati」がないのは、つまり日本語固有の発音に「reta」がないのではないかと思ったのですが「yarareta・kowareta・hureta」など過去形にたくさん出てくるというのが書きながら判明したのでこの説はなかったことにしてください。


 うーん、何とも不思議な現象です。とはいえ、一応コーパスでは「彼たち」という用法もないわけではないので、誤用とも言い切れないでしょう。母語話者である私たちですら使い分けの理由がわからないのなら、今後「彼たち」が普及する時代も来るかもしれません!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る