7杯目 べこ餅
「雄はちょっとなぁ」
ハチワレの腹を撫でていた椎菜がポツリと漏らした。いつの間にかその向かいにしゃがんでいたヨリ子ちゃんが「雄の猫はお嫌いですか?」と尋ねる。すると、身を乗り出してハチワレの局部をガン見していた湯部が「雄猫はねぇスプレーするからねぇ」と、猫を飼ったこともないくせに訳知り顔でその会話に加わった。
スプレーというのは、まぁつまりは尿だ。いわゆるマーキング行為というやつである。
さすがに無類の猫好きとはいっても、「そのスプレーなら全身に浴びても良い!」のレベルまでに達していない
「違うんですよ、猫ちゃんのならスプレーくらい平気です」
おっと、まさかこっちの方が『全身OK』のタイプだったとは作者も驚きである。
「そうじゃなくて、もう男は良いかなって思って。この猫ちゃんが悪いとかじゃないんですけど」
とさっきまで自身が座っていた8番テーブルを睨んだ。まさか自分の彼女に明確な殺意を――っていや、殺意レベルなの?――向けられているとは露知らず、文治はというと「あー、これはもう課金するっきゃねぇなー」などと考えていた。彼は『むーちゃん』ではなく、スマホゲーム『Do It Yourself!』の工具系アイドル『DIY48』、ショートボブの元気な僕っ
「そんなわけだからさ、あたし達、もう別れよ。ウチにある私物は着払いで送っとくから。食べ終わったんならとっとと帰ってくんない? あたし、デザート一人で食べたいからさ」
「えっ、でも、そんな」
「いーよ、奢ってやるから。だから帰れ。もうその面見たくもねぇから」
よくぞ言った! とヨリ子ちゃんは椎菜にサムズアップを送る。出内もうんうん、と親指を立てて頷いた。一連のあれこれを知ってるのか、湯部と木更津もまた「いえーい」とか言いながらハイタッチをしている。あっ、違うなこれ、どうやら木更津のひいきにしていたWEB小説がこの度書籍化決定したそうで、そっちのハイタッチのようだ。え? それってもしかしてこの小説、って? そんなわけないじゃないですか。ただ、書籍化につきましては、いつでもお待ちしています。
さて、文治はというと、かなり納得がいっていない表情ではあったが、そもそも自分のまいた種である、それでもちょっと恰好つけたかったのか、1,000円をテーブルに置いて店を出た。日替わりランチの値段は850円(+250円でケーキセットに出来ます)、釣りは取っとけ、というやつだろう。いや、150円じゃん。
ちなみに、その150円だが、椎菜はきちんとポチ袋に入れ、私物を詰めた段ボールの中に入れて発送したらしい。いらねぇよ、そんな金、という暗黙のメッセージである。
「あー、すっきりした。すみません、いまからケーキセットに出来ます?」
晴れやかな顔で立ち上がった椎菜に「もちろんです」と答えたのはヨリ子ちゃんだ。小走りでカウンターにある伝票を取りに行く。と。
「待って、ヨリちゃん」
ケーキセット、と書こうとエプロンのポケットからボールペンを抜いたヨリ子ちゃんに向かって、マスターが声をかける。
「俺からのサービスにするから、伝票に書かなくて良いよ」
「良いんですか、マスター」
「良いよ。ほら、えっと、看板猫の歓迎会も兼ねて」
「結局看板猫として採用するんですね」
「仕方ないじゃん、可愛いんだもん」
「確かに」
まだ腹を見せてサービスしていたハチワレは、人間の言葉がわかるのか、マスターとヨリ子ちゃんのその会話で「よし、そんじゃもう良いかな」とでも言いたげな表情でさっさとその場を去ってしまった。あーらら、行っちゃった、と名もなき客は残念そうな声を上げたが、出内は「それがまた猫の可愛いところなんだよォォッ!」とピンと尻尾を立ててカウンターの奥へと消えていくハチワレの後ろ姿を連写している。
「ええと、そういうわけですので、本日、デザートはサービスにします。まだケーキ食べていない方、いらっしゃいます?」
右手を振りながら、客に向かって声をかけると、湯部と木更津を除く数名が手を挙げた。ちゃっかりヨリ子ちゃんも上げた。それを、ひい、ふう、と数え、冷蔵庫から残りのケーキを全部出す。
「はい、チョコの方~。苺のショートの方はもう少しお待ちくださーい」
こうなると、カフェなのかフードコートなのかわからない。わからないのだが、ここはもうそういう店なのだ。甘いケーキが提供されるとなれば、コーヒーも飲みたくなるというもの。必然的にお代わりのオーダーも入り、これから1時間ほど、マスターとヨリ子ちゃんは大忙しになるのだった。
そしてその間ハチワレ猫はというと、「三食昼寝付きの生活ゲットだぜ」と満足そうな表情で、仮住まいである『お部屋の消臭術(ざくろスプラッシュの香り)』の段ボールに戻り、高級今治タオルに包まって惰眠を貪り始めた。
さて。
ここで終わるわけにはいかないのである。まだ解き明かされていない謎が残っているのだ。
そう、このハチワレがなぜ『みたらし』という名になったのか、という。
――え? そっちじゃない? いやむしろこれ以外に何かあります? ちょーっと作者的には全然思い当たらないんですけどォー。
というわけで、御相伴にあずかって抜群に美味しい【
「やっぱりさ、何かこう、オシャレな感じにしたいんだよね、カフェの看板猫なんだし」
「一理ありますね。やっぱりあれじゃないですか、食べ物の名前」
「食べ物かぁ。ちなみにさ、ヨリちゃん家の『テリヤキ』と『チーズボール』っていうのは、誰がつけたの?」
「私です」
「あぁ――……、うん、えっと、成る程」
「それで、ほら、あのハチワレちゃん、黒と白の2色じゃないですか」
「うん。……って、待って。ヨリちゃんがつける気でいる?」
「え? 駄目ですか?」
「だって『テリヤキ』と『チーズボール』でしょ? もうそれでいったら『黒と白の2色だからべこ餅!』とか言い出しそうじゃん」
「何ですか、『ベコモチ』って」
「えっ?! べこ餅知らないの?!」
通じないのである。べこ餅は通じないのである。なぜって、これは北海道と東北の一部で食べられているお餅だからだ。東北の一部ってことは、それじゃあ秋田でも食べてるんじゃん? と思った方もいるかもしれないが、その『一部』に秋田は含まれていないのである。皆さんが思っている以上に東北は広いのです。ただまぁ、その名の通り、『べこ』のように黒と白の2色になっている餅のことなので、何も難しいことはない。
何? 『べこ』って何だ、って? 何ですか、『べこ』すらも通じないのですか、牛に決まっているでしょう! 牛に! と逆切れしても仕方がないのである。どうやらこの『べこ』も方言らしい。むしろこんな『べこ』なんてトリッキーな単語が標準語であるわけがないけど。
というわけで、牛のような2色の餅、それがべこ餅である。と、ここまで熱っぽく語ったが、作者(北海道出身)はこのべこ餅がそこまで好きではない。
マスターの家はお金持ちなので、そういった、その地方でしか食べられないようなお菓子も日常的に食したりするのである。なーんかラーメン食べたいよねー、で北海道へ行くようなレベルの金持ちだと思ってもらえればそれで良い。
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