第23話 自分の力で けれど自分の力だけでもなくて
連続投下:二話目
×××
奇跡が起こるための、舞台が整いつつある。
盛り上がるベンチの中、直史はそっと通路に出る。
「織田さんがデッドボールで出たぞ。ノーアウト満塁だ」
「マジか。よっしゃ」
バットを持つ大介が、ベンチに戻る。
160km近い速球のデッドボールである。織田は打席で右手を振る。
ジェイソンは顔を背けている。さすがにこの死球は彼の意図したことではないだろう。料理の得意な左打者を歩かせるなど、自分を追い込むだけだ。
右手をぐるぐると回す織田であるが、どうやら異常はないらしい。
ほっとした木下の横に、大介が立っていた。
「監督、行ってきます」
「待てい!」
もちろん止める木下である。
「代打で出るなら、今しかないでしょ?」
「いや、そらそうやけど……」
代打では使えるというのは、チームの士気の低下を避ける方便のはずだった。
「監督」
そこへ直史も声をかける。
「一打席なら打てますよ」
「え、ほんまに?」
事前の情報とは違う。だが大介も直史も、下手なハッタリをかます人間ではない。
それに大介なら、打てるかもしれない。同じ160km投手のキューバのフェルナンデスを二打席連続ホームランで葬っている。
ホームランを打ってくれとまでは言わない。しかし長打が出れば三点まで入るかもしれない。
まだノーアウトであるのでそこそこの外野フライでも一点は入る。そこから先でさらに点が入る可能性もある。
問題は小寺に代打を送った場合、打ったとしても今日三番の高橋と、四番の実城が左打者であることだ。
しかし小寺にしてもこのレベルの直球が打てるタイプの打者ではない。自分のチームの選手だけに、それは分かっている。
(いや、オコナーは六回から投げてるから、たくさん投げさせたら途中で交代させるかもしれん。佐藤は省エネピッチやから、延長になればいけるか)
木下は決断し、主審へと代打を告げた。
小寺に代わり、白石大介。
アナウンスが流れると、それだけで観客席が爆発した。
吠える者、笑う者、喜ぶ者。呆然とする者。
大観衆が、大介の名前を呼ぶ。
人種性別老若関係なく。
それはジェイソンにとっては、ひどく皮肉な光景であった。
「うそ……」
そして戸惑う双子が、ここに一組。
テーピングで可動域が狭まり、大介は打てないはずだ。
もし打つとしたら、それはテーピングを外してのことになる。
おそらく大丈夫だとは思うが、大介のあのパワーを考えると、自分の肉体へのダメージも大きいのではないか。
呆れている者の中に、イリヤがいた。
つくづく大介は、彼女の想定の外にいる。
「どうする? 歌う? それともやめる?」
「歌う!」
「踊る!」
歌って踊るわけか。
「何をする?」
「あれ!」
「あれがいい!」
これで通じるのだから、イリヤとの仲も深まったものである。
あれは演出の構想上、イリヤの選曲からは外れていた。
しかしここで歌うならいい。この一曲なら、この場面の大介に相応しい。
イリヤは楽しい。
音楽を添え物にされても、これだけ楽しい。
彼女は笑みを浮かべながら、シンセサイザーを操作する。
ネットの海が沸騰する。
『キター!』
『キタ━━(゚∀゚)━━ !! 』
『待ってた(*´∀`*)』
『ノーアウト満塁で白石!』
『勝ったな』
『お・い・し・す・ぎ・る。こいつどこまで主人公体質やねん』
『汚れたワイには輝きすぎて見えん。まぶしい。目がぁ、目がぁ』
『歌キタ━━(゚∀゚)━━ !! 』
『神曲!』
『スクールウォーズ!!!』
『ラグビーw 野球ちゃうw』
『待ってた(*´∀`*)』
『一万二千年前から待ってた!』
『衣装可愛い』
『こまけえこたあいいんだよ!』
『バックコーラスやばい!』
『ラグビーやんけw』
『しかも原曲! やべえ!』
『fu-fu-fu-!』
『ah-! ah-!』
『yeah-!』
『やっぱ歌うっま!』
『生歌???』
『観客フルバックコーラスwww』
『I need a Hero!』
『You are my Heroってw』
『やっぱそこらの歌手よりはるかに上手いぞ』
『すっげこぶし利いてる』
『なんじゃこの双子?』
『歌い方変わった?』
『バック演奏やばすぎ。本気』
『ドラム』
『これマジ?』
『こんな風に歌えるんか』
『ん!?』
『右?』
『右打席?』
『白石右で打てるん?』
『左投手相手だから右?』
『いやいやいやwww』
『素振りは毎日右でもしてるらしいから無問題』
『なわきゃーない』
『まあ他の打者に比べたらマシなんか?』
『いきなり右にして打てるわけない。シボンヌ』
「おいおいおい待て待て待て」
ベンチでは木下が混乱していた。
「なんで右打席? いや相手が左だからとかではなくて、白石右で打てるんか?」
「左投手対策で右打ちして、フェン直したことはありますからね。そもそも最初にバット振った時は、右だったらしいですから」
直史はとぼける。嘘は言っていない。
「それとなんでスクールウォーズやねん! あれラグビーやぞ!? そら大助はおったけど!」
80年代の半ばを知る者にとっては、また日本ワールドカップを知る者にとってはそうなのだろう。他にもラグビーの定番曲ではある。
しかしそもそも原曲が洋楽であるのだからして。直史の知ったことではない。
大介はバットを握って数日後、自分の足を活かすためにすぐに左にした。しかし公式戦でも、左投手の変化球攻略のため、右打席で打ったことはある。
今だって素振りであれば、毎日右でもしている。体軸が偏るのを防ぐために効果的だと、なんとなくやっていた練習をセイバーに肯定された。
右で振ることを試してみたら、左と違ってスイングのトップは作れた。
もっとも今度は逆に、どれだけ振り切れるかが問題になる。
(これで三振だったらかっこ悪いけど、まあそもそもが博打みたいなもんだ)
大介は応援席を見る。双子は激しく踊りながら、これまでにない力の篭もった歌を歌っている。すさまじくアップテンポの曲だ。
アイドルっぽさを完全に消した、感情に任せた歌。
振り付けにも愛らしさなどなく、キレ良く、そして熱く踊る。
これはあれだ。イリヤの選択ではない。イリヤは明確にアニソン縛りをしていた。
だから双子は、今明確な意思で、これを歌っている。
本来ならハスキーボイスの女声が歌う曲だが、二人が透明な声で歌えば、その願いはより真摯になる。
わずかな声の違いが、天性のビブラートのように響く。
私にはヒーローが必要よ。ヒーローはどこにいるの?
もうすぐやって来る。夜明け前までにはやってくる。
貴方は私のヒーロー。
打ってやりたい、と思う。
あの双子は散々迷惑をかけてくるが、少なくとも大介に対する思いは純粋だ。
大介がスーパースターになる前から、ずっと応援してきてくれていた。
想いに応えるわけにはいかないが、特別な存在だ。悪い方にも。
ここで打てたら、あの二人のおかげだな。
そう考えて、大介は打席に入る。
長打を狙う。
一点を取ることにこだわって、次の試合に希望を残すこともありだが、大介はこの試合も勝ちに行く。
負け試合から学ぶことはあっても、負けて嬉しい試合などない。
そもそもこのクソデカい投手が、大介は気に入らないのだ。
ここでホームランが打てたら、まさに奇跡だろう。
だが奇跡というのは自分の力で――いや、人間の力で起こすものだ。
マウンド上のジェイソンは苛立っていた。
アメリカ影響下のカナダだというのに、観客の全員が日本の――いや、このチビの応援をしている。
スターティングメンバーの中に、チビのスラッガーがいないことには、安心すると共に苛立つ気分であった。
こんなチビの東洋人が、全てのピッチャーに恐れられている。
まして今回は通常とは違う右打席。
MLBでは完全に両利きのバッターがいて、両方の打席からホームランを打つことも稀にある。
しかしこのチビは、今までずっと左で打ってきた。
ホームランは打てない。ヒットで一点を取るつもりだ。
打たれたところで試合の趨勢には関係ないが、それでも腹が立つ。
(ヒットも打たさない)
それがジェイソンの、人格が曲がっていても許される、ピッチャーとしての矜持だ。
初球のアウトコース。ボール球を大介は振らない。
二球目のインコース、ストライクとコールされたボールも振らない。
三球目、外に外したチェンジアップを振る。空振り。
ツーストライクに追い込んだ。
(チェンジアップ狙いか。反対の打席でも、ミートにだけは自信があるわけだな)
ならば最速の球で、三振させる。
大介の耳に届くのは、歓声でも絶叫でもない。
歌だ。
それもその他大勢でなく、混じり合って一つとなった、二人の歌。
正直歌詞が英語なので、大介にはほとんど分からない。
だがかろうじて聞き取れる一節。「I need a Hero」そして「You are my Hero」
ヒーローなんて柄じゃない。大介は、ひたすらただの、ホームランバッターだ。
大介のホームランは大介だけのものだが、たまには誰かの助けがほしくなる。
誰かのために、打ってみてもいい。
布石は打った。
振ったのは変化球だけ。あるいはこれを罠と考えて、さらに変化球を投げてくるかもしれない。
だが、その可能性は低いだろう。アメリカの力と力のベースボールなら、想像以上のストレートで三振を取りに来る。
ここまでストレートは完全に見逃されている。罠だとしても、それごと叩き潰すのがアメリカ流だ。
(お前らは、そこで元気に歌ってろ)
大介は心の中で呟き、ゆっくりと呼吸を整える。
(俺のホームランの華にしてやる)
ぴたりと止まった右のバッティングホーム。
そこへ向けて、ジェイソンの最速のフォーシームが投じられる。
チェンジアップを振ってみて、最後まで振り切れるのは分かっている。
そこへ待っていたストレート。
球の軌道、そしてそれを打つための、バットを振る軌跡。
見える。
固定していたテーピングのテープが剥がれる。
痛みが襲ってくるが、その痛みごとボールを打ち砕く。
ぐるりと腰が回転し、打球はレフトへと向かって飛ぶ。
(行ったな)
追いかけていたレフトが、途中で諦めた。
フェンスを越えて、スタンドの中へ。
振り切ったあと打席の中で蹲っていた大介は、それを見届けてから崩れ落ちた。
全くこいつは、どういうバッターなんだ。
「しらいしいいいいいっ!」
泣いてるのか笑ってるのか分からない木下が、横たわる大介へと駆け寄る。
それはベンチのメンバーも同様で、ホームを踏んだ打者から、大介の周りに集まる。
「代走! 酒井、回って来い!」
ホームランへの代走というのは、ないわけではない。例えばベースランニング中に足が攣ったとか、肉離れを起こしたとか。
木下が申告し、主審が頷いた。
歌が変わる。
同じくヒーローを歌ったものでも、もっと静かに、ゆったりとしたもの。
ヒーローはそこにいる。君の中にいる。
君の前にいる。
イリヤとケイティが、静かに歌っていた。
「別にすげー痛みがあるわけじゃないですよ。どうせこの後の守備も出来ないから、寝転がってるだけで」
大介はそう言ってるが、痛みがないわけでもないだろう。
「無理せんでええ! お前は漢や! ヘルプミードクターハリーハリー!」
担架が持ち込まれて、大介をそれに乗せる。
万雷のスタンディングオベーション。その中で、双子が目を真っ赤にして泣いている。
(んな、泣くなっつの。せっかくお前らのために打ってやったのに)
応援席に向けて、正確には双子に向けて、大介はサムズアップした。
大介は役目を果たした。
他の誰にも出来ない、彼だけの役目だった。
「代打逆転サヨナラ満塁ホームランの、サヨナラだけは無理だったな」
そんな軽口を叩く大介が、直史を見つめる。
「後は任せた」
「分かった」
直史の返事を聞いてから、大介はグランドを後にした。
悪夢だ。
あんなチビの、怪我をして反対側の打席に入ったバッターに、ホームランを打たれるなど。
これは夢だ。
「ジェイソン、次は左が二人続く。まだ九回の攻撃があるんだから、一点差なら追いつける」
キャッチャーの声にも、虚ろなジェイソンである。
あの遅い球しか投げられないピッチャーから一点を取る。
難しくはない、はずだ。
意識はまだ逃避しているが、それでも現実を認識する。
ノーアウトだが、ランナーもいなくなった。あとは三振を取っていけばいい。
左打者を二人連続、内野ゴロと内野フライで打ち取る。三振ではなかったが、まだ球威で押せる。
とにかく速い球で――。
単調なリズムで投げた、速いだけの甘い球を、五番の西郷が叩いた。
それはセンターの一番深いところに届くホームランとなった。
一点追加。これで5-3とスコアは変わる。
野球は本当に、大逆転のスポーツだ。
こんな試合を見るために、野球ファンは球場へ足を運ぶのだろう。
この感覚は、生で見ていないと分からない。
野球場は競技場ではなく、選手たちの舞台なのだ。
ジェイソンがマウンドから降り、そしてようやく、日本の八回の裏も終わった。
九回の表、マウンドに登る直史。
この試合は勝ったな、と思う。
流れだの観客の声援だの、そういったものの後押しをオカルトと断ずる直史であるが、完全にアメリカチームが萎縮している。
大介のホームランも劇的であったが、西郷のホームランが止めだった。
アメリカチームから士気が喪失していた。
野球ほど、諦めたらそこで試合終了という言葉が似合うスポーツもない。
あと一点取られてもいい。二点取られる前に、三つアウトを取れば勝ちだ。
淡々と投げていく直史。
それにしても兄の活躍を見ずに応援席から去った双子は薄情であるが、直史のことを信頼しているからだろう。
いいのだ。それでいい。
大介がものすごくかっこいいところを見せたのだから、自分は瑞希にかっこいいところを見せればいい。
八者連続三振。
最後の打者にこそピッチャーゴロを打たれたが、暴投などもせずに淡々と一塁でアウト。
日本チームの勝利。そして直史は地味に、パーフェクト記録継続中だ。
直史もまた、応援席へのサムズアップをしてみせた。
なおこの日、世界の各地で多くのサーバーがパンクした。
×××
今回の使用曲:ボニー・タイラー 「Holding Out For A Hero」
マライア・キャリー「Hero」
参考曲として:麻倉未稀「ヒーロー」
おそらく誰もがどこかで聞いたことのある曲のはず。
曲を聞いてからもう一度読むと二度おいしい。(*´∀`*)PV的にもw
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