第17話 奇跡を起こさせない男
台湾は確かに強いが、それよりも戦略が一貫していると言った方が分かりやすいだろう。
前大会までの粗いイメージがかなり払拭されている。
日本の先発本多に対しては、早打ちを避けてバントヒットを狙うなど、気持ちいい投球をさせない。
もちろん日本で、散々そういった相手とは対戦してきた本多である。簡単には崩れない。
だが粘られる。そう思った木下はスコアブックを確認した。
(あかんな、これは)
台湾チームの予定通りなのかは分からないが、少なくとも台湾バッテリーの思惑通りに試合は進んでいる。
ヤンの球数が少ない。
変化球主体で、得意コースを掠めるように投げ、凡打を打たせようとしている。
もちろん待球の指示が出ているのでそうそう上手くいかないが、三回が終わった時点で35球というのは、かなりいいペースである。
七回あたりまで引っ張って、残りのイニングを全投手で埋めるなら、一点も取れない可能性すらある。
しかし四回の表、ワンナウトで白石大介二回目の打席。
申告敬遠をすることはなく、キャッチャーが座る。
(あからさまに逃げるわけやない、と。上手いなあ)
変化球投手は手首や肘に負担がかかることが多いが、そもそも球数制限と連投制限がかなり厳しいので、この大会においてはそこの心配はいらない。
(ストレートを投げるのは二割。面倒な配球や)
大介が三球目をレフト前に運び、これで向こうのノーヒットピッチングは途切れた。
一死一塁。中盤に入ったばかりのこの場面、ワンナウト与えても二塁に進ませるべきかもしれないが、打者が実城なのだ。
一死一塁と二死二塁では、期待値的には実は、後者の方が得点の確率は低くなる。もちろん様々な要素でそれは変化するが。
(ほならスチールやろ。行けるか?)
(行きましょう)
初球単独スチール。
大介の俊足により、スコアリングポジションにランナーを進めた。
狙い通りにはいったが、木下の表情は晴れない。
(下手に外さんと、ストライク取りにきたか。エンドランの方が良かったんやな)
実城はホームランバッターではあるが、同時にチームバッティングも出来る。
今日の五番には明らかに変化球の苦手な西郷を外し、武田が入っている。
だが武田もあまり小器用なタイプではない。台湾の技巧派を相手にするのだから、玉縄や榊原を入れるべきであったろうか。
後悔先に立たず。
実城のライトフライで大介は三塁にまでタッチアップしたが、これで二死だ。
好球必打。武田にはそう伝えたが、バウンドの高いセカンドゴロになる。
大介はホームに帰ってこれたが、一塁アウトで点は入らず。
やはり上手い。
ベンチに戻ったヤンは大きく息をつく。
ここまでほぼ完全に、日本打線を封じている。
しかし精神的にはいつになく疲弊していた。
実城にフライを打たれるのは予定通りであっても、あそこまで深く運ばれるとは思わなかった。
強い相手と、真っ向から勝負する。
これは楽しいが、同時に苦しい。
(そういえば、向こうの応援も楽しいな)
小さい頃から親しんできた、日本のアニメーション。
その主題歌が応援として流れてくるのは、敵の自分にさえ力を与えてくれる。
(今日はガンダムが多いのかな。でも僕の知らない曲もある)
日本の大学に行けば、友達がいっぱい出来るだろうか。
(歌っている女の子も可愛いし)
イリヤが歌っているというのには驚いたが、彼女はむしろサポートとして入っている。
メインで歌っているのは双子の女の子だ。
甲子園の試合の中継で見た。
佐藤直史の妹たちだ。
(大会が終わったら、友達になりたいな)
笑っているヤンの頭を、ワンがこつんと叩く。
「笑ってる場合じゃないぞ。今日の本多の出来はいい」
四番のワンは二打席連続で凡退している。
そこで気を抜いて、次の打者に打たれてしまうのが本多の弱点なのだが、今日はヒットまでにとどめている。
投手戦になるのかもと思ったが、本多の球数はかなり増えている。
球数制限があるだけに、下手に抜いて投げなくてもいいので、本多もそうそうは点数を取られそうにない。
「出来るところまでは投げたいな」
ヤンはそう言う。日本は待球策を取りたいのかもしれないが、意図的に打ちやすい球も投げている。
それに手を出してしまうのだから、監督の指示が徹底されているとは言えない。
むしろ日本と言えば、チーム一丸となって戦ってくるイメージが強いのだが、この大会では明らかにカラーが違う。
その中でも最も強烈な印象を持っているのが、白石大介だ。
彼のようなバッターは見たことがない。おそらく日本が優勝できなくても、MVPは彼が取るだろう。
彼と勝負したい。しかしその前にまず勝ちたい。
四回の表が終わった時点で、ヤンの球数は41球。このままならば制限内で完投出来るかもしれない。
(そこまで日本は甘くないか)
だけどここまでの自分は、日本のエースピッチャーを相手に堂々と渡り合っている。
(出来れば彼と勝負したかったけど)
直史はまだブルペンにも出てきていない。
(先取点がほしいなあ)
そう思うのはどちらのベンチも同じである。
今回の大会は、一方的な展開になるか、競っても点の取り合いになることが多かった。
一番投手戦と言えたのは、台湾とキューバとの試合であったが、それでも後半に多く点が入った。
だがここまで、圧勝を続けてきた日本は、ゼロ行進である。
「ヤンはこの大会無失点なんだよなあ」
今更ながら樋口が呟くが、確かに上手いピッチングだ。
それに強かだ。
大介の三打席目は、二死二塁という状況であった。
一球も投げることなく申告敬遠。塁を埋める。
次の実城がいい当たりは打ったのだが野手の正面だったため、やはり点につながっていない。
ここまで試合が緊迫してくると、観客もワンプレイに注目してくる。
日本の応援も空気を読んで、ことさらに派手な音楽は控えている。
空気を読まないのがイリヤであったはずだが、さすがにこの状況では読んでくるらしい。
結局ヤンは七回までを投げて、日本打線を無得点に封じた。
打たれたヒットは四本であり、全て単打。内野の守備力が日本並であれば、ヒットの数はもっと減っていただろう。
計算しつくされたピッチングであったと言える。
「まあ初戦のキューバ戦でも、その後のピッチャーが打たれたわけやけどな」
日本のピッチャーも、左の吉村へと代わっていた。
そして投手の代わった八回の表、日本の攻撃はツーアウトながら大介の第四打席。
際どいところで勝負して、歩かせてしまってもいい場面。
だがこの球場の中で直史と、そしてベンチに引っ込んだヤンは分かっていた。
敬遠すべきだと。
もちろんヤンは口にはしないが、直史は隣の樋口に囁いた。
「敬遠しないなら大介が打つな」
「そこまでか? 臭いところを突いてくるのは間違いないだろうけど」
「上杉正也なら、そのピッチングでも大丈夫なんだろうな。でも台湾のピッチャーは、エースと控えの差が大きい」
四球になるのを覚悟の上で、くさいところを突いてくる。
それはこれまでに、大介が散々やられてきたことだ。
しかしこの外角のストライクゾーンが広い大会で、さすがにボール二個以上ずれた外角を放り込むのは難しい。
大介もいつも以上にベース寄りに立っているが、これだとさすがに内角は打ちにくいのではないか。
「内角を攻めたくなるだろ?」
「なるな」
「来ると分かってるなら打つ」
それが白石大介だ。白富東の主砲だ。
内角を攻めたぎりぎりボールになるスライダー。下手をすれば危険球扱いされるコース。
大介の体が早く開く。しかし腰の回転と、バットの振り出しは遅い。
バットの角度、ボールとの接触面。そして腰の回転。
理想とする打球の弾道とは違う。それでも外野の頭を超えて、ライトスタンドに放り込んだ。
球場が一気に沸いた。
ここまでずっと待たされたところへ、主役の一発である。
大介は両手を上げて、指を全部立てている。
南ア戦で三本ホームランを打っているので、これでついに二桁に乗せた。
「けどあいつ、次からはどうすんだ?」
直史はささやかだが疑問に思う。人間の手の指は、両手を合わせて10本しかない。
「二進法でも使うんじゃねえか?」
「ぐわし」
遂に破れた均衡。
続く実城も深いところまで運んだが、残念ながらセンターが上手く守ってアウト。
八回の裏が始まる。
ピンチの裏にチャンスあり。もしくはその逆に、チャンスの裏にピンチありとも言われる。
油断しないタイプのピッチャーである吉村だったが、四打席目のワンにホームランを打たれてしまった。
スプリットが抜けたのが原因であるが、このコントロールミスは痛かった。
せっかくの先制点のあとに、すぐさま同点。
幸い後続は抑えたが、顔をしかめる吉村である。
ここで木下は考える。
九回は直史を使いたい。
ここまでパーフェクトリリーフを継続しており、メンタルの異常な強さは誰もが認めている。
そして、失投が少ない。ほぼゼロと言ってもいい。
だから勝っていなくても、相手に点を取られないためには、絶対に使いたい。
(この試合に勝てば、明日はアメリカやない。佐藤が投げんでも勝てる)
同点の場面からでも、直史を使うことを決断する。
そしてもう一つ木下は決断した。
五番の武田に対して、代打樋口。
どうせ次の回にはキャッチャーを代えるというのもあるが、今日の武田の打撃は良くない。
もっともそれを言うなら、出塁率10割の大介と、半分は出塁している織田以外は悪いということになってしまうが。
日本投手のお家芸である技巧派ピッチングを、完全に相手にされてしまった。
(ちゅうても最近のトレンドはまた違うけどな~)
そして樋口としては戸惑いがある。
この大会ここまで、自分はとにかくキャッチャーとしての役割を求められてきた。
打席にも一度は入ったが、結果は残せていない。
だが理解出来なくもない。
樋口はアベレージヒッターで長打を時々打つ。
そしてこの場合、塁に出れば武田よりも足が速い樋口の方がランナーとしては適している。。
それでも武田に打撃を任せて、塁に出れば代走という方が、戦力を上手く使うという点では良さそうだが。
武田にばしんと尻を叩かれて、樋口はベンチから出た。
状況を考える。
同点の九回の表の先頭バッター。そして裏からはキャッチャーとなり、もしこの表で追加点が入れば、そのまま直史がマウンドに上がる。
(なんとか一点を取って、一イニングだけにしたいな)
理想はホームラン、次が長打、最低でも出塁。
この投手の球種とここまでの配球を考える。長打を狙える。
樋口のデータを相手はあまり持っていないはずだ。持っていても、ヤンほどの分析能力はない。あったら大介を敬遠していた。
体格から見て、樋口は強打者と思われないだろう。ならば球威で押してくる。ストレートメイン。
そう読んで、踏み込んで打った初球は、奇しくも甲子園の決勝で打ったコースと同じ。
そして打球も同じように、スタンドまで飛んでいった。
これがこの試合の決勝打であった。
直史は呆れていた。
大介にも大概呆れるが、樋口にも呆れる。
甲子園準決勝での帝都一戦、決勝での白富東戦、そしてこの台湾戦。
このまま勝てば大きな試合で三つ、決勝打を放ったことになる。帝都一戦ではせこいセーフティであったが。
恐ろしく勝負強い。
(決勝打率とか逆転打率とか計算してみたら、こいつ大介並じゃないか?)
そう考える直史は、今日も通常営業の省エネ運転である。
相手は下位打線ということもあって、代打攻勢である。
それに対する樋口の要求は、カーブとストレートとスルーだけだ。
スルーは打たれない。その確信がほしい。
そんな意図は分からないでもないので、呆れながらも直史はリードの通りに投げる。
結果、三者凡退で抑えた直史は、おざなりに樋口と握手をして整列する。
そんな直史に、ヤンが握手を求めてきた。
「佐藤君は大学でも野球をするのですか?」
「そのつもりですけど」
「じゃあその時には投げ合えたらいいですね」
マウンドの上以外では、最後まで柔らかなヤンであった。
他の選手と握手をしていた樋口が話しかけてくる。
「なんだって?」
「大学の野球でまた対戦しようだってさ」
「へえ。どこのリーグの大学だろうな。まあ俺たちもどこに進むかは分からないけど」
「お前も早稲谷で決まりじゃないのか?」
「お前と違ってキャッチャーだからな。チーム事情によっては必要ないと言われるかもしれん。慶応か早稲谷のどちらかなら文句はない」
樋口の進路を考えれば、確かに私立ならそのどちらかを選ぶしかないだろう。直史も同じだ。
今日のヒーローは、相変わらず出塁率10割をしてしまった大介と、決勝打を打った樋口、そして先発の本多である。
直史はとことこと、さっさとバスに乗り込んでしまった。
先に待っていたのはセイバーである。
「お疲れ様です」
「疲れてないですよ。クローザーって楽なもんですね」
プロ野球のクローザー数十人に殺されそうなことを言う直史に、セイバーは笑ってしまう。
まあ高校野球でクローザーをすることなど、滅多にないであろう。
そんな笑顔を引っ込めて、セイバーは少しだけ深刻な顔をした。
「妹さんたちの正体がバレるかもしれません」
「正体?」
「S-twinsです」
「そもそもバラすつもりで、イリヤはあんなことしてるんじゃないですか?」
「どうでしょうね。とにかくバレた時のことは考えておいてください」
「日本代表に、うちの妹のこと話したのセイバーさんですよね?」
「……あの時はまだ、こういうことになるとは知らなかったので」
一応他の者には、口止めはしてあるらしい。
全く、わざわざカナダまで野球をしに来ているのだから、それに集中させてほしいものである。
「それと、第七戦から瑞希さんがこちらに来ますよ」
「聞いてないんですけど!?」
「スマホの電池切れてませんか?」
言われて確認してみれば、確かに。
イリヤ対策で樋口と話し合う時間が多かったため、すっかり忘れていた。
なんということだ。大切な恋人のことを忘れるなんて。
へこんだ直史に対して、セイバーは優しい声をかける。
「まあ私もフォローをしておいたので、すぐにメールぐらいは送っておくべきですね」
「分かりました」
それにしても、瑞希が来るのか。
これは少し、頑張った方がいいのでは?
「クローザーは冷静でいてくださいね」
頷きながらもやる気が戻ってくる直史であった。
×××
次話「スーパーラウンド」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます