第41話 女の戦い・3 フィジカルモンスター
体力測定はそれほど特別なことを行うわけではない。
50m走、握力計測、反復横跳び、遠投、立ち幅跳び、1000m走、前屈などの、主にスポーツテストから抜き出したものを計測する。
それに加えて野球の基礎的な、ノック、ベースラン、スイングスピードを行うわけである。
男子と違い女子の高校野球は、スポーツエリートが集まったものではない。
ただそれでも全国から選抜されたメンバーだと、それなりの数字を出してくる。
「~ぃっ!」
ハンドボールで37mを投げてきたりする。なおこれは高校男子でもそうそういる記録ではない。
「さすがトコちゃん」
「野球のボールならもっと行くのに~」
50m走では7秒台前半で走る者も多く、織田の妹は7秒フラットで走る。
では双子は?
「ゴリラよ……来ませい!」
30mラインを超えたボールは、40mラインとのほぼ中間で着地した。36mである。
「キーン!」
最後あたりはアラレちゃんの擬音を発していたが、7.1秒であった。
「あ~、ダメだ~」
「大介君より一秒以上も遅い~」
大介の50m走タイムは5.6秒であり、これは実は単純に数字だけを見れば日本記録であったりする。
実際に正式に計測しても、6秒はしっかり切ってくるのは間違いない。
双子が瞬発力とパワーバカなのかと言えば、実際のところ一番凄いのは柔軟性で、前屈では自分の膝にまで簡単に額がくっつく。
あと持久力でも、他の選手が500mを走るタイムを二倍しても、双子の1000mのタイムに及ばない。
とにかくフィジカル的には化物であるということは間違いなかった。
「……こいつら、一番すごい人の次の数字に調整してやがる……」
シーナには丸分かりの実力隠しであった。
「あれ、そのグラブ」
「お兄ちゃんの予備を~」
「二つ拝借~」
「……ちゃんと許可貰ってるよね?」
「もちろん」
「怒られたくない」
直史のグラブは、完全な特注である。
右手でも左手でも使える、両利き用のグラブだ。
双子にとっては必要不可欠とも言える。
メカニックの微調整が必須の直史は、完全に同じグラブを使いまわし、同じぐらいの柔らかさになるようにしている。
おかげで四つも予備があるわけだが、そのうちの二つを借りてきたわけだ。
「え、直史様のグラブ?」
「大きいよね。あれ?」
「なんか、形おかしくない?」
「ナオ様は両利きだから」
寄って来る少女たちは、別にミーハーなわけではない。
しかし佐藤直史のグラブに関心がなければ、それは野球少女としてはモグリであろう。
「それ、両利き用のグラブなんだよ。ナオって左手でも投げられるからさ。まあ実際に左で試合では投げないけど」
シーナの解説に、少女たちは違うところに食いつく。
「ナオ?」
「愛称呼び! え!? そうなの!?」
「だ! 違う! あいつ彼女いるつーかもう婚約してるし!」
「「「「はあ!?」」」」
個人情報洩らしてるな~、と生暖かい目でシーナを見つめる双子である。
まあ仕方がない。失敗だってするさ。女の子だもの。
「えー」
「彼女ならともかく、婚約者って……」
「え、いいとこの家の人?」
「古い家だけど別にお金持ちじゃないよ~」
「他に取られるのが嫌だから婚約しただけで」
「指輪とかも別に買ってないしね」
「そうそう、お互いの親に紹介しただけで」
「「「いや、それってガチなやつだし!」」」
きゃいきゃいと騒ぐ少女たちを見ながら、シーナはなんだか遠い目をしてしまう。
(あ~、そういや女の子ノリってこんなんだったわ)
むさい男共が多い体育会系の中でも、野球部はかなり体育会系である。
白富東はそういうところはないのだが、妙にオタクくさいやつらが揃っている。
そしてあいつらの多くは恋人がいるのに、自分にはいない!
あたしだって恋バナしたいのに!!!
椎名美雪は自覚した。
自分の野球力はともかく、恋愛力が非常に低下していることに。
「こらー! ノックするぞー!」
ピッチャーは本来のポジション以外に、どこか別のポジションも守る。
シーナは当然ながらセカンドであるのだが、二遊間が出来上がっているなら、サードをしてみたいところである。
「まあファーストは高橋がいるからね」
狂犬高橋は左利きなので、内野はほぼファーストに限定される。
そう言われた双子は、連携の必要な内野は難しいので、とりあえず外野の守備に入った。
さて、野球における双子には、ちゃんと明確に弱点がある。
それはルールにあまり詳しくなく、連繋プレイやカバーなどの知識が不足していることである。
練習補助員というのは、実際の試合での判断を求められる場合は少ない。
またノックは出来るが、バッティングは比較的優れていない。
バッターのためにピッチングをすることはあっても、ピッチャーのためにバッティングをする必要性はあまりないからだ。
それでも男子の135kmをホームランにするぐらいの技術は持っている。
「ベースランをさせればさせるほど速くなるってなんなの……」
愕然とする光の言葉に、シーナも苦笑いである。
「今までまともに練習したことないからねえ」
「……え?」
「だから投げたりノック打ったりはするけど、練習補助でベースランすることってあまりないでしょ? それにさすがにベース間のダッシュなら、男子でも変わらないのいるし」
ベース手前でわずかに減速し、ベースを蹴って加速する。
こんな単純な技術を繰り返すのだけでも、どんどんと速くなる。
外野ノックにしてもそうであった。
最初の数球は球の行方を錯覚して、前後にうろうろすることもあった。
まるで素人だな、と思っている間に、球の行方から目を切って落下地点に回りこむことが可能になっていた。
見て、そして打球の音を聞けば、それなりに弾道が分かる。
異常なまでの吸収力。この音感は、イリヤに鍛えられてものだ。イリヤの場合は音に関してはもっとすごいが。
声ではなく呼吸音を聞いただけで誰か当てるなど、人間業ではない。
「さて、じゃあフリーバッティングなんだが」
監督やコーチが疑問視しているのはここである。
双子は、練習においても、ピッチャーの球を打っているところは撮影されていない。
ピッチャーとして男子を相手に無双しているところは映像で流れているが、ノックをしているところぐらいしか打撃に関しては流れていないのだ。
才能だけで速球を打つバッターはいる。だが、変化球が打てない。
「見本見せたるけん」
そう言って狂犬が左のバッターボックスに入った。
マシーンから放られるのは、120kmのストレート。
有希はがんがんとそれを、キレイにピッチャー返しする。
「ストレートなら打てそう」
そして打席に入ったのは……どっちだ?
「いっぱつかましたれ、へいへいへい」
そして120kmのボールを、軽々とオーバーフェンスに持っていった。
「うわ~……」
「あの体格でどうしてホームラン打てるかな……」
「明日美並?」
「ああ、明日美はね……」
双子の非常識な打撃力は、思ったほどの衝撃は与えなかったらしい。
「その権藤明日美ってさ、どんな子なの?」
シーナは接点がないので詳しく知らないが、現在の女子高校野球においては、最強の選手と言われている。
最高ではなく、最強だ。
まだ二年生であるが、西東京の端っこにあるお嬢様学校、聖ミカエル学園に入学して早々に野球部を創設。
ほとんど素人のメンバーを含む10人のチームで、その夏には全国大会の決勝まで進み、四番でピッチャーとして活躍した、いくら男子に比べて選手層の薄い女子野球でも、信じられないスペックの選手である。
秋のユース大会と春休みに行われた選抜大会には、三年が卒業して人数が足らなくて出場できなかったというオチまである。
「明日美はシーナの大ファンだよ。それと野球を始めたのは高校入学の直前に、佐藤直史選手のノーヒットノーランをテレビで見たからだって言ってたし……」
やれやれと肩をすくめる光である。
「見た目にだまされるよ」
今回も参加するらしいが、遅れているらしい。
そんなこんなでシーナは実力を見せ付けていたのであるが、双子の評価が定まってきた。
ものすごい球を投げるし、バッティングでは飛ばすし、強い球のノックも平気な、素人。
身体能力は凄まじいし、戦術理解や連繋もすぐに飲み込むが、まだ頭で考えているレベルである。
「代打とピッチャーのワンポイントでは使える、か」
正直、期待ハズレではないのだが、意外ではある。
パワーもスピードも柔軟性も、あと反射神経も、ほぼこの中でもトップクラスである。総合的に見れば一位と二位だ。
しかし野球選手としては、経験が足りなさ過ぎる。
「なるほど、練習補助員だったわけね……」
「あの子たち、ずっとそう言ってたんだけどね」
シーナは苦笑いで済むが、他の選抜された少女たちは困惑である。
明らかに天才の、素人。それでも自分たちのはるかに上をいっている。
「ま、選ばれなくても色々とやることはあるみたいだけどね」
イリヤの計画は走りを聞いただけだが、どうもセイバーを巻き込んでまた恐ろしいことをしそうではある。
去年のワールドカップの例を出すでもなく、マスコミやSNSを巻き込む仕掛けは必要である。
イリヤは本気で東京ドームを決勝球場にする気らしいが、さすがにシーナも今回ばかりは無謀だと思う。
特にこれまでの戦績からすると考えにくいことだが、日本が決勝に残らなかったら全てが終わる。
さすがにこの企画に乗ってくる者はいないだろう。
「おはようございま~す」
声をかけてグラウンドに入ってくる女子がまた二人。
その内の一方、身長は平均やや高め、あまりごつくはない。長い髪を後ろでまとめている。
リズミカルな走りでこちらに向かってくる速度が、急に上がった。
「椎名選手! ファンです!」
この「下手なアイドルより可愛い」というきわめて平凡な例えをされる少女が、権藤明日美であった。
権藤明日美はフィジカルモンスターである。
遠投なり50m走なり、後から来てそれまでの記録を全て塗り替えていく。
これだけはさすがに無理だろうと思われた双子の柔軟性にも、ほぼ等しい値を出してきた。
「なんぞこれ……」
シーナが呆れるのも無理はない。
身長160cmから投じられるオーバースローは、アーム式のテイクバックで、踏み込み幅も広い。
プレートを蹴る力が強いのだ。そこからボールを放ると、体が左足一本で支えたような体勢となる。
ボールはぎゅるぎゅるとスピンがかかりながら、キャッチャーミットに収まる。
全国制覇をした新谷塔子の球速はMAX124kmだが、それよりも明らかに速い。
「速い……」
シーナが驚くのであるから、地方予選レベルでは男子相手でも通用するほどだ。
速いことも速いのだが、異常に伸びがある。
「去年の夏では最速134kmって言われてたからね」
光の言葉が本当なら、双子のMAXを上回る。
西東京のお嬢様学校から、突然に現れた超新星。
部員わずか10人で予選の存在する東京の代表校となり、全国で準優勝した原動力。
見た目はむしろ細い。腕回りの筋肉はしまっているが、とてもそこまでの速球が投げられるとは思えない。
だが全身を使って投げるのだ。双子の目から見ても、おそらくインナーマッスルが人外の域まで鍛えられている。
投打に優れた実力を持つ彼女の弱点は、ただ一つ。体力である。
ペース配分も考えずに全身を使って投げるだけに、一球当たりの消耗が激しく、イニングが七回までしかない女子野球でも、ぎりぎり一試合がこなせるかどうか。
事実決勝での新栄との試合では、延長戦に突入して、制球が乱れて敗退した。
「すっごく柔らかい……」
双子が驚くのは、彼女の柔軟性。
準備運動の時も、前後左右に軽く180度開脚できるのだが、片足で立ったままもう片方の足を、背中に着くぐらいに後ろに上げていた。その足を自分の手で持って、I字バランスが出来たのだ。
柔らかいだけでなく、筋力にも優れている。そして絶対的なバランス感覚。
双子の化物具合に慣れていたシーナでも、これには驚かざるをえない。
「おおう、132kmが出てるな」
明日美の後ろでスピードガンを持っていたコーチが、呆れたように呻く。
「変化球は?」
光にシーナが問うと、簡単に答えが返ってくる。
「スプリットだけど、落ち方二つある」
「あ~、そりゃ打てないか」
女子が男子に肉体面で、平均的に唯一勝っているのは、柔軟性である。
それは分かりやすい前屈などだけではなく、指や関節も柔らかいのだ。
だからといって、その柔らかさで変化球を多投すると、強度自体は男子と同じか、あるいは劣っているため、故障もしやすい。
シニア時代にシーナはスライダーなども投げていたが、基本的にはコントロールされたストレートがメインであった。
明日美のスプリットは、指の柔らかさと握力を使って、上手く抜いて投げている。
だから肘にかかる負担も少ないらしいが、それ以前の問題として普通のストレートをまず打たれないのだ。
目の前でそのスプリットを見せてくれるわけだが、キャッチャーは明日美と同じ学校の少女である。
神崎恵美理。なんと高校に入るまでは、野球をやったことはなかったという。
元々テニスを趣味としてはやっていて、変化する球自体には慣れていたそうな。
今日は選ばれていないが、あともう一人が聖ミカエルの主力であり、そちらも高校までは未経験者であったという。
規定の球数を投げて、ふう、とキャッチャーマスクを脱いだ恵美理は、これまた美少女であった。
明日美は目がくりっとした正統派美少女であるのだが、恵美理はそもそも髪の色が淡い。日英ハーフの少女で、こちらはお嬢様系の美少女と言えよう。
新栄のバッテリーがイチャ百合バッテリーと言われるのに対し、この二人はガチドルバッテリーと呼ばれている。
ガチでアイドル並の容姿のバッテリーということだが、実際のところ基準が下がっている最近の大規模アイドルと比べるよりは、グラドルと比べるべきレベルである。
「よし! じゃあ次は椎名か……キャッチャーはそうだな――」
「ほーい、あたしがやりま~す」
そう言ったのが桜なのか椿なのか、コーチには判別がつかない。
「出来るなら、まあ同じ学校だしな」
プロテクターを着けているのは、実は椿の方である。
シーナは平均よりは身長が高いが、明日美とそれほど変わらないというか、明日美の方がやや低い。
それでもシーナの球速は、MAXが128kmである。
だがこれでも、全国優勝した新谷塔子よりも速い。
(女子野球にも、こんな子がいるなんて……)
権藤明日美、新谷塔子、佐藤姉妹。それに田村光はサウスポーのサイドスローである。
双子が両方の手で投げられることを考えると、自分はピッチャーをやる必要はないのではないかとさえ考えるシーナであった。
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