第6話 Q.ここはコンサート会場ですか? A.いいえ、野球場です

 その噂はSNSなどで静かに、しかし速やかに広がり始めた。


 なんだかカナダのバンクーバーで行われる、ベースボールのハイスクール世界大会に、各国の大物ミュージシャンが来るらしいよ?

 へえ? オープニングセレモニーで?

 いや、日本チームの応援に。

 え? そんなにベースボールの好きなミュージシャンって多かったっけ? それにどうしてアメリカやカナダじゃななくて日本なの?

 それだけど、どうもイリヤ・イットが一緒に球場を満員にしないか、って呼びかけたらしいよ。だからアメリカだけじゃなく、イギリスにドイツにウクライナとか、色々なところから来るの。

 病気してから彼女、あまり出てなかったよね。日系なんだっけ?

 そう。療養も兼ねて日本に行って、そこのハイスクールでベースボールにハマっちゃったんだって。

 それで世界大会に? 日本の応援を?

 見たくない?

 見たい。でも遠いな。ネットでは見れるの?

 ええ。けれど球場はガラガラよ。せっかくだから生で見たくない?

 それはとても――。

「I hope so ――」


 危険な気配が、危険な予感が、ネットの中から溢れ始めていた。




 いよいよ始まる世界大会の試合初日。

 日本の試合は三試合目であるため、まだ選手はホテルのラウンジで、それなりに寛いでいた。

 いや、かなり緊張している面々もいないではないが。


 アメリカとカナダのBグループは観客が多く見込まれるため、おおよそバンクーバースタジアムで試合が行われる。

 それに対して日本とオランダの試合は、さらに小さなパシフィックスタジアムで行われる。収容観客数もやはり少なく、10800人がキャパシティとなっている。

 それでもまあ、今までの例から言えば、観客は1000人もいないだろう。


 なおイリヤが誘ってしまった恐怖の応援団は、直接現地入りするらしい。

 音響機器の搬入だの設置だので、ずいぶんとまた人員を使ったそうだ。

 だがその資金投下をしたセイバーには、確かな勝算があった。

 この試合はアマチュアの世界大会であるが、スポンサーがついていないわけではない。

 特にAグループのスポンサーになっている企業の名前は……彼らが想像していた以上に人目に入るだろう。

 そして彼女は同時に、この試合の中継をするネット配信事業者の株も買っていた。

 インサイダー? どうして? 内部情報? ないないない。

 好きな株を買ってるだけ。悪いことしてないよ?


 一応ちゃんと運営には許可をもらっているが、おそらくあちらが想像したことの上限を突破した、想定外のことになる。

 さて、そろそろ余裕をもって出ようかと、木下が声をかけようとした時、エントランスから入ってくる白人の少女がいた。

「イリィェヤァアアア!」

 白っぽい金髪の少女は、思いっきり舌を巻いた発音でイリヤの名を呼び、襲い掛からんばかりに抱きついていく。


 イリヤはそれを受け止めながらも、くるくるとその場で回転して勢いを殺した。

「ケイティだ……」

 呆然と織田が呟く間に、イリヤとケイティの間では、おそらく英語ではない超高速の外国語でのやり取りが行われた。

 ニコニコと笑っている妖精のような美少女は、言葉の合間に何度もイリヤの頬にキスをする。

 そして襲来したのは彼女だけではなかった。


「いた~!」

「発見~!」

 ユニゾンボイスは、直史の凶暴で愛くるしい妹たちのものであった。

「げえっ!」

 関羽に見つかった曹操のような声を上げる大介。

 反射的に逃げようとした大介の足を、反射的に払って止めようとする直史。さらに反射的にそれを回避する大介であるが、そこまで行動が阻害されれば、双子に両腕を束縛されるのは避けられない。


 両腕を取った双子は、その場でくるくると大介を回す。しかしすぐにぴたりと止めた。

「うわ~大介君かっこい~!」

「青いユニ、似合う~!」

「そ、そうかな?」

 意外なほど穏当な反応に、割と気を良くする大介である。

 直史と大介はあまりにも急な選出であったため、双子はまだ大介の代表ユニフォームを見ていなかった。

「いつかは着るの分かってたけど!」

「思ってたよりずっと早かった!」

 きらきらとした乙女の瞳で、大介を見つめる二人である。

 お前ら、いつもそれぐらいに留めておいた方が、大介は落ちやすいと思うぞ?


 そんな大介を、羨望の眼で見つめる男が一人。

「なあ佐藤、あの子ら白石のなんなんや?」

 大阪光陰の元……正確には国体が終わるまではまだキャプテンの、初柴である。

 隠しているわけではないが、あからさまにされてもいない事実だが、彼はエロい。率直に言って女好きだ。

 まあこの年代の男子は、拗らせてないかぎりほとんどが女好きである。性欲モンスターだ。直史だって好みが異常に細かいというだけで、それは同様だ。

「何……と言うのかは分かりませんね。とりあえずまあ、見ての通りですが」

「言うても男は一人やで? どっちかはあぶれてしまうやん。ここに将来性有望なプロ野球選手の卵がおるんや。紹介してくれてもええやろ?」

「野球選手みたいな将来性の不確かな人間に、妹を紹介するわけにはいきませんよ」

「妹?」


 初柴は直史と双子の顔を見比べる。直史は女顔の少年であるが、それでもあまり似ていない。

 まあ直史は母親似で、双子は父親似なのだ。なお女顔でない武史であるが、双子と直史の間に入れると、割とどちらにも似ている。


 なるほど、妹であるのか。と初柴は納得した。

 一応プロ志望の初柴であるが、彼の実力からいうと、ドラフト三位までには指名される可能性が高い。

 今年は高卒の大当たり年と言われていて、確かに投手も野手も、ドラフトの一位はほとんどが高卒で占められるだろうと言われている。

(在京球団にでも指名されたらモテモテやろなあ。千葉は……あるやん。ありやん)

 初柴のやる気も、勝手に上がってきていた。


「それじゃあ直史、私たちは先に行くわ」

 イリヤはそう告げた。

「お兄ちゃんも頑張ってね」

「MVPは大介君が取るから、お兄ちゃんはベストナインだね」

 リリーフ、またはクローザーとして決まっている直史が、MVPを取る可能性は低い。

 ベストナインもだ。しかし最優秀救援投手なら、取れる可能性はある。


 騒がしい集団が去り、しかしそろそろ選手たちも出発の時間である。

「よっしゃ! ほならそろそろ行こか!」

「初柴ぁ、それわしの言葉やがな」

 初柴が音頭を取って、日本代表は戦場で向かう。




 しょぼいスタジアムに、しょぼい観客……のはずだった。

 だが、予想とは違う。

「なんや、思ってるよりお客さん入ってるんちゃうか?」

 木下が見る限り、2000人ぐらいはいるような気がする。

 まあ世界大会と言ってもチケットは安いので、確かにお手軽に見に来れるものではある。

 穏当でないのは、事前に言われている日本側スタンドだ。あそこだけオーラが違う。

「やばやばやばやばやば谷円。ジャンル跨いで大物ミュージシャンとか若手の天才がたくさんいるぞ」

 織田は喜びつつも、ほとんどファン的な精神状態である。

 球場で普段キャーキャー言われるのは、彼の方であろうに。


 グランド整備が終わり、両チームが練習をする。問題はない。

 天気もいい。気温もほどほど。あの灼熱の甲子園に比べれば、天国のような環境である。


 国際試合なので、試合の前に両国の国歌が斉唱される。

 それに合わせてスタンドからは、日本だけでなくオランダの方も、国家を斉唱する歌声が響く。

 日本の応援ではある。しかし相手に対するリスペクトも忘れない。


 オランダの国歌は日本と同じように、王権を讃えるような歌詞である。

 それは荘厳。ちなみに15番まであるので、普通は一番しか歌わない。国民でも15番全部歌えるのは少ないとか。

 しかし観客席から聞こえるのは、オランダの国歌は、半分ぐらい鼻歌になっていた。

 イリヤと双子が並んで立ち上がり、胸に手を当てて歌っている。

「君が 代は 千代に 八千代に さざれ 石の 巌と なりて 苔の むすまで」

 日本の国歌は、これこそまさに簡潔にして雄渾。

 短くてよかった。




 この試合、先攻は日本。

 先頭打者は名徳の主将織田。地方大会においては七割の打率を誇った、第二のイチローとも呼ばれる天才俊足外野手である。

 そんな彼は――。

(あああああっ! 観客席でケイティがみてるうううっ!)

 客観的に見て、無茶苦茶緊張していた。


 その緊張は、観客席からも明らかであり、御大であるマイケルは、普通に可哀想に思った。

「ねえ可愛い双子ちゃん、彼の名前はなんていうんだい」(注:この会話は英語でなされています)

「彼の名前は織田信三郎です」

「Shin(罪)!? 日本語ではどういう意味なんだい?」

「あ~、Blieve、信じること、ですね。三郎というのは、日本では三番目に生まれた男子に使う名前ですね。ちなみにイチローが長男の名前です」

「なるほど! じゃあ彼はサブローなんだね!」

 マイケルは納得して笑った。そして叫ぶ。

「サブロー!」

「サ・ブ・ロー! サ・ブ・ロー!」

「「「サ・ブ・ロー! サ・ブ・ロー!」」」

 音楽界のスーパースターと超新星が、織田の名前をコールする。


(あわわわわわわっ! なんかとんでもないことになってきちゃったぞ)

 だいたいイリヤが悪い。

 織田が調子に乗って、イチローのルーティンであるバットを使ったストレッチを行う。それだけで観衆は大喜びだ。

 元々イチローの物真似はしてきた。なりきってルーティンのまま打席に入ると、やはり大喜びだ。


「イチローや……。 織田はん、イチローになるんや……」

「そんな虎になるんだ的なことを言っても……」

 ベンチからは初柴がパワーを送り、堀と小寺は呆れたようにそれを見ている。


 なお、織田が自分の応援曲として選んだのは無難な『ルパン』である。

 しかし、違う。

 前奏からして、迫力が全く違う。そして少女たちが揃って叫ぶ。

「「「Lupin The Third!!!」」」

『Blady red rose is her sexy rip』

(いいいいいおおおおお! マイケルが俺のために歌ってるううぅぅぅ!!!)

 イリヤが中学レベルの英語で訳した、超訳とも違うそれは、まさに魔訳とでも呼ぶべきものであった。

 それは下手をすれば、力んだバッティングをバッターに強いてしまうものかもしれない。

 しかし織田とて、新興ながらも超激戦区の愛知を制した強豪の主将。プレッシャーを力に変える術は知っている。

 二球目の甘い球を、センターオーバー。

 余裕のスタンディングダブル。振り上げたガッツポーズに、YAH!と観客席は湧いた。


 織田が期待通りと言うか、期待以上に先頭として出た。

 二番は、今日はスタメンでサードに入る初柴。彼も選んだのは無難な『タッチ』であったはずだが。

 ブラバン以外の音源を使えるというのは、ここまで違うのか。

 

 バンバンバラババ バンババーラババ バンバンバラババ バババババババ!

 イントロからいきなり最高潮である。そして一応は英語に魔訳された歌詞であるが、それがサビにさしかかる。

『Hey Hey Hey Hey Touch! Touch! Touch My Heart!』

(うおおおおおお! こんな訳になるんかあああああっ!)

 猛烈に興奮しながらも、意表を突いてセーフティバントを決める初柴であった。




 お~、ええぞ~初柴、お前は冷静やな~。

 木下は教え子のメンタルに感心しながらも、既に死んだ目をしていた。彼はもう冷静でない。

 流れはきている。最初から勝手に、流れは日本に来ている。

 だがそれは、コントロール出来るタイプの流れではない。

 もうこのまま流されるしかないんじゃないかな、と思わないでもない。甲子園の試合でも、流れがどうしようもなくなった時というのは、確かに経験している。


 監督の指示が出来る場面であろうか?

 いや、この状況で、他に何をしろと?

 一塁ランナーを進める? いやいや、ないないない。

 なにしろ次は、彼なのだから。




 ランナーが二人出た。

 ノーアウト一三塁。限りなく一点は取りやすい場面。

 そして迎えるは日本代表最強の打者、白石大介。

 せっかくエレキが使えるのだからと、マジモノのブライガーを期待していた大介なのだが、事前にイリヤからは演出の変更を告げられていた。

 それは、彼にとってはさらに相応しいはずの歌。


 カンカンカンカンカンカン 双子のステップダンスが響く。

 ブー パッパパーパーパララパー♪ プーパパパパーパッパパー♪

 ドドンドドンドン♪ チャッチャッチャッチャー♪ 

『Hey Hey Hey how! PA! PA! PAPAPAPAPAPAPAPAPA! OnePanchi Ma--------n!!!』

 それはタツノコシリーズの中でも、最も野球の応援に相応しい一曲。

 これが似合うのは、甲子園の三冠王しかいない。

 一発打ったるマン、白石大介である。

 マイケルの低音の美声に合わせて、周囲も合唱していく。

『We Love him We Love him We love his Smile』

 イリヤさん、魔訳しすぎである。

 だが実際のところ、この簡素でありながら雄弁でもある歌詞を訳するのは、彼女にしても超大変であった。


 連打を浴びたオランダの198cmエースは、明らかに平静を失っていた。

 単に打たれたというだけでなく、観客席から流れる歌声や楽曲に、心躍らせながらも同時に動揺が止まらない。

 落ち着け、まだ点が入ったわけでもない。

 この三番を上手くダブルプレイで処理しよう。


 彼も、そしてその相棒のキャッチャーも、完全に忘れていた。大介のスペックを。

 おおよそ投手は、大介を見て、そのデータが頭の中にあるにもかかわらず、侮った投球をしてしまう。

 今までその犠牲にならなかったのは、上杉勝也ただ一人。

 大介の小さな身体は、初見殺しであるのだ。

 ベルトの高さに浮いた、スピードだけはあるストレートを、大介はライトの場外へ弾き飛ばした。


 悠然とベースランニングを行う大介。

 右手の指を一本立てて、ゆっくりと駆けて行く。そこで、音楽ががらりと変わる。

 いきなりサビ近くから歌われるそれは、『I will always love you』

 低音の甘いバラードをイリヤが歌い、高音の本当のサビを、同じ顔の二人が、豊かな声量で透明に歌い上げる。

 一人では無理だけど、ほんの少しだけ違う声が合わさって、共鳴しながら球場に響く。

 しかしそれは『I』ではなく『We』と歌詞が変化していた。


 この年最強のアイラブユーが、ネットを通じて全世界に流れた。


×××


次話「Battle of the Summer」

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