第3話 集結する侍たち

 日本代表に用意されたグランドは、フットボールにも使える兼用競技場であった。

 そこそこ大きな街ならまず野球場がある日本と比べると、カナダの専用野球場は少ない。

 実際にはそこまで少ないわけでもないのだが、世界大会のチームに提供出来る練習場を考えると、そうは多くない。あと、距離が遠い。カナダは世界で二番目に広い国で、人口密集率も低いのだ。

 様々な機材を持ち込み、既に練習をしているのは、青いユニフォームに身を包んだ17人の若武者。それとお付きの者たち。

 まあそれは冗談で、監督やコーチ陣である。

 そしてさすがにここまで来れば、グランド内にも観客席にも、明らかにマスコミと分かる人々がいる。

 あとは……おそらくスカウトだ。NPBだけでなく、MLBまで。


「いっちば~ん」

 そこへ足を踏み入れたのは、大介が一番早かった。

「へえ、天然芝か。感触は悪くないな」

 そのままいきなりごろごろと転がりだすところが、こいつのフリーダムなところである。


 直史と樋口は普通にベンチにバッグを置き、グラブだけを持ってそのままコーチ陣へ挨拶に行く。

「よっしゃ、よう来てくれたな」

 練習を見守っていた木下は、二人を見てにっこりと笑った。千葉とは違って関西弁である。

 そして視線の先に大介を見て、変な顔をする。

「あいつはあれ、何してるんや?」

「あいつはああいう生き物なんです。芝生を堪能したら来ますから、ほっておきましょう」

「さ、さよか……」

 変人や頑固者の多い高校球児を見てきた木下だが、大介のそれはまた違った方向性を向いているだろう。


 練習していた者たちも、こちらに注意を向けている者が多い。

 考えてみれば、ここにいるチームの者のほとんどが、地区大会か甲子園で白富東に敗北した者である。

 春季大会では甲府尚武、神奈川湘南、帝都一。甲子園では桜島実業、名徳、福岡城山、大阪光陰。

 当たってないのは津軽極星の大浦ぐらいである。

 それは同時に、ほとんどの投手が大介に打たれてきたことも示している。まあ継投した大阪光陰のコンビなどは別だが。


「よ~し! ほないったん集まれ~!」

 監督の号令に従って、選手たちが集まる。ちゃっかり大介も駆け寄ってくる。

 これで、20人。

 一部怪我で来れなかった者もいるが、ほとんど日本高校野球最強の面子であるのは間違いない。

「色々あって遅れたけど、これで全員揃った。いきなり明後日から試合やけど、まあ初戦は落ちついていこか。とりあえず慣れることが大事やな」

 二年前に比べて、圧倒的に今回は陣容が厚い。

 これで優勝できなければ、日本の野球はどこかがおかしいということになってしまう。


「そんでやな。まず白石は野手に混じって、ノック受けてみい。おかしなとこなかったら、すぐにバッティングや。コーチに確認して、ボールとバットに慣れてくれ」

 一応白富東でも、ミート力の向上を考えて、人によっては木製バットを使った練習も行う。そして世界大会は木製バットの使用が標準だ。

「バッピに関してはメジャーの3Aでやってたピッチ雇ってるから、違いに慣れてくれ。けっこう違うで」

 そうやって指示を出すが、少し首を傾げて考えこむ。

「堀、ポジション同じやし、教育係な」

「うっす」




 それから木下は直史と樋口に向き直った。

「で、正直なところ、佐藤にはものすごく期待してるのと同時に、すごく心配もしてるんや。指はもう大丈夫なんか?」

「まあ、100球投げたら失投が一つぐらいにまでは調整してます。ボールの違いにも慣れました」

「そらすごい。そんでうちの分析と、そっちの監督の話やと、短いイニングで連投するのも得意なんやってな?」

「そうですね。リリーフは」

「あの桜島をよう封じたもんやわ。弟もすごかったけどな。次の大会は主力やな」

 機嫌よく喋っているようで、こちらを持ち上げてくれる。

 やりやすい監督かはまだ分からないが、人心掌握術にも長けているようだ。

「まあ日程見たら分かるけど、甲子園以上の過密日程や。それと球数制限も考慮せんとあかんしな。基本的に佐藤にはクローザーを頼もうと思ってるんや」


 クローザー。かつてはストッパーとも呼ばれていた。

 リードした展開で登板し、そのままチームを勝たせるのが役目だ。

 ゲームを作る先発も重要だが、球数制限の多いこの大会においては、ラストの一イニングなどを〆るクローザーは、それ以上に大切かもしれない。

 何より短いイニングを投げるので、ある程度の連投がきく。

「そんで佐藤はめちゃくちゃ球種多いから、樋口はほぼほぼ佐藤専用キャッチャーやってほしいねん。できるやろ、お前なら」

「そのつもりでした」

「ふはっ、頼もしいなあ」

 あまり貫禄はない木下監督だが、笑うと顔がくしゃりと歪んで、なんとも言えない愛嬌がある。


「あとはピッチングコーチと、そっちの監督さんにデータは……ひょっとしてもう聞いてるか?」

「ばっちりです」

 樋口は自分の頭を指で叩いた。

「けどいいんですか? クローザーのバッテリーが二年って」

「しょーもないこと気にせんでええ。甲子園の決勝で逆転サヨナラ打つようなキャッチャーと、パーフェクトするようなピッチャーのバッテリーに、なんか言うような度量の狭いもんはおらんわ」

 なるほど、こうやってチームを調整するのか。

 キャプテンの役割をする選手が決まっていないということだったが、この監督ならどうにか回していくだろう。


 さて、それでは。

「投げてみるか」

「そうだな」




 プロテクターを着けた樋口に、直史はまずキャッチボールから入る。

 一年と少し前を思い出す。

 あの時は直史は運動靴で、まともに肩も作らなかった。


 樋口の球は正確だ。

 強肩であり、実はストレートを投げさせたら直史より速い。しかし注目すべきはその正確さだ。

 盗塁を殺すために、彼のスローは正確に尽きる。

 そして直史も正確だ。精密機械というのは彼の異名の一つである。


 スピードは出さないキャッチボールである。

 だが、今年の夏、結局打席で勝負することはなかった樋口は、直史の変化を感じた。

(こいつ、進化してるな。しかもただのストレートが)

 もっとも実際に受けている者以外からは、そうは見えないのだろう。

「佐藤、もう少し飛ばしていけ」

 ピッチングコーチのいらない指導に、思わず舌打ちしそうになる樋口である。

「いや、俺の最速140km全然出ませんから、これでもそれなりに力入れてるんですよ?」

「……そういえば、そうだったな。いや、すまん」


 おおよその人間は、直史の実績から、彼の球速を勘違いする。

 世の中のピッチャーファンには球速派と制球派があるという噂もあるが、その制球派の根拠の一つが直史の存在である。

 ちなみに速球派が擁立しようとする上杉勝也は、速い上に制球もいいので、これには当てはまらない。

 あと制球派は、直史ほどの変化球を制球するピッチャーは他にいないという現実も直視すべきだ。


 直史は30球ほどを投げた後、樋口を座らせた。

 とりあえずは、飛行機の中で教えた、ジンの使っているものすごく複雑なサインを使ってもらう。

 ミットはまず、ど真ん中。

 世界大会とはいっても、色々とアピールしたがる連中はいるだろうので、サイン盗みを警戒してミットは基本ど真ん中。

 ダミーサインなども使いながら、樋口は直史の球を捕る。


 遅い。

 球種の確認をするためとはいえ、普段バッテリーを組んでいる正也よりも、平均で15kmほども遅い。

(しっかしコントロールの良さは相変わらずというか……)

 世界大会で使われるボールの特徴は、日本で平均的に使われている品に比べ、滑りやすいということだ。

 しかし縫い目にはしっかりと指がかかる。

(純粋にストレートで勝負するピッチャーは、けっこう不利じゃないかなあ)

 のんびりと直史は投球を続ける。




 さて、この世界大会において、投手にとって重要なのは、球数制限である。

 昔は制限のない頃もあって、その頃なら全試合上杉勝也が投げるとかいう無茶も出来たのかもしれない。

 今は一試合において、一人のピッチャーが投げられる上限は105球。

 これだけ投げたら、四日間は投げられない。だが50球以上104球までなら翌日を休むだけでいい。つまるところ実際の上限は104球と考えていい。

 それと二日連続の球数が50球を超えたら、やはり翌日は休まないといけない。

(それならせめて投手専用枠でももっと増やしてくれたらいいだろうに)

 内心でごちる木下である。


 木下が代表の監督として選ばれたのは、もちろん強豪校の監督ということもあるが、監督としての格とかであれば、帝都一の松平も相当のものである。

 それでも自分になった理由を、彼は正確に認識している。

 それは大阪光陰というチームの勝利の方程式。継投の上手さだ。

 今年の夏にしても、初戦こそ真田に任せたものの、あとは全て継投をしてきた。

 予選もかなりはそうだ。とにかく投手の疲労を溜めないことが、夏の甲子園を制するための条件だ。

 事実、準決勝で事実上のパーフェクトをした佐藤は、決勝を投げられなくなった。

 まああの試合は、最後の春日山の攻撃が神がかっていたという面も大きい。


 そんな木下から見ると、先発に使いたい選手、リリーフに使いたい選手などはわりとはっきりとしている。

 正確にはリリーフに使える選手だ。

 同じ150kmコンビでも、木下は福島をリリーフに使うことは、滅多にない。

 逆に加藤は途中登板が多い。

 あとは投手とも関係しているが、キャッチャーの起用も悩ましいところだ。

 基本は継投チームの捕手であった武田をメインとして考えているが、球数制限まで考えてリードすることが、どれだけ出来るだろうか。

 竹中だったら自分のこんな考えを、全て理解してくれただろうに。


 そういう考えでいると、佐藤直史がちゃんと使えるかどうかというのは、かなり重要なことになってくる。

 夏の甲子園で通算一本もヒットを打たれていないというのもすごいが、準決勝の大阪光陰戦で木下が見たのは、その球数の少なさだ。

 延長の14回まで投げて150球にいっていないというのは、驚異的過ぎる。

(佐藤専用にしても、大田も引っ張ってくるべきだったかなあ)

 一応は樋口に任せている。彼も上杉正也を温存して、決勝まで勝ち進んできたキャッチャーだからだ。

 しかしバッテリーの呼吸というのは、普通は一朝一夕でどうにかなるものではない。

(あ~、やっぱり加藤と福島を外してでも、竹中は連れてくるべきだったかな~)

 木下監督の悩みは尽きない。




 ホームランを打つというのは、こんなに簡単なことなのだろうか。

 白石大介の打撃練習を見ていると、たいがいの打者はそう思ってしまう。

 非対称の球場なので、大介はセンターからレフトよりに打球を放っている。

 それがほぼほぼ観客席の上段に激突する。ライナー性の打球で。


 白石大介は、どこかおかしい。

 メジャーのパワーだけでホームランを打つ打者の打球に似ているが、彼の体格ではそんな打ち方ではダメなはずなのだ。

 そしてホームランバッターが必然的に多くなるはずの、三振が圧倒的に少ない。

 フルスイングしているが、同時にバットコントロールもしている。

 理論的には落合なのだろうが、打球的には王貞治である。いや、メジャーにこそその類例を求めるべきだろうか。


「あいつほんと、なんか変な薬でもキメてんじゃないのか?」

 溜め息と共にそう言うのは、この打力偏重メンバーの中でも、最も高校通算本塁打数の多い実城である。

 もっとも公式戦のみでの記録は大介にとっくに抜かれ、おそらく練習試合込みの数でも確実に抜かれるだろうなとは思っている。

「いかんいかん! 頭ぁつこうて考えるといかん! 感じんと!」

 部活停止期間がなければ、その実城をも超えたであろう西郷は、笑ってマウンドに歩み寄る。

「大介ぇ! おいが投げたろうか!」

「おっしゃ! 来いやぁ!」


 西郷のストレートは、投手専門ではないが、140kmは軽く超える。

 球質は重い。伸びがないので、割とゴロになることが多い。

 その重い球を、大介は思いっきり引っ張った。

「あ、いけね」

 フェンスを軽く越えた打球は、場外の空へと消えていった。


 甲子園の場外弾。

 それはこれまで、プロでもなかったものである。大介にしても、金属バットを使っているからこそ打てたものかもしれない。

「フクちゃん、この中であいつと対戦してヒット打たれてないの、どうもお前だけらしいんだけど、勝負してみる?」

 加藤に言われた福島は、ゆっくりと首を振った。


 一方大介の打撃を、これぞ好機と観察する者もいる。

 主に大阪光陰のメンバーである。

「腰の回転か?」

「前後移動はあんまり感じないかな」

「しかしあの弾道でどうしてホームランになるんだ?」

「ボールにスピンをかけるには、ちょっと接触位置がおかしいよな?」

 初柴、堀、小寺の野球IQが高い面々である。

 ここに竹中と、二年の大谷がいれば、大阪光陰の頭脳派の集結となるのだが。




 視界の片隅に打撃陣の頭の悪い練習を見ていた樋口だが、頭はしっかりと直史のことを考えていた。

 やはり、こいつはおかしいと。

 長時間の飛行機のフライトの後、それほどの休みもなくそのまま練習へ参加。

 それなのにコントロールの狂った様子が全く見られない。


 メンタルで、あるいはメカニックでコントロールの良さは決まる。

 しかし大元になるフィジカルが、こんな状況でまともに動いているのがおかしい。

 大介も大概おかしいが、繊細な精度が必要なはずの直史には、不気味ささえ感じてしまう。

(けれど、やっぱりいいピッチャーだ)

 要求したスルーは、事前に聞いていた通り、他のボールに比べるとコントロールが甘い。

 これをどうにかすればとも思うが、そもそもこのボールをクリーンヒットした打者が一人もいないのだ。

 それに夏に織田に投げたスルーの変化は、その欠点を少なくしている。


 とりあえずある程度ちゃんと投げた直史の球を捕って、樋口は確信した。

(そら、パーフェクトもするわ)

 コース、球種、緩急、スピン、変化量。

 これだけ自由自在に操れたら、それは野球も楽しいだろう。

 ピッチングはスピードではないというには、樋口はあまりにも偉大な速球投手を知っているが、それでもこれで勝てないのなら、それはキャッチャーのリードか、相手の情報が全くないかのどちらかだ。


 おそらく70球目あたりをキャッチして、樋口は歩み寄る。

「今の状態で完璧の何%ぐらいだ?」

「球速はあと3kmぐらい上げられるかな。スルーの精度が少し微妙だ。本当ならもう少し高低差と内外はコントロール出来る」

「ボールの違いで変化球は違うか?」

「一番違うのはフォークかな。普段より落ちるけど、抜けそうで怖い」

 こいつがそう言うなら、使わないでおこうと判断する樋口であった。

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