第40話 女の戦い・2 合宿へ 双子の悪魔が やって来た
伊藤伊里矢は、ミュージシャンである。
頻繁に誕生する10年に一人の天才とは違い、20年ぐらいに一人と言われる本物の天才である。
そんな彼女が最も魅了されたスポーツが、野球である。特に日本の高校野球だ。
「女子野球、私はいいと思うわ。少なくともシーナのプレイは見ていて面白いし」
なぜか連名側に座り、双子たちと相対しているイリヤである。
「でも全国大会の知名度は低いのね。プレイの質自体も……さすがにこれだけでは興行も成功しないわね。バスケやサッカーのスピード感の方がまだ面白い」
お前はどっちの味方なんだと、その場の誰もが言いたくなった。
確かにバスケやサッカーは時間制の競技であるが、実際には延長や作戦タイムなどで試合が止まったりするぞ?
それにゴルフやテニスだって時間制限はなかろうに。
イリヤはスマホで色々と調べていたらしいが、よし、と気合を入れた。
「とりあえずマリーに連絡も入れておいて……あとは律子に……」
何やらやばい人たちに連絡が行っているようであるが、大丈夫なのだろうか。
「多田、観客で一杯の女子野球試合が見たい?」
会長に向けて挑戦的な瞳を向けた。
あ、これあかんやつや、と直史と大介は気付いたが、もはやこうなっては止まらない。
「なでしこジャパンじゃないので、さすがにそこまでは求めてないが……」
「せっかくだからその四カ国大会を拡大しましょう! 場所はやっぱり東京ドームがいいかしら」
「無茶言うな。東京ドームのレンタル料がいくらか、お前知ってるのか?」
直史は突っ込んだが、イリヤは頷いた。
「ウィナーズの来日公演の時、私もいたから。確か土日の開催で二億もかかっていなかったでしょ?」
「そこは一億以上もかかると考えてくれ……」
庶民感覚の直史には、このあたりの金銭感覚にはついていけない。
「どうやってペイするつもりだ? 連盟の金がそんなにあるわけはないし、お前が自分の財布から払うのは……無理ですよね?」
直史が確認したのは多田の方である。
「確かに連盟だけでも難しいし、国際試合はわしの一存でどうにか出来るものではないし……」
金の問題をイリヤがどうにかして東京ドームで試合をするとしても、観客のいないどっちらけの試合になれば意味がない。
「直史、するとどうしたら観客が集まると思う?」
「……東京ドームで全試合というのは無理だな。つかプロ野球のシーズン真っ只中だろ。現実的には近隣の球場でリーグ戦を行って、一位と二位で改めて東京ドームで優勝決定戦をするのが盛り上がるんじゃないか? いや、俺は興行のことは分からないが」
どのみちレンタル料で確実に赤字が出る。そもそもドームでペイするのはミュージシャンでも海外の超有名どころぐらいであり、ジャニーズでさえグッズ販売などが必要となるのだ。
何よりプロ野球のシーズン中に、決勝だけにしてもドームを一日確保出来るものなのか。
どうにか五万人の観客を集めたとして、チケットが1000円だと5000万でレンタル代さえペイしない。
2000円だと高いだろう。名前も知らない女子野球の試合を見に、2000円もかけて来るだろうか。来ないな。
「観客を集めるだけなら、方法はあるわ」
イリヤはにっこりと笑っているが、こいつが考えることはいつもひどい。
「午前中に白富東高校の野球部の紅白戦、そして前後に私とケイティとツインズで歌えばいいのよ」
「だが断る」
前のめりになった大介と違って、直史は断固として拒否した。
その頃は既に夏の甲子園も終わり、直史は引退しているはずである。
プロへ行く大介はともかく、直史はそんな道楽に付き合う義理はない。
「それにうちだけで、いくらなんでもそんなに集客力があるわけないだろう」
「あると思うけど……じゃあ全国の高校のトップレベルプレイヤーに声をかければ? U-18名簿を利用して、東西二軍に分かれてその試合を行うの。そちらをメインにして、前座で女子野球をすれば」
「お前、世の中自分を中心に回ってると思ってないか?」
「回そうと思えば世の中なんて回せるものよ?」
出た。全世界の支配者発言である。
だが、全国高校生オールスターの東西決戦。
それは正直、直史も見て見たいと思わないでもない。少なくとも自分も参加したワールドカップよりは。
「何より、高校野球ファンなら誰だって、一度は見て見たいはずよ」
びしり、とイリヤが指を突きつける。
「貴方と大介、どちらが上なのか! ドドーン!」
自分で効果音を発音していらっしゃる。
だが東西決戦であれば、そもそも二人は同じチームになるのであるが。
「あの……そこまでスケールのでかい話されても、わしらじゃどうにもならんのだけど……」
弱気になった多田会長に対して、イリヤは常の通りに自信満々であった。
「いざとなれば私が主催して、イリヤカップとでも名付けてやってみるから。お金ならあるし、選手への連絡だけはお願いしたいけど」
やばい。
世界で一番やばい女が、またやばいことを考え出している。
「とりあえず佐藤さんの姉妹には、今度の合宿だけでも参加していただけないかと……」
久保が忘れないように、それだけを言う。
イリヤの姿を見ていた双子は、諦めたように溜め息をついた。
「しょうがないか」
「イリヤだもんね」
かくして話の内容はとんでもない方向に向かいながらも、多田と久保の当初目的は達成されたのであった。
「ひどいことになるだろうな」
そして直史は諦めた。
埼玉県私立新栄高校。
前年の夏に優勝を果たした、女子高校野球黄金バッテリーが所属する高校である。
この学校の合宿所とグラウンドを利用して、全日本高校女子野球の合宿が、ささやかに今年も行われる予定……であった。
「どう思う、マコちゃん」
「どうって、何がトコちゃん?」
ピッチャー新谷塔子、キャッチャー天王山珠子。ある種の揶揄を込めて、イチャ百合バッテリーと呼ばれている。
去年の夏、二年生ながら全国優勝を果たした二人だ。
「分かってるでしょ、佐藤姉妹の話」
「ああ、いくらなんでも機械の故障でしょ」
「でもでも私でも、最速124kmだし」
「現実的な話、むしろ椎名さんの方を気にするべきじゃない?」
150cmもないちみっこい体でありながら、珠子はこの二人の間では主導権を握っている。
いやそもそもバッテリーというのは、キャッチャーが上手くコントロールしなければ、まともに機能しないものでもあるのだが。(ド偏見
マウンドの上では強気なくせに、それ以外では割と弱気なパートナーのほっぺを、ぱちんと手で挟む。
「ひたひ……」
「あのね、トコちゃん。トコちゃんは高校ナンバーワンピッチャーなんだよ? 自信を持って。球が速いだけがピッチャーの長所じゃないよ?」
ベストバッテリーと呼ばれたこの二人は、普段からキャッチャーの方が主体である。
「それに他にもすごい選手はいっぱい来るんだから、頑張ってメンバーに選ばれないと」
合宿に参加した選手が、必ずしも対抗試合に出られるわけではない。
おおよそ35人ほどのうち、試合のメンバーとなるのは20人なのだ。
それはこの合宿でのアピールと、春と夏の大会の成績で選抜される。
(もっともトコちゃんが活躍してくれないと、私も選ばれないんだけどね)
塔子の能力を活かすために、自分は存在していると考える珠子である。
そんな二人の着替えるロッカールームに、ノックして入室してくる少女がまた一人。
「こんにちわ」
「あ、有希ちゃん」
恵まれた肉体がやはり能力につながる野球において、彼女は比較的小さな部類に入る。
「あ、カップル。ちょうどいいから、早く勝負しょ」
修羅の国九州、福岡南高校の高橋有希。
得点圏にランナーを置いて勝負するのは無謀と言われる、脅威のクラッチヒッターである。
彼女はすごいピッチャーを視界に収めると、勝負を挑むという機能がついているらしい。
「ちーっす」
「ちわっ!」
また入ってきたのは、やたらと大人びた長身の少女と、さすがにそれほどではないが体格に恵まれたショートカットの少女。
「ザワさんに皐月ちゃん!」
「なんであたしだけさん付けなんかね」
「だってザワさんって大人っぽいし」
神奈川の強豪聖凛高校の鉄壁二遊間、都沢雛子と神楽皐月である。
「ここがロッカールームで更衣室になりますので」
「へ~、広いですね」
「元は男子の野球部だったんで、ちょっと臭いんですけどね」
新栄のマネージャーに案内されて入ってきたショートカットの少女。
室内の空気が一瞬で緊迫したものとなる。
椎名美雪。
おそらく事実上、女子高校野球では最高の選手。
そして史上初めて公然と、甲子園のグラウンドに立った少女。
「あれ、あたしたち早めだね」
「そもそも集まった人たち、顔面偏差値高いんだけど」
「顔で集客するのはいいよね」
「あんたら少し黙ってなさい」
シーナが黙らせても、双子の存在感は消えない。
佐藤桜。そして佐藤椿。
高校ナンバーワンピッチャーを兄に持つ、芸能人でありながら、同時に野球の腕前を知られているという異質な存在。
「本物のユニフォーム着るのって初めてだ~」
「あれ? 始球式は……ああ、上だけだったっけ」
とんでもない発言をしながら、二人は最後にきちんとリボンを、帽子にくっつけるのであった。それ試合では違反だからね?
季節としては春休みの三日間、この合宿は行われる。
今回の選手の参加は33名であり、予定通りに集まるならば38人になっていたはずであった。
故障があったり調整があったりと、女子の場合は男子よりも集まりが悪いことは充分に考えられる。
20人のメンバーにしても、一度25人にまで絞られてからもう一度決まるという、二段階の選考で行われるのだ。
「けどまさかシーナが加わるとはね」
「ほんと、突然の話だったんだけどね」
柔軟をしながら、そうシーナと話しているのは、東京のシニア出身で、中学時代には対戦したこともある田村光(みつる)である。
他にも何人かは顔見知り程度はいるのであるが、親しく話せるのは彼女ぐらいだ。
「この中でレベルの高い子って、どれぐらいいるのかな?」
「う~ん、シーナも高校男子に混じって鍛えられたんでしょ? それなら本当に数えるぐらいしかいないと思うけど、まず埼玉新栄のバッテリー」
「それはさすがに知ってる。軟式出身の新谷さんと、大阪選抜ガールズで全国優勝した天王山さんでしょ?」
「ちなみに天王山珠子は出身は埼玉で、高校からこっちに戻ってきてるんだけどね」
「へえ。さすがに野球留学じゃないか」
「それであそこで黙々とバット振ってるのが、福岡の狂犬高橋有希。あんたも絶対に勝負挑まれるからね」
「名前は知ってたけど、思ったよりも小さいね」
「それを言うなら、佐藤姉妹はあの体格で、本当に130km投げられるの?」
女子で130kmと言うのももちろん信じられないのだが、それよりはあの体格でという疑問の方が大きい。
それを聞いてシーナは、へら、と笑った。
「あ~、女子の常識と言うか、人間の常識であの二人を考えない方がいいから」
「そこまで……」
そこまでと言われた二人は柔軟を終えると、その場でバク宙などをしている。
「まあ、とんでもないバネがあるのは分かったわ。明日美並ね」
身体能力だけなら、双子に匹敵する選手はいる。
「それであの二人が、女子高校野球界最高の二遊間、都沢雛子と神楽皐月」
「リトルの頃に対戦したっけ」
「都沢さんは名前の方で呼ぶと怒るからね」
「え? ヒナちゃんって可愛くない?」
「昔、似合わない名前ってからかわれてから嫌になったんだって。そんであとは……二年だけど、あの子。愛知の名古屋女学の織田夏姫。お兄さんが――」
「あ~織田さんの妹ね、知ってる知ってる」
「あとは明日美だけど……あの子はまだ来てないか」
一番の注目というか、光もライバル視する少女は、春の大会には出場しなかったものの、この合宿には参加すると聞いている。
「それにしても、ほんとに甲子園が解禁されるなんてね……。シーナはシニアでもう諦めちゃったのかと思ってた」
「ん~、あたしも正直、まさか甲子園に行けるというか、立てるとは思ってなかった」
「夢が叶ったね」
「でもあたしは、選手で出るのが本当の夢だから」
そう、シーナが立ったグラウンドは、セイバーが整えてくれたものだ。
「だから絶対に、夏もベンチメンバーになる」
「……いいなあ」
「光も今からって、それは無理か」
「うん、それにもう、レベルが女子のに合わさっちゃってるから。シーナは体、大丈夫なの?」
「そりゃ、正直厳しいよ」
ノックを受けるにしても、別に女だからって緩い球が来るわけではないし、緩く打ってもらっても意味がない。
正直に言えば、怖い。
「日本で本気でやってるの、自分だけなんだって思うとさ。それに、それだけやっても体の頑丈な男子が、その頑丈さに任せてガンガンノック受けるんだよ。いつ追いつかれるか、追い越されるか、ずっと怖いまんま」
「そこまで、か……」
シーナは挑戦している。
一応身近に、女でも可能であるという実例は存在する。だがこれは、女に見えるだけの他の何かではないかとも思うことはある。
しかし神宮に立った女子がいる以上、甲子園に立つ少女も、これから先も出てくるだろう。
その一番先頭に、自分は立ちたいのだ。
中学軟式出身などもいるが、意外と名前と顔が一致する選手が多い。
「二遊間決まってるのか……」
「シーナだったらサードやってよ」
「いや、あたしもだけどツインズをどうしようかって話」
「え? あの子たちピッチャーじゃないの?」
「ピッチャーは基本的にしない方針なんだけど……」
「アンダースローでも投げられるって聞いてたけど」
「あ~……そのあたりも伝わってるか」
それとは全く別の次元の双子のピッチングは、ネットでは出回っている。この時代一度流出してしまえば、それが消えることはまずないと言っていい。
これまでにはさんざんネットを活用してきたのだが、そういう代償もあるのだ。
「まあ体力測定とかからするらしいし、そこで実力の一端も見せてもらうか」
「体力測定ね……」
加減するように言わないといけないな、と思うシーナであった。
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