6杯目 青いアイマスクの女

「その猫、ここの猫なんですか?」


 どっかのモデルがプロデュースした付け睫毛をばたつかせ、椎菜はマスターをぎろりと睨んだ。いや、睨んだと判断したのはマスターであって、実際のところ、ちょっと眉をしかめて目を細めただけなのだ。どっかのモデルがプロデュースしたカラコンの調子が悪いのである。


 けれど、ぶっちゃけギャルに耐性のないマスターはそれだけで縮み上がっていた。この5年後、アラフォーとなったマスターは「まぁギャルも悪くはない」という結論に至るのだが(それでも好みは年上)、この時はまだそこまでの経験がなかったのである。と書くと誤解されそうだが、その5年の間にマスターがギャルと交際したとか、そういうことは一切ない。ただ、ここに来る客の中にギャルが数名混じっていたというだけである。


「そうです、ここの猫なんです」


 毅然と(でも内心はかなりビビっている)そう答えたマスターに、ヨリ子ちゃんは正直ちょっと驚いていた。見直したとか、惚れたとか、そういうやつではない。見直すほどの付き合いでもないし、スーパー面食いのヨリ子ちゃんがマスターに惚れるわけもない。

 だからつまり、


「いや、アンタさっき私が『ここの看板猫にしましょうよ』って言った時、無言だったじゃん?」


 と驚いたのである。


「なぁんだ、そうなんですか」


 しかし、目の前のケバ目の美人ががっくりと肩を落とすのを見れば、ちょっと揺れ動いてしまったりもする。まぁ確かにこのハチワレは可愛いが、もしどうしてもというなら、譲っても良いのではなかろうか。それならそれで別の猫を――、などと考え、結局『看板猫を常駐させること』は確定のようである。多少、あわよくば、という気持ちがなかったわけではない。


 すなわち、


 YOUもここの看板娘になっちゃいなYO、である。


 けれど、椎菜の方では何が何でもこの猫を、という気持ちではなかったため、それならそれで、とあっさり引き下がった。その代わりに、とでもいうかのように、その場にしゃがみ込み、未だ毛糸玉にじゃれつくハチワレの背中をそぅっと撫でる。ハチワレの方でもそれを鬱陶しがる様子もなく、ただ黙って目を細めた。


 えぇっ!? 現在のみたらしと本当に同じ猫?! と思った方も多いのではないだろうか。ええ、何なら作者もそう思ってます。あれ、もしかしてこの5年の間に何かしらの事件なり事故なりがあって、あんなスレた感じのツンデレ猫になってしまったのだろうか、と。いまのこのハチワレなら、鳴き声も『にゃぁおん』タイプだろうし、日本語訳すれば『~だニャ』になるのではないだろうか。


 しかし、ご安心ください。これはつまりアレだ。まさに猫を被っていたのである。猫が猫を被るって、いったいどういう状況?! とも思うわけだが、きっとこういうところから生まれた言葉なのだろうから、それで良いのである。


 ハチワレは「野良に戻るなんてまっぴらごめんだぜ」と思っていた。実はひそかに野良ネットワークで『人間を落とすには』みたいな情報を掴んでいたのである。飼ってもらうには最初の掴みが肝心なのである。人慣れしていない野良だからと誰彼構わず爪を立て牙を剥いても最終的に飼ってもらえるパターンはあるが、それは見つけてくれた相手が無類の猫好き(あるいは動物好き)の場合であって、「うーん、猫? 好き好きー! マンチカンとかぁ、アメショーとか飼いたーい」と真っ先に人気の品種を挙げるタイプは、汚い野良猫(しかも洗ってびっくり、実はスコティッシュフォールドでした! なんてことはない)は「えー、何か汚いし、懐かないんですけどぉ~」と言って敬遠する傾向にある――というのは完全に作者の偏見であるが、そういう知人(友人とは呼びたくない)がいたので、悪意を持ってここに紹介させていただいた次第だ。


 とにもかくにも、ハチワレは、そう思っていた。

 飼い猫になりさえすればあとは好き勝手させてもらえるだろうから、いまは我慢だ、と。畜生、なかなかに計算高いやつである。けれどこれが猫となるとどうして許してしまうのか。可愛いは正義だ。ただ、作者の場合、『ぶさカワ』なるジャンルも大好物なので、もう猫やら犬やらはほぼほぼ正義と言っても過言ではない。


 そんな正義の具現化、ハチワレ猫は、正直大してその毛糸玉に興味があるわけでもなかったし、ぶっちゃけ「勝手に撫でてんじゃねぇよ」とも思っていたが、そこはぐっと我慢だと思いながら、毛糸玉をコロコロし、黙って撫でられていた。ちなみにこの後、首尾よく看板猫に収まるわけだが、湯部がわざと転がした毛糸玉に向かっていくことはなかったし、撫でようとすると電光石火で避けるようになったのは言うまでもない。良いぞ、それでこそみたらし。


 さて、ひとしきり背中を撫でていた椎菜であるが、「仕方ねぇ、サービスだぞ」とハチワレがごろりと寝転がって腹を出すと、「ちょ、まじで?」と残念そうな声を上げた。


「アラ――――――!? ちょっと木更津さん、見て! 雄よ、雄!」

「んまァ――――――! ほんとほんと、ちょっともー、ゆべっちどこ見てんのよぉー! やぁーだ、かぁーわいいっ!」

「とかいって、木更津さんも見てんじゃーん!」


 そりゃあ見ちゃうのである。

 むしろそこから目を背けてはいけないのだ。

 とまで書いてから気がついた。あれ、この小説のセルフレイティングどうなってたっけ? 性描写有りにしてたかな? ていうか、にゃんこの局部も性描写に入るのかな? と。え? ここから先にあるかもしれないだろ、って? 性描写が? この現代ドラマで? ラブコメじゃないのに? ないない、あるわけないでしょう。この小説におけるアハーンな部分はこの『にゃんこの局部』のみですよ。


 というわけで、ここでカフェの客全員にこの美猫が雄であるということが知れ渡ってしまったのである。とんだセクハラカフェだ。


「そうそう、雄の猫といえばあれだよね」


 と木更津が思い出したように語りだした、


「あれって言われても、何よ」


 湯部、当然の返しである。


「あれ、知らない、ゆべっち? ほら、あれよあれ『青いアイマスクの女』」

「ああ、あれね。えっと何だっけ、青いアイマスクをつけた女の頭の上にカエルが一匹乗っかってて――ってやつだっけ」

「そうそう、アイマスクしてるのに、ちゃんとまっすぐ歩いてるし、頭にカエルが乗っかってるしで、何だこれ、って」

「でも、それが雄猫とどう関わるんだっけ」

「あー何、もしかしてゆべっちは最後まで知らないの?」

「うん、その時たまたまインフルでね」


 えっ、何その話。超気になるんですけど、とマスターは思った。アイマスクをしている状態でまっすぐ歩けるのも謎だし、頭のカエルも謎だし、それが雄猫とどう関わるのかも気になる。ヨリ子ちゃんも気になるでしょ、と思いながら彼女の方を見たが、「あー、はいはい、あの話ね」みたいなうんざり顔で、そんなことよりこっちの猫、とでも言わんばかりである。


 そして、「あー、はいはい、あの話ね」と思ったのはヨリ子ちゃんだけではなかったらしい。椎菜もまた、そんなことより猫なのよね、といった雰囲気だ。だとしても、君は仲間だろ? と思いつつ、その彼氏の方を見たが、何ならこっちは「それもう聞き飽きたし」といった態度でスマホゲームに夢中であった。


 知らないの、俺だけかよ……。


 と、いささか疎外感を味わったマスターである。ここだけの話、彼はここをオープンする前、自分を探しにインドへ行っていた(数ヶ月滞在したものの、飲み水にあたり、自分も見つからないまま一旦帰国し、その後は「食べ物が美味しいところに行く!」とか言い出して完全に観光目的でヨーロッパへ行った)ので、知らないのである。あの空前絶後の大ブームを巻き起こした『青いアイマスクの女』のことを! あんなに、あんっなにブームになって、光の速さでグッズも作られたし、音よりも速く映画化も決まったけれど、何かもう飽きられるのも一瞬で、いまとなってはそのグッズも投げ売りさえしてもらえず、映画もこのご時世(猫も杓子も『DVD&Blu-ray発売決定!』)なのにまさかDVD化すらしてもらえないとは、一体誰が予想出来ただろうか。

 

 なので、興味津々で食いついたのはマスターだけで、たまたまインフルエンザでオチを知らなかったという湯部についても「ま、だいたい想像つくけどね」と、大して知りたい様子でもなかった。


 

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