ACT.3

 次に俺が訪れたのはM大学、都内でも割と有名な私立大学である。

 そこは吉田智代の不倫相手が通っていた大学だった。

 どうしてそれが分かったかって?

 情報源の秘匿って言葉を知らんかね?


 なんてことはない。


 笠井氏が妻の手帳をコピーしたものを貸してくれたのさ。そこに彼の写真と、M大に通っていることが記してあったという訳だ。


 ここからが厄介だった。

 当の本人・・・・名前を仮にムライ君としておこう・・・・の所属している学部の事務局に問い合わせてみたが、

”本学に所属していた者の個人情報は教えられない”と来た。


 しかし俺だってそう簡単には引き下がれん。

 俺は大学の正門近くで辛抱強く待った。


『すみません。工学部建築学科大学院の二回生、山村和夫さんですな?』


 時刻は五時過ぎ、俺はスーツにジャケット姿、黒縁の眼鏡をかけ、大きな黒い鞄をぶら下げた男に声を掛けた。


『そうですが、貴方は?』


 俺は認可証ライセンスとバッジを提示し、自分の目的を名乗る。

 最初山村氏は訝し気な表情をするばかりで、あまり話したくはなさそうだったが、

『手間は取らせないし、秘密は守る』というと、渋々ながらも応じてくれた。


『確かに、ムライ君は私と学部同期でした。彼とは良く話をしましたがね。でもそれもキャンパスが殆どで、外ではあまりしゃべったことは・・・・』俺と山村氏は大学のすぐ近くの喫茶店に入り、奥まった席で向かい合わせに座ると、そう前置きしてゆっくり話し始めた。


『彼は背は高く、ハンサムでしたが、本来内気で気の弱い性格でしたから、あまり友達も多くなかったみたいです。』


『ムライさんが不倫をしていたという事実は?』


『一度学内のカフェテリアで食事をしていた時、窓際の席でスマホをいじっている姿をみたんです。』


 ムライ君はその時、ラインをやっていたという。


 そんな時の彼は滅多に見せないような笑顔を浮かべていたので、立ち上がりかけた彼に、

”誰とラインしていたんだい?”と訊ねた。

 最初彼はひどく戸惑ったようでしたが、

”誰にも言わないでくれ”と前置きして、恋人が出来たという話をし、相手が人妻だということも話してくれました。


『僕は決して道徳家じゃありませんが、彼に”いくら何でも人妻はまずいんじゃないか?”といったら、彼にしては珍しく真剣に”いや、お互いに好きなんだから仕方ないだろう。それに彼女の家庭を壊すつもりはないんだ。ただ愛し合っていたいんだよ”なんて言ってました』


 俺は少し迷ったが、思い切って聞いてみた。

『では、その女性・・・・吉田智代さんがムライ君の子供を妊娠、出産したという話はご存じですか?』

 しばらく考え込み、それから山村氏は答えた。

『知らない・・・・と言いたいところなんですが、知っています。彼から聞きました』

 また少し言葉を切り、嫌な顔をしながら続けた。

『彼が一度変なことを言ったんです。”彼女、ベッドの中で盛んに僕の子供を産みたいなんていうんだ。僕はまだ学生だし、子供なんか出来たって育てられないよ”っていうと”好きな人の子供を欲しいと思うのが何故いけないの?”って、真剣な目でいってくるんだ。でも終わった後で、あれは冗談よ。ごめんねっていうんだ。思わずどきってしちゃったよ”って、苦笑してました』


 卒業してから、しばらくは音沙汰がなかったが、突然山村氏のもとにメールが来て”今度教授に頼んで、米国に留学することにした”と知らせてきた。

 何のことかと思い、実際に会ってみると”彼女が妊娠したっていうんだ”

”あなたの子供よ。産んでいい?”彼女はそう言ったという。


 ムライ君はそこまで来て、彼女への情熱がすっかり醒めてしまい、同時に恐ろしくなった。

 

 そこで教授に頼んで、米国の某大学の大学院に入れてもらうという口実を作ったのだ。

 連絡先は彼女には教えなかった。

しかしどこで調べたかは分からないが、メールアドレスを突き止め、度々送ってよこしたが、彼は全て無視した。

『罪なことをしたものです。彼も・・・・でも、もう過去の事ですが』

『どういう意味ですか?』

 俺の問いに、山村氏は大きくため息をつくと、

『彼はもうこの世の人ではないのです。米国に行って半年目に交通事故で・・・・』


 


 

 次に俺が訪れたのは、本郷にある吉田智代の実家だった。

 何でも彼女の祖父が事業で成功した時に立てたとかで、かなり大きな家だった。

 

 しかし両親は既に亡くなっており、長兄が応対してくれた。


『妹とは笠井さんと離婚して以来、顔を合わせていません』穏やかそうな40代の紳士は、そう言って腕を組んだ。


『彼女は困ったところがありましてね。自分の欲しいものは何でも手に入れたいと思い込んでしまうんです。あんなことをしたのも、そうした性癖が原因なのかもしれませんね』

『連絡は全くなかったのですか?』


『いえ、時候の挨拶とか、今何をしているかといった近況報告みたいなものはありますが・・・・』そう言って彼女の兄は二、三の葉書と封書を見せてくれた。

『まったく、笠井さんには済まないことをしたものです。私もそのことを手紙や、稀に電話がかかってきたときにたしなめたんですが、彼女は鬱陶しそうに”分かってるわ”なんて答えるばかりで・・・・』つくづく困ったというように、眉をしかめてみせた。


 俺は彼女から送ってきた封書と葉書のうち、消印が一番新しいものを選び出し、写真に撮らせてもらった。

 封書の中には、子供と写した写真も入っていた。

”長女、千絵、三歳半”

”長男、弘、二歳”

 と、記してある。

 俺は笠井氏の顔を思い浮かべていた。

 なるほど、確かに息子の方は笠井氏には似ていないな。そう思った。


 俺は消印を頼りに、彼女の現在の住所を割り出した。

 川崎市にある小さなマンション・・・・いや、アパートと言った方がいい。そんな建物だった。


 近隣の住民にそれとなく聞くと、彼女の現在の仕事はキャバクラのホステス。年齢としよりも若く見えるせいで、結構いい稼ぎをしているらしい。


 店を訪ねてみると、彼女はここ五日ばかり休んでいた。 

 マネージャーによれば、

”子供の具合が悪く、出勤できない”と、電話をかけてきたという。



 もう一度近隣住民に話を聞いた。

”ええ?お子さんが病気で家にいる?違いますよ。五日ほど前に男性と二人で楽しそうに車に乗って出かけるのを見たんですから”と、不思議そうに言った。

”どんな男性でしたか?”重ねて俺が訊ねると、

”若い男でしたよ。痩せていて、背が高くて、髪の毛は茶色だったかしら?”


 後は、冒頭に記した通りである。


 警察が到着するまでの間に、俺は彼女の家の中から、群馬県の草津温泉のパンフレットを発見し、赤ペンで丸を付けた宿の電話番号を記録しておくのを忘れなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大学病院のERの待合室で、俺が待っていると、笠井氏が血相を変えてやってきた。

『子供たちは・・・・子供たちは無事なんですか?』


『危ない状態ではありましたが、命だけはとりとめたようです。』俺が答えると、彼はほっとしたように大きく息を吐いた。


『会えますか?』

『それは受付で聞いて下さい。それから・・・・』

 受付の前に立っていた制服警官をみながら、

警察あっちがあなたに用があるそうです』


 俺はそう言って、警察に依頼人のことを話すと、すぐにその場を離れた。


『おい、俺だ』

 俺が携帯を掛けると、向こうから眠そうな声をしたジョージが『なんだ。ダンナか。こちとら昨夜ゆんべ徹夜仕事だったんだぜ。さっき起きたところなんだ』欠伸あくびまじりに応えた。


『群馬まで飛んでくれ。今川崎の××大学病院にいる。至急頼む』

『何だい、藪から棒に・・・・』

『いいからすぐに来てくれ。金なら倍以上払ってやる』

『分かった。分かったよ。直ぐに行く』

 こっちの雰囲気を察したんだろう。それ以上何も聞かずに了承した。



 










 



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