第2話 夢と現実

 野球大国日本、しかもその中でも最もレベルが高くなるという高校生の大会において、なぜ日本に優勝の経験がないのか。

 かつては甲子園と日程が被っていたという明白な理由があったが、現在は一応甲子園後に日程はずれている。

 それでも勝てないのは、やはりそれなりに理由があるのだ。


 まず一つは、三年生が燃え尽きてしまっていること。

 代表に選ばれるような三年は、当然ながらドラフトの有力候補でもあり、甲子園でのパフォーマンスは重要視される。

 その甲子園で完全燃焼し、体力や気力が回復してないのだ。あとはドラフト待ちで怪我をしないようにプレイを自粛する小賢しさがあったりする。

 あとは二年生以下を選びにくいこと。

 新チームは秋季大会に向けて新たなチーム作りをしており、そのために少しでも時間を使いたいのだ。樋口にしても脳筋の多い春日山を鍛えるのは、自分の役目だと認識している。

 他には選手の選考に偏向があること。

 このチームでも分かるが、長距離を打てる打者を基準に選んでおり、内野と外野の守備の専門家が少ない。

 投手が多いのは過密日程なので仕方がないのだが、それにしても守備の安定感がないのが、これまでの弱点であった。

 あとは使うバットが木製だとか、チームワークが取れないだとか、他にも色々とあるにはある。




 ビジネスクラスの飛行機は、運がいいことに固まって座席が取れた。

「今回は木下監督が批難されるのを覚悟の上で、大阪光陰の選手をかなり選んでいます。守備重視ですね」

 木下監督は前回もやはり日本代表を率いていて、結果は三位であった。

 セイバーは元々MLBの出身だけに、後々メジャーで活躍出来そうな選手は、割と世界を跨いでチェックしてある。

 やはり熱いのは南北アメリカと東アジアであるらしい。

 飛行機の中で色々と説明してくれる。

「セイバーさんはどういう立ち位置なんですか? ボストンが古巣でしょ? アメリカの応援ですか?」

 大介はそう問うが、セイバーの答えは決まっている。

「私はレッドソックスに所属していましたが、アメリカ国民ではありませんからね。当然日本の味方です」


 なんとも心強い参謀である。

 実はこの日本代表の監督は、慣例にもなっていない段階だが、甲子園の優勝校の監督が務めるという風習が出来つつあった。

 しかし春日山の宇佐美監督にそれが不可能なことは、樋口ですらも分かっていたし、準優勝校の監督であるセイバーにも、それは不可能であった。

 よって当初の予定通り、センバツで優勝していた木下監督がすんなりとそのまま決まったのであるが、セイバーもデータ収集と分析には、スタッフとして参加している。

 元々大阪光陰もデータ野球は駆使しているので、セイバーとの相性はいいはずである。

 なお他にも、名徳の芝監督も副監督として参加している。


 大介がセイバーの用意した各国のピッチャーたちの映像に集中しているので、自然と直史は樋口と話すことになる。

 考えてみればこいつはたった一人で新潟から参加しているわけで、かなり凄い。

「そっちの新チームはどうなんだ?」

 まずは当たり障りのないところから。

「う~ん……主力の三年がほとんど抜けたからなあ。今の二年もそれなりに素質は優れてるんだけど、三年は勝也さんと丸一年以上付き合って、根性が違ったからな。まあセンバツには行けるだろうけど、もう優勝を狙えるようなチームじゃないな」

 冷静すぎる分析は、やはりこいつの持ち味だろう。

「そうか……まあ、特定の選手の影響力が少なくなれば、そうもなるか」

「お前らは来年が一番強いだろ。春夏連覇とか、狙ってもいいんじゃないか?」

「まあ、出来なくはないかな」


 現在のチーム力でも、秋季大会の県予選までは間違いない。

 関東大会を勝ち進むのは、それなりに厳しいかもしれないが、よほど組み合わせが悪くない限りはベスト4までは行けるだろう。

 そして春のセンバツまでには、特に一年からは伸びてきそうな面子が多い。

 来年の春も今年と同じか、せめて二人ほど使えるやつが入ってくれれば、選手層の厚さも問題なくなる。

「うちは公立ってだけじゃなく、進学校だからなあ。普通に野球したいやつがいても、頭が悪いと入れないんだよ」

「うちだって進学校ではあるぞ。白富東の偏差値ってどんだけよ?」

「68」

「マジか……。そりゃ無理だな。うちの野球部で行けそうなの、俺だけだ」

 ここで樋口は少し声を潜めた。

「でも白石ってそんなに頭いいのか?」

「そこは俺も不思議なんだが、やる時はやるんだよ。野球に力入れはじめた一年の一学期末から、急激に成績落としたらしいし」

「ああ、受験終了後あるあるだな」


 それはそれとして、直史も聞いておきたいことはあった。

「お前が参加する条件って、俺が参加することだって聞いたんだけど?」

「ん? そんなことは言ってないと思うけど」

「木下監督がそう言ってたぞ」

 しばし首を傾げていた樋口だが、ああ、と納得したように頷いた。

「あの言葉をそう捉えられたのかな。単にお前が選ばれるなら、俺以外にはお前を活かしきれないと言っただけだよ。ああ、大田が参加出来るなら、もちろん俺は必要なかったけどさ。帝都一の石川さんも、大阪光陰の竹中さんもいないだろ」

 つまり樋口は、現在選ばれているところの二人では、直史をリードしきれないと思ったわけか。


 それは己の技術に関する絶対的な自信ともとれたが、石川と竹中の名前を挙げるあたり、選手としての総合力と、キャッチャーとしての純粋な能力は区別しているようでもある。

 確かに立花はキャッチャーと言うより、バッターとしての面が強い。武田は多くの投手を継投させていたが、それでもやはりキャッチャー専門の能力は低いということか。

 まあ打力が売りのキャッチャーであることは否定しない。

 そういう樋口も、打力はかなりあるし、何よりも勝負強い。

 その勝負強さは白富東と、あと帝都一はきわめて痛感している。

 こいつに決勝点を奪われ、こいつに逆転サヨラナをくらったのだ。

「つーか急に決まった俺たちはともかく、お前は先に行ってたら良かったんじゃないのか?」

「春日山はレギュラーごっそり抜けて、新体制が大変なんだよ。一応キャプテンは正也だけど、実務は俺がやらんと……」

 疲れた印象の樋口であった。




 やってきました。カナダのバンクーバー。

 国土の大部分が寒帯や亜寒帯であるカナダの中で、西海岸よりのこの都市は、比較的暖かい。

 まあ九月の初めなので、そもそもまだ寒くなる季節ではない。

 ここで約10日間をかけて毎日試合を行い、リーグ戦で順位を決定するのだ。

「やっぱトーナメントじゃねえと燃えねえよなあ」

 散々愚痴っぽいことを言っている大介である。直史も燃えないとは言わないが、違和感がある。

 この違和感こそが、日本が今まで優勝できなかった原因ではないだろうか。


 空港から降りた時も、現地に来てる日本の記者が二人迎えただけであった。

 もちろん案内人はいるので、それに従ってホテルに向かうわけだが。

 それにしてもカナダは広い。

「あれが試合の行われる球場の一つ、バンクーバースタジアムよ」

 助手席に座る早乙女に対して、後部座席に座る男共は、道の向こうの球場を目にする。

「古いな」

 樋口がばっさりと切った。

「どんだけ客入るんだ?」

 ギャラリーが多いと燃える大介としては、そこが重要である。

「どうせ満員にはならないから、気にしても仕方ないと思うよ」

 案内人の言葉に、凍りつく大介である。

「え? 満員にならないって、どういうこと? 無茶苦茶入れられるからって意味じゃないよな?」


 この大介の表情に、溜め息をつくのは樋口である。

「佐藤、白石ってこんなのなのか?」

「大介はこういうやつだよ。あのな、大介。世界大会なんて言っても、しょせんはアマチュアなんだ。日本の甲子園が異常なんであって、地元チームの試合じゃなきゃ観客数1000人いないとか、普通にあるから」

「……それ、普通に地方予選の一二回戦レベルじゃね?」

「そうなんだよ」

「マジかああぁ……」

 大介が沈んだ。


 WBCなどがそれなりに盛り上がるので、一般的な日本人は知らないだろうが、実はそうなのである。

 日本で開催された時などは、訓練された高校野球ファンによって、かなりの観客動員数を記録したこともある。

 だが……実は甲子園の収容観客数は、世界の球場を見てもトップクラスなのである。


 大介がやる気をなくした。

 これはかなりの問題である。

「まあカナダってのがまだ救いだな。メジャーのスカウトも見に来るから、アメリカ選抜とかはかなりアピールしてくるぞ。あっこは球の速いピッチャー多いから、大介は好きそうだ」

「ああ、まあ飛行機の中で見てたけどな」

 途端に大介の表情が真剣なものになる。

「かなり日本の野球とは感覚が違いそうだな。ひょっとしたらナオはボールの扱いに苦労するかも」

「一応木下監督にもらって、家で練習はしてたけどな。けれど、確かに俺は全く通用しないかもな」


 この台詞に驚いたのはむしろ樋口である。

「逆だろ? お前以外は通用しないんじゃないのか? まあ相手の国によるだろうけど」

 急遽決まった直史と大介に対し、樋口はそれなりに研究をしている。

 野球は環太平洋地域を中心に行われているスポーツである。一番は南北アメリカ大陸であるが、その次は東アジアだ。

 そしてアメリカとアジアでは、かなりスタイルが違うのだ。

「まあとりあえずは、合流してからだな」




 滞在するホテルは二人部屋で、普通に直史と大介が一緒である。

 樋口は織田と同じであるそうな。

「部屋に不満があったら、私がなんとかするから。樋口君も、遠慮なく言ってください」

 マネーパワーに関しては、頼りになるセイバーである。


 部屋は同じ階で、セイバーたちコーチ組はまた別だ。

「なあ、お前らのチームの監督って、本当のところはどういう素性なんだ?」

 樋口の質問に、顔を見合わせる直史と大介である。なおこの時点で既にセイバーは、白富東の監督の役職から退いている。

「簡単に言うと、監督じゃなくて運営者だな」

 直史の言葉に、うんうんと頷く大介である。

「コーチ陣を整備して、設備や消耗品を確保して、他校のデータを収集して分析する。そういう人」

「ネットにはMLBの代理人とかあったけど、あれはどういう経緯なんだ?」

「ああ、元々普通にMLB球団で働いていた人なんだけど、どうやったらワールドシリーズで確実に勝てるようになるかの研究で、日本の高校野球で実験するために来たんだ」

 これだけの説明だと、よく分からないだろう。

「MLBもプロの枠だから、高校野球の監督は無理じゃないのか? どうしてMLBが日本の高校野球に?」

 同じことを、最初は直史達も思った。


 正直、セイバーが就任した経緯は、未だに謎が多いと思っている。

 彼女の言葉をそのまま受け取るなら、新進気鋭の私立を舞台にした方が、色々と融通はきいただろうと思うのだ。

 だが実際は、白富東でなければ不可能であった。

 佐藤直史、白石大介、岩崎秀臣、大田仁、この四人がいて、そして春の大会の結果があったから、セイバーは白富東を選んだのだ。

「まあそのあたりは、瑞希が詳しい事情を聞いてるかもしれないけど、公開されるのは俺たちが卒業する頃かなあ」

 ん? と気になったのは大介であるが、その前に樋口が口を開く。

「瑞希って誰?」

「俺の婚約者」

「はあ!? ちょっと待て! いつの間にそんな話になってんの!?」

 大介が話の展開にびびってるが、確かに急な話ではある。

「一週間ぐらい前かな」

「……急すぎるだろ……」

 まあ、婚約と言っても口約束であり、両方の親になどはまだ話していない。

 この大会が終われば話す予定ではあるが、さすがにこの数日は忙しすぎた。


 大介ほど激烈ではないが、樋口も驚いている。

「高校生で婚約か。随分と生き急いでいないか?」

「お前は運命の相手と巡り合っていないからそういうことが言えるんだ」

 その直史の返事に、少し当惑する樋口である。

「俺、佐藤はもっと冷然とした性格だと思ってたんだけど」

「ナオはそうだぞ。ただ瑞希さんの件になると別人になるだけで」

「意外だ……」

 人間の性格を見抜く術には長けていると自負する樋口にとっては、かなり意表を突かれることであった。

「でもまあ、なんとなく想像はつくぞ。無茶苦茶性格が良くて頭も良くて清楚な美人で、けれども芯の強さがある。そんな感じじゃないか?」

「すげえ、完全に当たってる……」

 あえて無言の直史である。




 荷物を置いて、あの青いユニフォームに着替えた三人は、また早乙女と共に、案内の運転する車で練習場へ向かう。

「なんつーか、このユニフォーム着てると上がるよな。観客少なくても中継はされるわけだし」

「時差があるから、見てくれる人は少ないかもしれないけどな」

 直史はまた冷静に指摘する。だがここは迎合しておいた方が良かったかもしれない。大介の調子が悪いと、チームの勝敗につながる。

 よって露骨に話題を変える。または戻す。

「樋口は彼女はいないのか?」

「まあ、セフレはいるけどな。結婚相手は大学か、社会人になってからゆっくり探すつもり」

「セフレってお前……」

 大介の視線は鋭くなるが、直史は流す。まあ樋口は確かにかなりルックスがいいので、それぐらいはモテそうではある。

「何人もいるのか?」

「いや、同じ学校に一人と、近所の年上が一人。二人だけだよ」

「ほ~、二人か」

 そこは逆に感心してしまう直史である。

「大介、二人なら同時にいけるらしいぞ」

「いや、同時なわけじゃないけどな」


 そう言った樋口であるが、今度はこちらに質問してくる。

「なんだ、白石は三角関係なのか?」

「それならまだマシだ……」

 この話題になると、死んだ目をする大介である。

「どういうことだ?」

「うちの妹たちがな」

 ほれ、とスマホの画面を見せる直史である。大介の腕を両脇から抱えるツインズの映像が映る」

「はあ、双子か。可愛いな。そりゃあどちらを選ぶのか迷うし、どっちを選んでも気まずいよな」

「それならまだマシだ……」


 何がマシなのか、と樋口は視線で直史に説明を求める。

「うちの双子は、大介を共有したいんだよ」

 ん? と思った樋口はしばし考えたが、普通ではない結論に、普通に辿りついた。

「つまり三人で恋愛関係を築きたいということか」

「そういうことだ」

「それのどこに困る要素があるんだ? 向こうは承知してるんだろ?」

 樋口ぃ!


「貴方たち、さっきからすごい会話をしてるけど、ここに年頃の女性がいることも忘れないでね」

 助手席から早乙女が、溜め息混じりの声をかける。

 そして運転するマネージゃーは、甲子園のスターたちのネジの外れ具合に震える思いであった。

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