思惑か、思わくか
思わくという単語を漢字で書けば「思惑」……? でも、実はこれ当て字なんです。勘の良い方はわかったかと思いますが、以前「願わくば~」の項で解説をしたク語法の仲間です。となると、原義は「思うこと」になるんですが、さて本当にそれだけの意味で使われているのでしょうか。少し見ていきましょう。
〈思惑は、悪い意味?〉
思惑といえば、なんだか悪いイメージが付与されている感覚がありませんか? あるのは私だけでしょうか。例えば
「さっき笑っていたから、彼には何か思惑があるんだ」
と誰かが言ったとしましょう。すると、私なんかはこの発言者が「彼」に対してなにかを企んでいるような悪印象を持ってるのではないかと思います。「惑」という漢字が負の意味を含んでいる語だからですね。では、
「さっき笑っていたから、彼には何か思わくがあるんだ」
とするとどうでしょう? これでも私には同じ印象があります。恐らくですが、私にはすでに「思惑」表記が基準になっているからだと思います。
本来であればこの思惑についてもコーパスで検索をかけてみたいのですが、その文自体に好印象があるか、悪印象があるという判断を下すのは難しいので、ここでは省きます。
〈ク語法の変化〉
実は思惑と同じように、ク語法の単語の中でも日常語彙に入っているものがあります。例えば【恐らく・曰く・すべからく・しばらく】などはどれもまあまあの頻度で使われるものですが、それぞれ【おそる・いふ・すべき・しばる】からきています。でも【恐れること・いうこと・すべきこと・しばること】という意味で使いますか? 使いませんね。こういった日常語彙のク語法、つまり現在まで生き残ったク語法というのは、~することという原義を失って、独自の意味を獲得しています。
こうして帰納的に導かれた結論を思惑に当てはめれば、
①思惑の意味は単に「思うこと」ではない
②「思惑」と「思わく」の表記に間違いはないが、どちらかといえば変化語の前者が一般的
という二つの結論が導かれます。
そういうわけで、別に「思惑」は間違った表記だ! といえませんし、私が冒頭に書いた「でも、実はこれ当て字なんです。」という説明も、正しくは「でも、実はこれ(昔は)当て字だったんです。」としなければいけませんね。
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