悪夢
清野勝寛
本文
悪夢
「何を探しているの」
暗闇に声が滲み、広がっていく。その声はとても冷たく感じた。ボクは何も見えないまま、手探りで地べたを這いつくばっている。体を起こそうとしても、上手くいかない。そうか、ボクは何かを探しているから。
「わからない。教えてよ」
闇に奪われた視覚は、何も映し出すことはない。こんな状態で探し物も何もないだろうに。けれどそう問われると、ボクはもうずっと長い間、ここで何かを探していたような気がする。
視界がないかわりに、徐々に他の感覚が研ぎ澄まされていく、肌がひりひりと痛みだす。突き刺す様な冷たさが体の芯に広がっていく。ここはどこだろう。ボクは何故、こんなところにいるのだろう。
「欲しいものはなに」
はっとして、息が止まる。欲しいもの。それは酷く曖昧で雑多で、抽象的な言葉だった。形として残るものも欲しいものになるし、もっと抽象的な他者に認められたい、だとか、或いは人よりも偉い身分や地位を得たい、というものだって、「欲しいもの」に区分される。簡単に答えは選べない。それよりも、ここがどこで、どうすれば元いたはずの場所へ帰れるのか、という答えを知りたいという方が、今は欲しいものに該当するかもしれない。
「ない、です」
結局ボクはその問いに、そう答えた。直ぐに声は返ってくる。一つに絞れないのなら、選ばないでおこう。大切なものが何かなんて、今のボクには分からない。それにこの状況では、冷静な判断も出来ないだろう。
「そ。君はやっぱり嘘つきだね」
「え」
思わず声が出た。
嘘をついたつもりはない。言うならば、選択を見送っただけ。それがボクという人間の答えだ。
だというのに、声はそれを真っ向から否定した。
「そうやって口先だけで生きてきたんでしょう。何かを選ばなければならない時も、濁して濁してドブ水みたいにして、選択を悟られないように生きてきたのでしょう。仕方がないよね。だって、そうしないと――」
声はそこで途切れた。
触れてはいけない。感覚が更に研ぎ澄まされて、呼吸する自分の息遣いさえも煩わしい。そしてボクは、何も見えないまま再び声を発した。
「それは、随分と偏った見方だね。まるで見てきたかのように。ねぇ、もしかしてアナタは神様ですか? もしもそうならば、ボクを元いたところに返してください。ここは、酷く寒いし、痛い」
元いたところ……?
それはどこだろう?
ボクはどこにいて、何をして生きて、誰と一緒に過ごし、それらをどう思っていたのだろう。思い出せない。
ボクの願いに、声は答えない。
そしてボクは、もといた場所等わからないのに、その場所を求めた。これは願いではないのだろうか。欲しいものではないのだろうか。そんな疑念が頭を過った。ああ、この世界には、欲しいものがあまりにも多すぎる。
「……本当に、言っているの。愚かだね。でも、それは出来ない。決まりだから」
「そんな、あなたは神ではないのでしょう? それならボクからそれらを奪う権利なんてないはずだ……あなたは、一体、どれだけ人を見下して生きているのですか」
体が自由に動かないのなら、言葉を飛ばすしかない。這いつくばった上半身をなんとか起こしながら、声がした筈の方へ向き、声を出す。
次第に、喉が痛みだす。次に四肢の先から感覚がなくなり、闇雲に動かしているはずの身体が何かに接触するたび、全身に痛みが広がる。とうとう起き上がることも出来なくなって、ボクは床に俯せた、筈だ。いつの間にか、殆どの感覚を失っていた。床に押し付けた心臓が圧迫され、ギリギリとボクを苦しめる。
あぁ、痛い。
痛い。痛い。痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
世界から音がなくなった。それでも、声が聞こえる。
耳の奥が焼けるように熱い。痛い。だが声は出ない。出さない。声をあげれば痛みが更に増す。そうなってしまっては、いけない。耐えられない。堪えられない。耐えたくない。我慢したくない。けれど、不可思議なことに、ボクは、まだ、何かを、言おうとした。言った。言い放った。言わずにはいられない。言わないといけない。言うんだ。言う。言う。何度も、何度だって。
「ボクは、間違った事などないよ」
「本当に?」
「ボクは、いつだって、常に、間違っていなかった」
「本当に、心から、そう思っているの」
「ボ、クは、まち、間違った事などない、、よ」
「……」
「ボくは、まち、まち、まちが、ことなど、ない。、、よ」
「――」
「ボクば、まぢkがtらsことなdl」
――。
「何を、探しているの」
暗闇に声が滲む。その声はとても冷たく感じた。
ボクは何も見えないまま、手探りで地べたを這いつくばっている。
悪夢 清野勝寛 @seino_katsuhiro
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