第35話 群雄伝3・ドラフト決着

 ドラフト制度というのはMLBでもNPBでも、各球団の戦力の均衡を目的として行われる。

 そもそもの発端は金持ち球団が選手を集めまくったことから、その現実を是正するために考案されたものである。

「ある程度調べて知っていることもあると思うけど、初歩的なことから説明するわね。まず織田君は、MLBのドラフトの指名対象じゃないの」

「へ?」

 いきなり前提が崩れた。

「でも指名するって……」

「MLBのドラフトの指名は、アメリカ、カナダ、プエルトリコの学校や独立リーグに所属する選手を対象になってるの。織田君を獲得しようとするチームは確かにあるし、契約金もそれなりに高くなるとは思うけど、まずそこは間違えないでね」

 首を傾げる織田である。MLBでプレイするつもりはあるのかと問われたので、ドラフトにかかるものだと思っていた。

 そう、実は指名すると言われていると思っていた実城や織田は、獲得の意思があるというのを勘違いしていたのである!

 ……作者が知らなかったわけじゃないよ? ほんとだよ?

「それとMLBで契約した選手は、基本的にマイナーリーグからスタートするんだけど」

「それは知ってます。すんごい階層があって、そこからメジャーに上がっていくんですよね」

「そう。だけどMLBが契約した選手で、一年目からメジャーに昇格する選手は、ドラフトで指名された選手の1%もいないの」

「え」

「へえ」

 隣で聞いていた直史も知らなかった。MLBには全く興味がなかったので。


 NPBの場合はドラフトなどで契約した選手のうち、半分弱は一年目に一軍の試合に出たりする。

 新人がいきなりMVPを取ったりすることも、MLBに比べれば珍しくはない。そこまではいかなくても即戦力となる選手は多いのだ。

 MLBでも新人扱いの野茂やイチローが大活躍したが、彼らを新人とするのはあくまでも制度的な問題である。


 だが、MLBは違う。

 ドラフトで獲得された新人は、マイナーで実績を積み上げてメジャー昇格を狙うのだが、その過程がとてつもなく厳しい。

 マイナーでも下のほうの選手であれば、アルバイトをしなければ食べていけないぐらいのものだ。

 織田であればおそらく契約金は億を超えることは間違いないが、慣れない土地の恵まれない環境で、どこまでやっていけるのか。

 日本人でもアメリカの学校から、ドラフトで指名された人間はいる。

 だがその中にメジャー昇格を果たした人間は一人もいない。


 織田は頭を抱えた。

 確かにMLBに行くNPBのトップ選手は増えてきたが、そういった細かい事情までは知らなかった。

 織田は明確に、将来はMLBで戦うことを意識している。

 しかし言うなれば学校で生活管理をしてくれていた織田が、アメリカのマイナーで一人暮らしていけるのか。

 通用するのかではない。暮らしていけるのかだ。




 セイバーの淡々としたマイナー環境の説明は、織田をひどく冷静にさせた。

 確かに千葉に交渉権が決定する前は、普通にNPBで実績を残してからのMLBと考えていたのである。

 ぶっちゃけ言ってしまえば、球団が気に入らない。それだけなのだ。

「さて、ここにありますのは私が使っているデータ解析ソフトです。不充分かもしれませんが今年のセンバツと夏、そしてワールドカップの織田君の成績を入力して、今年の千葉ではどういった成績を残せるかを出してみました」

 モニターに出されたのは、プロの選手の成績を出すような一枚絵。

「怪我をしないことを考慮に入れてるから、実際はもう少し悪くなると思うけど」

 もし今年、プロで織田がいたらというデータである。


 打率.312 出塁率.384 安打112 本塁打5 打点49 盗塁37


「え、こんなに打てます?」

「さあ? 怪我をしないことを前提にしてますから。あとは体力的なこともありますね。打順が変われば当然他も変化しますし」

 打率が三割を超えるというのは、相当にいい打者である。安打数と打点を考えるに、出場機会もかなり多かったと想像出来る。

 それに盗塁がかなり多い。出塁率の高さから考えると、これは四球を選んでの出塁も多いのではないだろうか。

「ちなみに規定打席を達成した上での打率.312というのは歴代三位の新人記録ですね」


 あくまでもこれは、シミュレーションである。

 しかしこの数値が実際に出せたなら、まず新人王であろう。

「まあ他の球団に入った場合の数字だと、ほとんどは落ちますね」

 九球団が確実に落ちて、残りの二球団もどっこいどっこいであった。

 つまり千葉マリンズならば、織田は活躍出来る可能性がかなり高いというわけだ。

「あとこれは、首脳陣が織田君を、ちゃんと活用出来たら、という前提もありますので。とりあえず最初は二軍とか言われたら、打率と出塁率以外は落ちるでしょうね。ああ、打順は一番を想定しています」

 一番打者。確かに織田のパワーはプロ基準では中距離打者だ。それでも年間五本のホームランが打てれば充分すぎる。打点の少なさも一番打者なら仕方がない。


 これは、いけるのではないか?

「ちなみに、他のやつのシミュレーションってあります?」

「他の人のはデータ入力してないので、少し時間はかかりますよ。白石君のならありますけど」

「それ、見せてもらえます?」

「見ないほうがいいと思いますけどね」

 割と静かに見物していた直史が忠告する。

「佐藤は知ってるのか?」

「いや、でもだいたい分かるでしょう?」

「じゃあぽちっとな」


 セイバーは遠慮なく大介のデータを出した。

 そしてそれは、確かに見なければよかったな、と織田が思うものであった。


 打率.377 出塁率.524 安打149 本塁打67 打点148 盗塁49


「なんじゃこりゃ……」

 直史でも目を瞠る。本塁打が日本記録になっている。いやこれは、三冠王ではないのか?

「これも千葉に入団したら、という前提ですからね。出塁率も公式記録以降は歴代最高で、打点も歴代二位ですね。打率は七位タイです」

 打率こそ四割に行っていてもよさそうに思えるが、出塁率の異常な高さから考えて、相当に敬遠されるのだろう。

「ちなみにセ・リーグの球団に行けば、神奈川以外ではそこそこ落ちます」

「え? あ、上杉さんがいるからか」

「まああくまでも机上の空論ですけどね」


 さすがにこれはないと思いたい。新人投手の沢村賞はある。実際に今年の上杉はそうだった。しかしそれでも最多勝だけは取れず、投手五冠は無理だったのだ。

 しかし打者でこれはないだろう。新人打者で凄まじい記録を残した選手と言えば長嶋と清原あたりだろうが、本塁打の67本が異常すぎる。うん、無理だ。これはさすがにどこかおかしい。

「俺よりも盗塁が多いのか……」

「敬遠による出塁率が高くなって、盗塁の機会が格段に上がるからでしょうね」

 なるほど。


 実際問題として、ここまで本塁打が伸びることは考えにくい。これだけ打たれたら敬遠がもっと増えるだろうからだ。

「つか、トリプルスリーも取ってますよね」

 本塁打の67本がインパクト強すぎて、それを見逃していた。

「ちなみに直史君の投手成績も予想出来ますけど、見たいですか?」

「そんなの意味がないでしょうに」

「あ、俺は見たいですけど」

 織田が視線を向けるのは、これが個人情報にも似たようなものだからだろう。

 直史としては、別に見たくはないが見られても構わない。

「それじゃあぽちっとな」

 そして出た数字は、なんとも感想に困るものであった。




「色々とありがとうございました」

 深々と礼をした織田は、練習中の白富東を見ている。

「いえいえ、こちらも色々と思惑はありますから」

 セイバーはにっこりと微笑んでいるが、おそらくは本当に何かを企んでいる。

「それで、高校野球界の常識的な打者として、最高の打率を誇る人間からは、何か感想はありますか?」

 直史が変な前置きを付けて織田に問うのは、白富東の練習を見て気付いたことはないかということだ。


 織田としては、もちろんアドバイスがあるならしておくべきだ。それが仁義というものだろう。

 しかし白富東の戦力は、個人の才能によるところが大きい。

 織田の目から見ても変な練習方法をしており、あまりアドバイス出来るところはない。

 屋内練習場もないこの設備で、よくもまああの成績を残したものである。

「う~ん……いや、そりゃ設備に関しては色々とあるけど、コーチングスタッフも多いみたいだし、あとは……これをどうやって継続していくかぐらいじゃないか?」


 白富東の弱点は、その強さが個人の才能にかなり偏っていることである。

 それでも一年からは、ベンチに入るメンバーが出てきた。

 しかしセイバーが作った施設にしても、維持管理だけでそれなりの金がかかるし、イリヤが卒業後もスポンサーを続けてくれるとは限らない。

 大介が一年目からプロで活躍したら、またそれなりに話題にはなるかもしれない。


 織田から見ると白富東は、瞬発力を高める練習がとにかく多い。

 そしてローテーションでメニューがどんどんと回っている。

 あと柔軟運動がものすごく多い。メニューの合間に時間があれば、ほとんどが柔軟を行っている。

 直史が徹底させたもので、これのおかげで白富東は練習中の不用意な怪我が少ない。


 それにしても、である。

「佐藤はプロには行かないんですね……」

「そうね。まあ現金を目の前にどれだけ積めるかでしょうけど」

「あの成績はちょっと不思議でしたね」

 セイバーが分析した、コンピューターの出した直史の仮想成績。

 それは織田が考えていたものとは、かなりかけ離れていた。


 織田が考えるに、直史は金で動く人間ではない。

 しかしセイバーは動くと見ているらしい。

「日本の球団は、30億は出せないでしょうしね」

 一流選手の生涯年俸でも、まず30億はいかない。

 だがMLBの超一流であれば、一年でそれだけを稼ぐことも可能だ。


 日本の球団には、それは出せない金額だ。MLBでも新人にそこまでは出せないと思う。

「まあそれは、財布の紐を誰が握っているかですから」

 セイバーがにっこりと笑っている。策士は無邪気な笑みを浮かべるのだ。

「織田君も、そうですね、七年もしたらポスティングすればいいと思いますよ。どことは言いませんが、MLBで名乗りを上げるところは絶対にありますから」

 タンパリングに引っかかりそうなことをセイバーは言った。

 やはり彼女はまだ、MLBとつながっているのか。

 問いただしたいが、それが明らかになれば、織田も微妙な立場になってしまう。

 だがこの微妙な言い方は、将来織田がMLBに行くなら、彼女が獲得に行くということではないのか。


 MLBには25歳以下の外国人選手に対して、年俸の上限ルールが存在する。

 それを考えても、織田が25歳までNPBで働いて、そこからMLBに行くというのが一番グラゼニを掘りにいくのには良いのだ。

「本当に、ためになる話でした。あと、もう一つだけお願いが」

「なんですか?」

「佐藤と勝負させてもらえませんか?」

 織田が高校野球において、唯一心残りにしていること。

 それは直史との対決である。


 上杉からも二本のヒットを打った織田は、ヒットを打つという点では現在の三年生で、ナンバーワンの存在と言える。

 だが直史には掌の上で転がされた。

 ただ対戦成績が少なすぎる。せめて三打席ぐらいは勝負したかった。

「う~ん、今の私は白富東の人間ではないのですけど、話だけはしてみましょうか」

 そう言ったセイバーは、ベンチの方へ向かったのだった。




 織田は千葉ロックマリンズとの契約にサインした。

 その中の条件の一つに、同意を得ずして在京球団以外はトレードをしない。二年間はトレードをしないというちょっと変わったものがあった。

 球団としてもこれから期待の高卒選手を、二年以内にトレードすることはありえない。大怪我で選手生命を絶たれるなどしたら別だが、それはもうトレードではなく引退になるだろう。

 だから少し疑問には思ったが、スルーして契約に盛り込んだ。


 織田がマリンズの環境を見て、すぐにサインに至ったので、ファンも球団側も、誠意が通じたのだと感じ、マスコミも好意的に報じた。

 だが白富東関係者の一部はその最も大きな理由を知っている。

 ケイトリー・コートナーの存在である。

 彼女が来年には日本公演を数度に渡って行う他、イリヤとS-twinsと共に日本で行動する期間が長くなるだろうと伝えられたからだ。


 織田信三郎。直史ほどではないが、彼もまた女のために道を決める人間であった。


×××


次話は上杉無双のシーズン終盤か、契約更改の話になるかなあ。

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