第19話 暗転

 両チームがベンチの前に整列し、国歌が斉唱される。

「なあ樋口、英語とそれ以外が混じってないか?」

 顔は正面にむけたまま、直史は樋口に問いかける。

「公用語がフランス語と英語だからな。国際大会では混じって歌うらしいぞ。元はフランス語の歌詞だけだったらしい」

 こいつは本当に、少しでも興味があったらなんでも調べるやつだ。

「お前はなんでも知ってるな」

「なんでもは知らんよ。調べるのが趣味になってるだけだ」


 この試合、日本は後攻である。

 これだけでも、観客や観戦者には不満がある。

 なぜなら日本がリードして九回の表が終われば、九回の裏に日本の攻撃はない。

 つまり大介の打席を見られる可能性が、少し低くなるわけだ。

 しかし現実は観客の失望を、すぐに上書きする。




 日本の先発は榊原。これまでにも一試合に登板している。

 短いイニングではあるが、彼もまた無失点を続けている。

 左腕のスライダーで、カナダのバッターをくるくると回す。

 連続三振の後を内野ゴロに抑えて、一回の表の攻撃は終わり。

 そしていよいよ日本の攻撃が始まる。


 完全に一番打者として定着した織田。これまでの試合、スタメンで全イニング出場しているのは、大介とファーストの実城を除けば彼だけである。

 昨日の試合でもしっかりとヒットを打ち、毎試合安打記録が続いている。

 毎試合ホームラン記録という大介がいるのであれだが、メジャーのスカウトからの注目も高まっている。第二のイチローという呼び名は、既に浸透してしまっている。サブローなので仕方がない。

 本人もそのつもりでいるのか、イチローのルーティンを完全に真似している。

 これで成績があれならアレなのであるが、ちゃんと数字になっているから笑えない。

 やたらと応援席へのアピールが強いが、まあ色恋が原動力になっても、若いうちはいいだろう。そう考えるのは、40代でもまだまだ枯れてない木下である。


 織田の選球眼は優れているが、イチローほどの悪球打ちではない。

 まあイチローの場合は悪球でも打てる、というものなのだが。あの人のストライクゾーンどうなってんの?

 織田は素直に、ストライクを打つ。そして塁に出たら盗塁する。

 この第一打席もセンター前に打ち返し、盗塁を成功させた。


 盗塁。日本とアメリカで一番考え方が違うのは、ここかもしれない。

 MLBのピッチャーは、基本的にセットからクイックで投げるのが苦手である。

 伝統的にピッチャーは打者をしとめるのが仕事であり、ランナー対策はキャッチャーの仕事であるとしている。

 日本がピッチャーとキャッチャーの共同作業でランナーを殺すことにしたのは、野村以降とも言われている。野村は実は捕手としては、比較的肩が弱かったからだ。

 日本の高校に顕著な全員野球は、捕手だけにランナーを任せることなどありえない。しかしカナダもアメリカの影響下ゆえか、ピッチャーのランナーを背負った時のピッチングを重視していない。

 まあ高校生の間はのびのびやれという方針なのかもしれないが、ここは圧倒的に日本が有利だ。


 織田が三盗を決めた。

 今日の二番は、初柴が入っている。大阪光陰の四番ではあるが、バントも得意な巧打者だ。

 つまりここで採るべきは、スクイズ。

「とか思ってたらええんやけどな」

 木下は打席にいるのが初柴だけに、好きなようにサインを出せる。


 スクイズは日本の得意なスモールベースボールの中でも、その代表する戦法の一つである。

 もちろんカナダチームも、木下の採用する戦術や、初柴に関する情報は集めている。

(けど三塁は織田やで。スクイズやなくても帰ってこれる)


 カウントを悪くした後、打ちやすい変化球が甘く入る。

 これを初柴は、地面に強く叩いた。

 セカンドへの深いゴロ。ホームは間に合わない。

 初柴はアウトになったが、その間に先取点である。

「今日のわしは冴えとるで。もう一点もらおか」

 だが三番の大介に送るサインはただ一つ。

 打て、だ。




 それはサインじゃないだろう。

 そう思いながらも大介は、ダースベイダーをしながら打席に入る。

 そんな動作だけでカナダの応援席からは、溜め息が洩れてくる。


 投手に絶望を与えるバッター。

 それが白石大介である。


 大介の構えは静かだ。

 ぴたりと止まる。アレクのようにリズムを刻んで動くことはない。

 それは振り下ろされる直前の死神の鎌のようで、体は小さくても構えは大きい。

 殺気を洩らすな。

 バットに込めて、ボールを待て。


 分かっていても、勝負してしまう。

 大介の身長の小ささは、逆に彼にその機会を与えている。

 メジャーにも小柄な強打者はいるが、それに比べても大介の成績は突出している。

 初球をストレートで押してきたアホを相手に、大介は11本目のホームランをお見舞いした。




 大介が右手の指を一本だけ立てて、ベースを一周する。

 どうやら下手に11本目を表現することは諦めたようである。

 ホームを踏んだ大介に対し、対戦相手ではあるが、カナダの観客は拍手を送る。

「いや~、カナダのお客さんっていいよな」

「お前、甲子園のお客さん大好きって言ってなかったか?」

 簡単にホームランを打ってきた大介に、呆れる直史である。

「あっこはすげえ野次飛ばす人もいたからさ」

 まあ、確かにいた。昼間から酔っ払っているようなのが。


 とにかくこれで、最初の流れは日本にやってきた。

 実城もヒットで出て、初回からビッグイニング到来かとも思ったが、続く西郷がいい当たりをすれども野手の守備範囲内。

 なかなか野球とは、打っても点が入らないものである。

「俺思うんだけどさ、バッティングってヒット打つより、ホームラン打つ方が簡単じゃね?」

 また大介が頭の悪いことを言い出した。

「ヒットは打っても一点も入らないこともあるし、野手の正面に行ったりするじゃん。でもホームランは問答無用で一点だろ?」

 まあ守備の機会がないという点では、それは正しい。

 うんうんと頷いている西郷は、今しがたフライアウトで戻ってきたところである。

「アホなこと言ってんと、二回の守備やぞ」

 木下は頭痛を堪えながら、ナインをグランドへ送り出す。


 ベンチの隅でPCを叩いているセイバーに、声をかける木下である。

「あの子はあれ、本気で言っとるんかな?」

「どうでしょう?」

 セイバーが直史に視線をやる。

 そんなことを聞かれてもと直史も思うが、基本的に大介の直感は、間違っていない場合が多い。

「ケースバッティングですよ。あいつだって満塁で一点取れれば勝ちの場面なら、ホームランじゃなくてヒットを打てるし」

 こんな頭の悪い会話には加わりたくない直史である。


 なお、二回も榊原はノーヒットピッチングを続けた。

 彼の最低担当回は三回。そこまではどうにかいってほしい。


 日本も追加点を取るべく積極的に打っていく。時々木下の小細工がずばりとはまり、計算通りに得点していく。

 カナダは弱いチームではなかったが、どうやら日本とは相性が悪かったようである。

 九イニングを三人の投手で〆るつもりで、スコアは5-0と地味に点差を開ける。

 もっとも大介に二本目のホームランは出なかったので、観客の期待は裏切られたかもしれない。

 いくら大介でも、スクイズウエストレベルのボール球は、打ちようがないのである。

 終盤まで逆転の機会があったことも、勝負を避けられた理由であろう。さすがにホームであるので、ブーイングまではなかったが。

 本日も出塁率10割の大介であった。




 そしていよいよ試合も九回の表。

 当然ながらここで点が入らなければ、九回の裏の攻撃を待たずに勝負は決まる。

 日本の投手は榊原から加藤を経由し、大浦が投げている。

 加藤の調子が良かったため、彼は四イニングを投げた。そして大浦はこの大会初めてのマウンドである。


 前のイニングはともかく、試合を決める最終回、緊張はしていたのかもしれないが、先頭打者はゴロで打ち取った。しかし次の打者を四球で出してしまったのはミスである。

 投手や捕手にとってもそうだが、監督にとって一番胃が痛くなるのが、四球である。

 単に打たれたなら代えるのだが、四球は打者の能力によるものではない。投手は何かのきっかけでいきなり立ち直ることもあるので、一個ぐらいの四球で代えるのは判断がつかない。プロの監督でもそのあたりの見極めは難しいのだ。

 そもそも五点差であるのだ。最悪回の途中から誰かを使ってもいい。回の途中からのリリーフはあまり良くないのだが、この点差なら大丈夫だろう。

(ま、使わんけどな。それにしてもいい感じや)

 主力投手である本多、玉縄、吉村をアメリカ戦に使える。そして直史も本日の出番はなさそうだ。


 これなら勝てる。

(勝った後も重要やな。もしアメリカに勝てたら、プエルトリコ戦は捨ててでも投手を温存していいかもしれん)

 大浦のスクリューを打った打球は、セカンドゴロ。セカンドは小寺であるので、木下は勝利を確信した。

(よしゲッツー)


 勝ちに逸ると、ミスが生まれる。

 この時のそれは、ミスというものでもなかった。

 セカンドのカバーに入る大介。せめてゲッツーの試合終了を避けようとするカナダのランナー。

 スライディングを飛び上がって避けながら、大介はその送球の行き先を見る。

(よし、勝った)

 これは、仕方のない油断であったのかもしれない。


 スライディングをしたカナダの選手の腕に、大介が躓いた。

 滑り込んだ体勢だったため、上から落ちてくる大介を避けられない。

 背中からかぶさるように、大介はカナダ選手の上に落下した。




 ファーストアウトのコールがなされ、ゲームセット。

 しかし球場は静寂に包まれた。

 大介が起き上がらない。

「しらいしいいいいぃぃっ!」

 ものすごい大声で、木下がベンチを飛び出す。直史もわずかに遅れてそれに続く。

 二塁塁審が覗き込む。それに対して大介は、立ち上がれないながらも手を上げてひらひらと振った。


 生きている。それに、この程度の動作をする余裕はある。

 わずかに安堵はしたが、すぐに起き上がれないというのは問題だ。

 しかし接近した直史は、大介が咳き込みながらも笑っているのを見た。

「大丈夫か? 無理せんでええぞ? 担架使うぞ?」

 木下が心配そうに覗き込むが、大介は手をひらひらと振る。

「単に、息が、上手く、できない、だけ」

 短く呼吸しながらそう告げる。

「かっこわりい」

 そうはにかむように笑う。


 カナダ選手の膝の上に、背中から落下した。だが背骨を直撃とか、そういう危ない落下の仕方ではない。

 直史の手を借りながら立ち上がった大介は、お~痛えなどと呟きながらも、くるくると体を回した。

 球場全体から安堵の溜め息が洩れる。折角の素晴らしい試合に、こんなアクシデントがあっては後味が悪い。


 カナダの選手も心配そうに声をかけて来るが、大介はにっかりと笑った。

「オーケーオーケー。大丈V」

 ピースサインをした大介に、ようやくほっとした模様である。

 両チームの選手に、観客から暖かい拍手が送られた。




 恒例となったインタビューに愛想よく答える大介。

 直史と樋口は今日は完全に出番がなかったため、先にバスに戻る。

「アメリカ戦は50球以上投げさせられるかもな」

 樋口の言葉に、直史も頷く。

「今日の勝ちでほぼ決勝進出は決まったしな」

 アメリカが台湾に勝ち、キューバがプエルトリコに勝った。

 ここから日本が二戦落としたとしても、スーパーラウンドで戦うチームで二敗で残りうるのは、台湾とキューバだけ。

 よほどの大量得失点差で負けでもしない限り、決勝進出は決まったと言えるであろう。

 明日のアメリカ戦でそこそこ投げたとしても、最後のプエルトリコ戦に投げなければ、決勝も球数制限の限界まで投げられる。


 そう思いながらバスの中に入った二人は、そこに部外者の顔を見つけた。

 佐藤家の双子である。

「お前ら、一応単なる応援なんだから、ここにいちゃダメだぞ」

「私が許可しました」

 よく見ればそう告げたセイバー同様、双子の表情も硬い。

「大介君は?」

「ああ、心配ない。インタビューがー―」

「大丈夫じゃないよ!」

「ちゃんと見てよ、お兄ちゃん!」


 直史は生まれて初めて、この双子の激情の発露を見た。

 人を馬鹿にしたり、人をからかったり、彼女たち独特の理由でシリアスになることはあるが、こんな反応は初めてだった。

 確信する。

 大介は、どこかを痛めた。


 日本選手団がどんどん戻ってくる。大介は木下と共に、その最後尾だ。

 そして双子の姿を発見するのだが、いつものような「うへえ」といった表情を浮かべない。

 苦い笑いだ。

「なんや佐藤、お前の妹たちでも、部外者は乗せたらあかんで」

「私が、許可しました」

 再びセイバーが言う。そして双子の視線は、バスに入ってきた大介に向けられる。


 全てを見透かすような視線。

 前の方の座席に大介は座り、双子がその傍に寄って来る。

「とりあえず出してください」

 セイバーの指示でバスの扉は閉まる。その間に双子や直史の緊張感が、他の者にも伝わってくる。


 大介は溜め息をつく。

 別に内緒にしておこうとはなどとは思っていなかった。しかし後からこっそり、まず監督に報告しようと思っていたのだ。

「そうだよ。たぶんアバラだよ」

 凍りつくバス内の空気。

 そんな空気の中で、また大介は大きく溜め息をついた。

「やっちまったよ」


×××


次話「零れ落ちる果実」

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