天使たちの居場所

冷門 風之助 

ACT.1

 ◎二頭の象が戦う時、傷つくのは草だ・・・・キクユ族の諺◎

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ノブに手を伸ばし、回してみる。


 当然、ロックはかかっていた。

 管理人に、

”鍵を開けてくれ”と言ってみたが、彼は何だか渋い顔をするばかりで要領を得ない。

やむを得ん。


 俺はコートの内側の隠しポケットから、”道具箱”を出すと、ピッキングツールを取り上げて鍵穴に突っ込む。

 江戸川乱歩大先生の少年探偵団の時代から、俺みたような稼業は、この程度の芸当が出来なきゃ喰っていけない。


 難なくロックは解除されたが、ドアチェーンにより、十五センチほど開いただけで、それ以上は無理である。


 中からは冷気とも熱気とも思えない異常な臭い・・・・食料の腐ったもの、人の排泄物等・・・・それらが混然一体となり、俺の鼻を衝く。


 それだけじゃない。

糸のように細く、小さく、子供の泣き声も聞こえてくる。


 俺は管理人をもう一度振り向き、そして言った。


『チェーンを切りますよ。』

『でも、あんたは・・・・』と、語尾を鈍らせる。

はばかりながら免許持ちの探偵だ。何かあったら責任は取る。心配はご無用。』

 それだけ言って、俺は管理人の返事を待たず、ツールから小型のチェーンカッターを出し、切断すると室内に入った。


 室内なかは・・・・描写するのも難しい。そこは凡そ人が住むような場所ではない。

 エアコンは動いてはいたが、室内の空気はどんよりして、快適というには程遠かった。


 食べ散らかされた食物とその袋。


 洗濯をしていない、脱ぎ散らかされた衣類。

 そして排泄物の匂い・・・・

 明らかに丸五日、いや、六日は放置されているとみて間違いはなかろう。


 その中に姉弟きょうだいはいた。


 いや、”居た”というのは正確ではない。

”転がっていた”というのが正しいところだ。

 姉の方は凡そ三歳程度、

 弟はようやく二歳になったばかりという感じ。

 二人は薄汚れたオレンジ色のカーペットの上に、毛布を掛けて抱き合うような格好で横たわっていた。


 しかし二人とも、年齢よりははるかに小さく見える。

 痩せていて、見るも無残な状態だ。

 

 姉の方は赤い地にアニメのキャラクターを描いたTシャツに白い(とはいっても、殆ど汚物で黄色に変色していたが)ハーフパンツ。


 弟の方は黄色地の、やはりアニメのキャラクターを描いたTシャツ、そして下半身は、半分脱げかかった紙パンツしか履いていなかった。


 俺は二人の頸動脈と手首を触り、それから呼吸を確認する。


『二人ともまだ呼吸いきはある。』


『すぐに救急車を呼んでくれ。それから警察にも』


 俺が鋭い言葉をかけたにも関わらず、管理人はまだおたついて口の中で何やら言い訳がましいセリフを繰り返している。


『子供の命とメンツ、どっちが大事だね?』俺が繰り返しても、まだ動こうとしない。舌打ちをしながら携帯を出すと、119番と110番の双方に通報した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

”これが妻”

 男は言いかけて口を閉じ、

『いや、元妻と言うべきでしょうね』と言い直した。

『宮本弁護士から私のやり方はお聞きになっていらっしゃるでしょうから、そこは省略しますが・・・・依頼をお引き受けするかしないかは、先にお話を伺ってから決めさせて頂きます。それで構いませんか?』俺の問いに、彼はそれでいいと答えた。


 神奈川県にある、見晴らしの良い丘の上にある、小さな一戸建て住宅だった。


 男の名は笠井健一、年齢は32歳。職業は割と有名なイラストレーターである。


 背が高く痩せていて、銀縁の眼鏡をかけた、穏やかそうな風貌に見える。


 現在は独身で、この家には一人で住んでいるとも付け加えた。


『離婚したのは二年前のことです。原因は・・・・』ここでちょっと言葉を切り、眼鏡を拭き、

『彼女の不貞です』と、何か嫌なものでも吐き出すように言った。


 笠井氏と元妻・・・・智代ともよという・・・・は、8年前に友人の紹介で知り合って結婚したのだという。


『これが智代です』

 彼は一枚の写真を取り出して俺に見せた。

 うりざね顔をした、色白の美人だった。

 肩にかかるくらいのセミロングのストレートヘアをしており、目鼻立ちもぱっちりしていて、29歳という年齢としより若く見える。グレーのプルオーバーに、膝まである長いスカートを履いている。


 まだ小さな女の子さえ抱いていなければ、或いは彼女の腹が幾分ふくらんでいなければ、女子大生だといっても通るくらいに見えた。

 

『その子は千絵といい、私の娘です』

 母親によく似た、可愛い女の子である。


『私が赴任先から帰った時に撮ったものです‥‥妻はその時、妊娠していました。』


 笠井氏はその当時、大手のデザイン会社に勤めており、仕事の都合で単身赴任していたという。


『妻も仕事を持ってましたし、娘も小さかったから、一緒に連れて行くわけにもゆかず、一人で赴任したのですが・・・・今となってはそれがになってしまったのかもしれません』


 第二子を妊娠していると聞かされて、最初は喜んだが、どう考えても日数的におかしい。

 疑念を抱いた彼は、

”本当はそんなことしたくはなかったのだが”と前置きしてから、やむを得ず、寝室、洗面所兼脱衣場、その他二・三か所に盗聴器を仕掛けた。

 間違いであって欲しいと願いながらも。


 しかし残念ながら、彼の”疑念”は当たってしまった。

 


 


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