エースはまだ自分の限界を知らない[2.5]+[3.01]

草野猫彦

第1話 夢の扉

 ――時間はわずかに遡る。


 まだ甲子園の熱気の冷めやらぬ八月の終盤。

 地元のどこに行ってももみくちゃにされる白富東の主力選手、佐藤直史と白石大介。

 珍しくまともに練習が出来るな、と思っていた二人は、校長室に呼び出された。

「なんだろな?」

「セイバーさんもいないし、一緒に呼び出されてるんじゃないか?」

「じゃあ悪いことじゃないよな?」

「お前が何かしでかしてないんならな」

「……」

「おい」

「いや、しでかしたのは、お前の妹」

「……大阪の乱闘事件か? ありうるけど……」


 一応双子は野球部とか無関係という形式にはしてあるし、あれは明らかに正当防衛だと言えるが、問題になったら困る。

 そう思いながらも校長室のドアをノックして、二人は入室した。


 部屋の中にいたのはセイバー、そして甲子園出場が決まって以来、ずいぶんと見慣れた存在になった校長と教頭。

 そして残りの一人も、見知った人物ではあった。

「あ~、大阪光陰の」

「木下幸一です。よろしく」

 高校野球界最高の名将と呼ばれる、大阪光陰の木下監督。

 見た目は割としょぼくれたおじさんであるが、間違いなくデータ野球の申し子である。

「あ、ひょっとして早速練習試合とか?」

 と大介は思ったのだが、それなら次のキャプテンであるジンがいないのはおかしい。

「いや、そうじゃなくてね」

 木下の言葉を遮るように、セイバーは端的に言った。

「佐藤君と白石君が、世界大会の追加メンバー候補になっています」

 思わず顔を見合わせる二人であった。


 WBSC U-18ワールドカップ。

 16歳から18歳の選手を集めた野球の世界大会である。

 もっとも野球というのはサッカーと違って、それほど世界的に伝播しているスポーツではない。

 もちろんスポーツの中では大きな市場規模を持っているが、さすがにサッカーとは違う。

 だがそのサッカーは、野球の本場のアメリカでは、それほど人気のないスポーツなのだ。


「こういうのは三年生を中心にチームを編成すると思ってました」

 その直史の言葉に、ぱちくりと木下は目をしばたたかせる。

「君は……案外野球のイベントに詳しくないのかな? U-18は隔年でしか行われない。だから今年が君にとっては最後のチャンスなんだが」

「え」

 本当に知らなかった直史である。




 実は大介はセンバツ終了の時点で、候補にはなっていた。

 だが……学校の補講などがあったため、問答無用で外れていたのである。

 甲子園の結果、怪我などで辞退した者などが出ているため、急遽追加メンバーを集めているのだ。

 しかし三年生は既に次の段階に向けて動いているため、二年生にも積極的に声をかけている。

「たとえば春日山の上杉君は、脇腹の筋肉を傷めてぎりぎり間に合わないようなんだ。君の指の方は、逆にぎりぎり間に合いそうだろう? 甲子園優勝投手の代役なんて、君以外にはいないと思う」

「う~ん……コントロールを取り戻すのに、少し時間がかかりそうなんですが……」


 実のところ、直史は珍しくこの話に乗り気である。

 甲子園でのスーパースターというのもそれなりに評価されるものだが、世界大会にまで出場したとなれば、実績にはさらなる+ポイントである。

 大学への推薦などにも、かなり有利な条件が結べるだろう。

 あくまで打算的に考える直史であった。ブレない。


 そんな直史の打算は、セイバーはしっかりと分かっている。

「それでまあ、これが今のところ確定してるメンバーなんだけど」

 木下が出した紙は、既に発表されているものだ。だがその中に赤線が引かれているものがいる。上杉もその一人だ。

「うわ、えげつないメンバー……だけど木下監督、大阪光陰の選手が多くありません?」

「それはもう仕方ないというか、普段から実際に指導しているしね。あとセカンドとショートを任せられる人間が少ないから、どうしてもそうなるんだ」

 ああ、なるほど。

 メンバー表の中の強打者の中には、セカンドとショートを専門に守っている者が少ない。

「その意味でも白石君には、是非入ってほしい」

「俺はすごくやる気なんですけど……」


 大介もまた、戦闘民族らしく世界の強豪と戦いたい気持ちはある。

「もちろん、学校側としても白石君はバックアップするよ」

 校長が満面の笑顔で言った。

「もし成績が留年レベルになっても、教師陣が総出で補習を行い卒業させてみせる」

 脱力する大介であった。


 しかし、それにしても。

「つなぐバッティングが苦手な人、多そうだなあ」

 直史はそう言うしかない。


 投手

加藤:右投右打 外野兼任(大阪光陰)

玉縄:右投右打 一塁兼任(神奈川湘南)

福島:右投右打 外野兼任(大阪光陰)

本多:右投右打 外野兼任(帝都一)

吉村:左投左打 外野兼任(勇名館)


 捕手

武田:右投右打(甲府尚武)

立花:右投右打(福岡城山)


 内野

西郷:右投右打 一塁手(桜島実業)三塁コンバート

実城:左投左打 一塁手(神奈川湘南)投手兼任

初柴:右投右打 三塁手(大阪光陰)

小寺:右投右打 二塁手(大阪光陰)

堀:右投左打 遊撃手(大阪光陰)

榊原:左投左打 一塁手(帝都一)投手兼任

酒井:右投右打 二塁手(帝都一)


 外野

織田:右投左打 中堅手(名徳)

高橋:左投左打 右翼手(福岡城山)投手兼任

大浦:左投左打 左翼手(津軽極星)投手兼任


 それにしても、問題がありすぎる人選だ。

「外野の専門が織田しかいねえ……」

 大介の言葉の通り、高橋と大浦は、本来はピッチャーなのだ。

 どちらも先発しない時は必ず外野に入っているが、その守備力には微妙な疑問符が付く。

 これなら加藤か本多の方が、確実性は高いだろう。

 あと薄いのはショートであるが、大介が入るならここは満たされる。

「まあ実際は皆、他のポジションもやったことあるからね、白石君と佐藤君は、他にどのポジションが出来るかな?」

「サードとファーストと外野、キャッチャーはやったことがあります」

「俺はキャッチャー以外は全部やったことありますけど、次に得意なのはセカンドかな?」


 しかし、このメンバーを見るに。

「うちのアレク連れて来たほうが、外野の守備は安定するような気がする」

「それな。おれも思った」

「でもアレックス君はブラジル国籍ですからねえ」

 セイバーの言葉に、そういえばと思い出す。

 一度日本代表として出てしまえば、次以降の国際大会は、全て日本代表としてしか出られないのだ。


「それで、基本的に参加してもらうということでいいのかね? まあ今年は海外開催なので、おうちの人とも話し合う必要はあるだろうけど」

「うちは大丈夫だと思います。大介は?」

「うちも大丈夫かな? なんか土産買って来いとは言われそう」

 ほっとする木下である。

「助かったよ。樋口君の参加条件が、佐藤君の参加だったからね」

「……なるほど」

 あいつ、そんなことを言ってたのか。

「さあ、それじゃあ手続きもしないとね。基本的に必要経費は出してもらえるけど、パスポートは二人とも持ってるかな?」

 持っていない二人であった。




 U-18の代表20名の選出は、本来であれば春、センバツ後に行われる代表候補の合同合宿を経て、夏の甲子園終了後に正式に決定する。

 樋口は上杉と共にこれに参加していたが、これにすら参加していない直史と大介が選出されるというのは、かなりイレギュラーなことである。

 たとえ本来の代表だった三人が辞退しても、樋口はともかく他の二人は、その候補者から選ばれるはずだからだ。


 しかし、世の中というのは何事も、例外というものがある。

 たとえば明らかにこの夏の甲子園の主役であったスーパースターなど、出場してもらわなければ困るのだ。視聴率などの問題もあって。

「カナダかあ……どうせならアメリカか日本だったら良かったのにな」

 新チームの発進後すぐに、チームを離れなければいけないのは悪いと思う二人であるが、新キャプテンのジンはのんびりとそんなことを言った。

「まあ日本なら便利だし、アメリカなら本場だしな」

 直史としてもだいたい同意であるが、なんとなくアメリカは嫌である。銃社会なので。

 あとは台湾などもちょっと行ってみたかった。


 今年は比較的開催日が遅いのだが、それでも二学期が始まってすぐに、二人は現地に向かうことになった。

 到着したその二日後に試合だというのだから、スケジュールがタイトすぎる。裏で何か色々とあったのではと勘繰りたくなる急展開だ。

 時差ぼけなどの影響も考えると、さすがに第一戦には間に合わないのではないかと思う二人である。

 特にショートの大介などは、内野との連携が大変な気もする。

 直史は別に心配はしていない。

 キャッチャーのサイン通りに投げるだけなら、誰が相手でも同じである。リードが気に入らなければ首を振ればいい。


「それで、他の出場国は?」

 岩崎に言われて、直史は国名を挙げていく。

「アメリカ大陸からはアメリカ、キューバ、カナダ、プエルトリコ、メキシコ、アフリカ大陸からは南アフリカ、オーストラリア周辺ではオーストラリア、アジアからは日本、台湾、韓国、ヨーロッパからはオランダとスペインだな」

 そう言ってから直史は、じっと岩崎を見る。

「なんだ?」

「いや、福島あたりを連れて行くなら、ガンの方が頼りになるのにな、って」

「そうか? さすがにあっちの方が球も速いぞ」

 言われて嬉しい岩崎であるが、直史は正直にそう思っている。

「だって大阪光陰のやつら、強豪相手に九回投げた経験って、あんまりないだろ」

 そうなのである。




 大阪光陰は投手への負担を防ぐために、基本的には継投策を立ててくる。

 それはもちろん投手の将来を考えれば良いことなのだが、一人で投げきるという意識が薄れる。

 甲子園で、負けても最後まで投げ抜いた岩崎とは、そこが違う。

 直史は必要のないおべっかは言わない。


「しかしまあ、本当に日本の高校のオールスターだな。これでも勝てなかったりするのかね」

 メンバー表を見ながら武史は呟くが、調べてきた直史は意外な事実を知っている。

「俺も調べて驚いたんだが、日本はU-18の大会で優勝したことはないんだ」

「へ?」


 そうなのである。高校野球では世界でも絶対的なレベルの高さを持っている日本だが、この年代においてはまだ優勝したことがない。

 原因ははっきりしている。過去の古い時代は、夏の甲子園と日程が完全に被っていたからだ。

 やや時期がずれた最近も勝てないのは、やはり三年生が甲子園で燃え尽き、回復していない場合が多いからだ。

「けど前回も監督やってた木下監督曰く、今回ほどのメンバーがそろったことはなかったってさ」

「ん~? でも二年前、上杉兄がいた頃にも優勝できなかったの?」

「まあ日程とかを見れば分かるんだけどな」

 部室に置いてあるパソコン画面を見せる直史である。


 甲子園のみならず、高校野球においてはメジャーなのは、トーナメント戦だ。

 それに比べると世界大会は、リーグ戦で行われるのである。

「あの人が投げた試合は一回も負けてないけど、それ以外で負けてるんだよ。甲子園以上に毎日試合があるから、ピッチャーはさすがにある程度休まないといけない」

 まあ実のところ上杉勝也であれば、10連投ぐらいしてしまうのかもしれないが。

 軽く投げても150kmは出すので、たいがいの投手よりも強い。

 しかし代表の監督として、木下はそんな起用は出来なかったのだ。


「う~ん、あと外野の専門職がいなくね? 確かに加藤とか本多とか、普通に外野に入ってたけど」

 それは直史も大介も思ったことである。本当に外野の専門と言えるのは、織田だけだ。もっとも織田も、ピッチャーも出来るらしいが。

「まあここに書いてないだけで、内野の左投げは外野も出来るらしいけどな」

 それでもおそらく外野の守備専門なら、手塚の方が上手い。

「あとは打順も問題だよな? 誰が四番打つんだよ」

「打率とか長打だけなら大介で決まりだろうけど、センバツで四番打った時調子悪かったよな?」

「ああ、それはもう、先に三番にしてくれって言ってある」

 とりあえず木下監督の権限で、そこだけは約束してもらっていた。


 あとはおおよそ次のような順番になっている。


一番 (中) 織田 (三年) メンバー内50m走二位。地方予選を含む通算打率二位、出塁率二位、OPS五位

二番 (二) 小寺 (三年) 出塁率四位、犠打成功率一位

三番 (遊) 白石 (二年) 50m走一位、打率一位、出塁率一位、OPS一位

四番 (一) 実城 (三年) 打率三位、OPS二位

五番 (三) 西郷 (三年) OPS三位

六番 (捕) 武田 (三年) 盗塁刺殺率一位

七番 (右) 本多 (三年) 出塁率三位、OPS四位

八番 (左) 高橋 (三年) 打率六位

九番 (投)


 もちろん連日の試合となるので、ある程度は入れ替えていく。

「このメンバーでも大介がやばすぎる」

「つーかこれ、外野がやばいだろ」

「織田の負担が大きすぎるって。せめて下位打線に……無理か」

 投手の数はいる。むしろ多すぎて、一人減らして外野の専門を増やすべきだとさえ思う。

 しかしこのスタメンは、あまりにも打撃特化しすぎている。

「つーかこれ、サード大丈夫なのか? 西郷はきつい球なら捕れるけど、バントには弱いぞ。本当ならファーストだろ。実城が左利きだからか」

「まあそれを上回る打撃が持ち味なんだろうけど」

 あとは本多の打順をもっと上げるべきではないだろうか。連戦の疲労を考えるなら、それも考慮してのことなのだろうが。


 とりあえず、それ以上を考えるのは、選手の仕事ではない。

 木下監督、また頑張ってもらおう。

「衛星放送でもやるらしいけど、決勝リーグは地上波でもやるみたいだな」

 ぶっちゃけ世界大会、甲子園よりもはるかに格下の人気しかない。

 だが実績としては、充分なものが積めるだろう。

 とりあえず準備が大変である。




 羽田空港に到着した二人を待っていたのは、単身で乗り込む樋口であった。

「よう。指はもう治ったのか?」

「治ったけど、精度は95%ってとこかな」

 特に親しいわけでもないのだが、直史と樋口は話が合う。というか、妙にしっくりくる。

「その指で大阪光陰と戦ったら、どんな感じだ?」

「三安打完封ってとこかな」

「よし、じゃあ俺が完全試合やらせてやるよ」

 樋口は冷静な選手だが、不敵さを持っていないわけではない。

「おい、言っとくけど打力まで含めた総合的なものはともかく、キャッチャーとしてはお前とジンにそんな差はないからな」

 これだけは盟友のために言っておかなければいけない直史である。

「ああ、大田のことか。あいつもたいしたもんだよな。でも純粋にキャッチャーとしての技術なら、大阪光陰の竹中さんが一番だと思うぞ。今回は選ばれてないけど」


 実はこのあたりに、木下監督の苦心がある。

 まず大阪光陰の選手からは、150kmコンビの加藤と福島は選ばざるをえなかった。

 そしてキャプテンであり、一番頼りになる初柴を、最初に選ぶ。

 それから他の候補を見てみれば、内野の、特に二遊間の専門選手が薄い。

 だから仕方なく小寺と堀を選んだら、五人になっていた。

 竹中を選べなかったのは、かなりきついのである。


「そんで、そっちは監督さんも一緒に行くのか?」

 樋口の視線の先には、セイバーと早乙女がいた。

 既に監督の引継ぎは終えているので、通訳をしてくれるそうな。まあ役割はそれだけではない。

 カナダの公用語は英語とフランス語であり、実はセイバーはフランス語は喋れないのだ。もっとも英語があればほとんど問題はない。

 一方の早乙女は喋れる。よって通訳としてはありがたい存在だ。

「なるほど、で、そっちのは?」

 そう、この場にはもう一人いる。

 イリヤである。


 この女、学校を堂々と休んで同行している。

 まあ彼女は英語とフランス語のみならず、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、ロシア語までも扱える、語学に関してはスーパーチートな人間なのだ。通訳としてはもってこいの人間だ。

 イタリア語やフランス語は曲と歌詞を作るのに必要であり、ラテン語やロシア語は古代文学を学ぶために必要だったとは言え、彼女は成績こそ悪いが頭は悪くない。

「つーかお前こそ留年やばいんじゃねーのか?」

 珍しくも自分より成績の悪い人間がいるので、実はちょっとほっとしている大介である。

「別に学校なんて、辞めたっていいし」

 このあたりのアウトローさが、イリヤの恐ろしいところである。


 まあ、とりあえずこの六人で、一行はカナダへ向かうことになった。

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