第36話 群雄伝4・年俸更改

 日本シリーズが終了し、前年リーグ最下位であった神奈川グローリースターズが優勝した。

 リーグ戦でも優勝し、クライマックスシリーズも当然のように勝ち、そして日本一である。

 ここ10年で一度しかAクラスになっておらず、20年以上日本一になっていなかったこのチームが、優勝したのだ。

 特にリーグ戦においては、終盤の九連勝で最終戦で優勝を決めた。


 神奈川は盛り上がった。

 客席はシーズン序盤から、試合によっては満員御礼であった。

 その原因、あるいは理由と言ってもいいが、誰もがそれは分かっている。

 前年度途中から上がってきた別所監督が、二軍監督時代に使っていた選手を一軍で積極的に使ったからというのもあるが、それよりもずっとはっきりした理由がある。

 上杉勝也である。


 30登板19勝0敗7セーブ。

 クローザーとしては九試合で12イニングをなげ、防御率は0だ。つまり全ての試合で一点も取られず、引き分けてほしいところではちゃんと引き分けた。

 高校時代から鉄腕、超人、江川二世だとか言われていたが、プロの世界では超高校級選手でも多少は苦労するのが当たり前である。

 それに上杉はこれだけの実力を持っていながら、日本一にはなっていない。つまり、持っていない人間だとも思われていた。


 それがこれである。

 クライマックスシリーズでは二試合に登板して二勝、日本シリーズでも二勝した後、七戦目はクローザーとして登板しシャットアウト。

 また日本シリーズではホームランも二本打って、一人で投げて、一人で打って、チームの優勝に貢献した。

 新人賞は当然ながら、投手のタイトルもほとんどを取った。19勝さえ普通の年なら最多勝を取って当然であるし、終盤クローザーとして使われなかったら、当然あと一つは勝っていただろう。数値的に見れば三つ勝っていてもおかしくはない。


 本来の使われ方をしていたら、22勝。

 これを上回る勝利数は、2000年代以降は一度しかない。

 そんな選手の、二年目の年俸はどうするべきか。

 球団のフロントは頭を悩ませる。




 上杉勝也は、甲子園の大スターであった。

 悲劇のヒーローでもあった。プロに入ってからは彼を見るために球場に足を運んだというお客さんも多いし、彼の投げる試合は視聴率が高かった。

 そして何より優勝した。これをどう評価すればいいのか、


 単純な数字だけでは決められないのは確かである。

 上杉は、投手としてだけでなく、選手としてだけでなく、人間として優れている。

 同期ドラフト入団の八人のうち、七人が一軍を経験して、大活躍とまではいかないが、それなりに優勝に貢献した。

 チーム全体の空気が引き締まったとも言える。同じ高卒の同じ年齢の選手からも、上杉は兄貴分として見られている。

 そして年上でさえ、上杉を格上と捉えている。

 新人のスーパースターを上から目線で眺めるのがプロの世界であるが、上杉はそもそも人間として強いのだ。


 そんな上杉に対して球団が提示した年俸。

「一億ですか」

 さすがに上杉も少し驚いた。


 NPB史上において二年目の選手の最高年俸はこれまで8000万円であった。高卒は7000万円だ。

 それが過去の話になる。一気に2000万の更新である。

 優勝に明確に貢献したのは確かであるが、ここまでやってくるのか、とさすがに上杉も驚いた。


 だが、現場の意見は違う。

 この契約更改に同席しているヘッドコーチと監督は、上杉の影響力を高く評価していた。

 序盤から先発の柱として、そして終盤は絶対的な守護神として。

 あとはセ・リーグで完投も多かったので、自然とそれなりに打席も回ってきた。そこで三割とホームラン七本である。スタメンで入っている選手で、年間七本に届かない選手は多い。

 日本シリーズの二本のホームランというのもすごいが、正直投手として出ない時は、パ・リーグならDHで使いたいぐらいである。


 同席しているのは他に、編成部長にGM、そして球団社長である。

 五人の大人が上杉一人のためにいるというのは、普通であればありえない。

 GMまではまだ分かるとしても、球団社長というのはさすがに、一選手のためでも同席するものであろうか。

 だがその疑問は、球団社長自らの言葉で明らかになった。

「上杉君は来年から、この背番号でプレイしてもらいたい」

 渡されたのは、18番。

 神奈川の準永久欠番である。


 上杉は新人の今年、21番の背番号をもらっていた。

 一般的に背番号は、数が少ないほど期待度は高いと言われている。その意味では上杉は確かに期待されていた。

 そして18という背番号は、神奈川の準永久欠番である。

 神奈川には永久欠番がないが、18は神奈川一筋で20年以上も投げた大投手の背番号であり、相応しい者が出てくるまでは付けさせない、というものである。

 なるほどこれは、社長が出てくるのも無理はないか、と思った上杉である。




 そもそも上杉は地方の名家の生まれであり、先祖代々市議や市長を出す家の出である。

 親戚には警察や弁護士などの堅い職業の者が多い。変わったところでは寺というのもある。

 厳しく育てられはしたが、金で困ったことはないし、立場の強い大人に対しても気圧されることがない。

 圧倒的な精神力とカリスマを、まだ10代のこの投手は備えているのだ。


 背番号はどうせなら1番がほしいが、既に他の選手が持っているのを奪う気にはなれない。

 だが向こうから提示してきた18番なら、もらってもいいだろう。

「分かりました。いただきます」

 ほっとした雰囲気が流れた。


 それから年俸以外の細かい条件の交渉となる。

 俗に言うインセンティブである。

 新人である上杉もまた、今年は出来高払い5000万というのがあったが、これは一軍登板20試合というもので、そこそこ楽なものであった。(上杉基準)

 他にもMVPなどの賞金があったので、契約金と合わせて二億ほどが収入となる。

 もっともこれには来年の税金もかかるし、上杉自身が贅沢を好まないので、手をつけていない。

 そもそも地元の名士である上杉の家は、これぐらいの金で動揺するものではない。

 白富東ほど露骨ではないが、春日山の野球部の設備を整えたのは、上杉の家の寄付の力が大きい。


 上杉の二年目の年俸は一億、出来高は同じく一億となった。

 実は契約初年に、複数年契約の打診を受けてもいたのだが、上杉がそれは拒否した。

 一年ごと、毎年の成績で判断して欲しい。それは自信と言うよりは、価値観の問題だったろう。


 そして上杉は若手選手や、実家の顧問弁護士などとも相談して決めた、球団への改善案を書面で提出する。

 豪快なようでいて、実は細かいところにも目が届く、上杉らしい要望が多かった。

 あとは、起用法の問題である。

「もっと投げさせてもらっても構いません」

 これが新人で30登板した男の台詞である。


 完全にローテーション投手としての責任を果たし、一度の敗北もなかった。

 完投が多く、奪三振も多いため、平均的な打たせて取るピッチャーよりは球数は多い。

「ですけどそれほど力を入れて投げてませんから」

 常時150km台のムービングを投げ、三振を取る時には軽々と160kmオーバーを投げる人間の言葉とは思えない。

 この男の上限はいったいどこにあるのか。

 メジャー指向は全くないそうであるが、この男がメジャーに行くと言ったら、誰にも止められないだろう。


 しかしもっと投げると言っても、限度というものがあるだろう。

「先発で30試合、時々リリーフとか入れて年間40試合ぐらいは投げられます」

 常軌を逸した言葉である。




 確かにかつては年間先発で40試合を投げるとかいう、おかしな時代もあった。

 加えてリリーフなどもやり、年間で60試合登板などということもあった。

 今でもセットアッパーやクローザーは、60試合ぐらい登板することはある。しかしそれはほとんどが一イニング以内限定だ。

 しかし今年の上杉の成績を考えれば、出来なくはないのかもしれない。

「記録は来年のうちに作っておきたいんです。再来年は多分、難しくなるでしょうから」

 首を傾げる球団上層部。確かに上杉は現在でも完成形とも思える選手だが、他球団からの研究を受けるということなら、来年から成績は落ちそうなものだ。

「白石がプロに来るでしょう」

 ああ、と頷く一同である。


 ピッチャーの究極形が上杉と言うなら、バッターの究極形が白石大介であろう。

 高校野球に比べると、プロにおいては一人のピッチャーの負担や貢献度は小さくなる。毎試合登板というわけにはいかないからだ。

 だが打者は別だ。年間全試合出場というのも、全く珍しいことではない。


 しかしその場の首脳陣にとっては意外であった。

 上杉は高校時代から常に、目標とする選手などについて語ったことがない。

 ある意味で彼には、ライバルがいない。

 今年は最多勝を逃したが、ドラフトで即戦力と見なされる玉縄を獲得できたので、来年は先発に専念出来る。

 それに収益が格段に良化したので、補強に使える資金も潤沢だ。


 打者にとっての三冠王と同じぐらいの価値がある、投手五冠を来年は狙える。

 奪三振と防御率は、今年も二位に大きく差をつけた一位であった。一度も敗北していないので勝率も一位。

 ノーヒットノーランを二度もしていることからも分かるように、完投完封も多い。勝利数だけが足りなかったのだ。

 それも監督が上杉の記録を優先していれば、まず確実に取れただろう。


 そんな、優勝のためには己を殺し、誰かを目標とすることも、誰かをライバルと思うこともない、孤高の大投手が、初めて名を挙げた。

 それも既にプロで名声を得ている者ではなく、年下の少年を。

 確かに甲子園で記録を作りまくったという点では、上杉と対抗出来るのは白石なのだろう。

 甲子園での超人的な活躍は、確かに二度と現れない選手のようにも思える。

「ここはGMに、来年も当たりを引いてもらいたいねえ」

 社長の言葉に思わずGMは苦笑いである。


 上杉、玉縄と、GMは二年連続でドラフトの一位競合を引いている。

 強運の持ち主と言えばいいが、上杉はともかく玉縄は二分の一の確率であった。

「うちはまだ左腕が足りてないんじゃないですか?」

 話の流れで上杉も会話に加わる。


 前線で戦う上杉としては、左が欲しい。ただクローザーの外国人もほしい。

 今年は自分が最後にクローザーに回ったし、完投も多かったが、それは逆に中継ぎとクローザーが弱かったからだ。

 打力もまだそれほど上位ではないが、最低限でも投手の中継ぎ数枚とクローザーは獲得してほしい。

 右の玉縄ではなく左の吉村ではないかとも思ったが、もしそうなっていれば三球団競合だったので、玉縄の獲得は成功なのだろう。

 中継ぎはともかくクローザーは、新人に任せるような役割ではない。おそらくFAか外国人でどうにかするのだろう。

「佐藤あたりはいきなりクローザー出来るかもしれませんねえ」

 ヘッドコーチの言葉に、上杉も動作が止まる。


 佐藤直史。高校野球史上、おそらくあれほど異形の投手はいないだろう。

 他の選手はまともに判断出来る上杉だが、彼だけは別だ。

 ワールドカップの成績から、クローザーも務まると判断したのだろう。だがそもそもプロ志望ではないらしい。

 今年の夏の甲子園、上杉の母校である春日山高校と、佐藤の白富東は決勝で戦った。

 しかし佐藤は投げなかった。準決勝でパーフェクトピッチングをしながらも、指のマメを潰して投げられる状態ではなかったのだ。それでもその試合は最後まで投げきったのだから、やはり凄まじいとしか言いようがない。


 数々の記録を残した上杉であるが、甲子園でのパーフェクトはしたことがない。

 だから記録の上では、佐藤は格上と言える。

 しかし誰にも嫉妬しない上杉であるが、佐藤にだけはおかしな感覚が芽生える。

 野球選手として、投手として、あまりにも異質すぎる。




 上杉はそう考えているのだが、神奈川の首脳部はまた違う知見であるだろう。

「しかしあれだけ変化球を投げてると、あちこち故障しそうではありますが」

「一年の時に少し故障したらしいですな。二年のセンバツも準々決勝は完調ではなかったらしいですし」

「線が細いですからね。さすがにプロでやるには体作りからでしょう」

「そういう意味では大学というのはいいですな。四年後にどんな選手になっているか」


 五年後。

 プロに興味はないと言う佐藤が、言葉を翻すことがあるのだろうか。

 それと先に、来年のドラフトはどうするのか。

「うちだけは遠慮してほしいと言われてますからねえ」

 編成部長が嘆息する。


 白石は佐藤に比べると、ずっとマスコミとしてはやりやすい選手だ。

 将来もプロに絞っているらしいし、希望の球団もはっきりしている。

 出来れば在京球団。セ・リーグだとなおいい。ただ神奈川だけは困る。

 その理由もふるっている。

 上杉勝也と勝負したいから、と言っているのだ。


 そしてそれは上杉も同じだ。

 あの、最後の夏の甲子園。わずか一打席だけの、余興とも思えた勝負。

 あの夏、上杉が本気で投げたのは、あの最後の一球だけだった。

 白石大介とは勝負したい。


 三年の夏に頭角を表す選手もいるだろう。

 特に神奈川はまだまだ投手陣が薄い。玉縄が一年目から活躍してくれればいいが、やはり即戦力になりそうな投手を狙っていくのではないか。

 夢の対決がなるか、ならぬか。それが分かるのはまだ先のことである。

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