第8話 もうどうにも止まらない
試合開始時に2000人ほどであった観客は、終了時には3000人ほどに増えていた。
国際大会であるから、さすがにマスコミも多いのであるが、地元に系列のあるマスコミやフリーは、既に集まったミュージシャンの方に向かっていたりする。
キリキリと胃が痛い木下であるが、インタビューにはちゃんと答えなければいけない。
「いや、投手の継投のタイミングと、西郷君を代打に送ること以外は、全て選手に任せていました」
本音であり、事実である。
そこから少し離れたところでセイバーは、旧知の人間と会っていた。
「ビリー、本気で? 英語も出来ない日本の高校生を、メジャーに?」
「本気だよ。彼はどうせ日本でプロになるんだろ? それからポスティングをしても、最高額でしか引っ張れない。日本の新人の上限年俸額を超えてでも、彼と契約したい」
ここでは名前の出せない某メジャー球団のスカウト……ではなくGMが、セイバーに食い下がっているのだ。
確かに、話は分からないでもない。
日本で活躍した後にMLBへ移籍となると、当然ながら日本でも成功している選手ということだ。そして球団側がそれを手放すからには、ポスティング上限額を提示するのは当然だろう。
現行のルールでは2000万ドルだ。それなら今200万ドルを出してでも、MLBで契約したいということだ。
まあ日本の契約金一億円、出来高含めて+5000万円という上限は、あくまでも建前である。実際には複数年契約を、見せられない契約書で提示し、それ以上の金額で契約するレベルの選手もいる。
だがもしそれを込みで、MLB球団がそれ以上の金額を積み上げても、セイバーは大介を渡さないだろう。
MLBの現場は過酷だ。特に高卒の選手にとっては。
どれだけ実力があると思われていても、マイナーから始まるのは同じだ。そこで実績が上がれば、当然上には上がれる。
しかし大介の場合は、基本的な会話の問題がある。今ではおおよその球団に通訳がいるが、高額の年俸を払うとは言っても大介に付きっ切りになるのは難しいだろう。
これが既に実績のある選手であれば、専用の通訳もいるのかもしれないが。
大介は上昇志向自体はある。だからいずれアメリカも視野に入れるだろう。
だがまだ、日本でやり残したことがある。
大介がプロを目指す最大の理由。
それは、上杉勝也との対決だ。
大介が高校入学以来、結果的に打ち崩せなかったピッチャーというのはいる。
だが歯が立たずに敗北したのは、上杉勝也ただ一人だ。
彼とプロで戦うために、大介は野球をしている。
一刻も早くプロで対決するために、甲子園で成績を残すと決めた。そしてそれは既に成した。
説明を聞くとビリーも顔をしかめるしかない。
「上杉か……」
二年前の世界大会で、上杉は彼の担当回を全てノーヒットピッチで終わらせた。
ドラフトの獲得にはMLB球団も複数動いたが、彼には全くその当時、MLBへの興味はなかった。
彼は生まれと育ちのせいか、故郷に強い郷愁を感じている。
地元の公立高校で甲子園を目指し、そしてプロにも普通に日本の球団を選んだ。
彼は地元への、そして拡大したとしても日本への愛が強すぎる。
世界大会への参加を促されたら、日の丸を背負って投げることには躊躇いはない。
しかしアメリカに渡ることを、挑戦とは思わないだろう。
彼にとって大切なのは、日本の観客に自分のプレイを見せて、日本の球団で戦うことだからだ。
そして上杉が日本にいる限り、大介はそこでの勝負で満足する。
大介は俗な人間だが、同時に庶民的だ。
自分と、母とその父母、それぐらいが適度に幸せに暮らせたらいい。
アメリカにプール付きの大豪邸を建てて、女優たちと浮名を流すことなど考えてもいない。
究極的なことを言うと彼の上昇志向は、単に野球が上手くなりたいというだけなのだ。
「私はあきらめないよ」
去っていくビリーの背中を見て、セイバーも新たな戦いをすることを決めた。
この試合のヒーローは、一回から四回までを完封した吉村、五回から八回までを一失点に抑えた加藤、そして打撃では大介と織田であった。
ホームランを打ったのは実城と西郷もであるが、この試合は大介と織田がひどすぎた。
一試合に三本のホームランと、サイクルヒットってなんぞそれ。
「ケイティが見てくれていたんです! 今日のホームランは彼女に捧げました!」
なおこの織田の熱烈な言葉はちゃんと日本でも紹介された。
大介はある意味と言うか、当然のごとくと言うか、それ以上の扱いである。
「いや、三本目のホームランは狙って打ったもんじゃないっすから」
アメリカ基準でも明らかに外角のボール球を、ホームランにされたのではたまったものではない。
日本は再認識した。
白石大介は世界基準でも化物であるらしいと。
そして地味にラストイニングをパーフェクトピッチしたバッテリーは、さっさとバスに向かっていた。
「マジで10球以内にしてくれるとは思わなかったな」
「二人目が初球打ちしてくれたからな」
カットボールでセカンドゴロ。守備が堅いのは分かっている。
三人目はじっくりとボール球も使って、最後はスルーだった。
決め球を持つ投手。それをリードするのは難しくない。
「一応聞いておくけど、制球が甘い以外にあのボールの弱点とか欠点ってあるのか?」
「……この大会では問題ない」
「そうか」
意地の悪い聞き方だったと思う。
来年もまた戦うであろうチームの頭脳に、そんな弱点を言えるわけがない。
この大会では問題ないと言ったのは、せめてもの義理というものだろうか。
最低限の言葉の中に、攻略のヒントは隠されているのかもしれない。
「まあ他の変化球と同じで、多投しにくいのは確かだ」
そんな二人が乗り込んだバスには、既に先客がいた。
「なんでここにいるんだ?」
イリヤは分かるとしても、ケイティと双子がいる。
「部屋が空いてるみたいだから、お兄ちゃんのホテルに移ることにしたの」
「迷惑だ。戻れ」
愛する妹たちが相手でも、直史の基準はぶれない。
容赦のない直史であるが、双子がいれば大介の神経が休まらない可能性があるのは確かだ。
大介もまたメンタルお化けではあるが、双子の攻勢をずっとしのぐのは辛いだろう。
「大丈夫」
「本当におとなしくしてるから」
ふむ、と直史は頷いた。
双子はこういう約束をすれば、ちゃんとそれは守る。
考えてみればこのような場で大介に付きまとってパフォーマンスを下げるのは、双子にとっても不本意であろう。
どれだけ大介にラブラブであろうが、大介の足手まといになることは避ける。その前提は守ろうとする。
「お前の妹はともかく、そっちの芸能人はどうするんだ? 織田さんが発狂するぞ」
樋口の指摘に、天を仰ぐ直史。
確かにあの織田の姿を考えれば、変な方向にテンションが上がってしまう可能性が高い。
直史は憶えている。イリヤによって力が解放されてしまった武史のことを。
全開を超えた、自分の想定以上のプレイというのは、怪我につながりやすい。
「イリヤ、そっちの彼女は?」
「私の部屋をダブルに変更したの。アメリカ時代は一緒に住んでたこともあるし、彼女寂しがりやだから」
ツインではなくダブルなのかと、少し疑問には思った。
ちなみにどうでもいいことかもしれないが、ケイティはスイスの山岳地帯で、羊と共に育っていた。この、現代世界で。
勉強はネットによる通信。歌っていたのはヨーデルだけ。
それがイリヤの歌を聴いて、自分のヨーデルをイリヤに送った。それが二人の始まり。これが正確な事実だ。
この逸話はネットを探せば普通に出てくるものである。
そしてあまり出てこない話であるが、ケイティがある程度英語が話せるようになるまで、イリヤは彼女にべったりとくっついていた。
同居は彼女が流暢に英語を話せるようになっても続き、今でも彼女はNYにいる時はイリヤ名義のマンションで暮らしている。
ケイティにとってイリヤは単なる親友ではなく、いわゆるソウルフレンドである。
そしてイリヤにとって佐藤家のツインズは、失った自分の片翼と同等の存在である。
あからさまではないが、双子とケイティの間には、微妙な緊張感が生まれつつある。
ケイティの声は、イリヤの代わりにはならなかった。
絶望したイリヤを復活させたのは、直史だった。そしてその妹が、自分の欠けた部分を埋めてくれる。
これはもう運命だ。
もっとも直史にとって、そのあたりは関係のない話だ。
「イリヤ、今日の試合の観客の反応を見てると、球場がライブコンサートになる可能性があるぞ」
「否定しないわ」
「客は野球を見に来るんじゃなく、歌を聞きに来る可能性がある」
「そうね」
全く悪びれないイリヤに、直史も考えざるをえない。
「本末転倒だ。野球がおまけになる」
「それのどこが悪いの?」
イリヤはネジが飛んでいる。
彼女自身は野球に――と言うよりはその中で行われるパフォーマンスにインスピレーションを感じる。
だが野球が特別に好きだというわけではないのだ。
「悔しかったらそれ以上のパフォーマンスを見せればいいのよ」
「客寄せパンダにミュージシャンの大物を使ってか? ちなみにあの人たちは、いつまでこの大会を見続けるつもりなんだ?」
「さあ? 試合がつまらなければ帰るでしょうね。なにしろ本当なら忙しい人たちだから」
力こそ正義。人気こそ正義。
イリヤの価値観は、エンターテイナーとしては当然のものだ。
「なるほど、つまらない試合なら帰る、ね」
そこでメガネをクイと上げたのは樋口である。
「ちなみに今日の印象はどうだったんだ?」
「見ていれば分かるでしょう?」
確かに。
多くのビッグネームが集まったのは、イリヤがきっかけだったのかもしれない。
しかし彼らはこのゲームを楽しみ、興奮し満足していた。
大介の打席では明らかに期待感が違った。
やはり野球の最大の魅力はホームランだ。いや、最も分かりやすい魅力と言うべきか。
おそらくその次が奪三振ショーだ。
しかし大介のホームランの魅力は、普通のホームランの数倍だ。
彼は小さい。その小さい体で特大のホームランを量産するのが、限りなく魅力的なのだ。
これは勝負だ。
どちらがより、観客を魅了することが出来るか。
地味なはずの世界大会は、野球と音楽の、観客を奪い合う対決の場と化している。
どちらがより、観客を魅了するか。ビッグネームの集まる音楽が、スタートは有利であろう。
しかしこちらには、大介以外にもホームランアーティストが揃っている。
そしてこの勝負は、日本チームにとっては都合がいい。
世界大会とは言っても、日本の高校野球ほどに、観客を熱狂させる試合は、他の国のハイスクールレベルでは行われていない。
MLBの大球団の持つ球場でさえ、甲子園に匹敵するものがどれだけあるか。
大観衆の大声援の中でプレイするという点では、圧倒的に日本が有利だ。
他の国の選手は、大観衆の中でプレイすることを夢見ていても、既にプレイした経験はないのだから。
もっとも大観衆に威圧されるほどメンタルの弱い選手も、そうそういないだろうが。
威圧まではされなくても、プレッシャーをパワーに変える方法を、彼らは知らない。
甲子園は終わった。
だがこの年に限っては、高校球児の夏はまだ終わっていない。
少なくとも直史と大介にとっては、夏の嵐が吹く限り、そこはまだ夏なのだ。
当然ながら織田はケイティの姿に大興奮し、そして同時に戸惑っていた。
「え? 何? 彼女なんて言ってるの? 通訳出来る人」
セイバーがこの場にいないので、織田はきょろきょろと周囲を見回す。
「あなたのくれたプレゼントはとても気に入ったと言っているのよ」
半笑いでイリヤが通訳する。ケイティの使う英語は簡単で、発音もしっかりしているので、普通に高校レベルでも聞き取れるはずなのだが。
「そりゃ良かった。それでええと、次の試合も見にきてくれるのかな?」
「もちろんよ、だって」
オフコースぐらいは分かるだろうに。
「次は何をプレゼントしてくれるの、って言ってるわ」
「あと、そうだな、ホームランはさすがに狙って打てるものじゃないからな」
嘘である。今日は絶対に狙っていた。
織田としては日本人の男子高校生らしく、謙虚に答えるしかない。
「ケイティが見てくれるなら、俺は自分の力以上のものが出せそうなんだ。その結果の全てをプレゼントするよ」
まあ今日の織田は打撃も守備も、神がかっていた。
ライトレフト邪魔だ俺が捕る、といったぐらいで外野のフライをほとんどキャッチしていた。
きょどっている彼は完全に不審者である。
「あのさ、あのさ、それで知ってたらいいんだけど、ケイティって今、恋人とかいるのかな」
これはつまり、ケイティ自身には秘密の質問なのだ。
イリヤは楽しそうに答える。
「アプローチしてくる男の子はとても多いけど、彼女は今音楽に夢中だから、いないはずよ」
そうか、と織田は頷いた。
「決めたぜ」
織田は視線を上げ、ケイティを見つめる。
「メジャーリーガーに、俺はなる!」
「「ドーン!」」
双子がいらない効果音を付けて、メジャーリーガーを狙う男から視線で刺された。
「スーパースターになるんだ、俺は。そしたら君にアイラブユーと言いに行くよ」
うっとりとケイティを見つめる織田であるが、それを翻訳しているのはイリヤである。
ちょっと英語の勉強もした方がいい。
そもそもこいつは洋楽好きのくせに、なぜ聞き取りもしっかり出来ないのだろう?
そしてそれに対するケイティの返答も奮っていた。
「待っててはあげないから、全力で追いかけてきなさいって」
織田は笑顔で手を出した。てっきり握手のつもりなのかと思って、ケイティも右手を出す。
その手を取った織田は跪いて手の甲にキスをした。
無茶苦茶キザな野郎である。いや、今日の彼は特別におかしいと言ってもいい。
「えっと、誓うって英語でなんて言うんだっけ?」
「プロミスだろ?」
普通に樋口が突っ込んだが、イリヤは首を振る。
「vowでもいいと思うわよ。あとは…ah…swear とか?」
どちらかと言うとプロミスは、約束とかそういった意味に近い。
織田の脳細胞は、その機能を回復した。
跪いたまま、うっとりとした視線をケイティに向け、彼は言う。
「I promise to you」
またここで、調子に乗らせては危険な選手が、調子に乗ってしまったのであった。
×××
次話「将来の不安」
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