第37話 群雄伝5・オープン戦
八章終了前後のお話です。
×××
プロ野球のオープン戦が始まった。
相当のベテランでもどっきどきの開幕に向けて、一軍当落線上のメンバーは、アピールの準備に余念がない。
今年ドラフトで入ってきた新人たちは、おおよそ戸惑うか圧倒されている。
アマチュアでトップレベルであったとしても、ここではほぼ一番の下っ端。
いきなりスタメンどころか、一軍に入るだけでも奇跡だ。
なにしろ二軍の人間でさえ、アマチュア時代は超エリートコースを歩いてきた者たちなのだ。
だがそんな中でも、ふてぶてしく雰囲気に順応している者はいる。
大京レックスの場合は、ドラフト一位指名、高校ナンバーワン左腕と呼ばれた吉村吉兆である。
千葉の高校出身であるが、元々は東京生まれの彼としては、それだけでも雰囲気に馴染みやすい。
(つっても左腕は、二人ほど化け物がいたからなあ)
最終学年で甲子園に行けなかったが、その舞台で活躍した左腕と言えば、真田と佐藤武史。
真田の防御率は凄まじかったし、佐藤弟のポテンシャルは桁違いだった。
一年夏の吉村よりも、球速の点でさえ10km以上速かった。
だが、今は競う相手はそいつらではない。
東京生まれでごく普通の野球ファンとして育った吉村は、ごく普通のように球界ナンバーワン人気の巨神タイタンズのファンであった。
タイタンズが指名したのは本多である。ワールドカップでチームメイトだったから分かるのだが、本多はあれだけの成績を残していながら、まだ肉体のポテンシャルを完全に発揮していない。
割と投手陣が充実しているタイタンズなら、何年かかけても本多を育てるために獲得するというのは理解出来た。
それに対してレックスは、一年目からある程度吉村に期待している。
実際にキャンプでのトレーニングでも、吉村は充分についていけていた。故障していた頃の地道なトレーニングが、地力をつけていてくれたのだ。古賀監督には感謝しかない。
完全に将来性を目的に獲得された選手などは、ほとんどグロッキーである。
ただ、キャンプでの紅白戦などでは、圧倒的な成績を残したわけではない。
ほとんどを中継ぎとして登板し、先発も一度だけやったが、六回三失点のクオリティ・スタートがやっとという有様であった。それでも立派と言われた。
どのバッターも最低でも、甲子園強豪校のクリーンナップレベルなのだから、抜いて投げる余裕などない。
ほとんど全てのイニングで一本はヒットを打たれるなどというのは、生まれて初めてのことだ。
吉村の担当スカウトであった大田鉄也、あの白富東の大田の親父は、吉村に静かに言い聞かせた。
「お前のポテンシャルが本当に発揮されるのは、おそらく二年目からだ。たぶん中継ぎとしての登板が多くなるから、そこで一気にアピールしろ」
確かに中継ぎで一イニング程度なら、プロでも二軍相手ならかなり打ち取れる。
(一年目から出番多いんじゃねえの? 今レックス先発足りてないし)
当初予定では先発を回していくはずの選手が、キャンプで故障離脱している。
二軍で鍛えられた若手も使われていくだろうが、左というだけで吉村は使われる機会が多い。
ワールドカップで共に戦ったプロ入り組は、だいたいが苦戦している。高卒選手としては当たり前なのだが。
実城などは「俺より飛ばすやつしかいねえ」などと弱音を吐いていたし、本多は四球連発の後の一発というのを何度も経験している。
玉縄はそこそこやっているらしいが、開幕から一軍に入れそうなのは織田ぐらいだ。
ワールドカップで、織田は覚醒した。
元から甲子園でも、巧打者としてはナンバーワンと言われていたが、ワールドカップでベストナインに選ばれたのが大きかっただろう。
外野のどこでも守れるというのも大きい。プロの球に対しても、ストレートを狙い打ち、難しい変化球をカットするという技術を身につけている。
ムービング系の速球にはワールドカップで慣れていたし、ブレーキの効いた大きな変化球は、佐藤直史との対決の影響だろうか。
スルーに比べたら打ちにくい変化球は一つも無い、などと言っていた。
さて、そんなオープン戦も後半、地元神宮球場にやってきたのは、そんな好調の織田が所属する千葉マリンズである。
吉村の周囲にもマスコミは多いが、それ以上のマスコミを引き連れて、織田はやってきた。
「キッチョー、元気か?」
「サブちゃんは良さそうだな? 登録名サブローにしねえの?」
「そんな畏れ多いことが出来るかよ。新人でそんなのやったら痛いだけだ」
織田は日本のみならず世界レベルでのレジェンドイチローと出身地は同じであり、プレースタイルも割と似ている。
だからマスコミとしてはサブローとして書くことが多いのだが、これだけは本当にやめてほしい織田である。
二人とも甲子園やワールドカップで既にマスコミには慣れている。
遠慮なく会話して、周囲への話題の提供も忘れない。
「キッチョーはこっちが実家なんだよな。やっぱそういうのって心理的に有利か?」
「サブちゃんはずっと名古屋だもんな。まあ神宮とか二軍グランドの試合とか、知り合いが応援に来てくれることは多かったな」
「そういうのがないから逆にいいのかな。ホームランが打てれば後は何も問題ないんだけど」
「ファン人気すげえじゃん。女とかも入れ食いだろ?」
「俺はケイティに操を立ててるから」
「さよか」
そんな織田が、以前は女をとっかえひっかえしてたことぐらいは、吉村も知っている。
しかし、女か。
「お前はそういった浮いた話ねえの? まあ一年目ではしゃいでたら痛いやつだけど」
「浮いた話って言うか……」
すぐに連想するのは、中学時代の野球部のマネージャー。
ピッチャーではあったがノーコンであった吉村は、中学では外野を守らされることも多かった。
そんな時に「大丈夫だよ」と言ってくれたあの先輩は、あの後地元の進学校に進んだ。甲子園が決まった時、メッセージが届いて、時々連絡は取っている。
浪人して今年から大学生になったはずだ。
(今なら会えるかな?)
「お、なんか思い出してる?」
「うっせ。ほら、先輩らが呼んでるぞ」
吉村吉兆。
彼のほのかな恋が実るかどうかは、白い軌跡には一行も書かれていない。
先発としてマウンドに立った吉村に対して、マリンズの先頭打者は織田。
オープン戦打率好調のため、ついに前の試合からは一番を打っている。
今年のドラフトは高校生が豊富と言われているが、実際のところはやはり即戦力の大学生や社会人が多い。
その中でも高卒が新人王を取るとしたら、織田が最有力と見られている。あとは本多がシーズンに入って覚醒でもするぐらいか。
織田とは公式戦では戦ったことがない。以前に遠征試合で戦った時は、打点は許さなかったが二本のヒットを打たれている。
その織田は、ごく平均的に、左投手に対してはやや打率が悪い。
キャッチャーはデータをちゃんと頭に入れた上で、リードをしてくれている。
現在のレックスのチーム的な特色としては、インサイドワークに優れた捕手を優先的に使うという点にある。
(佐藤ならともかく、普通は打てなくてもリードのいいキャッチャーが好きだよな)
キャッチャーは恐らくプレイヤーの中では、最も頭を使うポジションである。対して一番精神力が必要なのがピッチャーだと、吉村は思う。
(ゴルゴ元気かなあ)
完全にキャッチャーのリードに任せて、精一杯腕を振る吉村であった。
六回を投げて五安打一失点。
しかしながら四球は、カウントが悪くなってからぎりぎりを攻めての一球のみ。
対戦した打者の面子を見ても、吉村の仕上がり具合は悪くない。
(ローテに入れるか)
レックス監督古川は、決断を迫られている。
大京レックスはここ数年、生え抜きのピッチャーの育成が上手くいっていない。
もちろんそれなりの成績を残す選手は育ってローテーションは回しているし、そこそこの選手を他球団とのトレードやFAで獲得もしている。
だがエースという存在がいないのだ。
セットアッパーやクローザーはかなり計算出来るのだが、そもそもそこにいくまでに試合が決まってしまう場合が多い。
即戦力でありながらある程度伸び代があり、故障もしにくそうなピッチャー。
鉄也が推薦したのが吉村である。彼は中学生の頃から吉村を見てきた。
故障は二度、一度は中学時代の単なる肩痛、二度目は変化球にトライしての肘の故障。だがこちらは靭帯が少し伸びただけで、そこからの調整が上手く進まなかっただけだ。
故障してるじゃないかという指摘には、その故障からどうやって吉村が治療とリハビリを終え、以降は夏の甲子園で準決勝まで一人で投げ抜いたことを示した。
ワールドカップの結果を見ても分かる通り、計算の出来るピッチャーである。
今のところスカウト陣の目は確かだったと言っていい。
もちろん高卒選手の本当の価値などは、五年は経過してからではないと、はっきりとは言えないが。
吉村はローテーションを任せられる左腕になれる。首脳部からもそう思われた。
四打席三打数一安打四球一盗塁一。
それが本日の織田の成績である。
打率を下げることなく、出塁率を上げた。そして足でも貢献してホームベースを踏んだ。
見事と言うしかないが、本人が気にしているのは長打である。
高校時代の織田は安打製造機の打率五割打者であったが、場合によってはホームランも打てた。それこそワールドカップでも。
しかしここまでライン線の長打はあっても、外野の頭を超えることがほとんどない。
もっともそれで外野が前に出てきても、上手く左右に打ち分けられるのがすごいところだ。
「ミート力はある。ただ高校レベルでは発していた長打力がないから、全く怖くない」
「OPSは長打がないと伸びないですからね」
「当てるのが上手く、自信もある。ただ今は少し打率を落としてでも、打球を押し込む力がほしい」
「コーチとしてそれは?」
「いや、今は上手くいっているように見えるから、特には言っていませんね」
「本人も長打が出ないのは気にしているようですが、それを小手先のテクニックと、走塁でカバー出来てしまっていますからね」
「今のままでもいい選手ですが、スターにはなれませんね」
「守備と走塁はいいのか?」
「選択に戸惑うところはあるようですが、判断の重要性は理解しているようです」
「足だけは確かに既にトップレベルですね」
問題は、打撃。
「しかしワールドカップの時は、もっと積極的に打っていなかったかね?」
「あれは白石に引きずられていたような……」
「ポテンシャル自体はあると」
「単なるファストボールには充分についていけてると思いますね」
「メンタルというか、意識の問題か。すると何かきっかけが必要か」
「まあ、ああいうのはリーグ戦に放り込むと、いきなり結果を出したりもしますが」
「どこかでスランプを経験した方がいいのかもしれんが、才能がそれを回避させてしまっていると」
「ですが元々、スイングなどは既に完成してます。やはりあと一歩、力尽くで押し込むところがほしい」
最も成果を出しているように見える織田でさえ、このレベルである。
もっともコーチ陣にしても、技術的にはさほど教えるべきものがない。
「他の選手との交流は?」
「色々と絡んでいってますね。そのあたりは問題なさそうです」
「まあ人間関係が上手く構築出来ていれば、どこかで殻を破れるか」
「開幕はどうします? 二軍で一番でも打たせますか?」
「いや、どうせなら一軍で打たせよう。スタメンだ。それで何かきっかけがつかめればそれでいい」
マリンズは去年のリーグ戦は僅差の四位で、クライマックスシリーズ出場を逃していた。
だが、だからこそ今年は、という意識はあまりない。
いやないわけではないが、選手の補強はそこを重点には置かれていない。
なぜならば……マリンズ球団は、収益の拡大を目指しているからだ。
オーナー会社の玩具屋が、最近では少子化により収益が悪化しているため、球団単体での利益を重視している。
そしてマリンズというのは……率直に言うと、観客動員数が最も少ない球団であるのだ。
客寄せパンダとしてでも、ドラフトでは注目の新人を取れ。
打てなくてもいいからリードの上手い捕手がほしい? じゃあトレードだ。
優勝するなら即戦力投手? よっしゃスター性も充分の上杉。あ~、当たらなかった。
じゃあ今年はワールドカップで一番目立った織田を取ろう。投手? FAかトレードだ。育成? う~ん、難しいかな。藁。
……フロントの意向と、現場の意向は必ずしも一致するとは限らない。むしろ一致しない方が当然である。
織田はそもそもMLB志向であるらしいが、どうせそこまでの選手になってしまえば、年俸も高騰してしまう。
そこまでにならなければ生え抜きのスタートしてFAまで。MLB級に成長したらポスティングで高く売ろう。
そんなフロントの経営方針を知りつつも、現場は与えられた戦力で優勝を目指すしかない。
ドラフト一位でプロに入っても、その未来が明るいとは限らないという話である。
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