第18話 スーパーラウンド

 改めて――。

 全12チームを二つに分けて行われるオープニングラウンドが終わった。

 この各グループの上位三チームが合わさって勝敗で順位を付け、その一位と二位がさらに戦って、決勝戦となる。

 なお三位と四位も戦って、三位決定戦が行われる。

 ここまでの勝敗と得失点差では、日本はアメリカと同じ全勝ではあるが、得失点差で上回り、暫定ではあるが一位である。

 三位が四勝一敗の台湾、四位はカナダ、プエルトリコ。キューバ、韓国が三勝二敗で並んでいたのだが、得失点差で韓国が落ちスーパーラウンドへは進出してこなかった。

 正直日本選手団の多くがほっとした。


 そして試合日程も決まる。

 六日目が対カナダ、七日目が対アメリカ、八日目が対プエルトリコとなって、九日目が決勝戦である。

 なおこの時点で全勝の日本とアメリカは、スーパーラウンドも二勝0敗という状態からスタートする。

 日本が三試合のうち二勝すれば、よほどの無茶苦茶な得失点差のゲームがない限り、決勝進出は決定する。


 また木下がハゲるほど悩むことになるのだが、さすがに今回はコーチ陣の意見を求める。

「佐藤はどこまで期待してええんやろ」

 これである。


 オープニングラウンドの成績では、無失点の投手というのは、台湾のヤンを筆頭に何人かいる。担当イニングが短いので、割とあることだ。

 しかしノーヒットピッチ、ましてパーフェクトピッチの投手は少ない。ワンポイントで使われた投手もいるので、他にもいないわけではないが、直史は例外だ。

 直史ほど完璧にクローザーを務めている者はいない。

「アメリカ式のバッティングのキューバとかメキシコ相手には、充分通用してますね。オランダもどちらかと言うとそうでしょう?」

 セイバーの言葉に副監督の芝は頷くが、それでも木下の懊悩は晴れない。

 ついこの間の大会で、パーフェクトピッチを食らっただろうに。

「けど本格的なアメリカの体重を残したままのバッティングする選手に、通用せえへんかもしれんやろ?」

「ああ、あの打ち方なら、その可能性も確かに」


 現在の一般的なバッティングは、腰と連動した腕の回転運動と、前後運動である。正確には現在に限らず、本来バッティングとはそうである。

 この二つの動きを組み合わせることで、打球を遠くに飛ばすのだ。

 だがメジャーの強打者の中には、前後の体重移動も腰の回転もほとんどなく、腕の力でホームランを打ってしまうゴリラがいる。

 なお大介も前後運動なしでホームランを打つことはある。

 しかしどうしてあそこまで飛距離が出るのかは、映像をいくら分析しても分からないのだ。


 さて、直史の得意とする変化球は、バッターの手前で小さくではなく、最初から大きく変化する変化球だ。

 所謂ムービングファストボールではない。そちらも使えるが、あまり多用しない。

 MLB基準であると、少しだけ変化する変化球の方が、バッターの凡打を取れるので良いとされたりもする。

 一概には言えないのだが、この大会の使うボールはMLB基準であり、ムービング系が優位であるとされる。

 直史の使うタイプの遅い変化球は、見極められる可能性があるということだ。


「で、そこのところどう思う?」

 そう木下が意見を求めたのは、当然ながらメジャーに詳しいセイバーであった。

「そうですね。白富東のアレックス君は、将来メジャーでの活躍を視野に入れてプレイしていて、元3Aの投手のムービング系を打っていたりもしましたが、直史君が本気になれば……う~ん……」

 断言したいセイバーであったが、直史が本気になっているのか、それともわざとある程度バッターに打たせているのか、判断のつかないところはある。

 一応はジンのリードに従って投げるのだが、そもそも自分でもリードは出来る投手だ。

 部内の紅白戦の時を考えると、試合で勝つために打席で負けることを許容する。

 バッピであまり完全に封じると、バッターは自信をなくす。わざと打たせるのが上手い。

 だがアレクのことを考えると、一巡ぐらいは大丈夫だろう。それに随分と昔の話ではあるが、左のカーブ対策でくるくると大介を回していた。

「少なくとも初見では打てないと思いますよ?」

 そもそも初対決は投手有利というのは、野球の常識だ。




 その頃、直史はセイバーより貸与されたノートPCを樋口と共に見つつ、対アメリカ戦を考えていた。

 直史は50球以上投げる可能性があることを樋口に説明し、樋口もまた同意した。

 そこで二人でアメリカ対策をしているわけだが……。

「で、こいつが、って、おいナオ」

「あ、悪い。考え事してた」

「明日にするか? 投げてる数は少なくても、投手で一番神経使ってるのはお前だろ」

 直史の疲労を考えている樋口であるが、問題はそういうところではない。

「そいつ女が来るから、今から気もそぞろなんだよ」

 ベッドに寝転がってぐだぐだとしている大介が言う。

 直史は反論出来ない。

「女って……」

 樋口は軽蔑とまではいかないが、呆れたような顔にはなった。


「お前はもっと、優先順位をきちんとつけるタイプだと思ってたが」

「女の優先順位の方が高い」

 一瞬唇の端が震えた樋口であるが、そこから息を吐いて動揺をとどめる。

「まあ、そういう女もいるか。しかしその女にいいところを見せるためにも、今はこちらに集中するべきだろう?」

 セフレを二股かけている男とは思えない、常識的な意見である。

「ぐっちはセフレ持ってるくせに、そのあたり割と真っ当な話し方するよな」

「その呼び方はやめろ。俺だって結婚が出来ないというだけで、向こうが待っててくれるなら、愛人として一生を共にするぐらいの覚悟はあるぞ」

 おーい。

 大介の軽口に対した樋口が、また倫理的に不適切なことを仰っている。


 ネジの飛んでいる樋口の言葉だが、直史には理解出来る。

「大切ではあるが、それよりさらに優先するものがあるわけか。その言い方からすると、年上の女性の方が本命か?」

「子供の頃から狙ってたお姉さんだったからな。年上の男と付き合ってるのを見たときは頭が狂いそうだった。世の中には正妻よりも愛される愛人がいくらでもいるだろうから、俺は絶対に彼女をそうしてみせる」

 それってセフレじゃなくて本命じゃね、と大介は思う。

 なるほど、と頷く直史であるが、大介には理解出来ない。

「お前ら倫理観が捻じれてないか?」

「そうでもないだろう。優先順位の問題だ」

「捻じれているかもしれないが、許容範囲だろう」

 前者が直史、後者が樋口の言葉である。

「あ~、俺ちょっと織田さんのとこでも遊びに行ってくる」

 そう言って部屋を出て行く大介を見送り、直史はアメリカ攻略法に戻る。

「大丈夫か? 別に明日でもいいんだぞ?」

「女のせいで負けたなんて、絶対に彼女には聞かせたくないからな」

 画像の検証とデータに戻る直史に、樋口は鬼畜系の笑みを浮かべた。

「なかなかいいニンジンだ」




 準備をしているのは、監督陣と選手だけではない。

 ホテルの一室で、イリヤは双子と最後の調整をしている。


 イリヤの当初の予定は変更され、そしてまた変更された。

 最初は単なる応援から、双子のプロデュースに。

 そして今はまた、双子をプロデュースすると同時に、試合を盛り上げることに。

「武史がいてくれたら、楽だったのにね」

 ふと休憩中に、イリヤはそう呟いた。

 武史にとってイリヤの音楽は、ドーピングのようなものだ。

 もっとも上限を上げるのではなく、安定させるものである。

 音楽を使って人間の精神を叩き起こしたいイリヤにとっては、かなり意外な反応を見せてくれる人間なのだ。


「タケか~」

「あのさ~、イリヤさ~」

 これは二人にとっては、あまり口にしたくない可能性。

「タケとくっついたら普通に幸せになれると思うよ~」

「タケは苦労するだろうけどね~」


 普通の幸せが、イリヤにとっての幸せかは分からない。

 それにイリヤを彼女にしたら、武史が苦労するのは目に見えている。

 相性自体はいいと、ずっと前には分かっていた。

 だがそれだけで男女の付き合いは成り立たないものだ。ましてイリヤである。

「そうね。武史にはちょっと、抱かれてみたいと思う」

「え」

 その声がどちらのものであったか。


 武史もまた、イリヤにとっては特別な人間だ。それは感じていた。

 だがそういった、性愛に関連した関係にはならないのではないかと、漠然と思っていた。

「ほら、大介のホームランで、私、倒れそうになったでしょ?」

 ああ、あの時か。

 双子もあまりのトキメキで鼻血を流していたので、イリヤがそうなっていたとは知らなかった。

「あの時、武史が隣にいて肩を貸してくれたらな、ってそう思ったの」

 思ったよりも分かりやすい。それはかなり、武史に勝算があるのではないか。


 双子にとって武史は兄ではあるがお兄ちゃんではない。

 武史はタケだ。タケ以外の何者でもない。

 それでも家族として、最低限の愛情は感じている。

「タケはあれでけっこう鈍いから、アプローチは積極的な方がいいよ~」

「中学の頃も告白みたいなのされてたけど、気付いてなかったからね~」

 そのあたり、同学年の双子はちゃんと分かっている。

「今はまだ、このイベントを成功させることだけを考えるわ」


 イリヤはかつて音楽家だった。

 今でも音楽家であることに変わりはない。だが総合芸術家となっている。

 この双子という奇跡のような身体能力を持った二人に出会えたのは、やはり運命じみたものを感じる。

 武史よりも、むしろ今はこの二人に興味がある。

「カナダ戦ではバラバラのテーマでやるけれど、アメリカ戦は盛り上げるわよ」

 イリヤがやる気である。甲子園の時もやる気ではあったが、ここまでのものではなかった。

 あれは応援であって、今は公演という分類だろうか。

 明後日がメイン。そして決勝がファイナル。

 双子の準備も着々と進む。




 スーパーラウンド第一戦。対戦するは開催国カナダ。

 カナダの野球が強いのかと言うと、それなりに強いとしか言いようがない。

 MLBはアメリカの野球のプロリーグだと思われているが、正確には違う。

 北米大陸のプロリーグなのだ。その証拠に、MLBの球団の一つはカナダに本拠地を置き、しかもかなり強い。

 カナダとアメリカのスポーツのリーグは、他にもNBAのチームもカナダにあったりする。

 そんなわけでカナダとアメリカのスポーツの垣根は低い。


 そしてカナダのハイスクールの野球のレベルだが、地域にもよるがそれなりに高い。

 学校ではなく地域のチームの所属し、リーグ戦を行う。

 選手は平日にも試合をすることが多く、勉強との両立も求められるため、日本のように無茶苦茶に鍛えられているというわけではない。

 たとえば日本で戦った栄泉の大原は、地域のリーグで野球をしていたわけではないので、強い相手との対戦経験がなかったのだ。


 それにしてもカナダだけでなく、日米のプロや日本の大学も、全てリーグ戦である。

 もちろんクライマックスシリーズのように、リーグ戦が終わったところで改めて決戦をする場合も多いが、日本の高校野球はかなり独特なものではないのか。

 正直なところ、一回戦負けのチームはそれで公式戦は終わりという日本の高校野球は、あまりにも勝者と敗者の学ぶべきものの差が大きいとも言える。


 バスから降りた日本代表に、様々な声がかけられる。

 やはり大介にかけられる声が一番多いが、織田にもかけられる声は多い。

「なんて言われてるんですか?」

 聞き取りの出来ない大介がセイバーに問う。

「今日はホームランは打つなよですって」

 かなりマイルドに翻訳するセイバーである。

「じゃあ今日も必ず打つって伝えてください」

 大介の言葉を受けて「今日も全力を尽くすだけです」と表現をマイルドに変えるセイバーであった。


 それにしても、集まっている人々を見て首を傾げる大介である。

「なんか日本人っぽい人多くないか? カナダって白人ばっかのイメージがあったわ」

「いや、これまでもそれなりに東と東南アジア系はよく見たと思うけど」

 そこまで関心のない直史だったが、樋口が補足してくれた。

「カナダはアメリカと比べると人種差別がない国でな。まあ黒人奴隷がほとんどいなかったからということもあるんだが、黒人が少ない。白人が七割以上で、次がアジア系が多いのかな? ただどの人種でも、国家への帰属意識の方が高いらしいぞ」

 さすがに政治経済などにも詳しい。まあこの程度は調べれば簡単に分かることであるが。

 実際は中華系の移民で問題が起こってたりもする。




 通路の先、ベンチから見る光景。

 さほど広くもない球場であるが、全てが観客で埋まっている。

「そうだよな、野球ってのはこうじゃないと」

 上機嫌で頷く大介であるが、こいつは分かっているのだろうか。

 たとえ相手が開催国のカナダであろうと、球場を埋めたのはこいつの力だ。

 ただでさえ新聞を読まず、まして英語の地元紙など注意さえしない大介であるが、あの予告ホームランは、地元の新聞の一面を飾ったのだ。

 こいつは100年に一度レベルのことを、自分が現在進行形で起こしていることを、まだ正しく認識していない。


 荷物を下ろした直史は、観客席を見る。

 ばっちりと準備をしたミュージシャン軍団が、本日も好き放題に騒ごうとしている。

 まったく人騒がせな連中ではあるが、大介のおかげで全てが良い方向に転がっている。


 世界的なミュージシャンを集め、どれだけ演出に凝った応援をしようと、観客が野球を楽しむのは止められない。

 素晴らしいBGMを聞きながら、観客を野球を見続ける。

 野球を主体とし、音楽でそれを彩る総合的な舞台。

 しかし結果は演じている選手たちにも分からない。

「今日の出番はないはずだよな?」

「俺はともかく、お前はあるんじゃないか?」

 樋口の問いに直史は答える。


 木下監督から、今日の試合では直史は使わない予定であると聞いている。

 しかし完全にその可能性を排除してはいけない。

 そして直史はともかく樋口は、代打で使われる可能性がある。

「俺は別に、勝負強いわけじゃないんだけどな」

 樋口の視点から言うなら、本当に勝負強いなら去年の夏、大阪光陰を上杉勝也と共に破っていただろう。

 だから今は、偶然が重なっているだけだ。


 そう思っているのはそいつだけ。そういう人間は確かに存在する。

 樋口はそのタイプだ。確かにキャッチャーとしてのリードと技術は優れているし、身体能力も高い。

 打者としてもかなりのアベレージを残しながら、さらに長打も打てる。

 だがこいつの限界を、直史はまだ測りかねている。

「どうした」

「いや」

 樋口を見つめていた直史だが、その考えは口にしない。

「いい試合になりそうだな」

「いい天気だしな」

 スーパーラウンドが始まる。


×××


次話「暗転」

出来れば明日の朝に投下したい。

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