第20話 零れ落ちる果実
一度はホテルに戻ったが内密に、大介は病院に移動する。チームには医師も同行しているが、設備が足りない。
同行しているのは双子とセイバー、そして直史である。
双子とセイバーはともかく、直史は明日の試合があるかもしれないのに、双子がその手を放さなかったのだ。
二人の手は震えていた。
また札束で頬をぶっ叩き、医者に診せる。
レントゲンを撮り、それを見た医者曰く――。
「ほとんど見えないぐらいの小さい亀裂骨折ですね。まあ全治二週間といったところでしょう」
全く悲壮感のない口調であった。
それでは、どう判断していいのか分からない。
「あの、今後の選手生命にとか」
「ああ、ないない。大丈夫です。打撲もありますが、本当に軽傷ですよ。これが背骨とかだったら話は違ったんでしょうけど、安静にしていれば治ります。二週間と言いましたけど、実際は一週間でもいいぐらいですかね」
最悪の事態は免れた。
今も痛みはあるが、耐えられないほどのものではない。ただ深い呼吸をするのが辛い。
体をぐるぐる回してみた時も、実はより激しい痛みはあった。
「明日も試合あるんですけど、大丈夫ですかね?」
その大介の質問はセイバーが訳し、医師は首を横に振った。
「それは無理無理無理。安静にしていれば治りますけど、下手に動けばそこをかばって怪我をするだけですよ」
つまり、残りの大会は絶望と。
さすがの直史も、ここは動揺せざるをえない。
この世界大会は、彼にとっては単なる箔付けの場だ。
しかしここまで勝って、ここまで注目を集めてしまった。
欲が出てきた。
「痛み止め打ったらなんとかなりませんかね?」
ぶすっとした顔をしながらも、なお大介は食い下がる。
「痛みというのは、それ以上のことをしてはいけないという、体の信号だからね。無理をしたら、筋肉を傷めてしまうかもしれない。そしたら下手をすれば二ヶ月。リハビリを考えれば、元の状態に戻すのに、それぐらいはかかるかもしれない」
それではダメだ。
二週間ならば、秋季大会の中盤には間に合う。そこまでなら大介なしでもまず勝てるだろう。
しかし関東大会まで進めば、さすがに厳しい。
諦めるしかない。とは少し違う。
諦めるのではなく、次のステージへ準備をするのだ。
「怪我なんてしたことなかったんだけどなあ」
大介がしみじみと言った。
思えば白富東で目立った怪我というのは、ジンが手を切った時と、武史が全身筋肉痛になった時、それに直史がマメを潰した時ぐらいか。
大介は鉄人だった。昨日までは。
白富東はアップと柔軟に時間をかけるチームであるので、体が硬くて怪我をするということがなかった。
「テーピング」
桜か椿か、どちらかが呟いた。
「それだ」
「テーピングで可動域を決めちゃうの。そしたらそれ以上は絶対に動かない」
バレエの教室で、そういった手段を使うのを知っていた。
もっともそれは最終手段である。バレリーナというのは根本的に、可動域の広い動きをするからだ。
ただ生来関節が柔らかすぎる人が、そうやってテーピングすることはある。
そして医師も頷く。
「まあ、確かにそれは出来るね。ただ背中よりの脇腹だから、ほとんど体が動かなくなるよ? どのみちスポーツなんか出来ないと思うけど」
「やる」
大介の返答は早い。
セイバーは溜め息をつく。
「怪我を甘く見たらだめよ? 簡単な捻挫だからとか言って、それが慢性化して、他の部分まで壊れていくのがプロの世界なんだから。高校の時点でそれじゃ、プロでは……」
続けようとしたが、大介がもう完全にやる気になっていた。
男の子は止められない。自分が教師や監督なら、無理やりでも止めてしまうのだが、今の自分は監督でもなく、一人の大人である。
そしてセイバーならば、金にものを言わせていろんなことがしてしまえる。
「知り合いに連絡して、明日の朝には到着するように、手配してみるわ。それで先生、他に何か出来ることは?」
「まあ今日の夜は冷やしながら寝ることかな。冷やしすぎてもダメなんで、ちょっと大変だろうけど」
「大丈夫」
「あたしたちがいる」
双子が手を上げる。まあ同じ部屋に直史もいるので、そんな変なことは起こらないだろうが。
「……頼む」
珍しく大介が双子に頭を下げていた。
大介の負傷は早くから全員に周知されていた。
いきなり試合前に言うのと、たっぷり不安がらせるのとどちらがマシかと思えば、それは早ければ早いほど、気持ちを切り替えるのに使える時間が増える。
双子のやったことは、だからファインプレイである。
ホテルに戻った大介は、とにかくたくさんの食事をした。
食えば治る。大介の信念であるが、さすがに一日で折れた骨はくっつかない。……くっつかないはずである。
「ごっそさん! じゃあすみませんけど寝ます!」
「おう、休むんやぞ」
元気な声で見送った木下、そして以下の選手団であるが、食事を終えないうちにため息である。
「痛ったいなあ。ほんまに痛い」
守備に関しては、名手堀がいるので、それほどの低下はない。セカンド小寺との連携を考えれば、あるいは上昇するかもしれない。
だがバッティングに関しては、大介の代わりになれる者はいない。
純粋に打点だけを見ても異常であるが、大介自身がホームベースを踏む展開も多く、大介をはさむことによって対戦チームは、普通に日本の打撃陣を攻略することが出来ない。
織田も外野の要、先頭打者として存在感を示しているが、試合を支配するどころか、大会自体のムードを変えてしまった大介のような選手は、他のどのチームにもいない。
不動の三番打者。あまりしっくりとこない言い回しだが、それが大介だ。
一回の攻防で必ず打席が回る。その思考から三番打者最強論などもある。
実際のところは大介が三番を打つのに慣れていて、それがそのままになっているだけだ。
選手のいるところで話すわけにもいかないので、とにかく食事を終えた。
監督コーチを合わせて、改めて話し合う。
「まあクリーンナップを変えるゆうわけやけど、三番打者やろ? そこそこ足があった方がええわな」
長距離砲を三番に持ってきてもいいのだが、確実性がほしい。
長打も打てるがそれ以上に打率が高かった大介が異常である。
「頼りになる打者言うたら、樋口でもええんやろうけど……」
木下は首を捻る。セイバーなどは数値からして、それでいいのではと思うのだが、そこは人間関係が関わってくる。
「三年の投手が言うこと聞かんかもしれんしなあ」
樋口は捕手だ。そして三年のピッチャー陣は、樋口の実力を認めていると言っても、やはり年下である。
あと樋口は基本的に、目上を敬うとか、なあなあで力を引き出すタイプの捕手ではない。
何より今から他の投手と合わせていくのは、さすがに無理だ。
なるほど、そういうこともあるのかと納得するセイバーである。
思えば白富東には、そういった面倒な上下関係はなかった。どの投手もジンの言うことは、基本的に聞いていた。
「今更織田を動かすのも嫌やし、誰を持ってくるか……」
「単にデータだけなら、高橋君か大浦君でいいと思いますが」
「性格まで考えんとな。あの二人は決めるのはともかく、つなぐのには向いてへんし」
大阪光陰の選手を除いては、ほとんどが長打狙いの選手である。
例外は帝都一の酒井ぐらいであるが、これは小寺と交代でセカンドとして使っている。
(ショートの控えがおらんくなったけど、いざとなれば初柴が出来るしな)
首脳陣の悩みの夜は続く。
自分に与えられた部屋に、大介は寝転がる。
枕とマットを下にし、うつ伏せの体勢で眠るのだ。
「少し赤くなってるね」
「明日には紫色だね」
ぴらりとシャツをめくった双子だが、変な悪戯は仕掛けてこずに、看病の体勢に入った。
そうは言っても特別なことはない。患部を冷やすだけである。
冷やしすぎないようにということで、ある程度の時間を置いて、保冷パックを替えていく。
二人いるので、お互いに休みながら看病が出来る。
「大介君は二人なんて無理だって言うけど、こういう時は便利でしょ?」
「プロ野球選手だと家を留守にすることも多いしね。育児も二人がかりでやるし」
「……お前ら、どうして俺なわけ?」
二人同時というのは、もちろん異常なことではあるが、とりあえずそれはいい。
しかしなぜその対象が自分であるのか。
千葉の片田舎にいた頃ならともかく、二人は東京に何度も行って、それなりに人間的魅力に富んだ人間にも会っているはずだ。
「前にも言ったけど、あたしたちをそれぞれ片手で抱き上げられる人じゃないと」
「そんなのスポーツの世界だったらいくらでもいるだろ」
「それにあたしたちを一緒に愛してくれないと」
「……それも成功したスポーツ選手ならそれなりにいるんじゃねえか?」
それこそイリヤやセイバーの知り合いなら、そういう人間は多そうだ。
だがそれに対して、双子は溜め息をつく。
「大介君は自覚がなさすぎる」
「大介君よりかっこいい男の人は、そうはいないよ」
「お兄ちゃんぐらいだね」
「互角ぐらいだね」
ブラコンな双子たちである。そして大介もおおよそ同意だ。
直史は、手強い。
この時、さすがの大介も弱気になっていた。
全ての逆境はバットで粉砕。しかし今、そのバットが満足に振れない。
「スポーツ選手なんて、怪我したらそれで終わりだぞ。うちの親父がそうだった」
思わず愚痴が洩れる。大介の記憶にある父は、そもそもまともに働いているのを見たことがない。
それでも大介が野球をやるのを止めなかったのだけは確かだ。
元プロ野球選手だとか、事故で引退したとかを聞いたのは、かなり成長してからのことだ。
「そんな人間が二人分の女を、背負えるわけねえだろ」
「つまり大介君は、あたしたちのことを嫌いなわけじゃないと?」
「別に嫌っちゃねえよ」
「あたしたちだって別に、大介君に全部背負ってもらうつもりなんてないよ?」
そうだな、と大介は思う。
この二人は、本当に何でも出来る。頭もいいし、運動だってその気になれば、多くの競技で活躍出来る。
顔も可愛いし、今はイリヤに関わって、色々と大変なことをしでかしている。
自分には、野球しかない。
「俺には野球しかない」
「野球が出来るじゃん」
「野球が出来なくなってもいいじゃん」
双子の言葉はほとんど同じことを言うが、時々全く正反対のことも言う。
「二人でいるなら、一人がバリバリ働いて、もう一人が大介君のことを甘やかすよ」
「両方でそれなりに働いて、一緒に大介君に構ってもいいしね」
この二人の、自分に対する圧倒的な信頼感はなんなのだろう。
なんだかんだと言いつつ、この二人はずっと自分を思っていてくれそうにも感じる。
「俺は、プロに行くまで彼女は作らねーよ」
だから、今はこれが精一杯。
「その後のことは、その時になってから考える」
部屋の中を沈黙が満たした。
無言のまま、二人は大介のたくましい背中を見つめる。
「今はそれで充分だよ」
その言葉がどちらのものかは、大介は分からない。
静寂の中で、眠りに落ちていった。
翌朝、ヒビの入った肋骨部分は青くなってはいたが、腫れは引いていた。
ゆっくりと動かすと痛みがある。大きく呼吸をするのも難しい。だが昨日よりはマシになっている。
そしてセイバーの手配したスポーツドクターによるテーピングを行うと、痛みのない範囲で体が動く。
だがそれは、あくまでも怪我を悪化させないためのもの。
左の背中に近い脇腹をガチガチに固められていれば、ほとんどのプレイは出来なくなる。
体を動かしてみた大介は、冷静に判断する。
「ショートは無理だな」
部屋の中には監督やコーチなどがいて、大介の状態を確認する。
内野の体を捻る動作は無理だ。かと言ってファーストの伸び上がる動作も無理だし、外野をするにもボールを追えない。
そして守備よりもさらに問題なのが、バッティングだ。
「ダメだ」
ボールを打つために一度バットを後ろに引いてトップを作らなければいけないのだが、そこまで背中が伸びない。
当てるだけなら出来るだろうが、それなら他の選手を使う。
結論、本日の大介は使えない。
相手はここまで日本と同じく、全勝を続けてきたアメリカ。
大会前から大本命であり、これに対して選手をそろえた日本が、どれだけ立ち向かえるかと思われていた。
木下にしても、大介と直史がいない場合でも、優勝は充分に狙えると思っていた。
しかし一度期待値を上げてから落とされるのでは、心構えが違う。
スポーツに怪我は付き物だ。木下だって主力が使えずに戦った試合というのはある。たとえば今年の夏も序盤は、後藤を使えなかった。
しかしまさか、このタイミングで、この選手が。
相手はまさに、打倒を誓っていたアメリカである。
選手たちが揃った場所で、木下は告げた。
「今日は大事を取って、白石はスタメンから外す。いい場面があったら代打で使うけどな」
おお、とわずかに選手の緊張感が薄まる。
「大丈夫なのかよ」
「別にぽっきりいったわけじゃないっすからね。守備で下手こくのもなんなんで、打撃で貢献しますよ」
見るからに全員の顔が明るくなる。
これこそまさに、嘘ではなく方便というものだ。
「とりあえず先輩方が気を付けるのは、アホみたいな得点差で負けないことだけですよ。今の時点でも決勝進出はほぼ間違いないんだから」
樋口が相変わらず容赦のない口調で告げる。
「リードして七回まで持ってきてくれたら、こいつがパーフェクトするんで」
「俺がかよ」
直史は樋口に、大介の正確な状態を告げてある。
それを受けて樋口はあえて煽っているのだ。
「くっそ生意気な後輩だな」
「うちのガッコなら生き埋めだぞ」
「うちは樹海に置いてけぼりとかしてたな」
「俺は逆に一年の時、上級生締めたけどな」
「だから高校野球はブラックだって言われるんだよ」
減らず口が戻り、調子が戻ってくる。
「よか! これでよか! 大介は一発ホームラン打ってくれればそれでよか!」
ばんと大介の背中を叩きにくる西郷から、体でブロックする樋口。
「あんた、こいつ怪我人だっての忘れてない?」
「許してたもんせ、桜島じゃあ、アバラ一本ぐらいなら普通にやっとる」
小さくなる西郷であった。まあ、薩摩だから仕方がない。
×××
次話「狂った歯車」サブタイ変更の可能性あり
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