第39話 女の戦い・1 全日本高等学校女子硬式野球選抜
第九章読了後の観賞をオススメします。
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三月下旬。
「本気ですか、会長」
「本気以外の何に聞こえるのかね?」
兵庫県に本部を置く、全国高等学校女子硬式野球連盟会長、多田昌光は完全に正気でありながら、どこか狂気めいた輝きをその目に宿していた。
「椎名美雪は分かります。男子に混じって遜色のない技術を持った選手ですからね。シニア全国大会の実績も立派だと思います」
「だろう?」
「ですが佐藤姉妹というのは……」
「君も何度も見返しただろう? あの始球式を。調べたが普通に男子に混じって練習の手伝いはしているそうじゃないか」
「それは確かに、130kmを投げる女子球児はこれまで一人しかいませんでしたが……」
「そう、一気に二人だ! 予定されているのは三試合。もちろん権藤明日美や埼玉秀英のバッテリーを信用していないわけではないが、彼女たちは右腕と左腕で、しかも変化球まで投げられるんだぞ!」
「ええ、ピッチャーとしての技術は認めます」
「それに打撃もだ! 見ただろう!? どこの世界に140kmをスタンドに叩き込む女子がいる!? いや、ここに二人もいるわけだが!」
「いえ、確かにそれもそうなんですが」
「何が不満だ!? アメリカ選抜相手だぞ!? こちらも全力で相手をしなければむしろ失礼であろうが!」
高野連とは全く違った理念で動く、多田会長。
別にドーピングだとか不正だとかではないので、悪いことをしているわけではないのだが。
「そもそも彼女たちは条件を満たしません」
「は? 何を言ってるんだ、君は」
「ですから彼女たちは女子野球部だけではなく、それと連携した高野連の野球部の部員でもないんです!」
「は?」
最も若く、そして唯一の女子の理事である久保聖子は、多田の前に既にその可能性を考えていたのである。
女子野球という世界がある。
男子選手に女子選手が混じるのではなく、女子のみによる野球である。
甲子園が女子に解禁された今年、確かに全国で男子に混じって練習をする女子の姿を、日本各地で見るようになった。
だが全国の春の大会を聞いてみても、女子選手の活躍というのはほとんど伝えられない。
それこそ白富東の椎名美雪ぐらいであろう。
それとは全く別に、高校の女子野球部による大会というのは存在し、合同チームも合わせれば全国で100以上のチームが、優勝を目指して戦っているのである。
だが、甲子園ではない。
女子の中であれば間違いなく最強レベルと言われる椎名美雪は、男子に混ざって甲子園を目指して戦っている。
女子高校野球は埼玉の球場を会場にして行われており、高校生の野球少女にとっては、埼玉が聖地なのである。
「それもどうにかちゃんと根付いて、参加チームもどんどん増えてきたというのに……」
ぶつぶつと呟く多田である。
高野連による女子選手の解禁。正直なところ多田もそれ以外の役員も、それほど脅威には感じていなかった。
20世紀末に誕生した高校女子野球は、既に強豪校などが成立しており、高校でも本気で野球をやりたいという選手は、それらの学校に集まっている。
今更、さすがに肉体的な能力が隔絶した男に混じって、公式戦にも出れないような野球はしないだろう。
そういう思惑があった。そもそも高野連が性別の要項を改訂したのは、女監督が誕生してしまったのに、現実を合わせただけとも言える。
だが今年の春からは女子選手が、本当に男子に混じって公式戦に出ている。
その中で最も有名なのが、千葉県立白富東高校の椎名美雪である。
彼女は前任の監督が退いた後、マネージャー兼監督として、実際に甲子園でノックを打った初めての女子になった。
この春からは完全に選手として登録され、公式戦でも活躍するだろう。
彼女以外の女子レギュラーというのはおおよそ、弱小校のメンバーが数合わせで女子を入れたものである。
高校レベルになってしまえば、男子と女子のパワーとスピードには、圧倒的な差が生じている。
その中で、甲子園に出るチームのスタメンとしても出場出来る彼女の能力が、傑出していることは間違いない。
春と夏に行われる大会が、高校女子野球の大会の主なものであるが、それとは別に決定的な試合がある。
それが、四カ国高校女子野球戦である。
日本、アメリカ、韓国、台湾の四カ国による、技術交流を目的とした試合。
歴史の浅いこの大会はリーグ戦であり、優勝したからどいうというわけではないが、毎年夏の下旬に行われるこの大会は、実質的な女子高校野球世界一を決める大会となっている。
そして実質的な話をするならば、この大会は日本とアメリカの対決である。韓国と台湾は、それほど強くもない。あとアメリカとは言うが実際はアメリカとカナダの合同チームである。
成績は日本がややリードしていたのだが、ここ数年はアメリカの方が分が良いのだ。
多田も会長として長く働きすぎた。
別にこの職が嫌になったわけではないし、他の誰かに地位を狙われているわけでもないのだが、なんとなく体調も悪くなってきたし、ここらですかっとアメリカに勝って、勇退のような形で退きたいのだ。
そのために選手を集めるというわけで、女子野球のみならず、全国の野球部全体から選手を集めようと思ったのだが……そもそも公式戦に出られるようになるなどとは思っていなかったため、女子野球以外では力量のある選手はほとんどいなかった。
その中の唯一の例外が椎名美雪であり、例外というかおかしなところから出てきたのが、佐藤姉妹である。
佐藤桜と佐藤椿は、芸能人である。芸名はS-twins。大手芸能事務所に所属して、武道館のコンサートを成功させて、昨年末の紅白にも出場していた。
アイドルなのかと言われれば、明らかに違う。彼女たちは最初顔を出さず、歌だけがCMに使われていたからだ。
それがわずかの間に有名になったのは、あの伝説のU-18ワールドカップにおいて、全世界にその歌う姿を流されたからだ。
紅白にも出て紅組の勝利に貢献したが、そのあたりはどうでもいい。
問題は彼女たちが、プロのオープン戦で投げたことだ。
双子ということで、特別に一球ずつの始球式。
右腕と左腕で、130kmを出してきたのだ。
現在の日本の女子野球では、最速が130kmであった。
それを、肩も作っていない、芸能人の女の子が、同等の数字を出したのだ。
そして通う学校である白富東と、その周辺では有名であったのだが、この二人は野球部の兄と混じって、練習の手伝いなどをしている。
マネージャーではない。硬球で怪我をすることも恐れず、普通にノックをしたり、バッピをしたり、守備の空いたところに入ったりしているのだ。
この映像はSNSでも拡散しており、プロや大学のスカウトの間でも、二人が男子選手並に動けることは知られていた。
だがピッチングで、球場のビジョンに130kmと表示された衝撃は、あまりにもインパクトがありすぎた。
この双子は春の大会でも選手登録されていない。だから呼べると多田は思ったのだ。
全日本女子高等学校選抜に。
「会長、もし会長が本気なのでしたら……」
さすがにそこまで独断でするのはな、と考えてはいたが実行していなかったことを、久保は多田に言う。
「彼女たちに野球部に入ってもらうか、女子野球部を作って入部してもらえばいいのでは?」
「その手があったかあ!」
それぐらい思い浮かぶだろ、と思う久保であった。
「え、やだ」
校長室に呼ばれることは珍しくない双子であるが、今日はそれがシーナと一緒であった。
そしてまあ、全日本選抜合宿への参加を打診され、それに対する返答がにべもないものである。
「あ、あたしは大丈夫です。春の大会はあるけど、うちはブロック免除だし」
シーナにしても、全日本というのは名誉なことである。
男子というナチュラルで化物な相手と違い、技術で勝負出来る野球は興味深い。
対する双子には、メリットが何もない。
そもそも勘違いしている者が多いが、二人は別に野球が大好きというわけではないのだ。
単に兄と想い人が野球部にいるので、その協力と応援をしているだけで。
「なぜだ! 君たちならWBSCも目指せる! 世界の頂点に興味はないのかね!」
「ないです」
「ないない」
再び、にべもない。
「だって、ねえ?」
「あたしたちはね」
「踊るのが仕事だし」
「歌うのが副業だし」
二人の認識ではそうなっているらしい。
佐藤ツインズの本当の実力は、野球部の中でも中核メンバーと、同じ女子のシーナしかはっきりと把握していないであろう。
この二人は入学早々に、男子選手との揉め事を起こした。
甲子園でも活躍するような男子を相手に圧勝したのだ。
はっきり言って素の身体能力では、何一つ勝てる自信がないシーナである。勝てるとしたら戦術面のみか。
「わしは……わしは生きてるうちに、オリンピックの女子野球で、日本が金メダル取るところが見たいんじゃい!」
まあ確かに日本の女子野球のレベルであれば、正式種目になれば金メダルを取るのは難しくないだろう。
しかしこのおっさん、ほとんど駄々っ子である。
「分かりました」
臨席していた野球部の部長、高峰が溜め息をついた。
「説得要員を召喚しましょう」
そういうことになった。
「俺はバハムートでもリヴァイアサンでもねえんだけど……」
練習を中断してやってきた佐藤直史と白石大介は、明らかに戸惑っていた。
「全日本の女子野球? 別にいいんじゃね? どうせお前ら暇だろ」
「暇じゃない~」
「暇があったらここにいたい~」
大介の言葉に対して、全力で否定する二人である。
佐藤家のツインズは芸能人であるが、本人たちは芸能人であるという意識を持っていない。
将来の夢は「大介君のお嫁さん」であり、そのために栄養士と理学療法士の勉強をしようとしている。
もっともこの二人はオーバースペックのため、一人はスポーツ科学の方を専門に勉強しようかとも思っている。
万一大介が故障した時は、こちらが支えるためにも専門知識を手に入れておきたい。
このあたりの現実感覚というか計算高さが、まさに直史の妹であると言えよう。
基本的に最も好きなのは踊ることであり、歌まで歌っているのはイリヤがいるからである。
野球から曲の着想を得るイリヤであるが、双子に野球をしてほしいと思ったことはない。
彼女もまた、将来的には活動の主体をアメリカに戻したいと思っている。
その時にはMLBに挑戦する大介にくっついて、二人が来て欲しいなと思っている次第だ。
ツインズはイリヤにとって、世界に二つとない素晴らしい楽器である。
大介としてはこれ以上の説得の必要性を感じない。
おそらく自分が強く願えば、普通にそのまま動いてくれるだろう。
だがこの双子に何かを頼むというのは、あまり自分にとっては好ましくない。
というわけで大介にはこれ以上の助力は認められないだろう。
そして直史であるが、彼も全くメリットを感じていなかった。
「まあ学校の勉強はともかく、イリヤのレッスンはそれなりに時間がかかるよな? この二人を埼玉まで行かせることで、何か利益は発生するんですか?」
「へ? 利益?」
全くそんなことを考えていなかった多田であるが、すぐに頭に思いつくものはある。
「日本代表ともなればもちろん名誉なことだし、たとえば大学進学でも私立ならば口利きなどもするし、あとは野球ファンを君たちの音楽のファンに取り込むというのも利益になるんではないかね?」
「いや、にわかファンが増えると、こいつらの対応が雑になって死人が出ますよ」
死人。それは直史にとっては大袈裟なことではない。
「下手に野球部に入れると不祥事に巻き込まれかねないから、こいつらは野球部に所属しない練習補助員をしているわけですし」
「……ああ、不祥事か」
この観点からは多田も分かりやすいようである。
「あと、こいつら勉強しなくても余裕で東大合格するほど頭がいいんで、大学への推薦とかは全く無意味です。金銭的には既に稼いでるし、あと大前提として別に野球が好きなわけじゃないんですよ」
「へ?」
少しずつ会長が気の毒になってきた大介である。
この双子は、才能を周囲に撒き散らし、凡人努力の成果を破壊し、地獄に落とす悪魔である。
歌手というさすがに才能に乏しい分野で活躍するなら、まだマシである。しかし純粋な頭脳や運動能力は、天が無駄に二人分も気合を入れて作ったようなものである。
いや、二人分の労力で一人を作り、それをコピーしたのかもしれない。
「現在日本の野球人口は、一時期の減少から再び増加に転じています。特に顕著なのは中学生と高校生の世代で、これは明らかに高校野球の人気復権を意味していると思います」
会長に代わって話すのは久保である。
ちなみにここ数年、高校野球の人口増加が最も激しい県は新潟県である。その次が神奈川で、千葉県も第三位となっている。上杉はすごい。
「特に女子野球に関しては、高校の女子野球部が100校を超えてさらに増加傾向にあり、むしろ女子こそ野球熱を持っているとも言えます。私たちは、純粋に日本の野球文化を守りたいのです!」
「熱意は伝わりましたが、お前らって一番好きなスポーツなんだっけ?」
「バスケ」
「二番目は?」
「サッカー」
「三番目は?」
「総合格闘」
「四番目は?」
「野球」
「こんな奴ら代表にして大丈夫ですか?」
言葉に詰まる二人の代表であるが、その時、バン! と校長室の扉が開けられた。
「話は聞かせてもらったわ! このままで人類の野球文化は滅亡する!」
「帰れ!」
イリヤに対する直史は辛辣である。
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