第10話 危ない奴らのイカれた思惑
イリヤは頭がおかしい。
一見するとおとなしそうに見えるし、特定の状況にない限りは人畜無害に思える。特定の状況では生きた災害だが。
背は高いが痩せぎすで、ほんの少し走れば息が切れる程度の身体能力しかない。それでもその声は人を魅了する。
だが彼女の危険性は、そんなところにあるのではない。思想だ。
彼女は音楽の奴隷だ。だからそのためには何でも出来るし、しないといけない。
イリヤだってこの大会は、最初からこんな予定ではなかった。
だが、あれだ。
その場のノリというものだ。
だから必死で自分と、セイバーの伝手とコネを使って、一番面白くしてしまおうと思っている。
「というわけで、三日以内にはこの振り付けを憶えてね」
双子の部屋に来たイリヤはそう言った。
アメリカ戦までには、これを身につけておきたい。
最終日には全てを披露するが、やはり一番難しくて面白いこれは、アメリカ戦で使わなければいけない。
難しくても面白い選択があれば、必ずそちらを選ばなければ行けない。
それが才能のある人間の義務である。
「この振り付け、映像が途切れてる部分があるんだけど?」
一方が問いかけ、一方は画面を見ながらうんうんと頷く。
「それはちゃんと、振り付けを考えた人を探して教えてもらう予定。でも最悪、アドリブでどうにかして」
あなたたちなら出来るでしょう? とイリヤの目が言っている。
出来る。
出来てしまう。
まさかこういった事態を想定するかのように、双子はずっと踊ってきた。
バレエをやめても、踊り続けていた。踊っていないと死んでしまうかのように。
なるほどこの時のためだったのか、と得心した。
「でも本当にいいの?」
「後から問題にならない?」
二人の売り出し方は、事務所のほうでもちゃんと話し合っていた。
CMなどに歌を流し、顔出しはNG、なんらかの番組などにも出ない。ただ歌だけを浸透させて、認知度は高めつつ詳細は告げない。
おそらく受賞できる音楽関連の賞でも代理を立てる。そして散々期待を煽らせておいて、初めてのテレビ出演。
まあ、割と普通の戦略である。無難でもある。
このすぐに情報が拡散してしまう時代に、ひたすら正体を隠して一気に爆発させる。成功したら確かに楽しい。
「でも、こっちの方が楽しいでしょう?」
イリヤに迷いはない。
世界的なアーティストが集まり、バックコーラスまでしてくれて、世界的なギタリストが弾いてくれる。
そしてイリヤのキーボード。
さすがにある程度は打ち込みの機材を揃えざるをえなかったが、それでも豪華すぎる。
「スーパースターになる覚悟は出来た?」
イリヤは悪魔だ。
甘く囁き、契約書にサインをさせようとする。
だがその程度で臆するほど、双子は人間らしくない。
「歌って踊るだけでしょ?」
「いつでもやってることだし」
100万の観客の中でも、二人は怖くない。
あえて言えば、マイケルやケイティは少し怖い。だが、イリヤがいてくれる。
それにマイケルとケイティも、味方なのだ。あとはその才能に自分たちが飲み込まれないようにするだけ。
「歌うぜ~」
「超歌うぜ~」
やばい双子が、危険なやる気を見せていた。
そんな裏の事態の進行とは全く関係なく、本日も試合は行われる。
第二戦、相手はメキシコである。
「まあメキシコはある意味アメリカよりも手強いかもしれんなあ」
本日の試合を改めて確認するという意味で、木下はホワイトボードに写真を貼りながら述べている。
メキシコは国内にプロリーグを持っているが、基本的にそこの選手もメジャー志向だ。
アメリカと隣国であり、メキシコからの不法移民などで、国際問題となることも多い。
母国語は基本的にスペイン語であり、教育水準はそれほど高いとも言えない。英語が使えればアメリカに渡る。メキシコとはそういう微妙な国だ。
「多分、今日はゴンザレスが投げてくるんとちゃうかな」
メキシコは第一戦を勝利している。エースピッチャーを使わなかった。
日本戦に温存しているのか、それとも日本戦も捨てるつもりなのか。
ゴンザレスはメキシコのエースだ。平気で160km近くは投げてくる。
メキシコチームが強いのは、もちろんその前途に国内のプロリーグがあるからというのもあるが、やはりメジャーが最も近いからだ。
アメリカ国内にしても、マイナーとメジャーでは全く選手の待遇が違い、メキシコのリーグはマイナーの3Aと同格とされており、つまり国内での待遇はそれなりなのだ。
ある意味マイナー、つまるところ日本の二軍や育成枠というのは、アメリカやメキシコと比べると、はるかに恵まれているとも言える。
腹を空かせてアルバイトをして、いつ首を切られるか分からない。日本にはそこまで極端な二軍の土壌はない。
ハングリー精神では、日本を上回るとされている。だが、それはあくまでもプロで食べていくことを狙う連中だ。
U-18ももちろん、メジャーを目指す選手は多い。スポーツでアメリカンドリームを体現したいと思うのは当然だ。
しかし指導力と施設が、圧倒的に日本と比べると劣悪だ。
「身体能力頼みの野球やな。まあ、粗い。オランダの方がその点では厄介やったな」
木下の読みでは、バカバカな打ち合いになるだろうと思われる。メキシコのピッチャーに、強打者とは言え大介を敬遠する理由がなさすぎる。
この小さなスラッガーから逃げるピッチャーなど、スカウトにとってはなんの魅力もないだろう。
昨日の試合では他にも三人がホームランを打っているが、それを抑えるからこそピッチャーにとってはスカウトへのアピールとなる。
「けどそんなアホみたいなバッティングで、日の丸が負けたらそれこそアホやで。本多! お前がエースやぞ!」
本多勝。超強豪にして超名門の、東東京帝都一高校のエースピッチャー。
一年の夏から甲子園のマウンドに立った、間違いない日本のエースである。なにしろ甲子園では、味方の援護が段違いであったとは言え、上杉勝也に投げ勝ったのだ。
「メキシコはバッティング重視の打線や。単なるストレートやったら下位打線にも通用せえへん。けどお前のストレートは、ただのストレートちゃうからな!」
こうやって木下は選手を鼓舞する。
本当に本多は、一発病さえどうにかすれば、間違いなく日本のエースであるのだ。
直史はエースではない。ジョーカーだ。
そしてセイバーが付け加える。
イリヤが無茶をしたせいで、この大会の趣旨は変わってしまっている。
「イリヤが自重をなくしたせいで、この試合もまた多くの観客が入るでしょう。ですがその半分以上、あるいは九割が、野球を見に来た人ではないかもしれません」
非現実的な現実の言葉に、選手たちの表情が消える。
あるいはこれから起こることは、彼らにとって生まれて初めてで、おそらく二度とない屈辱的なことになるかもしれない。
「イリヤは自分の目的のために、球場をコンサートにすることを決めてしまいました。ですから皆さんのすることは、ただ一つ」
そしてセイバーは、くいっと首を刈る仕草をした。
「圧倒的パフォーマンスで、客を野球に引き戻すことです」
なるほど、とこの場の多くの人間が思った。
ロジックとマネーパワーだけでは、高校球児を動かすことは出来ない。セイバーには勝負師の勘が備わっている。
エロならば動かせるかもしれないが、彼女の胸力は比較的控え目だ。
(勝負どころを分かってるんやな)
木下は悟る。野球関連としては全く役に立たなかったが、彼女は短期決戦を戦う方法を知っている。
それは自分が投手の継投のタイミングを計るのと同じだ。
「だそうだけど、俺たちはどうする?」
小声で樋口が直史に問いかける。
試合終盤の、基本的には勝ちパターンで登場する二人に、あまり出番はなさそうだ。
「まあ一つはいつも通り勝たせることと……160kmは投げられないしなあ」
100マイル(およそ160km)というのは、ホームランと同じで分かりやすい魅力だ。
「どうせ球速表示出ないだろ」
「配信の映像には出るだろ」
「球場の雰囲気はどうするんだ?」
頭を振る直史である。
「奪三振はどうだ?」
樋口の言葉に、直史は視線を合わせる。
「一試合25球までで、それで三振主体のリードをするのか?」
「難しいが、狙う価値はある。それともう一つは、お前が準決勝でしたことだな」
準決勝。甲子園の大阪光陰戦。
完全試合。
「お前のパーフェクトピッチングが続けば続くほど、その記録に対する期待はどんどん大きくなる」
それはまあ、そうだろう。
決勝の九回、日本が一点でもリードしている場面。そこに直史が登板する。
それだけで相手のチームは絶望するというわけか。
いい。
相手の希望を叩き潰す勝ち方というのは、結果的に決勝で相手にプレッシャーを与えることにもつながる。
問題は可能性だ。
「球数制限、三振、パーフェクトね」
これを全て同時に達成するというのか。
「欲張りなやつだな」
「最初の目標は高い所に設定しておくもんだ」
樋口の計算は、直史の思考に似ている。
ただ勝つのではなく、その勝利の先のものを見ている。
挑戦するのは――少なくともつまらないことではない。
「狙うか、ジン」
「悪いが相棒違いだ」
「……即席バッテリーでそこまで狙うのは難しくないか?」
「昨日の試合、俺のリードはまずかったか?」
正直なところ、素晴らしかった。
だがどこかわずかに、違和感があったのも確かだ。
「佐藤、遠慮はいらないぞ。中坊に160kmを投げ込んでくるピッチャーに比べたら、お前ははるかに常識的だ」
「そこだな」
直史には分かった。
樋口との間にある、わずかな膜。
「ジンは俺のことを、ナオって呼ぶんだ」
「……なるほど。じゃあお前も俺のことをケントって呼んでいいぞ」
「そりゃ当然だろ。こういうのは相互関係でないと」
そして直史は樋口に右手を出す。
「よろしく、ケント」
「こちらこそ、ナオ」
これが本当の、バッテリーの誕生の瞬間であった。
――とある小規模な、しかしある種選ばれた者たちのチャットにて。
影丸さんが入室しました
影丸:オハー
エウメネス:おはです。終わりました?
カカロット:やっぱり聞いた限りだと同一だと思えますが
影丸:オワタ。結果から言うと、別人だという結論にはならなかった
親父:? どういうこった
影丸:声紋というのは確かに一人一人違うものだけど、同じ人間でも周囲の状況によってノイズが入るし、今回は声の特徴から一般的な体格のサンプルも出してみた
HAL:おお~。なんか分からんけどすごい
1212:別人でないというのと同一人物なのは、かなり違うと思います。
影丸:まずS-twinsの声紋分析から始めた。体格的にはそこそこ筋肉のある、身長170cmぐらいまでの10代半ばから後半ぐらい、そしておそらく黒人ではないという結果が出た
エウメネス:え? そんなのも分かるんですか?
影丸:分かる。そもそもCMに使ってる音声なんてトリミングしまくりだから、その痕跡を辿れば。こっちは簡単だった。もちろん統計的な結果だけど
親父:双子ってそんなにがっちりしてるとは見えんけど
カカロット:それは確かに。でもあの踊ってる姿見てると、ある程度鍛えてるのも
エウメネス:あの踊り方はダンススクールで習うレベルですね。前にも言いましたが体幹の粘りが違います
HAL:肝心の声紋の一致は?
影丸:試合中の声にはノイズが多かったから、それをトリミングするのが大変だった。そもそも合唱してる部分が多かったし
1212:すると白石のホームランシーンの歌が重要ですか。
親父:その結果は?
影丸:中継の歌がS-twinsである可能性は、99%
エウメネス:おお~!
カカロット:やりましたね
影丸:だけど別人の可能性もまだそこそこ。それにあの二人、双子だからノイズとしてトリミングして良かったのか
1212:双子だと声も同じになるんですか?
親父:指紋も双子では違うはずだから、微妙に違うんじゃね?
影丸:そもそも声紋認証では、双子だと同一人物と誤認する可能性が高い。指紋認証の正確さが99.9999%以上なのを考えると、もう少しサンプルがほしい
エウメネス:じゃあ公開するのはまだ先と
カカロット:でも歌は上手いですよね
影丸:そもそもあれ、本当に録音じゃなくて生声だったのかが微妙とも言える。佐藤の妹の生声、サンプルない
親父:それな!
エウメネス:生歌にしては上手すぎましたからね
1212:そもそもあれだけダンスで動いた後の歌が、あそこまで軽々と歌えるというのが疑問です。
親父:S-twinsの宣伝に佐藤の妹を使った
影丸:もっとサンプルが増えて、あの二人が踊りながら歌って生歌と確信出来るシーンがほしい。そこからもう一度解析する
エウメネス:一応資料とかも用意しておきますかね。ここで発表して単に録音だったなら意味がありませんから
カカロット:エウメネスさんは仕事に関わるから大変ですね。私はS-twinsの露出が増えてくれたら嬉しいのですが
HAL:そもそもカカロットさんが言い出したことだしね。Iriyaそんな好き?
カカロット:世界的な大ヒットソングを別々の歌手に七曲作ったという時点で伝説かと
親父:そもそもIriyaとIriyaItが同人物だという証言もないわけだが
カカロット:それは分かりますよ。曲に使うフレーズが似ていますから
影丸:中継に備えてそろそろ寝る。次の報告はまた明日の今頃
エウメネス:乙です
1212:お疲れ様です。
HAL:乙
影丸さんが退室しました
HALさんが退室しました
「S-twinsが双子と同一人物ね……」
この小さなコミュニティで指摘されるまで、全く気付かなかった。
佐藤の双子は応援団の中でも、主にチアとして活躍していたからだ。甲子園においてマイクを使った拡声は禁じられており、それに地方大会も準じている。
大勢が合唱するのはありであるが、双子は歌うよりもまず踊る人間であった。
しかし彼は知っている。
知っているし、聞いている。ほんの数度であるが。
双子は死ぬほど歌も上手い。
新入部員歓迎会であの双子は、完全なユニゾンダンスをしながら、何曲か歌ってみせたのだ。
途中からノリノリになったイリヤが電子ピアノで乱入して、また何人かを茫然自失状態にしてしまった。
試合前でなくて良かった。
しかしイリヤは何を考えているのか。
いや、何も考えずにその場のノリでやっているのかもしれないが。
監督責任を追及されるとして……セイバーは既に監督から正式に退いている。
そもそもこれは何が問題になって、誰かが責任を取らなくてはいけないものなのか。
分からん。
だがあの攻撃側応援の楽曲の選択。
甲子園では禁止された応援の仕方を、まるで鬱憤晴らしのようにしているようにも思えた。
「つーとまさか……全世界に流れるのか? え、でも何をする?」
第一戦の大介の打席で流したのは、中京球団でも使われている応援曲だ。
逆転一発マンならば確かに大介には合ってるように思えるが、実際の大介のホームランは、先制一発マンやダメ押し一発マンであることが多い。
その後にさんざん洋楽のラブソングが流れたのには笑ってしまったが。
ならば、次は何をする?
イリヤは音楽を楽しみ、音楽で楽しませてしまう人間だ。
彼女に勧めたものは……アニソンばかりである。
駄作の中に少数のアニメを潜めて渡し、彼女をクールジャパンの沼に沈めてしまった責任は、やはり自分にあるのだろうか。
「まずい……曲だけはいいアニメなんてクソほどあるし、あ……」
双子という最強のデュエットを手に入れたイリヤは、散々あれがやりたいと言っていた。
そう、あれがやれてしまう。しかもバックコーラスまでいる。
「え? あれか? マジか? ……やべえ、あれ振り付けとかも権利関係やばいぞ……」
そこはさすがに芸能人だから、なんとか許可は取るのだろうが。
とりあえず仔細をただすため、手塚はイリヤにメールを送るのであった。
×××
今更であるが、たとえこの小説が書籍化され何かの間違いでアニメ化しても、この第三部は絶対に映像化されないであろう (*´∀`*)
次話「ホームランをねらえ!」この後すぐ。
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