1杯目 ラブコメにはならない

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」


 個人的なことを言わせてもらえば、だが。

 この『お好きな席にどうぞ』は少々困惑するやつだ。常連ならまだしも、まだ1回や2回程度しか来たことがないのに「好き」も「嫌い」もないのである。それなら奥の方が人目につかなくて良いかな? と別に人目を気にするような職業でもない癖に奥まった席に座ると、そのすぐ後ろがトイレだったりするのだ。それはそれで直ちに駆け込めて便利なのだが、水を流す音なんかが聞こえてくるのはやはり気持ちの良いものではないし、利用者がちらちらとこちらを見ていくのも落ち着かない。


 そんなこんなで、「何だ、この作者が介入する感じは前話で終わりじゃなかったのね」と思われた読者様も多いのではないかと思う。作者としても、当初の予定では1話(つまりこの話)からはきっぱりと鳴りを潜めてごく普通の三人称小説にするつもりだったのだ(でも潜めるだけなので、ちょいちょい介入するつもりではあった)。が、しかし。予定は未定という言葉もあることだし――というか、ちょっと書きやすいのでこの感じでいってみようかな、と思ってしまったのである。なんていうか、実験的に。実験的に、といっておけば大抵のことは許されると思っている。正直に書いちゃうけど。


 さて、いつまでもこんなことを述べていても一向に物語は始まらないのである。というわけで、早速『TWO BOTTOM』の店内に目を向けてみよう。


 店内は、カウンター席が7つ、2人掛けのテーブル席が5つ、4人掛けが2つである。これが満席になると25人がこの店のコーヒーにありつけるわけだが、壁面は三方がぐるりとソファになっているので、まぁ、詰めればもう3人くらいはイケるかもしれない。もっとも、この店の従業員は2人しかいないため、正直に言ってしまうと、満席は御免被りたい。嬉しい悲鳴ではなく、本物の悲鳴が店内に響き渡ることだろう。


「ヨリちゃん、8番テーブルお願い」


 特別イケメンではないマスターが、カウンターに二客のコーヒーカップを置く。ひとつはアメリカン、そしてもうひとつはカフェラテである。それをアルバイトのヨリ子ちゃんが「はぁい」とトレイの上に乗せ、踊るような足取りで――といっても、実際に踊りながら配膳すれば確実に大惨事になるのだが――運んでいく。向かう先の8番テーブルにいるのは、年若い男女、つまりはカップルである。一般的な男女のイメージに当てはめるならば、男の方がアメリカンで、女の方がカフェラテになるだろう。そう、そのイメージ通りに男の注文がアメリカンで、女の方がカフェラテなのだった。そこは捻りも何もない。注文をとったのも他ならぬヨリ子ちゃんなので、間違いはない。実は大の甘党である男性が、この可愛らしいアルバイト(アラウンド30)の前で見栄を張って――などということもなかった。それぞれが、それぞれの前に置かれたカップを手に取り、無言で口をつけたからである。


 そして、カップを置くなり、ほぼ同時にため息。

 それがあまりの美味さに思わず――のようなポジティブな意味を持つものではないように見えた。何せ、向かい合った2人は、お互いに視線をカップに落としたままなのである。


「ごゆっくりどうぞー」


 そんなの知ったことかとヨリ子ちゃんは笑顔と共にそう言って頭を下げた。そう言うようにと教えられているし、さっさと飲んでさっさと帰られたら、それはそれで困る。


 実はこの8番テーブル、何を隠そう一番良い席なのである。何がどう良い席かって、ただ単に、通りからよく見えるというだけの窓側の席なのだが。別にこのカップルの見た目がそこそこだったから、客寄せパンダ的な意味合いでここに誘導したわけではない、彼らが勝手に座ったのだ。

 何せ、ヨリ子ちゃんは「お好きなお席にどうぞ」と言ったわけだから。たまたまそこが彼らの『お好きな席』だったというわけである。


 けれど、やはり多少は見栄えの良い若者が座ると、その時間帯の客の入りは良い。しょぼくれた、辛気くさい、しなびた茄子のような中年(男とも女とも言わないが)よりは、確実に集客効果がある。

 

 今日は当たりだわ。


 仏様のような顔をしているヨリ子ちゃんだが、案外そんなことを思っていたりする。


 事実、そこそこに忙しかった。この、『そこそこ』が重要なのである。めちゃくちゃに、はちゃめちゃに、べらぼうに、忙しいのは望んでいないのだ。ヨリ子ちゃんも、経営者であるマスターすらも。

 適度にオーダーが入り、適度に暇。これが2人の求める1日である。だから今日なんかはほぼほぼ理想の1日と言っても過言ではなかった。


 従業員はこの2人しかいないが、別に夫婦というわけでもないし、これからロマンスが生まれる予定もない。カフェが舞台で従業員が男女ひとりずつとなるとすぐにラブコメが始まると思ったら大間違いなのだ。それがこの作者のやり方なのである。


 確かにマスターは独身だが、そんなにイケメンではない。まぁそこそこの顔立ちなんじゃないかと本人は思うものの、寄る年波(39歳)には勝てず、最近は腹回りの脂肪が彼の自慢のシックスパックを覆ってしまっている。自慢出来るほどのシックスパックだったのかは知らない。とりあえずのリップサービスというやつだ。蛇足である。アルバイトのヨリ子ちゃんに対して、よく働いてくれるし、気立ても良いとは思うものの、彼の好みのタイプというわけでもない。彼はもっとこう……鉛筆のようにほっそりとした年上の女性が好きなのである。ここだけの話にとどめておいてほしい。


 そして、ヨリ子ちゃんの方でも、マスターはノーサンキューだと思っている。彼女は、ここ南由利ヶ浜市を拠点に活動している超ローカルアイドルグループ『SHOWショウ-10テン-GUYガイ』の緑、『いず君』こと、大衆浴場『梵天の湯』の息子、和泉いずみ暖人はるひとにお熱なのである。互いに仕事上の付き合いときっちり線を引いて接しているために、「結局、近くにいる人とくっつくのよね」みたいなロマンスは発生しないのである。


 そうはいっても何だかんだ言って最終的には? これから起こるであろう様々な苦難を乗り越えるうちに? などとほんのり期待している読者諸君、大変申し訳ない。この2人に関しては――というか、この小説のジャンルをもう一度確認してほしい。


 もう一度言う。

 この2人の間に惚れた腫れたのロマンスは発生しない。絶対にだ。

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