第16話 マウンド上の魔術師
U-18ワールドカップ、オープニングラウンド最終戦。
Aグループ、日本対台湾の、全勝同士の対決。
日本は最初から有利である。言ってはなんだが弱い南アを相手に、主力投手を温存出来た。
調子の悪い選手の代わりに、控えであった選手も試した。おおよそ短期間で出来ることはやったと言っていいだろう。
日本の先発投手は、帝都一のエース本多。
そして台湾はヤン・ウェンリーである。
もはや恒例となった、バスから球場への通路で選手たちにかけられる声。
従来であれば必要もなかったのだが、警備が大幅に増員されている。
大介の名前を呼ぶ声が一番大きい。
そして実際に目で見て、信じられないのだろう。リトル・ジャイアントなどと呼ばれたりもしている。
背の低さは大介のどうしようもないコンプレックスであるが、同時に原動力ともなっている。
先日の試合後のインタビューで、大介は言ったのだ。
「小さいことがホームランを打てない理由にはならない」
野球のみならず全ての体重制限がない競技の選手にとって、大介の存在は希望。
あるいは夢とさえ言える。
まあむしろ大介の場合、体が小さいことによって、他の打者よりもストライクゾーンが小さくなるという利点さえある。
体の大きい選手が苦手な内角は、簡単に体を開いて打ってしまえるし、いかにも苦手そうな外角低めでも、遠心力でスタンドまで運んでしまう。
大介の苦手なコースは、あえて言うなら膝元だ。それも左のスライダー系の投手、つまり真田のようなピッチャーが苦手なのだ。
ヤンは右腕であるが、割と高速のシンカーを使ってくるので、それを膝元に決められたら打ちにくいかもしれない。
日本チームがベンチに行こうとした時に、近寄ってくる者がいた。
関係者以外は立ち入り禁止なこの区画で、ユニフォームを着た東洋系の少年。
ヤン・ウェンリーだ。
「こんにちわ」
日本語で挨拶をしてきた。
これから対戦する相手に、いきなり一人で声をかけてくるのは、なかなかの度胸である。
「おっす! こんにちわ!」
そしてそれに向かうのは大介である。
大介が好むピッチャーは、基本はストレートで押しながら、決め球となる変化球を持っているパワーピッチャーである。
しかしいつもそればかりを食べていては、舌が慣れてしまう。
それに手強いのは、直史のような投手だ。
普段なら直史に頼んで、めんどくさいピッチャーを打つ練習をするのだが、大会期間中は避けている。
もちろん昨日は仮想ヤンとして、直史は普通にバッピを務めていたりする。あまりにくるくると打者を空振りさせるので、調子を崩してしまいかねないと途中で中止になった。
「私はヤン・ウェンリーです。大好きな日本のチームと戦えて、とても嬉しいです」
どこか拙くはあるが、ちゃんと意味は伝わるしっかりとした日本語である。
台湾は親日国家なので、旧日本領であったころの老人は、そこそこ日本語の勉強を勧めたりする。
「や~、日本語お上手ですね」
なぜか大介が先頭に立って交流しているが、これから戦う相手に対して、わざわざ友好的に接しようとは思わない。
それが出来るとしたら、試合が終わってからだ。
「日本の大学で学ぶために、頑張って憶えました。日本の応援すごくうらやましいです」
「あ~、あれって台湾でも分かるの?」
「台湾は日本のアニメ、よく見れますからね」
世界各国で日本のアニメが大人気になったというのは、よく言われることである。
某国では影響力がありすぎて、政府が放送を禁止しようとしたことさえある。
「それに、日本のザ・マシーンと呼ばれるピッチャー」
興味がなかった直史であるが、視線を向けられてしまう。
「わたしもマシーンと呼ばれています」
まあ確かにビデオを分析する限りでは、そう呼ばれても不思議ではない。
だがおそらく、投げ合うことはない。
「佐藤直史さんは先発ですか?」
「そんなこと試合前に言うわけないじゃん」
「出来れば一緒に投げ合いたかったのですが」
「ヤン!」
見れば通路の向こうから、同じ台湾チームの選手が呼んでいる。
王だ。発音としては、ワンになる。
「それでは試合で」
終始にこやかなまま、ヤンは手を振って分かれた。
「盤外戦術か?」
そういうのが得意な武田がうなるが、木下は首を横に振る。
「違うやろな。台湾はどこぞの国と違ってあくどくもないし、アメリカとかみたいにガツガツもしてへん。まあプレイスタイルは油断できんけど、フェアなチームで続いとる。……プロの世界はちょっとちゃうけど」
なるほど、普通にちゃんとしたアマチュアスポーツの、スポーツマンシップを持っているわけか。
ならば今の会場の様子は、あまり歓迎するようなものではないはずだが。
日本選手団がベンチから出てくると、それだけで観衆が沸く。
お~お~、今日もミュージシャン応援団は、固まって観戦の体勢でいる。
しかしバカらしいことだが、前の南ア戦は日本側のベンチが反対側になってしまったため、わざわざ機材の移動が必要だったとか。
それぐらい主催者が配慮して、応援をしやすい体制にしてくれるとかではダメなのか。
「あれ移動して調整させるだけで、30万ドルかかったんですよね……」
遠い目をするセイバーである。
なおスーパーラウンドは球場自体が変わるため、さらに金がかかるそうな。
「それでも儲けの方が大きいから、まあいいんですけどね」
たくましい。
この試合も、先攻は日本である。
絶対的なエースを擁するチームを相手だと、先攻は心理的に不利であるが、大会の球数制限を考えるに、終盤でヤンはマウンドを降りることになるので、そこまで不利とは思えない。
日本のように先取点を奪うのが圧倒的に多いチームでは、やはり先攻は有利である。
言われたように台湾の先発はヤン。そして日本は不動の一番となっている織田が打席に入る。
大介にはさすがに及ばないが、織田もこの大会では大当たりという表現すら生易しい、圧倒的な存在感を示している。
第三戦以降はさすがにまともな成績になっているが、それでも打率がまだ五割を軽く超えている。
この試合で織田は、これまであまり言われていなかった、打席での指示をはっきりと受けている。
初球打ちは厳禁。相手ピッチャーの球種を多く引き出し、出来るだけ球数を増やす。
狙って三球三振が取れる上杉のようなピッチャー以外は、ボール球を振らせたり打たせたりして、アウトカウントを増やす必要がある。
ヤンの初球はアウトロー。左打者の織田のストライクゾーンぎりぎりに入ってきた。
ボールかと思ったが、ストライクの宣告。
(ああ、外角はストライクが広いんだった。忘れてたな)
二球目。
(同じ球?)
バットが出るが、変化量は少なくスピードは速く、レフト方向へのファールとなる。
(カットか)
あの変化量だったら、見送ればボールだったかもしれない。
三球目、ここで一球遅い球を入れるか、内角を攻めてから外角で勝負というのがセオリーだが。
(同じ球!?)
初球と同じ。だが少しだけスピードのあるスライダー。
ファウルチップの打球がミットに収まった。
「予想以上に細かい。追い込まれたらカットで粘ることも考えろ」
本日二番に入っている小寺に、織田は囁いてからベンチに戻ってくる。
「どうっすか?」
ベンチ前で大介に問われても、織田は首を横に振る。
「技巧派でも、佐藤みたいに違う変化球をガンガン組み合わせるんじゃなく、ほんの少しだけ違うのを放り込まれる感じだな。でもスライダー系だけでやられたから、まだ底が見えん」
事前情報ではもっと、変化球を多彩に操る、それこそ直史のようなピッチングをしてたはずだが。
「どちらも使い分けられる、か」
呟きつつ大介はネクストバッターサークルに入る。
変化球を使う投手は、主に二つに分けられる。
少しだけ曲げる投手と、ものすごく曲げる投手だ。
前者がアメリカには多く、日本は後者もそれなりにいる。
そうなる理由は日米のリーグの状況などに関連しているのだが、とりあえず大介にとって直史は、ヤンと同じタイプのピッチャーだ。
(スルーなんてムービング系だろ)
あれを打つのに比べたら、他のほぼ全ての変化球は、恐れるに足らない。
ただ、当然のことかもしれないが、ものすごく高いレベルで、大介は変化球より速球系を打つのが得意である。
(ヤンも真田もなんだかんだ言って、ムービング系の速球じゃないよなあ)
真田の高速スライダーは、細田のカーブと同じで、かなり攻略は難しかった。
目の前では追い込まれた小寺がカットをしたが、そこで今日初めての変化球が投げられる。
(お)
カーブだ。
落差はそれほどでもないが、小寺は空振り三振していた。
本日の登場音楽はダースベイダー。
しかしパフォーマンスでバットをXに振ることはしない。
う~むと大介は悩む。
正直なところ、ヒットは打てる。
だが次の打席でホームランを打つためには、この一打席目を捨ててしまいたい。
(つっても三者三振はまずいよな)
そう考える大介の構えは、普段よりもバットを体近くに寄せた、コンパクトなものである。
大介は頭が悪いと思われている。
一概にそれが間違いだとも言えないのだが、野球に関する直感的な部分では、極めて正確に事態を把握している。
打者と投手は、初打席では投手が有利。
そんな投手に向けて、普段とは違うフォームで対戦する。
投手はより安全マージンを取りたくなるはずだ。
初球。リリースポイントが違う。
(カーブ)
集中した大介に、もう応援の声は聞こえない。
空中を進んでくる、ボールのするするとした音だけがはっきりとしている。
「ボール」
縦に大きく落ちる。やはり最初からストライクに入れてくることはなかった。
二球目、おそらくはこれが本来のピッチトンネル。
(スライダー)
曲がりが大きい。これはぎりぎり――。
(いや)
「ボール」
普段とは違う内角のストライクゾーン。いつもなら入っていた。
大介が化物だと言っても、分析によってその傾向は分かる。
日本の甲子園の試合から、ここまでの世界大会の四試合で、かなり分析をしている。
高めならば、中と外は外れていても打ってしまう。
長いバットを器用に使えるので、外に外しても遠心力で放り込んでしまう。
三球目。外角。
(外れる。いや――)
わずかにベースに変化してきたが、それでもまだ遠い。
「ボール」
外角に広いストライクゾーンでも、まだボールであった。
ノースリーとなったことで、客席からブーイングが起こる。
基本的に観客は日本の味方だ。
応援席の歌を聴きに来ている客も多いが、だからといって大介のホームランが見たくないはずもない。
(一球入れてくるか?)
スライダー系を調整してくるか。
そう考えたが、フォームの角度が違う。
大介に当たるコースから、ボールはするすると懐に入ってくる。
内角低め一杯、ぎりぎりのストライク。
記録に残る限りでは、大介の一番打率の低いコース。
そこにファーストストライクを投げてきた。
これで見たのはカーブ、スライダーが二種類、そしてシンカー。
全て変化球というところが、この投手の徹底したところだろう。
あと注意しておくべきは――。
五球目。インローいっぱいのストレート。
(違う)
手前で沈む。スプリットだ。
動きかけたバットを止める。キャッチャーの捕球位置からも、明らかにボール。
やや臭いところを突いてきてはいたが、大介は一球も振ることなく塁に出た。
ツーアウトからなら、大介は敬遠してしまえばいい。
それは直史も考え実践した、大介を封じる方法である。
かつての紅白戦では大介に対する敬遠は、一度までと決められていた。
だがこの大会は別だ。極端な話、全打席敬遠してしまってもいい。
塁に出たからには、ランナーとしての役目を果たすべきである。
ヤンがセットポジションから投げる。クイックは速い。
(確認したとおり、変な癖もないか。っと!)
牽制も上手い。
乱暴なフィジカル頼りの野球ではなく、一つ一つのプレイが洗練されている。
技を極めて、相手の力を封じる。アメリカの観客向けではないが、日本では好まれそうな野球だ。
そして実城がファーストフライに打ち取られて、日本はこの大会で初めて、一回の表に先制点を取れなかった。
×××
次話「奇跡を起こさせない男」
早朝投下だよ!
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