第42話 女の戦い・4 知りたかった敗北
三日間の合宿は、初日は各種計測と国際大会におけるマナーやルールの学習。
二日目には具体的な練習を行い、最終日には組み合わせを色々と変えて二試合の練習試合。
そう決まっているのだが、一日目から波乱の展開となっている。
マウンドに立つのは佐藤桜。
そしてバッターボックスには権藤明日美。
キャッチャーは佐藤椿。守備陣もしっかりと守備についている。
どうしてこうなった。
サードの守備につきながら、シーナはこの勝負を見つめる。
険悪な空気はない。
ツインズも明日美も、邪気のない笑顔で対決している。
恐ろしいのは両者のスベックである。
男子のフィジカルに慣れたシーナでさえ、県予選の終盤レベルと感じるこの緊張感。
ツインズはグラブを左手にはめている。明日美は右バッターなので、曲がりの多い変化球を使うつもりだろうか。
足を上げてオーバーハンドから投じられるその球種は、カーブ。
一般にパワーカーブと呼ばれる、緩急のためのカーブではなく、球の変化量でストライクを取るためのものだ。
三打席勝負と言われ、一打席目は三振、二打席目はサードゴロで倒れていた。
しかしこの最終打席、おそらく男子でも手が出しにくい曲がりの大きなカーブを、明日美は引き付けてから打つ。
大きなスイングだ。それに、芯を食った。
レフトスタンドに放り込まれる、間違いのないホームランであった。
そもそもは明日美の球を、双子が打ってみたいと言ったのが始まりであった。
シーナは呆れた。二人が練習補助員をする時は、ピッチャーであることが多い。それでも武史が調子を見ようとして打席に立たせたら、150km近いストレートもホームランにしてしまう二人だ。
いくら優れたフィジカルとは言え、140kmに満たないストレートのピッチャーなど、簡単に打てるだろうと思っていた。
シーナは忘れていた。
甲子園でパーフェクトを達成した直史も、あの試合では一度も140kmオーバーを投げていなかった。
だがそれにしても、直史の場合は存在するほとんどの球種を、速度、変化、コースを自由自在に操って投げ込むコンビネーションがあった。
球種がストレートとスプリットだけの明日美は、明らかにそれよりは下のはずだ。
これまたシーナは勘違いしている。
直史が完全にコンビネーションを考えて投げれば、双子は完封出来る。つまり直史以下のレベルで、双子には通用するのだ。
第一打席、椿はスプリットに空振り三振。
第二打席、ストレートをホームラン。
そして第三打席はストレートで空振り三振となった。
双子が武史の自信を、たびたび打ち砕いているのは知っている。
三打席勝負となれば、一打席は確実にヒット性の当たりは打つ。
それに比べると明日美のピッチングは、球種が二つしかないというのに、双子から空振り三振を二つ取ったのだ。
明日美としても三打席で一本のホームランを打たれたのは不本意だったので、今度は攻守交替しての対戦となったのだが、これにも驚かされた。
双子は言うまでもなく、アンダースローからオーバースローまで、様々なフォームで様々な変化球を投げられる。
全国制覇した白富東のベンチに入っている打撃陣でも、これを確実にヒットに出来るのは、大介とアレクぐらいである。
明日美のバッティングは、どちらかと言うとアレクに似ている。
配球を読むとか、狙い球を打つとかではなく、打てる球を打つ。
「去年は変化球ほとんど打てなかったのに……」
そう光が呆然と呟いていたのがシーナの印象に残った。
新栄高校の教室を使って、国際ルールの確認などが行われる。
この中では田村光がリトルの頃に、世界大会を経験している。
女子野球ではなく、男子に混ざってのことである。小学生時代はむしろ、女子の方が先に成長期が来て、男子以上のパフォーマンスを発揮することがある。
「世界大会って言っても、別にそんなに変わらないわよ」
甲子園を知っている日本人なら、誰だって甲子園の方が格上だと分かる。
なにせ、観客の数と熱量が全く違うのだ。
とりあえずルールやマナーの説明が終わると、交流という名のグダグダタイムになる。
甲子園の話を聞きたいメンバーが集合する。
「シーナって、ファンクラブの声援でずっこけてたよね」
「うあ~、見られてたか~」
おそらくここにいる中で、最も多くの観客の視線を浴びたのが、甲子園でノックをしたシーナである。
「恵美理ちゃんもコンテストとかの経験は多いよね?」
明日美の言葉に対して、恵美理はわずかに胸を張る。
「まあ、私の場合はピアノだったのだけれど」
幼少期はヨーロッパのコンクールで賞を取りまくったものである。父がクラシック音楽に関わる仕事をしていて、他にヴァイオリンも弾ける。あまり上手くないがトランペットも吹けたりする。
「本当の天才に会うまではね……」
「あ、ひょっとしてイリヤ?」
無言で頷く恵美理である。
聖ミカエル学園は幼稚舎から短大までを持つ、西東京のお嬢様学校である。
しかし中高は偏差値の高い、特進クラスが存在する。
ヨーロッパでイリヤの圧倒的な才能を前に、失意を胸に日本に帰ってきた恵美理。
実は正式な名前はエミリーなのである。
そして恵美理と同じく、中学から編入したのが、権藤明日美である。
フィジカルモンスターである明日美であるが、実は頭もものすごくいい。
聖ミカエル学園の進学科は、偏差値が70もあるのだ。白富東以上である。
元々明日美はスポーツ万能の父親との遊びの中で、色々なスポーツはしていた。
母親も器械体操をしていて、現在はヨガのインストラクターをしているのだという。
中学で見たシーナが男子の中で活躍する姿を見て、スポーツとしての野球に興味が湧き、そして直史の甲子園でのノーヒットノーランを見た。
高校に入ってから恵美理をまず誘い、そこから野球部を作って、素人混じりのチームでありながら、夏の選手県大会では準優勝したということだ。
この成長速度の速さは異常である。
「三年の先輩二人が経験者だったんだけど、卒業しちゃったんだあ」
新入部員が一人はいないと、他校との混合で試合に出るしかない。
そして付近の高校では、都合よく野球をやろうとする女子はいないのだ。
聖ミカエルが東京の中でも田舎よりの、近くに学校が少ないことも人が集まらない理由の一つであろう。
「来年一人でもいいから入ってくれないと、試合にも出られないんだあ」
現在八人の部員のうち、他の部も兼部していない者は一人もいない。
水泳部、テニス部、バレー部、弓道部などからの助っ人で成り立っているという。
そんな、女子野球にしてもあまりに薄い選手層で、100近いチームの中で準優勝をしたのだ。
中心選手の中には、確かに他のスポーツで活躍している者もいたが、四番でピッチャーの明日美の力が一番大きかったことは確かである。
宿舎と言うほど立派なものはないが、新栄高校の合宿所で、集まった乙女達は雑魚寝である。
ほとんど修学旅行のノリで、女子会の開催となる。
不思議なものでここでも中心となるのは、男子に混じって実績を挙げたシーナや光でも、芸能人である双子でもなく、明日美である。
持って生まれた華というものが違うのだろうか。
くるくると変わる感情が言動が表情から分かり、それが嫌悪感を抱かせない。
そしてお待ちかねの入浴シーンである。
「うわぁ……」
少女たちの視線が注がれるのは双子と明日美の……腹筋である。
シーナをはじめ他の少女たちも腹筋は自慢であるが、この三者の腹筋は特に美しく割れている。
「触ってもいい?」
「いいよ~」
下着姿でどんと来いの仁王立ちの双子である。
こう見てみると双子の腰の細さと、胸の大きさが目立つ。
胸の大きさは他に、都沢が目立つぐらいだろうか。ただ彼女は全体的に大柄だ。
「うわ……硬い……」
女同士なので遠慮がない。
「すごく……硬い……」
「ちょっとあなたたち、私たちが早く出ないと、次の人たちが入れないでしょ」
恵美理の言葉に我に返る一同であるが、今度は恵美理に目が吸い寄せられる。
「美しい……」
「スタイルよすぎる……」
「そうだよ。恵美理ちゃんはキレイなんだよ」
「何を言い出すの!」
イギリスのアングロサクソン系が入っているのも関係しているのか、おそらく一般的に一番スタイルがいいと言われるのは恵美理であろう。
明日美などは健康的過ぎて、色気にはやや欠けるのではないかという意見もある。
まあ健康的な色気に過剰に興奮する者もいるのだろうが。
「エミリーって色白だよね」
「あたしたちは割りと日焼けしやすいんだよね」
双子としても女の魅力では、恵美理が一番分かりやすいと思わないでもない。
キャッキャウフフと浴室でお喋りをして、鍛えられた美しい裸身を目に焼き付ける双子。
彼女たちは基本的にはそういう鍛えられた体が好きなのである。
イリヤのように音楽に必要なもの以外、全てを切り捨てたようなガリガリの体も嫌いではないのだが。
続いてはお布団でのおしゃべりタイムである。
「明日美ちゃんてむっちゃモテそう」
「え~、モテないよう!」
「人気者ではあるけど、周りにほとんど男の人いないから」
なお明日美が爺ちゃん婆ちゃんや同級生にモテまくっているのは事実である。
「て言うか、この中で彼氏いる人」
一人も手が上がらない。
野球ばかりをしているわけでもないのに、なぜ?
「ザワさんは? なんかいそうだけど」
「前はいたんだけどね~」
「シーナは? 周り男ばっかでしょ?」
「うちは部内恋愛禁止だから。まあこっそりと隠れて付き合ってるのもいるみたいだけど」
それにしてもこの場の少女たちは、軒並顔面偏差値は高めであるのに、どうして一人も恋人がいないのか。
「ツインズは芸能人だから、そっち方面の浮いた話とかないの?」
本人ではなくとも、芸能界のただれ具合は一般人は興味のあることだ。
「芸能人同士の恋愛ってのは案外少ないみたいだよ。お互いに忙しいわけだし」
枕営業の話はいくらでも聞くが、双子やイリヤ周りでは関係のないことである。
「はい!」
明日美が宣誓するように手を上げた。
「アイドルの幸田唯ちゃんのサインはもらえますか!? 紅白に出てたよね!」
明日美は百合でも同性愛でもないが、女の子のアイドルが好きである。
幸田唯はユニットメインの現在のアイドルでは珍しく、単品で売れているアイドルだ。
「いたっけ?」
「めっちゃダンス上手い子」
「あの子のことかな?」
双子の他人に対する意識などこの程度である。
(た、楽しい……)
シーナも後輩のマネージャーが入ってきてからは、ちゃんと女子的なムーブはしている。
だがやはり、この集まりは違う。
一年生の時などはより顕著であったが、野球というのは男のスポーツだと感じたことがある。
だがここでは、女の子が集まって、野球と言う括りでまとまっている。
男共の合宿などもこういうノリなのかと思うと、やはりうらやましくはある。
二日目の合同練習が終わり、お風呂や着替えのサービスシーンも終わり、最終の三日目。
この日は午前中と午後とに、選手をいろいろとシャッフルさせて、二試合の紅白戦を行う。
一試合目の先発は、紅組がシーナ、白組が新栄の新谷と天王山のバッテリー。
高校優勝バッテリー相手に先発とは、随分と買われたものだ。
捕手は神崎恵美理が務め、権藤明日美とは同じチームである。
二試合目は先発で投げるだろうが、今の彼女はセンターに入っている。
ただ問題は、向こうのチームに双子が分かれずに入っていることである。
打順は五番と六番で、基本的にこの二人は敬遠するしかない。
シーナ以外であれば。
身体能力が異次元級の双子であるが、直史が試しに投げた場合は、理由がない限りは打ち取れる。
だから自分もスルーを上手く使えば、打ち取れなくはないはずだ。
(ただ恵美理は高校からキャッチャーなわけだから、自分で組み立ては考えないと)
よくそんなキャッチャーで準優勝出来たと思うのだが、それだけ明日美が規格外であったということか。
(ノーヒットノーランを狙う! ……双子以外は)
そして楽しい女子野球が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます