第22話 苦闘
先頭打者の初球ホームラン。それは事故のようなものだった。
しかしアメリカは二回以降も、着実に打つべき球を打ってくる。
普通に厳しく投げた本多の球でも、ちゃんとミートしてくるのだ。フルスイングで。
「攻撃は一見、粗く見えるんやけどな」
木下は無表情で呟くが、頭の中は高速で計算中である。
点が取れない。
一回こそ織田がクリーンヒットで出塁したが、それ以降が凡退している。
あそこで織田を帰せないのは痛かった。
そして三回までを投げた本多が、吉村にバトンタッチ。
しかし代わった直後の吉村も打たれた。一点アメリカが追加。
マーティンが投げるのは、パターン通りなら五回まで。
そこで出てくるのが、サウスポーで160kmを投げるジェイソン・オコナー。
左投げの160kmというのは、プロでも今は日本にはいない。MLBにだって歴史を見ても数少ないものだ。
何かのきっかけさえあれば、そこから穴をこじあけて一点を取る。それが木下のプランであった。
しかし二点差は厳しい。マーティンが投げる間に一点返せなければ、おそらく勝負は決まる。
(問題は負けても、それを致命傷にならんようにすることなんやけど……)
日本の高校球児はトーナメントで鍛えられているのは確かだが、それだけに一度負けるとメンタルのコンディションが落ちる。
今年のメンバーは樋口と吉村以外は、全員が甲子園で負けたメンバーだ。そして吉村は甲子園に来ることもなく負けた。
もっとも最終戦で投げられなかった佐藤は、例外としていいかもしれない。準決勝のあの投球を考えると、こいつのメンタルは化物だ。
それに敗北した他の選手も、士気が衰えていなかった。それもあって、木下はこの大会は勝てると思ったのだ。
完敗はダメだ。攻撃でも守備でも、何かアメリカの攻略の糸口を見つけないと。
(秋に負けてもちゃんとセンバツに出て、結果を残したやつは……)
色々と考えるが、これというものがない。
(とりあえず七回からは佐藤を使う。さすがにボロ負けはせえへんし、明日も負けても、決勝には進める)
これで佐藤まで打たれたら、もうどうしようもない。
そう考える木下であるが、事態は動く。
あと一人で五回が終わるという場面で、吉村がまた打たれた。
ソロホームランで、アメリカに三点目が入った。
三点差。
厳しくなった。
野球というのは不思議なスポーツで、諦めない限りは逆転の可能性は、最後の最後まで0%にはならない。
だが高校野球レベルであっても、ここまで高い能力を持った選手同士の戦いでは、そうそう試合の流れは変わらない。
変わるとしたら、ホームラン。
大介のいない打線で打てるとしたら、おそらく実城か西郷。
ヒットは初回の織田も含め、ここまで二本。そして四球を選んだのが二つ。
だが連打や、相手のミスに付け込むほどの隙はない。
マーティンの球は、上杉ほどの絶望感を与えるものではないが、ヒットを打つのは大変に難しい。
結局マーティンを攻略することが出来ずに、五回が終わった。
六回の表も吉村はホームランを引きずらず、三者凡退に抑える。
特に甘い球でもなかったが、読みがはまれば打たれる。アメリカの打線はスラッガーを集められている。
(打てるショートに打てるセカンドだもんな。そりゃ強いだろ)
直史は分析するが、ほとんど分析するまでもない情報だ。
ピッチャーのクイックなどはそれほどでもないのだが、キャッチャーの肩が凄まじい。
リードした一塁に投げられて、あやうくタッチアウトになりそうな場面があった。
観察しながら直史は結論付ける。
単純なフィジカルだけなら、アメリカの方が上だと認めざるをえない。
西郷と実城、あと本多あたりなら、パワーはそれほど負けてはいないだろう。
ちなみにこの試合、マウンドを降りた本多は、外野に入っている。
得点力を少しでも落としたくないのだ。それに160kmの上杉との対戦経験が、本多にはある。
六回の裏から、アメリカは投手が代わる。
左腕、ジェイソン・オコナー。
典型的な長身速球派の投手。球種はそれほど多くない。フォーシームとツーシームを主体に、チェンジアップを入れてくる。
だが球種が少ないだけに、それぞれの球を高い精度で投げてくるのだ。
腕が長く、スリークォーター気味に投げてくる。角度がつくので、左打者には特に打ちにくい。
直史が見る限り、こういった大会でこの短いイニングとなれば、左打者が慣れる前に、試合は終わる。
織田と実城。大介のいない今、確実性が高いのはこの二人だが、二人とも左打者だ。
ツキが悪いというわけではないが、試合前から何かがおかしい。
まあ、こういう悪いことが起こるのも、野球というスポーツだ。
隣を見れば樋口も特に顔色は変えず、ジェイソンの投球練習を見ている。
(決勝に切り替えてるのかな。まあこの試合は最悪、落としても決勝では戦える)
プエルトリコ戦、直史が投げなくても勝てる可能性は高いし、そもそも投げずに負けても、決勝には進めるはずだ。
(でも完全に封じられれば、そのショックが響くかもしれないな。ホームランでもエラーでも、一点は取ってほしい)
一点。木下もランナーが出た時には動いたが、三塁まで進んだランナーが、ホームへ帰るのが難しかった。
(西郷か本多なら、パワーで持っていけるか? あとは樋口……)
試合序盤は七回からと言われていた直史である。それに従ってキャッチャーも代わるなら、樋口も打席に立つだろう。
樋口が勝負強くても、ホームランを打つのは難しい。
それに一点入っても、そこまでだ。おそらく負ける。
とりあえず気持ちの切り替えが大事だな、と直史は考えていたわけだが、こっそりとバットを持って通路に出る大介を発見する。
(おいおい)
直史も気付かれないように、ゆっくりと席を立つ。
幸いにもベンチの視線は、ジェイソンの投球に向けられていた。
通路に出た大介は予想通りと言うべきか、どうにかバットを振れないかと、フォームを調整していた。
「無茶はすんなよ。どうせ無茶するなら、決勝でしろ」
このあたり直史もひどい。
「代打逆転サヨナラ満塁ホームランとかな。一度ぐらいはやってみたいな」
軽口を叩く大介に、そういえば、と直史は思う。
大介は常にスタメンであったため、代打でのホームランは見たことがなかった。
「で、どうなんだ?」
「無理だな。テーピングのせいでトップの位置が作れない」
「テーピング外すか?」
「これが決勝ならそれでもいいんだろうけど……」
直史は一緒にいたので、医師の言葉を知っている。
「お前なしでも秋季大会、センバツ行けるとこまでは勝ち進むぞ」
「そりゃ俺に打てってフリか?」
「お前自身がどう思うかだが、将来に少しでもかかわるような怪我は、絶対にしない方がいいと思う」
バットを寝かせたり、極端に体を開いた状態から素振りをしようとしていた大介だが、さすがにどうにもならないらしい。
打つためには、一度引かなければいけない。その動作が出来ないのだ。テーピングが邪魔だ。
大介はプロに行く器だ。それも、並大抵のものではない。
こいつは既に、多くの記録を打ちたてている。まず間違いなく、プロでも超一流になれる。いずれはメジャーを目指すかもしれない。
だから大介の将来を考えるなら、ついでに妹たちの将来も考えて、ここで無理をさせたくはない。
「この大会、めちゃくちゃなもんになったよな」
不意に大介は会話を変えた。
「まあ、イリヤのせいでな。あとお前が対抗して盛り上げちゃったから」
「予告ホームラン勧めるようなやつが悪い。半分以上はお前のせいだ」
大介の言葉は否定出来ない直史である。
テーピングを取って打ってしまう。一晩骨折部を冷やした大介なら、それも可能なのかもしれない。
しかしそれで筋肉を傷める可能性があるとも言われた。具体的にどうなるかまでは言われてないが、おそらく単純な骨折よりも大変なのだろう。
単純骨折で引退する選手はあまりいないが、腱や靭帯を痛めたり、肉離れが常態化して引退するスポーツ選手は珍しくない。
「ナオ、先に言っておくけど、俺はお前の妹たちのこと、嫌いじゃない。好きって意味でもないけどな」
まあ、迷惑ではあるが面白くもある。大介としてはそのぐらいの認識だった。
「ただな、一晩中俺を看病してくれたわけで、そんな女に手を出そうとしたあのクソピッチャーの球を、打ちたくなっちゃったんだよな」
――本当に、こいつは。
直史もまた、この大会には優勝したい。
かといって完全優勝までは狙っていない。最後に勝てばいい。そうは思うのだが、こういう面をなくしてしまえば、大介は大介でなくなる。
ならば、なすべきことは一つ。
「そう思うなら、なんとかしてみるか?」
そう言ってしまう直史であった。
逆転は難しくなった状況であるが、七回からは直史がマウンドに立つ。
スタンドからの応援も、熱気がいま一つである。やはり大介がいないということと、相手が応援団の多くが所属しているアメリカということもあるのだろう。
もっともマイケルあたりはその中で、男声ヴォーカルを熱唱したりしている。アメリカよりも日本のチームを好きになってしまったわけだ。
双子たちも直史がマウンドに登るのに合わせて、その声を響かせる。
激しいものではない。どこか哀切さを感じさせる声だ。
(あの二人が、大介のちょっとした怪我で、こんなになっちゃうとはな)
その妹たちの隣に、直史は視線をやる。
なんだか闘犬や警察犬の中にいるトイプードルのような違和感で、瑞希が座っている。
その目はじっと、直史だけを見ている。
(大介が恋人でもない二人のために頑張るなら、俺は恋人のためにはもっと頑張らないとな)
なお、直史の一番嫌いな言葉は努力であり、二番目が頑張る、だ。
そんな直史に、樋口が話しかけてくる。
「で、どうする? 省エネピッチングで行くか? どうせこの回から投げるってことなら、明日は休みなわけだし」
「樋口、野球の華ってなんだと思う?」
自分の問いを無視された樋口であるが、そこはピッチャーというのはそういうものだと割り切る。
「まあ、ホームランか?」
「他には?」
「……パーフェクトピッチとかは徐々に盛り上げていくものだし、奪三振か?」
「それで行こう」
直史の提案は、別に樋口にとっても意外なものではない。
この試合を負けるにしても、相手の打者に存在感を示しておかなければ、決勝で戦う時にも勢いでやられかねない。
佐藤直史からは点は取れない。それを思い知らせれば、あちらの打撃陣をあせらせることも出来る。
「スルー30球投げられるか?」
「投げてみせるぞ」
「じゃあスルー15球以内で終わらせる組み立てをするよ」
かくして日本最狂のバッテリーの挑戦が始まる。
カーブとスルー、時々ストレート。
カーブの落差でストライクを取って、スルーで空振りをさせる。
そこから速度の違うカーブを投げてもいいし、やたらと打ちにくいストレートを投げてもいい。
一球一球、わずかにモーションのタイミングを変える。空振りが取れる。
七回の表を、直史は三者三振で切って捨てた。
七回の裏、日本の攻撃は五番の西郷から。
六回を三者三振で打ち取られているだけに、どうにか突破口のほしいところ。
ストレートに強い西郷は、160kmにもついていった。しかし打球はレフトの定位置を少し過ぎたあたり。
連続三振こそ途切れたが、攻略の糸口とまではいかない。交代した打順の関係で直史にも打席が回ってきたが、ファウルチップで一つ当てるのが精一杯だった。
八回の表、直史は樋口のリードに完璧に応えた。
内角の厳しい攻めに慣れていないアメリカ打者へ、体に当たるような軌道から、ぎりぎりストライクに入るスライダー。
また妙に伸びるストレートと、鋭く落ちるスプリット。
左打者の届かない外角にシンカーを投げ、次に膝元へのボールになるスライダーで空振りを取る。
スルーは15球までと言った樋口であるが、この回は一球も要求してこなかった。
直史の本日の最高速は、136km。
敵味方合わせた中でも、最も遅いピッチャーである。
そして八回の裏、試合が動く。
今日は投手のリードに専念するため、武田は八番に入っていた。
直史とセットで交代しているので、七番打者にも出来たのだが、今日の先発の本多が九番であるため、高打率打者の樋口も八番に入っている。
日本チームの中で、160kmを最も多く身近で見てきたのは、間違いなく樋口である。
初球のストレートは高めで、バッターを舐めていたものだった。しかし球速はある。
(なるほどね)
確かに速い。これである程度の変化もつけてくるのだから、確かに打つのは大変だ。
しかし樋口にとっては、上杉勝也の下位互換にすぎない。
あの、ミサイルのように、途中からホップするように見えるストレートとは違う。
出来れば初球を打ちたかったが、さすがに球筋は確認する必要があった。
これなら打てる。あとは配球を読むだけ。
低めのチェンジアップには手を出さない。これは外れる。
ツーシーム。内に入る。まだ打たない。
こちらが振っていかないので、おそらく次辺り――。
(来た!)
160kmのストレートに合わせて、レフト前にふわりと運んだ。
とりあえず、打てない投手でないことは証明した。
(これでまあ、変な精神的圧迫は食らわないだろ。あとはナオがどれだけ投げるかだけど……)
一塁で考える樋口。ジェイソンの仕草を観察する。
三つの球種を、同じフォームで投げ分けている。ビデオなどでは分からなかったが、ランナーのいる状態ではどう投げるのか。
さすがにワインドアップではないが、やはりセットからのクイックは上手くない。これなら織田が塁に出れば、盗塁を決めてくれそうだ。
そう思っていた樋口の頭上を、打球が飛んで行く。
(うお!)
油断していた。これはライト前に落ちる。
セカンドでライトゴロアウトは洒落にならない。必死で走ってスライディングすれば、別にライトはそこまで厳しくチャージしてきていなかった。
(そうか、九番は本多さんだったな)
本多なら、打ってもおかしくない。
去年の夏の甲子園大会、初戦で春日山と帝都一は激突した。
その時帝都一は、打者27人完封。準完全試合とも言えるような内容で敗北したが、三振以外のアウトを取られた数少ない一人が本多であった。
超名門の帝都一で、ピッチャーと四番を兼ねるというのは、すさまじい能力を持つがゆえなのだ。
とにかくこれで、ノーアウトのランナーが二人。
マウンド上のジェイソンは、明らかに苛立っている。
ここで打順はトップに回って一番の織田。本来ならば最も頼りになるバッターなのだが、ジェイソンの左打者に対する成績を考えれば、あまり過剰に期待は出来ない。
そう思っていた樋口であるが、織田に対する第一球は、外角に大きく外れた。
これは、制球力を乱しているのか?
ハイスクールレベルならヒットを打たれることすら、この投手の能力を考えれば珍しいことだろう。しかしそれが連打。
動揺がないはずはない。
(織田さんなら四球を選んで塁を埋められる)
その予想は外れた。
次のボールは内角に寄り、織田の上腕に激突したのであった。
×××
次話「自分の力で けれど自分だけの力でもなくて」
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