第9話 将来の不安
時差を無視して簡単に通信が出来るようになった現代、それは非常に便利ではあるが、人を追い詰めるのも容易になったのだ。
「すみません、まだマスコミから離れられなくて。終わったら少なくともメールでは知らせるように伝えますから」
副監督である芝は、スマホの先の人物に、とにかくそう説明するしかなかった。
なんとか通話を切った芝の視線の先には、黄昏た背中を見せる木下がいる。
ホテルに戻ってきた木下は、とりあえず選手たちに解散を命じると、部屋に引き篭もった。
大阪光陰の選手は少し心配そうにしていたが、それ以外の選手は……佐藤が少しだけ、気の毒そうな視線を送っていた。
そのままホールでの夕食の席でも、木下は出ていない。部屋に篭もって、成すべきことを成している。
「せやな……やっぱここは本多やな……一発病があるから、攻撃的な打線にして……」
明日のスタメンを組んでいるのだ。現実逃避ではない。ないはずなのだが……。
ここは試合の采配だけに集中してもらって、出来るだけ自分がフォローしようと考える芝であった。
一方こちらは日本。
「何が起こったの……」
時差の関係で新聞には間に合わず、そのニュースは当然ながらテレビで流れることとなった。
MHK(みんなのための放送協会)の朝7時のニュース、そのトップで流れる映像。
瑞希は呟いて、フォークからサラダのキャベツを落とす。
彼女も良く知る同級生、白石大介のホームラン映像が三連発で流れた。
割と堅めの印象のアナウンサーを使うこの局なのだが、彼はニコニコと笑っている。
『カナダで行われているU-18野球大会、若き侍たちがやってくれました』
そして再びホームラン映像だが――瑞希の知る限り、この三人は、白富東と対戦したチームの主力だったはずだ。
それぞれが一本ずつのホームランを打った後、大介のホームラン映像がまた三連続。
『甲子園の三冠王白石、世界を舞台に一試合三ホームランの大会記録を叩き出しました』
あらあら、と母が追加で牛乳を持ってきてくれる。
新聞を読んでいた父はスポーツ欄をひっくり返すが、どうやら印刷に間に合わなかったようだ。
「新聞には載ってないな。時差か」
次に画面に映った姿を見て、瑞希は牛乳を吹き出した。
白いものが彼女の唇からたれる。
「ちょっと」
「うん、ごめん」
そう言いながらも瑞希は画面から目を離せない。
「何やってるの、あの子たち……」
瑞希の恋人である直史の、お騒がせな双子の姉妹。
それが――瑞希でも顔と名前が一致するような、洋楽の大御所と並んで、応援のためか熱唱している。
よく見ればそのほとんど隣に、メイクをしたイリヤもいる。
「いったい何やってるの、あの子たち……」
これは、世界大会だ。
甲子園は確かにその観客動員数は、世界の一国家の大会としては相当のものである。特にアマチュアのスポーツとしては最高と言っていい。
しかしこれは国際大会であり、当然ながらネットで世界に配信されている。いや、まあ甲子園も普通に配信自体はされているのだが。
『各国の野球ファンのミュージシャンも集まって大興奮です』
いや、そういう話ではないだろう。
地味な大会だと直史は言っていた。
それでもまあ、一応は世界大会だからと、お守り代わりに渡したものもある。
「ほら、顔を拭いて」
渡されたタオルで言われるままに顔を拭くが、内心の動揺は隠せない。
「ちょっと瑞希、行儀が悪いわよ」
「ごめんなさい、ちょっとだけ」
瑞希はスマホを操作する。
直史が身につけている可能性は低い。だが確実な情報を手に入れねばならない。
メッセージを送った瑞希は、改めて朝食を再開した。
学校も大騒ぎになっていた。
世界大会に直史と大介が出場するのは知らされていた。しかし小規模な大会だとも言われていた。
だがその結果は朝のトップニュースになっている。
ネット配信などで試合中継がガンガンと流れ、ネットのトレンドにもなっている。
直史や大介が話題になるのは、もう別に珍しいことではない。しかしその中に見逃せない単語がある。
双子。
甲子園の話題の中でも、あの二人は確かに目立っていた。
かなり可愛い顔立ちで、驚くような動きのダンスをし、ユニゾンツインズなどとも呼ばれていた。
だがせいぜいそこまでだ。彼女たちが歌うことは、知られていなかった。
だがこれはまずい。
あの双子が歌うことを知っているのは、それなりにいる。だがその歌が、ビジネスとして成立しているのを知っているのは、それほど多くない。
二人の歌声はテレビで流れている。それが今回の映像の歌と比べられれば、すぐに推測は立つ。
そもそもS-twinsという名前で出しているのだ。このSが何かというのは色々と言われているらしいが、スーパーでもスペシャルでもスイートでもなく、ただのサトウなのだ。
まあK-1のKが様々な意味を持っていたのと似ていないなくもない。
出会った野球部関連の人間は、皆興奮している。
直史も地味に活躍していたが、大介の成したことはそうそうありえるものではない。
一試合にホームラン三本というのは、確かに大介にとっては珍しくないことなのだが、それを世界大会で成すというのが驚異的過ぎる。
「俺たち、本物のスーパースターと同じチームだったんだな……」
ジンの教室に野球部の人間が集まって、世界大会と今朝のニュースを話題にしている。
だが彼らは、イリヤが芸能人であることまでは知っているが、双子のことは知らない。知っているのは武史だ。
「あれ? 瑞希ちゃーん」
シーナの声を背に、瑞希は一年の教室に向かった。
予想通り、武史の周りもすごいことになっていた。
「あ、ちょっと姉さんが来たから」
そう言って抜け出す武史であるが、あいつに姉がいたのか、と首を傾げる者はいた。
「何? 姉さん」
「……さすがにその呼び方は気が早いと思うの」
「うん……でも俺、優しい姉さんがほしかったんだ……」
あの双子の暴走を知る瑞希としては、分からなくもない。
もっともあの双子の方は、割と瑞希にも懐いているのだが。
それはそれとして。
「なんだかカナダの方が変なことになってるらしいけど、どういうことなの?」
「ああ、それね……」
普段なら遠い目をしてしまう武史であるが、今回は彼に実害がない。
いくらあの双子が非常識なことをしても、兄とイリヤがいるのだ。
ある程度の事情を聞いた瑞希は、彼女にしては珍しい表情をした。
武史の知る瑞希は、穏やかなお姉さんだ。これが将来の義理の姉になるのかと思うと、やったぜ兄貴と、直史を褒め称える気持ちが湧くのである。
しかし今の彼女の表情には、負の要素が見える。
彼女は何か悪いこと、嫌なことがあったとしても、自分の感情を処理できるタイプの人間だったはずだ。
体つきはどちらかというと幼いぐらいなのだが、母性を感じさせる。包容力とも言うか。だからこそ直史と付き合っていられるのだろうが。
「なんだか、えと、違ったらごめんだけど、瑞希さんてイリヤのこと苦手なの?」
そう言われた瑞希は一瞬驚いたような顔をして、そして俯いた。
イリヤは、それなりに瑞希には親しげに接している。
彼女もまた瑞希とは別の方向で、他人との関係で悪い感情を抱かない。
テスト前の勉強で、半泣きのイリヤに親切に勉強を教えていた瑞希の姿を、武史ははっきりと憶えている。
「苦手と言うより……」
ふう、と瑞希は息を吐く。
「好きな人にあんまりなれなれしくする女の子がいたら、嫌じゃない?」
ああ、武史は納得した。ごく当たり前のことだ。
イリヤは性別年齢顔面偏差値性格、あるいは人間と動物とさえも区別せず、一塊の存在として扱っている気がする。
その中で少し特別扱いしているのは、直史と双子の佐藤兄妹ぐらいだ。
他は一列で、同格。朝日も、風も、蟻も、人間も。超越している。時々かなりへっぽこにもなるが。
瑞希と仲が良く見えるとしたら、それは二人の関係性からもたらされるものだ。
情報は仕入れた。
しかし、瑞希には判断が出来ない。
「妹さんたち、あのまま歌っていたら、芸能界のことがバレない?」
「あ~、それはそうかも」
芸能界関連のことは、一応学校にも報告してある。だが双子が出したのは、暁の歌一曲だけである。
イリヤは二人に色々と歌わせているが、どうやらまだ満足したレベルには達していないらしい。
あの妹たちに出来ないことがあるというのは、武史にとっては驚きなのだが、芸術の方面であればそれもありえるのだろう。
武史にとっては子供のころから恐怖の象徴であった双子だが、大介やイリヤとの出会いによって、世の中には超人と言える人がいるのだと分かった。
大介などは、上杉勝也は自分より凄いとさえ言っている。
世界の広さを知るのは、その世界で生きている者に触れてからだ。
「武史君は、イリヤが怖くないの? 私は時々、怖いというか危ないと思える」
こういう言い方をするのは、瑞希にはやはり珍しい。
彼女が人間を負の面で語る時は、もっと理路整然と批難する場合が多いのだ。
「怖いかなあ? 変なやつだとは思うけど」
「変なやつ……」
瑞希にとって武史は、図体は大きいが割りと分かりやすい、弟のような存在であった。
だが彼は、直史とはまた全く別のベクトルで、強さを持っているのではないか。
イリヤにしても直史に対しては、異性として接しているとは思えない。それは確かだ。
むしろ彼女がリラックスしている時は、武史と一緒の時の方が多い。
(今からカナダに……)
無理だ。パスポートは持っているが、準備も説得も時間が足りない。
そもそも自分が行っても、何が出来るのだろうか。
瑞希は未来に対して、漠然とした不安を感じていた。
イリヤはある意味、音楽の奴隷である。
音楽の発生は、あるいは言語の成立よりも早かった。もしくは音楽こそが言語、意思伝達手段だったとも言える。
戦うよりも早く、人類は音楽を知った。
イリヤにとって音楽というのは、そういうものだ。だからクラシックの範疇に収まることはなかったし、ジャズで売ろうとして失敗した。
彼女の音楽は、音であることの全てだ。
そして彼女は映像さえも、あるいは匂いも、味も、触れ合う温かさも、全て音楽にしてしまう。
彼女にとって音楽は必死で譜面に描くことでもあるし、その場でアレンジすることでもある。
そんな彼女が、本気になってしまった。
この、世界に怖いものなど何もない。それこそ音楽を失うこと以外は。
そんな彼女が、である。
『イリヤ、計画を全部おしゃかにするつもり?』
画面の向こうで怒っている早乙女律子に、イリヤは非情にも告げる。
「そんなことより、ちゃんと許可は取れたの?」
『そんなことって……』
頭痛がする律子である。
イリヤが世界大会で日本の応援をする。これを聞いた時は、また奇妙なことをするものだと思った。
一銭にもならない。むしろ全額を負担してまで、日本チームの応援をしたい。
友人たちを誘ったと聞いた時は、そのメンバーのあまりの豪華さにくらくらしたが、まあいいだろうとは思った。
話題にはなるだろうし、イリヤがアメリカの友人たちに会うなら、別に問題はないのだ。
会うだけなら。
「それで、許可はもらえたの?」
『権利関係がはっきりしないのよ。楽曲だけならともかく、振り付けの方が』
「いつまでかかるの? こちらはあと二日ほどで形にするけど」
『二日……』
律子は青ざめた。
イリヤが完成すると言ってしまうのは、つまりもう、そのまま公開してしまうということだ。
「もっとも一番目立つ試合を選びたいから、振り付け関係は決勝まで待ってもいいわ」
その言葉にほっとする。
『それなら多分、なんとか』
芸術家が無茶を言うのは知っているが、イリヤは本来こういうタイプではなかったはずだ。
しかし今彼女の傍には、マイケル・オブライエンやロッシュ・ハワードがいる。
世界ツアーで散々周囲に迷惑をかけて、それでも平然と最高のパフォーマンスを行ったレジェンドたちだ。
彼らに共通している認識は一つ。
やった者勝ちである。
沸かせた方が偉いのだ。
確かにこれは、売り出し方としては空前絶後の方法であり、しかも比較的金がかからない。
既に舞台は存在していて、向こうがその価値に気付かない間に、準備するリソースは買ってある。
地味な大会であるとしても、世界中の野球ファン数万数十万数百万にまで、届く可能性がある。
いや、レジェンドたちを集めて、一試合目で歌わせてしまった時点で、半ば成功していると言ってもいい。
(社長案件だけどね)
日本の小さなパイを無視出来るほど、イリヤのやってしまったことは大きい。
あるいはこれは……日本の音楽史に残る出来事になってしまうかもしれない。そう考えると律子のハラハラはドキドキにもなってしまうのだ。
彼女とて、音楽の魅力に取り付かれて、この業界に入ってしまった者なのだから。
通信を切ったイリヤは、譜面を打ち込みながらも歌詞を英訳していく。
日本語でも歌うが、この舞台を考えれば英語で歌わせる方が面白い。そう、面白いならそれをしてしまうのがエンターテイナーだ。
熱中するイリヤの姿を見ながら、ケイティはベッドの上で寛いでいる。
「ねえイリヤ、私も何か手伝おうか?」
「ケイティには本番で手伝ってもらうわ。あの二人はまだ伸び代があるけど、私じゃ高音部は歌えないから。それとあとは、このあたりを見ていて」
「動画? 日本のアニメーションよね? これを歌うの?」
「日本の歌詞は一部に英語を使っているのがとても多いのよ」
イリヤの目から見ても、日本文化の他国の文化を吸収する能力は異常だ。
漢字に平仮名までは分かるのだが、カタカナにアルファベットまでを普通に混ぜてしまうのは、バイリンガルの彼女でもキチガイ沙汰としか思えない。
「え、ちょっと待って。これを歌うの? 今のイリヤが? ロックでしょ?」
イリヤはもう、激しい歌は歌えない。正確にはバラードなどでも、声がもたないのだ。
ここまでテンポの速い歌を、今の体で歌うには――。
「だからあの二人を選んだのよ。まさかこんなことになるとは思ってなかったけど」
この事態はイリヤだって全く想定していなかった。
だからこそ大急ぎで衣装を発注し、機材の調整を任せ、そしてバックコーラスのために歌詞を英訳し、楽器演奏も出来る人に頼んでいる。
「ウィナーズに楽器演奏だけをさせるって……ねえイリヤ、言っていい?」
「どうぞ」
「控え目に言って、貴方は最高にクレイジーだわ」
「ありがとう」
演出が問題だ。
最終戦にはそれまでの全てを出す。だがそれまでに布石は打っておかなければいけない。
「でもイリヤ、大丈夫なの?」
ケイティは思い出す。イリヤが初めてやって来た時のことを。
そして大勢の観客の前に立たされ、初めて歌った日を。
あの時のケイティの後ろにはイリヤがいた。
「大丈夫よ。彼女たちは二人だし、けれど二人で庇いあっているわけでもない」
「スーパースターになる準備は出来ているってこと? 一万人しか入らない会場じゃもったいないわね。それに警備の方は?」
「それは別の人が――」
というタイミングで、ノックの音がする。
入ってきたのはこれまた楽しそうに笑うセイバーであった。
「マリー、準備は?」
「こちらは大丈夫よ。それにしても白石君だけでなく織田君も、かなりスカウトの注目を集めてるわね。ケイティ、あの子貴方に本気よ」
「彼がプロのスーパースターになったら考えるわ」
歌の女神は辛辣である。
「それでマリー、かなり迷惑をかけたんじゃない?」
「そうでもないわ。誰だって色々なスーパースターの誕生に立ち会いたいとは思うのは当然でしょ?」
「お金もかかったんじゃない? それはいいの?」
「何を言ってるのイリヤ」
その瞬間のセイバーの笑みは不敵だった。
「私はコーチじなくマネージゃーなのよ。自分が損をすることはしない」
イリヤが音楽の化物なら、セイバーは経済の化物だ。
資本と才能が組み合わされば、とてつもないことが起こる。
ケイティですらも少し背筋が寒くなる二人の光景であったが、一つ聞いておきたいことがあった。
「そういえばイリヤ、このアニメのテーマとかはあるの?」
アメリカのミュージカルなアニメ、子供向けのアニメが身近にある彼女は、日本のジャパニメーションへの理解は薄い。
「テーマ……そうね」
全く、これをオススメしてくれた手塚には、いいお土産を買っていってあげなければ。
彼もまさか自分のささやかな行動が、世界を変革するきっかけになったとは思っていないだろう。
「歌で戦争を終わらせるの」
「それは……全てのミュージシャンの夢ね」
呆れたようにケイティは溜め息をついた。
×××
次話「危ないやつらのイカれた思惑」サブタイ変更はあるかもしれません。
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